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2021年8月18日水曜日

最後の日々: 生存者が語るホロコースト

日本における終戦の日、見ていたのが第二次大戦期にドイツに存在したホロコーストを扱ったドキュメンタリー、『最後の日々: 生存者が語るホロコースト』でした。Netflixのドキュメンタリーカテゴリーをぼーっと見ていた時に、これはいずれ見てみたい、そう思ったのがこのタイトル。けれど1時間27分という時間は日常にぽいっと見るには少し長くて、なので余裕のある今日こそ、そういう思いで見たのでした。この映画、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞しているのだそうですが、なるほどと納得する重さと内実を持っていて、痛ましさに胸の奥がずーんとくる、そんな感覚が残ります。製作総指揮はスティーブン・スピルバーグ。そうかあ、『シンドラーのリスト』もそうでしたが、自身のルーツにも関わりうるホロコーストをテーマとした活動、ずっと続けていらしたんですね。

強制収容所に収容されながらも生き残ることのできたハンガリー系ユダヤ人、5人の証言を中心にして構成されたドキュメンタリーです。自身のアイデンティティはハンガリー人であった彼ら、非ユダヤの人たちとも交流があり親しくしていた彼らの生活は、ナチスの台頭を受けてすべてが変わってしまう。

ユダヤ人排斥の気運が徐々に高まっていき、胸にダビデの星をつけるよう強制される。続きゲットーに、そして絶滅収容所に送られてしまった彼らの体験したことは聞くだにつらいことの連続で、これまでにも聞いて知ってきたこと、そのひとつの類型であるというのにここまで痛切と感じられたのは、彼らの語る体験、その生々しさ、その重さがゆえであるのでしょう。強制移住させられる時、身につけたのは楽しかった、美しかった日々を思い出させる水着。ホロコーストでの暮らしの中、必死の思いで守り抜いたのは母が持たせてくれたダイヤモンド。そうした個人のエピソードが、ただの知識や情報としてのホロコーストではなく、個別の人の身にふりかかった災厄としてのホロコーストを描き出して、想像を絶するその辛苦、それがこの地上にあったということを思い知らされるのです。

このドキュメンタリーは、ただ当時を回想し、ホロコーストの存在を語り継ごうとするだけではありません。この地獄を生き抜いた彼らが、子や孫とともに災厄の地を訪れ、再び出会うことのなかった家族のその後を辿り、かつてしあわせな日々を過ごした故郷を訪ねる。そこで語られること、出会う人々、自身深く自問してきたことと見出される答。想像もし得ない深い苦悩の果てに見出された結論なのでしょう。言葉もなく聞き入るばかりでした。

そんなつもりでこのドキュメンタリーを見たわけではなかったのですが、絶滅収容所でおこなわれたことを笑いの一要素としてコントに持ち込んだことが問題とされた件を思い出しました。ホロコーストを揶揄はしていない、その酷さを理解しているから成立するコメディだった、そういう意見もあったことは知っていますが、こうしたドキュメンタリーに触れると、その理解というものは通り一遍の知識としての理解に過ぎなかったのではないか、その擁護もまたそうした知識としての理解に過ぎないのではないのか、そうした思いを強めることとなりました。

ドキュメンタリーに差し挟まれる実際の映像が語りにさらなる重さを与えて、その圧倒的なまでの悲愴感に、これを簡単なものとして扱うことは到底できない、とりわけ当事者にとっては許しがたいものであろうということを思いました。そしてまたここまで資料が残り、関係者があって、証言も残っているのに、これを否定するものが後を絶たないのかと絶望的な思いにかられ、それだけにこうした証言を映画のかたちで残していくことの重要性を改めて思ったのでした。

おそらくは、欧米は今もなお流血しているのだと思う。ナチスという異端がおこなったこととして切断するにはあまりに重すぎる事実に、今もなお戸惑いや苦しみを覚え、癒えない傷としてその社会のうちにホロコーストとその記憶を抱き続けているのだと思う。ともすればこれを忘れさろうとする諸力に抗い続けるのは、これを傷として我が身に引き受ける彼らにとってはなお終わらない事実であり続けているからだと思う。

ゆえになおざりに扱ってはならない、そんなテーマのひとつがホロコーストなのだ。そうした思いを持ちました。

2021年8月17日火曜日

ゆきゆきて、神軍

 夏だから、というわけでもないのですが、つい先日、ずっと気になっていた映画を見たのですよ。『ゆきゆきて、神軍』。第二次大戦をニューギニアにて兵士として経験した奥崎謙三が、心残りとなった疑問を明かそうと元上官や戦友たちを訪ね歩く様を追ったドキュメンタリー。しかしこれが話題になっていたの、戦時のいろいろを浮き彫りにするということもあったわけだけれど、むしろそれ以上に奥崎謙三という人物の強烈さが中心で、いわく狂人、まともでない。元上官を訪ねていって暴力沙汰に及ぶんだぜ? みたいな風にささやかれていたのを仄聞しては、いったいどういうドキュメンタリーなんだ? 気になっていたのです。

Huluにて配信されていたんですね! うお、これは見ておきたい! そう思って、ようやくまとまった時間ができたから、ようし見るぞー、と心待ちにして見た。

しかし、ひとりの人物をつかまえて狂人呼ばわりはちと酷いよな。実際、どういう言動なのか、そう思いながら再生したら、あー、こりゃあヤバいわ。だってさ、この人の自家用車、バリバリの街宣仕様で、なにか主張があるのはわかるけど、「田中角栄を殺す」とか書くの、あかんだろう! およそまともではない。この時点でちょっと引いちゃってるわけですが、でもこの人はこの人なりになにか信念があって、話す内容はアレだけどわからんわけではない。理路はある、そんな感じの人物でした。

