久しぶりに映画『あん』を見ました。つい先日、5月11日ですね、NHKで紹介されていたのに触れて、見たいという気持ちが無性に高まってしまったのでした。NHKで取り上げられたのは、らい予防法の国家賠償訴訟勝訴から20年がたったことを受けてでした。現在も講演活動をなさっている上野正子さんとともに、彼女をモデルとした登場人物の出てくる映画、『あん』について語られて、ああ、いい映画だったな、映画館に見にいって、またテレビでやっていたのも見たなと、しみじみ思い出した。ええ、時に思い出しては見たくなる映画、それが『あん』です。
以前、この映画についての感想を書いたのは2015年、もう6年になるんですね。読み返してみれば当時はまだソフト化されておらず、見たければ劇場にかかるのを待って足を運ぶしかなかった。ですが今は動画配信サイトがあります。入っててよかったNetflix、好きなタイミングで自宅に居ながら視聴することができる。本当にありがたいことだと思います。
この映画は、たとえどんな時、どんな状況で見たとしても名作であることに違いはないと思いますが、今、新型コロナによって社会とともに人々が疲弊している状況で見れば、また違った感慨もあって、見てよかった、今だからこそ見てよかった、そんな思いでいっぱいになっています。
移動の自由が制限されている。それは緊急事態宣言といった外部からの抑制だけでなく、自身外出を避けようと思う内面からの抑圧もある、そんな不自由を感じる状況。またあるいは、コロナ対策のしわよせを受け生活が変わってしまった、悪く、より厳しい状況に追いやられてしまった人もあろうかと思います。よりマシな場に移りたい、そう思ってもそうそういい場所なんてものはない。つらいと、しんどいと鬱屈しながらも、今の状況に足踏みし続けている今、生きるということはなんなのだろう。こんな思いをしながら生きなければならない自分の生とはいったいなんなのか。そうした疑問を飲み込みながらあくせくと日々を過ごしている時に、この物語は共感をともに触れてくるのではないか、そう思うのです。
ただ、なにもなくとも生きてるだけでいいんだよ、そうした優しげで空虚ななぐさめを与える物語ではないということは肝に銘じておきたいところです。この物語は、もっと強い、前へと向かおうとする思いが描かれている。思いこそは強くとも、それが閉じ込められてしまっている、不自由にされている時に、いかにその思いに向きあえばよいのか。いつも望みがかなうわけではない、むしろ逆風の吹きすさぶことさえままある人生に、それでも生きよう、生きた、生きねばならなかったということの意味こそが照射されている、そのように思うのです。
久しぶりに樹木希林さん、市原悦子さんにお会いした、そんな気持ちになれたのはすこし嬉しかった。そしてこのことがはからずも命の、世の無常と、映画のうちに生き続ける永遠というものを思わせて、時間あるいは見るものの思いにより、映画の描き出すものは変化、深化していくのだと、あらためて感じさせられたのでした。
- 『あん オフィシャルブック』(キネマ旬報ムック) 東京:キネマ旬報社,2015年。
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