2006年7月15日土曜日

アラビアン花ちゃん

 『アラビアン花ちゃん』が文庫になって出版されているのを見て、りぼんマスコットコミックスで持っているにも関わらず、また買ってしまいました。だって好きなんだもの、しようがない。

『アラビアン花ちゃん』というのは、1989年に集英社の少女漫画誌『りぼん』に掲載されていた漫画で、萩岩睦美らしい奔放さが底抜けに楽しい、ファンタジー色強い漫画です。著者による後書きによれば、荒唐無稽なんだそうですが、確かにそういう評価もできるかも知れませんね。でも私なんかにしてみては、緻密にしてリアルな漫画が面白いと思うことがある反面、こうした自由な発想が支える夢のような物語にも面白さを感じてやまないのですから、萩岩さんはこれら過去作品を誇りに思っていただきたいなあ。同ネタのことにしても、ひとりの作者が、同一の発想を違うかたちで表現した好例といえるわけで、萩岩睦美のなかにある発想の芽は今も以前も変わりないのだと、そんな風に思ったりした面白い後書きでした。

面白いのは後書きだけじゃないですよ。もちろん本編あっての漫画ですから、本編を抜きにしてはいけないんですが、この本編の面白さというのは、一種無軌道とも思える展開の奔放さ、発想の自由なさまにつきるのではないかと思います。アラビアからやってきた花ちゃん。魔法のランプから出てきて、呼び出したものを主人とするのはよくあるお話だけど、それをあえて主従とせずに、友達として一緒に遊ぼうよというその雰囲気がいいじゃないですか。

分類としては、ドラえもん型といってもいいのかも知れませんね。万能といっていい力を持つ友人があって、その力でもって不可能を可能にしたり、あるいは振り回されてみたり。けど、『ドラえもん』には明確なロジックがあって、それはやっぱり藤子不二雄がSFの人で、あるいは男性の脳を持った漫画家だったからなんじゃないかなと。対して萩岩睦美のおそろしく奔放なことよ。すごく自由で自在で、それが不自然にならないのは、そうしたことを許す空気をこの漫画の中いっぱいに詰め込んでいるからなんじゃないかと思います。夢のような物語で、その物語の中では誰もがハッピーエンドを約束されている。そういう暖かさは、人によってはぬるさと感じるのかも知れないけれども、こういう漫画はあっていい、いやあらねばならないタイプの漫画であると思うのです。

しかし、楽しいやね。最初、アラビア風衣装を着ていた花ちゃんも、なんか第二話からは普通の日本の子供になってて、今の漫画だったら、さながら魔法を使うときにはアラビア風衣装に変身、なんてやるのかも知れませんが、そういう縛りがなくとにかく日常と非日常にくくりをつけることなく、夢のまま、想像のおもむくままに飛び回り、遊んでいる子供たちがすごく楽しそうで、読んでると荒唐無稽な夢に遊んでいた子供時分の気持ちを取り戻したような気にもなれる — 。

私の友達には花ちゃんみたいな子はいなかったけれど、誰もがうちに花ちゃんのような部分を持っていたように思います。だから私たちは、夢空想の世界のなかで自在であったし、魔法だって使えていたかも知れません。

うん、そんな気持ち。そんな気持ちがするんです。

引用

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