この人、戦時中に処刑された人物について、聞き取りをしていたんですよ。なぜ? 彼らが処刑されたのは敵前逃亡のためなのか? その理由を問うていく。

聞き取りを重ねていくうちに、いったいこの人がなにを問題にしているかが徐々に判明していくつくりになっているんですが、当初は処刑にいたった理由に疑義があるのかと思っていた。ところが、どうもそうではないっぽいぞ? 処刑の日時が終戦を知ってから数日後だったのはなぜか。これはただ理由に拘泥しているのではない。奥崎が知りたいのは、なぜ彼らは殺されなければならなかったのか? ではなく、なぜ彼らを殺したのか、その処刑の目的をこそ問うている。

そして、対象となる事件を変えてさらに続けられる聞き取り。これで奥崎の問題意識が明確になるのですが、正直、ここまでこれがあからさまに語られることになるのか! 心底驚かされて、ぞっとする、息を呑む、呆然としながらも語られることをあまさず聞き取ろうと必死の思いでついていって、これはすごいわ、評判高いのもよくわかる。

想像をはるかに超えたものを見せられた、そんな圧倒された感覚ばかりが残りました。

内容には触れません。正直、これでも語りすぎたと思ってる。なにも知らないまま見せられた母が、これはなんという映画かと聞いてきた、それくらいに見るものを引き付ける凄さがある。そんなドキュメンタリー。

圧巻といっていいのだろうか。苛烈といった方がいいのかも知れない。ドキュメンタリーや映画をさほど見ていない自分だからそう思うのかも知れないけれど、これは独立峰の存在感だと思う。機会があれば見てほしい。なるたけ事前情報がない状態で!

そういうのは、自分の覚えた圧倒される感覚、それを共感する人を増やしたいからなんだろうなって思います。ええ、すごかった。ただただすごかったのですよ。

2020年1月13日月曜日

悲劇のUSSインディアナポリスを探せ

 Huluに近々くるというので昨年末から楽しみに待っていたドキュメンタリー『悲劇のUSSインディアナポリスを探せ』。この連休中に見ることがかないました。海底に沈んだ戦艦武蔵を発見したことで知られるポール・アレンのチームがフィリピン海海底で発見したインディアナポリス。なるほど、これは深海に眠る艦体を発見するまでの奮闘努力を描く、海底探査ドキュメンタリーだな。そう当たりをつけて、重巡インディアナポリスの来歴なども解説されたら嬉しいなあなど思いながら見始めたら、いやあ、まったくの見当違いでしたよ。メインは重巡インディアナポリスの来歴。撃沈にいたるまで、そして撃沈されてからも続いた悲劇的な物語が語られたのでした。

インディアナポリスで有名なエピソードは、日本に投下された原子爆弾の部品を運搬したというもので、そのエピソードについてもドキュメンタリー中で語られていました。当時の乗組員の談話によると、この任務が極秘であったのは乗組員に対しても同様で、鉛よりも重い物体、あれはなんなのかと艦内でも話題になったとかそういう話は興味深かったです。

そしてもうひとつのインディアナポリスの有名エピソード、沈没にいたる経緯とその後について。あらためて知ると、そのあまりの悲愴なることに、思わず涙ぐむレベルでした。

終戦間際の撃沈となったインディアナポリスは、その沈没したことが知られないまま、生存者は油の浮かぶ海上にてくるかどうかもわからない救助を待ち続け、助けられた後も、戦勝の喜びに水をさした、この不名誉の責任をとらせるべく艦長が軍法会議にかけられ有罪を宣告されるなど、散々な目にあうこととなり、とりわけ艦長の行く末などはたまらなく悲しいものであったのでした。

正直、米軍は、あるいはアメリカという国はフェアで合理的という印象を持っていたのですが、そうではないのだなあ。責任を回避したい軍の姿勢は、ドキュメンタリーの語りようもあるのでしょうが、やはり異質で、だってインディアナポリスを撃沈した潜水艦伊58の艦長を軍法会議に招集して、いかにインディアナポリス艦長が不用意であったか証言させようとしているとかね、戦争はとうに終わっているのに、不毛な責任の押し付けをしている。

こういう体面を守るために末端に責任押し付けるとか、日本軍の話聞いてるとしょっちゅう出てきますけどね、基本それがどの国であろうと多かれ少なかれあるのかと暗澹たる気持ちになれるドキュメンタリーでした。その後の、艦長の名誉回復のくだりこそは多少の救いではあったけれど、それにしたって遅すぎる。艦長は死んじゃってるんだものなあ。悲しさが薄らぐことはなかったです。

そもそもだいたいがこのインディアナポリス撃沈で、800人超が亡くなってるわけでね、それだけでもう暗澹たる気分になれる。これもまた戦争の悲劇であるなあ。心底そう思わされたドキュメンタリーでした。

2019年12月18日水曜日

密着!マドリード・バラハス空港警察

最近はこれを見ています。スペインはマドリードにある空港、アドルフォ・スアレス・マドリード・バラハス空港にて繰り広げられる警察の犯罪取り締まりを追うドキュメンタリー。日本でいえば警察密着24時みたいな番組になるのかな? 空港で発生する犯罪、麻薬の密輸が主なものなのですが、それを見抜き、摘発するその手腕。被疑者との駆け引きや驚きの隠し場所、そうしたところも見どころ。まさかこんな人が! と思うような人が犯罪に手を染めていたり、また犯罪が発覚、逮捕されてからもひとドラマあるという。この驚きと若干のものがなしさ感じさせるドキュメンタリー。かなり気にいっています。

基本的にはワンパターンなんですよ。あやしい人物に気づくところからはじまって、事務所に移動してからは聞き取りしながらの荷物の検査。スーツケースを調べたり、X線に通したり、あるいは被疑者本人をX線に通したりと、いろいろバリエーションはあるものの、結局は証拠が出て逮捕か疑いが晴れて解放かのどちらかになる。けれどこの経緯にこそ見どころがあるから、ついつい引き込まれてしまうんですね。

