書店にて、表紙を表に並べられていたこの漫画を見つけて、どうにも気になって手に取ってしまいました。作者はきづきあきら。ピンときました。『モン・スール』の人ですね。私は『モン・スール』を書店で見かけたときに、その仏語のタイトルに興味を持ちながら(だって、マ・スールじゃないの?)、危険を感じて手に取らずにいたのです。なんでかというと、作者がきづきあきらだから。この人については特に詳しいわけでもない私ですが、ちょっとくらいは知っています。この人の漫画は、優しくない。読み手にも優しくなければ、漫画内に生きる登場人物たちにとっても優しくないのですよ。読んでて非常に厳しい気分になること必至なので避けていたのですが、『IKKI』9月号掲載の読み切りはそんなにしんどいばかりでもなかったなあと思って手を出してみたら案の定でした。私の危険関知能力はそこそこ機能しているみたいでありますじょ。
絵はかわいいけど、容赦がない。それが第一印象でありますね。舞台は高校漫画研究部。オタクたちが集まる部でのオタクの日常、生態を扱った漫画で、ああありそー、そんなやついそー、というネタが次々に出てくるというと、阿部川キネコの『辣韮の皮』や『げんしけん』みたいな感じを思い浮かべたりするかも知れませんが、とんでもない。全然違います。
『ヨイコノミライ』は、他のオタクを扱った漫画ではあえて描かれていない、あるいは描かれたとしてもギャグとして処理されるような暗部を徹底的に、克明に描きだそうとするかのようで、なにしろこうした漫画を読もうという人間は多かれ少なかれオタクでありますから、読んでいて非常につらい。直視したくない現実を眼前に突きつけられるようで、ちょっとへこんでしまいそうです。
けど、読んでいるうちにだんだんとそうした厳しさの向こうにある救いというか、希望というかが見えてくるから、目が離せなくなってしまって、これはぜひ3巻4巻と買わなければならないという気持ちになるから不思議です。この漫画に登場するオタクの彼らは、読者の前に問題行動や非常識をあからさまにされながらも、その身のうちに抱えている痛みや苦しみ、コンプレックスも徐々に明らかにされるから、最初は嫌悪(それが同族嫌悪であることはわかっています)の対象でしかなかったのに、気付けば彼らに安息がもたらされればよいと願っている自分がいたりして驚きです。嫉妬やあまりに強すぎる自己愛、愛をせがむばかりで与えることをしないという自己中心性。現実を直視することなく妄動に走るものがあれば、逃避目的の自傷行為にふけるものもいて、オタクを長く続けている人間なら、身近にそういう人がいたであるとか知り合いがそういう被害に遭ったとか、そういう経験を持っていることも珍しくないかも知れません。あるいは自分の過去、現在の自分自身を突きつけられているかのような居心地の悪さを感じるかも知れません。けれど、そうした皮膚感覚に訴えるようなありそう感があるから、漫画の登場人物に異様な親近感を覚えるのでしょう。だから、もしかしたら、私が彼らに安息をもたらされますようにと願うのは、私自身が安息を求めているということにほかならないのかも知れません。
私は『ヨイコノミライ』は初読です。だから先がどうなるかはわかりません。ですが、2巻までを読んで、そこに希望の種があるように思われたから、この先に期待したいと思います。誰よりも優位に立っているように見えて誰よりも屈折している青木が救われることを、その救いとともに漫研部員の皆にも安息がもたらされることを、 — そうしたラストがくることを望んではいるんですが、救いがあると見せかけて安心して飛び込んだところをズドンみたいな、だまし討ちするような真似は本当に勘弁してくださいよ。そんなことになったら、私、へこたれてしまいそうです。
蛇足
一輝先輩がいいよね。ナイーブで優しくて、でも激情を内に秘めていたりしていそうで、いいじゃないですか。
- きづきあきら『ヨイコノミライ 完全版』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
- きづきあきら『ヨイコノミライ 完全版』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
- きづきあきら『ヨイコノミライ 完全版』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
- きづきあきら『ヨイコノミライ 完全版』第4巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。