2005年12月9日金曜日

ナツノクモ

  ナツノクモ』の新刊が出ました。待ちに待った新刊です。

私がコミック・バトンで書いたときには、まだ『ナツノクモ』については知らなくて、だからもちろんこれを挙げることはできなかったのですが、ですがもし今コミック・バトンに答えるならば、疑いなく今おもしろい漫画としてこの漫画を推すことだろうと思います。面白い。確かに面白いのですが、私にとってはただ面白い、興味深いというだけにはとどまらず、読めば心ごともっていかれそうな、そんな気がしてならないのです。その奥にあるなにかに手が届きそう。その届いたものがなにであるかはまだ未知数ですが、ですがきっと私の心をなぐさめるに充分な、大きくて豊かななにかであるだろうと予感しています。

『ナツノクモ』は、MMO (Massively Multiplayer Online, 多人数参加型オンライン) と呼ばれるタイプのゲームを題材にしていて、物語の展開される場というのは、ゲーム内の仮想空間です。登場人物はすべてゲームのプレイヤーであり、いわゆる剣と魔法の世界の住人といったらいいのでしょうか、そうした、現実の自分とは違う自分を演じているわけです。

本来の自分とはちょっと違った自分を演じる彼らの頼りにするものは、想像力にほかならないと思うのですが、それは例えば子供のころにごっこ遊びをした、なんでもない世界に異世界や秘境を夢想した、そうした想像力の一種であると思うのです。ここでゲームに参加している人たちにしても、想像力を駆使して仮想世界を堪能していて、その皆というのがそれぞれに無邪気であったり素直であったりする。ですが、その無邪気や素直という評価は一概によいものばかりではないと、そのように思わないではいられません。

RPGは、想像力こそが頼りであるといいました。ですが、この漫画には、その想像力が目の前に描画されているものにしか向かない類いの人が大勢いて、彼らの想像力は、目に見えないところにまでは、彼らのまだ知り得ていないところにまでは届かないようなのです。自分たちの信じている、 — 思い込んでいるものこそが正しくて、理想的で、正義であって、そうした無邪気さはこの漫画の外にも存在すると私は知っていますから、悲しくて悲しくてやり切れない気持ちでいっぱいになります。あまりに悲しいものだから、いつかその想像力が届かないところ — 周辺あるいは向こう側 — に追いやられてしまっている動物園の住人たちが理解される日が来てくれればよいと願わないではおられず、理解はされなくとも、普通の人間であると、喜んだり悲しんだりする、善良なところもあれば悪いところもある普通の人間であるということに、あまりに無邪気すぎる彼らが気付いてくれれば、と思っています。

篠房六郎は馬鹿な漫画も書いたりしますが(私はその馬鹿さも好きなのですが)、時に見せるシリアスは途方もなく遠大で、人の心の機微を描き出すことにかけても並大抵ではありません。

私は偉大な漫画家を知っていると、そういってはばかりません。

  • 篠房六郎『ナツノクモ』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第2巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第4巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第5巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 以下続刊

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