みなりのよい男性。車イスに乗った人やあるいは年老いた女性など。さまざまなバックグラウンドを持つだろう人々が麻薬の運び屋なんかやってしまったために逮捕されるにいたる。なんとか言い逃れようとする人あり。すっかり観念する人もあり。そして悲嘆に暮れる人もあり。スペインの法律では、逮捕時、誰かひとりにだけ電話することができるのだそうでして、親に、子供に、配偶者に、あるいは兄弟に連絡するその様子が本当にいたましい。どうしても逮捕されたこと、犯罪に関わったことを切り出せず連絡を断念する人がいます。配偶者や兄弟に、残した子供のことを頼む様子など見せられた時は、もうたまらないですね。プレゼントはクローゼットにあるから渡してくれと頼むとかね、ああ、この人は家では普通のお父さんだったのに、出来心なのかあるいは貧困ゆえなのか密輸に関わって、大事な家族と会えなくなってしまった……。気の毒だけど罪を犯した以上、裁きは受けなければならない。刑にも服さなければならない。様々な思いが去来する瞬間です。

犯罪の種類は、基本が密輸、それから身分証の偽造、不法入国ですね。ほぼこれらで占められていて、たまに空港専門の置き引きとか窃盗がある感じ。やっぱり国の玄関となる国際空港ともなると、望ましくないモノやヒトの侵入、これが一番の懸念事項となるんでしょうね。

スペインの国家警察は、基本穏やかで紳士的というか、居丈高な態度に出たり、大声で恫喝したりみたいなことないっぽいのも見やすさに貢献していると感じています。事務所においても説得口調。ときにユーモアなどにじませて、そして逮捕となっても基本丁寧なんですね。権利の読み上げと署名。さっきもいいました電話。そして弁護士をつけるかどうか聞くなどね、ええ、この弁護士のくだり、国選も選べますなど、こういうところきちんとしてるのはやっぱりすごいよね。ちゃんとしてるわー。ほんと、こればかりは感心させられます。

このシリーズ、もう少しで見終わります。次はなににしようかな。ナショジオからいいのが追加されたらいいな。年明けのラインナップに期待したいと思います。

2019年3月22日金曜日

ビハインド・ザ・カーブ — 地球平面説

先日、ネットですこし話題になってたドキュメンタリー、『ビハインド・ザ・カーブ — 地球平面説』。アメリカを中心に増えてきている地球平面説を信じる人たちの活動を追うもので、曰く地球が平面であることを実験で確認しようとするも、その結果は地球が球体であることを証明してしまうというナンセンスが面白い。こうした前評判から、結構コミカルで地球平面説信奉者たちを笑いとばすみたいな番組なのかな? みたいに予想して見たのですが、いやいや、これはちょっと笑えない。深刻 — 、というほど重々しい作りでもないのですが、結構シリアスさ感じさせる場面もあって、これは広く見られるべき番組なのではないか。とりわけニセ科学や歴史修正について少しでも関わりを持った人、批判的である人にとっては相当な危機感もって迫るものがあるのでは、という思いを持ちました。

番組を通じ、地球平面説を信じる人たち、フラットアーサーが、どのように急拡大を果たし、そして今どのような状況にあるのかが語られていきます。YouTubeやFacebookを仲介のツールとして使い信奉者のコミュニティーが育っていったという経緯。登場するフラットアーサーたちは、いかにもなビリーバーであるように見えるのですが、彼ら自身は自分たちを陰謀論者ではないと考えており、それどころか典型的な陰謀論を批判してさえ見せます。その態度は、客観的に見るにあきらかな齟齬をきたしているのですが、しかし地球が平面であると信じる彼らは他の陰謀論に対して働かせる懐疑心を、こと自分たちのこととなると発揮しえないでいるのです。

その懐疑心の機能不全というべき現象が、この記事の冒頭に紹介されていた実験のエピソードであるのです。地球が自転するというのなら1時間で15度傾くと仮説をたて、ジャイロを使い実測して見せるも、その測定結果、15度の傾きが自転以外の理由で説明できないかと苦心してみせる —。

ニセ科学の批判の場でよくいわれることがあります。信者は説得できない。あちら側にいってしまった人をこちら側に呼び戻すのは難しい。自分の信じることについて、どれほどそれを否定する説明がなされようとも、決して受け入れることをせず、その場しのぎであっても反論を試みようとする態度。時にゴールを動かすと揶揄されるそれが、自分自身がおこなった実験結果に対しても適用されるのです。

この様子を目の当たりにした時、これは笑いごとではないなと思いました。自分自身で確かめたことさえ受け入れないというのなら、他人の言葉なんて届くわけがない。また、地球が自転していることや、地球が球体であるということを、どうすれば実験でもって確かめられるか。そのための仮説を立て、実験のデザインをし、そして実際に観測してみせる一連の行動からは、少なくとも彼が教育を受け、科学の素地を身につけていることがうかがえるわけで、それでなお地球平面説に固執するその様子に、ある種の絶望、徒労感を覚えたのでした。

地球平面説にはいいところもあります。いいというか、マシというべきかもしれませんが。それは、これが直接的な金儲けの手段ではないというところ。ニセ薬やニセの治療法と違い、とりかえしのつかないような被害を生まないところ。また誰かを差別し排斥するような行動に繋がりにくそうなところもよかった。おかしな器具を売りつけたりすることもないし、誰かの不幸を望んだりしているようにも見えなかった。彼らは、地球が丸いなんて思えないと素朴に直感し、主にネットを通じ自分の直感を支えてくれる説に触れて、直感を確信に変えた人たちです。活動の中心にいる人たちも、どこかしら牧歌的な雰囲気をただよわせていて、なにか楽しいクラブ活動をするような、同好の士との交流を楽しむような、そんなほがらかさが見てとれたところには戸惑いさえ感じました。

けれど、それでもフラットアーサーのコミュニティー内では、分裂が生じ、攻撃しあう、そんな不幸な関係も生まれていて、どこまでも素朴であり続けるということの難しさを感じさせます。また、フラットアーサーの中には、他の陰謀論、偏った考えを掛け持ちしている人もいて、とりわけ気になったのは反ワクチン主義。これは、直接的に社会を危機に晒すものだから、地球が平面と信じるのとはわけが違う。ドキュメンタリー内で地球平面説に批判的な科学者がいっていたこと、フラットアーサーの広がりは長期的には社会の基盤である政府や科学への不信を拡大し、社会を不安定にさせる素地を作るという危惧、そのひとつのあらわれがすでに番組内に見てとれるのです。

番組は終盤にフラットアーサーたちをとりまく社会状況にも言及します。家族や友人と縁を切ったという人たちが紹介される。いわば一般的な社会からこぼれ落ちてしまっている人たちの受け皿として、こうした陰謀論コミュニティーが機能しているという現状が再確認されるのですね。もともと、社会に生きづらさを感じていた人が、そんな自分でも受け入れてくれる場としてフラットアースを見つけたのかも知れない。あるいは、この活動にのめりこむことで、社会から距離を置くようになってしまったのかも知れない。ドキュメンタリーでは、こうした人たちが地球平面説を否定した時の可能性として、孤立を挙げていました。一度彼らから距離を置いた社会が再び彼らを以前のように受け入れるかというと、それは簡単ではないだろう。そして、転向したものをコミュニティーは排斥するだろうとも。

コミュニティー内の論理に反する行為によって、コミュニティーから排斥された人たちの話は、他の陰謀論においても見聞きしています。執拗な攻撃を受け、疲弊してしまっているという人たちの話も聞いています。フラットアースにおいてもこうした不幸はおこり得るのだろう、あるいはすでにおこっているかも知れないと思えば、もう素朴だ、牧歌的だとはいっておられない。とはいえ、フラットアースの活動をとめるなんてことは、きっと誰にもできやしないわけで、この頭の痛い状況、フラットアースに限らず — 、をどのように受け止め、どのように対応していくかは、社会全体が支払うべき、支払わざるを得ないコストであると思えぼ、それはあまりに重いわけで、つくづく途方に暮れる、そんな思いで見終えたドキュメンタリーでした。

2018年6月4日月曜日

世界10大ミステリーを追え!

Huluでは今、これを見ています。『世界10大ミステリーを追え!』。いやあ、正直、自分向けではありませんでした。世界10大ミステリー。まさかオカルト案件だったとは、というか、それはある程度は予想できたんです。なんせ第2話が「悪魔の棲む家」。第4話は「バミューダ・トライアングル」。ですが、まさか第1話「監獄島アルカトラズ」から、あ、これ、自分向けじゃないと確信するにいたるとは思いもしなかったです。

アルカトラズ、有名ですよね。脱走不可能といわれた刑務所ですが、ここから脱走を試みた人間もいるとかで、しかしはたして脱走は成功したのだろうか? 刑務所からは抜けられたけれど、生きて逃げのびられたかは今なお不明なのだそうですよ。ええ、ミステリーですね。謎ですね。映画にもなってますよ。

難攻不落、完全無欠といわれていたアルカトラズ監獄をいかにして攻略したか、あるいは脱走者たちはまんまと無事逃げおおせたのか、それら謎を解明する。みたいなドキュメンタリーかなと思っていたんですよ。ところが、これ、のっけから予想外のもの見せられましてね、先住民の間ではこの島には邪悪な霊が住んでいるという伝説があった云々からはじまって、精神に異常をきたした、謎の死を遂げた、そしてついには呪いだの悪魔だのといったところにゆきついた。けれど、そうしたもろもろに対し科学的アプローチでもって検証ないしがなされるのかと一縷の望みを持ったらですよ、霊能力者がやってきて、ここにはなにかがいるわ! って、ああー、そっち系だったかあーっ! 駄目な予感はしてたんだーっ!

解散、はいおしまいでーす。といきたいところですが、まあ一応見てみまして、でもねやっぱりもやもやします。霊が出没すると周囲の気温が下がります。霊が周辺のエネルギーを奪うからです。そうしたもっともらしい説明がなされたりもするのですけど、それって本当なの? なんらかの検証でもなされてるの? 霊能業界においてはそういうことになってるってだけじゃないの? 霊の存在は人間の科学ではいまだ証明しえない云々、ゆえにいったもの勝ちで好き勝手なこといってるんじゃないの? 証明云々以前に、そもそもそこに霊がいるという前提を共有することすらできてないじゃん。

みたいな具合で、霊がらみの話はもやもやの連続でした。

一応この番組では、霊サイドの人たちと、科学サイド、懐疑論者ですね、両方の立場から現象に対峙するのですが、その現象がそもそも霊現象であるのかどうか、そこからスタートするものですから、霊サイドの人は霊の仕業っていいますよね。懐疑サイドの人は、これこれ別の要因で起こったことじゃないかっていいますよね。結局平行線で、番組としてはどちらが正しい正しくないというジャッジはせず、謎は深まった、さらなる観察を続ける必要がある、みたいな具合に曖昧なまま終わらせて、ああー、この手の番組、日本でも多いですけど、やっぱりアメリカなんかでもあるんだね! って思いました。

アルカトラズ回でも、脱走した囚人は海を泳ぎきれたのかという考察したりするところとか、また第3話「アトランティスの謎」だったら、海に潜って物証となりそうなもの探したり、またプラトンが残したアトランティス滅亡の記述、これはクレタ文明の滅亡にかかる記述なのではないかといった面から調査している人が出てきたりと、こういう具体的なもの扱って考えるパートは見ていて面白かったかな。でも、正直エピソードによって当たり外れが大きい、そんなドキュメンタリーという印象。というか、当たってもそんな大当たりって感じがしないのがつらいです。

2018年4月16日月曜日

ガニー軍曹のミリタリー大百科

なんか君、ミリタリー関連のばっかり見とるなっていわれそうですが、いやいや誤解です。たまたまですよ、たまたま。Huluで見ていて面白いのがヒストリーチャンネルのドキュメンタリーです。面白いものはないかなと、適当に映画やらドキュメンタリーやらを眺めていて、これちょっと面白そうじゃないかなと立ち止まってみれば、決まってといっていいくらいヒストリーチャンネル。今日とりあげる『ガニー軍曹のミリタリー大百科』もヒストリーチャンネルのプログラムなんですが、様々な兵器を取り上げて、その進化の様を順にたどって見せてくれるのが面白くって、本当にいいプログラムでした。このプログラムの案内人は、ガニー軍曹ことR・リー・アーメイ。ええ、『フルメタル・ジャケット』でハートマン軍曹を演じてみせた、あのR・リー・アーメイであります。

ハートマン軍曹というと、いかにも気難しそうで、なにかと怒鳴りちらして横暴、理不尽なおっさん、罵詈雑言のボキャブラリーがやたらと豊富でものすごい。そんな印象であったわけですが、ではそれを演じていたR・リー・アーメイとはどんな人なのか垣間見ることのできるようなシリーズでもありました。

いかにもアメリカの保守派といった感じのおっさんですよね。国に誇りを持っていて忠誠を尽くしている、そんなおっさん。兵器の威力に酔いしれ、これこそがアメリカだ! アメリカを守る威力、これこそが兵器だ! と極めてあっけらかんと国への愛を謳い上げる。武器、兵器を手にすれば試さずにはおられないトリガーハッピーぶりが豪快にして爽快で、大量のスイカをぶっとばしてみたり、車を破壊、建物も爆破といった具合に、そこまで、そこまでやっちゃうんだ! と、見てればだんだんおかしくなって笑えてくるんですね。底抜けに明るく、実に楽しそうなR・リー・アーメイ。見てるこちらもどんどん巻き込まれていって、もっと、もっとやってくれ! 過激にやってくれ! エスカレートしちゃうんですね。

このプログラムを見ていると、アメリカのすごさというのを実感させられます。国家としてのすごさというより、個人のすごさといってもいいのかも知れません。番組内で紹介される武器、兵器の数々は、軍が所有しているものもありますが、古いものとなるとたいていが愛好家によって保存、メンテナンスを受けているものとなり、しかもそれらが動態保存されてるものだから、撃てる! 走る! って、ちょっと待って!? 個人で戦車所有してるの!? それが許されてるの!? わけがわからないよ、アメリカ!

こういう番組は、日本じゃきっと作れないなあ。だからちょっとアメリカの豪快さがうらやましくなったりします。兵器を紹介するということは、実際に使ってみるということだ。ターゲットに向けて照準定めたら、後は撃つだけ! その武器というのが、個人所有品から軍のものまで多岐にわたって、って、ちょっと待って!? 軍の備品をテレビプログラムのために動かして、どかんどかん撃っちゃうんだ! 最新鋭中の最新鋭、機密に触れちゃうみたいなものはさすがに登場しないのでしょうが、結構新しいシステムまで紹介してくれて、コンピューター制御の砲撃とかね、ばんばんその威力を見せつけてくれて、これを見たかったんだ! ガニーが本当に楽しそう。しかも、ガニーに兵器のレクチャーする兵士たちも生き生きしてまして、こういう様子も日本のテレビじゃきっと描けないよね。

なににつけてもアメリカ最高! とはいきませんけど、この番組には、アメリカの自由とでもいえばいいのでしょうか、ざっくばらんとして陽気で快活、楽しそう。そういうものが見てとれて、実に面白く兵器の歴史、来し方を知ることができるのですね。素朴なものから精巧精緻な最新鋭までを、ちょっと駆け足でたどっていく。兵器の進化する、その様子に、なるほど、いろいろ感じるものあってよい番組です。

2018年4月4日水曜日

人類滅亡 - LIFE AFTER PEOPLE -

 最近はこれを見ています。『人類滅亡 - LIFE AFTER PEOPLE -』。人類がこの地上から去ったあと、人類の作り出したもの、文明はどのようになるのか。そうした興味は誰しもあるんじゃないかと思います。最近、人類の文明が終焉を迎えた後の世界を描いたフィクションに好評はくするものがいくつも出ています。ポストアポカリプスというんですってね。人類が長い時間をかけて築きあげてきたものが、脆く崩れさる。それは文明であり、都市であり、社会のモラルやルールでもあり、そうした異常な状況において、残された人間はいかに生きるのか。と、ここまで書いておいてなんですが、『LIFE AFTER PEOPLE』はちょっと趣向が違います。なんといっても、人類はもういないんですね。社会もモラルもへちまもなく、人っ子ひとりいなくなった世界にて人類の築いたものはいかに消えさるのかに焦点をあてたプログラムであります。

ようこそ地球へ。人口はゼロ。

毎回のプログラム開始時にアナウンスされるキャッチフレーズなんですが、結構かっこよくって気にいっているんですよ。オリジナルは Welcome to Earth. Population Zero. なんですね。直訳なんだ。こういう短いフレーズで、はっと見るものの心をつかむの、本当、うまいと思いますよ。

番組は、人類がいなくなってから一日たった世界はどうなっているか。一週間ならどうなっているか。といった具合に、時間、日数を少しずつ進めていきながら、いかに人の痕跡が失われているかを説明していきます。それは例えば巨大なビルディングで、家畜など人の文化が作り出した生き物で、とりわけ印象的なのは人が永続を夢見て作り上げたモニュメント。もう、毎回これでもかと人の営為の痕跡が消失していく様がプレゼンテーションされるのであります。

各回ごとにテーマが決められていて、例えば第1回は「残された死体」。死体? そんなの、すぐに腐敗して崩れさって終わりじゃないのん? 見る前まではそう思っていたのですが、いやいや、そんなもんじゃありませんでした。死体といっても特別な死体です。ミイラや、あと特別に防腐処理のほどこされた指導者たちの遺体。これらもある意味、永続を求めた末のモニュメントといえるのだと思うのですが、これらが、まあ、どんどん朽ちる様を見せてくれます。けれど、ただ消え去る過程ばかりを語るのではなく、もしかしたらなんらかのかたちで残るかも知れないという可能性、化石になるとかね? そこまで言及してくれるから面白い。

テーマごとに描写されるタイムスパンは違ってくるのですが、都市や建築物となると、もうかなり遠い未来まで視野にいれてくれるんですね。それこそ100万年みたいな先の可能性まで検討して、けれどそれでわかるのは、よほど特別なものでないかぎり人類の痕跡は残らない。まず、跡形もなく消え去るものだということです。そして同時に、我々が堅牢と思っているもの、都市でも建物でも、それらは実際にはかなり脆くて、思っていたよりもはやく機能を喪失、壊れていくものだと思い知らされます。

この番組、廃墟ファンにもおすすめなんですよ。毎回、都市や建物がどのように崩壊していくか、その実例を紹介してくれるんです。第1回は日本の長崎でした。ほら、軍艦島ですよ。人の手が入らなくなった建物は、このように壊れていくのだという実例ですね。なぜ人がその地を去ることになったのかは毎回違うのですが、産業構造が変わって鉱山が閉鎖されたからとか、あるいは環境破壊とか、いろいろ。海辺の町、砂漠の町といったように、シチュエーションもいろいろ。立地、環境が変われば、ウィークポイント、壊れ方も違ってくる。潮風に晒されて金属やコンクリートがぼろぼろに崩れるケースがあれば、凶悪な外来植物に覆い尽くされ、壊されていくということもある。そのバリエーションよ! 実に刺激的でありますよ。

人の作ったものはこんなにもはやく壊れていく。それこそ、都市を維持しているシステムの喪失が、都市を一気に破壊の方向に向かわせる様など見せられると、揺るぎも危なげもなく存在し続けそうにさえ思える都市の脆弱さを思わずにはおられません。あるいは、都市にしても、町にしても、多かれ少なかれ自然なありかたに逆らって無理矢理成立させているものなのだと、改めて実感させられるのですね。排水し続けないとすぐさま水に漬かってしまうとか、水の供給が断たれると砂漠に戻ってしまうとか、そうした例が示されるたびに、想像以上に街というものは人為的なのだと、メンテナンスを怠れば簡単に機能不全に陥るのだと、都市や社会を維持するコストの高さ、要求される労力を思うとともに、日頃当たり前に思っているものはちっとも当たり前なんかではないのだよと、諭されているようにも感じるのでありました。

2017年11月6日月曜日

バトル360 ~空母エンタープライズの戦い~

 アズールレーン』が人気です。なんとなくその存在は以前から知っていて、その日本版がはじまったことも知っていたのですが、これ以上ゲームを増やせるか! そう思って、あえて近づかないようにしていたのですが、結局はじめてしまいました。ああ、だったらもう日本版を知った時点ではじめときゃよかった。出遅れたせいで入手できなかったものいくつかあって、ああ、なくってもいいっちゃいいけどさ、残念だよな。こんなのばっかりだ。さて、『アズールレーン』は艦船擬人化もの。『艦これ』が第二次世界大戦時の日本艦艇をメインに扱っているのに対し、『アズールレーン』は連合国も枢軸国も対象としていて、そのバリエーションが魅力となっている。ええ、海外艦好きにも嬉しいゲームになっているのではないかと思うんですね。

『アズールレーン』、アズレンでは各艦ごとに特殊スキルを持っていて、それが当たれば尋常じゃない強さを発揮することもあって、もちろん攻略においても重要。プレイヤー同士で交戦、ランク付けされる演習においても重要。いろいろと有効な組み合わせが模索されている模様です。演習では、自身の艦隊をどう編成するかも大切なのですが、より以上に気をつけるべきは対戦相手の編成。前衛後衛ひとりずつとか、ぱっと見簡単に勝てそうに見えるのに、実際に戦ってみると異様に強い。そんな編成があるから難儀です。危険視されている組み合わせはいくつかあるのですが、赤信号編成のひとつが空母エンタープライズ。これ、単艦でも強さを発揮して、事前予測で優勢と見えた艦隊でも一気に持っていかれてしまう、そんなポテンシャルがあるっていうからおそろしい。では、そんな尋常でない強さを見せるエンタープライズってどんな空母だったのでしょう。

以前、Huluで第二次大戦におけるエンタープライズの戦いの軌跡を追ったドキュメンタリーを見たことがありまして、久しぶりに確認してみたら、ああ、よかった。今もちゃんと見られますね。『バトル360』。ヒストリーチャンネルのドキュメンタリー。空母の戦いは、海上の艦船だけでなく、空は航空機、海中からは潜水艦に狙われて、まさしく全周360°に及ぶということを表したタイトルですね。自分は戦争もののドキュメンタリー見るのが好きで、これまでもいろいろ見てきたんですが、アメリカ側の視点で作られたものはあまりよく知らないな。ということで見たのですが、いやあ、加賀に急降下爆撃、続いて赤城が炎上みたいなのを見ると、さすがに少々複雑な気分になる。でもあの戦いはアメリカにとっても困難な、苦しいものであったのだ。そういうことを知ることのできる、よいドキュメンタリーであると思っています。

このドキュメンタリーのよいところは、ただ空母エンタープライズの軌跡を追うだけでなく、どういう兵器でもってどういう戦いをしたか、日米の艦船や搭載火器、航空機の特性を紹介し、急降下爆撃はどのようにしたか、雷撃機はどういう行動をしたかなどの説明もあって、あの時代の海戦全般に興味のある人には満足いくものになっているのではないかと思います。その説明は、CGを駆使したグラフィカルなもので、また当時の映像なども織り交ぜて、非常にわかりやすい。インタビューパートでは、史家や軍関係者だけでなく、まさにエンタープライズに乗り込みあの戦争を戦った当人にまで聞き取りが及び、実際の戦いにおいて見たもの、感じたこと、そして帰らなかった戦友への思いなど、その情感はたっぷりとして、胸に迫るものあるのですね。あるいはそれは情が移るということでもあって、ああ、心境は複雑です。対する相手は日本軍、それこそ私に連なる遠い誰かであったかも知れないというのに、エンタープライズの危機ともなれば、敵艦船の排除されたことにほっとする気持ちも沸こうという。ええ、ほんと複雑なのですね。

ですが、ドキュメンタリーとしては面白い。これに併せて『決断』を見たりなんかすると、双方の思惑、互いに違う視点で見たものをおもんぱかれてよいかも知れません。『決断』はちょっと内容が古い、戦史の研究が進んでなかった時代のものかも知れませんけど、あるいは戦時を実際に知る人も多かった時代です。心情たるやむしろ鮮かかも知れません。

Hulu

Wikipedia

英語版BD/DVD (日本語なし)

2009年1月18日日曜日

NHKスペシャル|シリーズ 女と男 最新科学が読み解く性

小芝居が気になって見始めたNHKスペシャル、『シリーズ女と男』の最終回が放送されて、ええ、ちゃんと見ましたよ。というか、母ともども楽しみにしていたんですね。さて、その最終回はどういう内容を扱っていたかといいますと、なんと男という性が危機に向かっているという、実に刺激的なものでありました。その危機というのは一体どういうものかといいますと、まずは性を決定する性染色体のうち、男性にかかわるもの、Y染色体がどんどん劣化しているっていうんですね。具体的にいいますと、男性女性ともに持っているX染色体に含まれる遺伝子の数が千程度であるのに対し、Y染色体はというとなんと70そこそこだっつうんです。えーっ! なにその比較にならん差は! なかなかにショッキングで、しびれる事実からスタートしたものですよ。

Y染色体が劣化するというのは、基本的に対で構成される染色体の中、Y染色体だけがシングルであるからなんだっていうんです。例えばX染色体の場合、女性の場合はこれが2本あるから、仮にどこかに欠損が生じたとしても、もう1本から補うことが可能です。しかし、男性のみに1本しかないY染色体では、欠損がでたとしてもその欠けた部分を補うことができません。そのため、過去より綿々とコピーされつつ受け継がれてきたY染色体は、どんどんその遺伝子数を減らしてきたんだ。そういう話であったのですね。

その結果が、さっきもいった遺伝子数が70そこそこという事実であって、そしてこの劣化を避けられない仕組みのために、あと五百万年もすればなくなってしまっているだろう。あるいは、突然変異が起きて、Y染色体を消滅させてしまう個体がすぐにでも出る、そんな可能性もあるというのですから驚きです。まあ、実際問題として、Y染色体の消滅が人類の滅亡をもたらしうるとしても、それ以外の要因で絶滅する可能性の方が大きいんじゃないかと、私なんかは思うわけですが、だって人類の文明の歴史なんて、たかだか千年単位で語られるようなものに過ぎないわけで、そもそも種としてのヒトにしたって、新人で十万だか二十万年前にぽっと出たものに過ぎないわけです。五百万年さかのぼってみたら、そこにいるヒトはせいぜい猿人ですから。それに、このY染色体の劣化は、我々ヒトに固有の問題ではなく、彼ら猿人、さらにいえば性の決定にY染色体が関わるようになった時にすでに始まっていた問題であります。だからこれは学問的には興味深いトピックであるけれど、直接に我々ヒトという種の未来をどうこうするほどの重みは、今のところ持ち得ない、そのように感じています。

それよりも問題なのは、ヒトの精子が弱っているという、そちらのトピックでありましょう。ヒトの精子は、ヒトが一夫一婦という制度を持ってしまったために、淘汰を受けなくなり、その結果弱くなってしまったというのですね。ヒトとの比較に出されていたのは、チンパンジーであったのですが、彼らの社会では発情したメスが複数のオスと性交するために、子宮内で複数の個体の精子が競争を余儀なくされます。その結果、運動性能に長けた精子を持つオスの精子が受精する、それはつまり、優秀な精子を持った個体の遺伝子が受け継がれるということにほかなりません。

けれどヒトは一夫一婦というシステムを持ったために、そうした精子の選別がなされなくなってしまいました。弱い精子を持った個体が淘汰されなくなってしまったわけです。そのため、ヒトの精子はずいぶん脆弱になってしまい、しかも悪いことに、環境要因と考えられる精子の弱体化もあるかも知れないときた。現在、私たちの社会では、不妊治療を受けるカップルが増えてきているといわれていますが、その背景にはそうした精子の弱体化があるというのですね。しかもなお悪いことに、不妊治療で用いられる顕微受精が、より精子の弱体化を加速させるかも知れないといわれて、ああ、こちらもなかなかにしびれる話でありますね。

こうしたしびれる話のあとは、多様化する性のありかた、あるいは家族というものの捉えかたといってもいいのではないかと思いますが、精子バンクや同性愛カップルの事例が紹介されて、人によってはなんだそんな異常な連中め! と思うのかも知れないけれど、私には特に嫌悪感のようなものもなく、むしろこういう選択肢がある社会のほうがよい、そんなこと考えているような人間ですから、面白いありかただなあ、ただただそう思うばかりでありました。そして、特に男を必要としない人があるということを知れば、将来においては、こういう選択も普通になっていくのかも知れない。それこそ、男が少数になって、あるいは消滅しても、テクノロジーがその生物学的欠損を補ってしまうのかも知れない、そんな風にも思います。

などと思いながら見ていた『シリーズ女と男』最終回ですが、その見ている間中、頭の中にあったのは、ゼントラーディでした。ほら、あのマクロスの。そして、今この文章を書いている途中、思い起こしたのは、『大奥』でした。そうか、あの社会が到来するのか。だとすれば、まあ問題はなさそうだね。なんて思ってしまう私は、結構な楽観論者であるのかも知れません。

2009年1月14日水曜日

NHKスペシャル|シリーズ 女と男 最新科学が読み解く性

一昨日の夜、黙々とBlog用の文章を用意していた時のこと、母の見ていたテレビが妙に気にかかりまして、なにかというと男と女の差を扱った番組です。脳の理解が進んだことで、男と女の得意とすることが違うということが、次々わかってきているといいます。ほら、ずっと前に話題になった本で、『話を聞かない男、地図が読めない女』というのがありましたけれど、そういった類の話だと思ってくださればよろしいかと。この番組におきましても、男は空間把握に長け、女は言語能力に優れているなどなど、そういった話がなされていて、そしてそれはかつてヒトが狩猟採集生活を送ってきた、その名残りなのだというのです。男は、逃げる獲物を追って遠出をした後、最短距離で帰るための能力が求められた。対して女は、動かないものを採集するため、目印を頼りに移動していたなどなど。しかし、これだけなら特に真新しい話ではなく、だから音楽など聴きながら適当に見ていたのです。それが、きちんと見よう、そう思ったのは、途中途中に差し挟まれた小芝居、そのあまりの意外さのためでありました。

小芝居といいますか、ミニドラマだそうです。筧利夫と西田尚美のふたりが、なんだか居酒屋? いや、定食屋だっけ? でなんかやってる。それが妙にコメディタッチで、それがあまりにNHKスペシャル風ではなかったものだから、飽きた母がチャンネルを変えたのかと思ったくらいでした。けれど、気がつくとNHKスペシャルに戻っている。なんだろうと思って母に聞いてみれば、チャンネルはそのままだというんですね。そうか、あの小芝居含めてNHKスペシャルなのか。ここで、私はヘッドホンをはずしました。無視できないくらいに、興味が大きくなってしまったのですね。

母のいうには、この番組はその前日もやっていて、その時のテーマは恋愛であったのだそうです。そうかあ、どんなだったんだろうとNHKのサイトを確認してみれば、なんだか面白そうだ。再放送予定を見れば、14日午前にあるという。なので、遅ればせながら見たのでした。

恋愛における男と女の脳の働きの違いが語られていました。男は視覚優位、女は記憶優位であるという話。それは男は、相手が子供を産めるかどうかを視覚情報にもとづき観察する。女は、子を産み育てるに際し相手が協力的であるかどうかを、その行動の記録から判断するというんですね。しかし、そうして育まれた愛は、せいぜい三年四年で終わってしまう……。なぜか。その理由と、そして破局を避けるにはどうしたらいいのか。米国での離婚防止の取り組みなどが紹介されて、ええ、正直にいいますが、これは本当に役に立つ番組であったと思います。

いや、役立てる機会があるかは別の話ね。ただ、いつなんどきなにがあるかわからないのが人生ですから。

この番組は、ミニドラマで興味を繋ぎつつ、現在わかっている事実をわかりやすく紹介し、そしてその結果が社会にどうフィードバックされているか、例えば第1回なら離婚防止のカウンセリングであり、第2回では男女別クラスであるなど、理屈とその実践をバランスよく紹介しているところがよかったです。女性との話し合いを口論にしないためにはどうしたらいいか。クライアントの性差によって効果的な営業のアプローチはどう違ってくるか。男の子に教える場合、女の子の場合、それぞれどういうやり方が適しているか。それらは、ただの知識にとどめてもいいし、あるいは人生における実践の場で役立ててもいい。それは見た人次第でかわってくる。そうした発展の可能性、広がりを持ついい特集であったと思います。

2008年1月27日日曜日

ウォーキング with ダイナソー — 恐竜時代 太古の海へ

 ウォーキング with ダイナソー』のシリーズも、『BBC ウォーキング with ダイナソー&モンスター DVD-BOX』で一段落です。『恐竜時代 太古の海へ』と『前恐竜時代 巨大生物の誕生』を一箱にまとめてリリースされたもの、まずは『太古の海へ』を見てみました。

『太古の海へ』は『ウォーキング with ダイナソー — タイムスリップ! 恐竜時代』の続編といったほうがよいかと思うのですが、ナイジェル・マーヴェン先生が古代の海へと赴き、凶悪な海洋生物を見て回るという、実に単純明快なストーリー。けどナイジェルファンにとっては、このわかりやすさがなにより嬉しいものであるのではないかと思います。

内容は過去のものよりもまして充実。三部構成で七つの時代の海にいくという贅沢な作りであります。巡る順番は時系列なんて単純なもんではありません。なんと、危険ランキングに基づいてカウントダウンしていくというスタイルをとっていて、先へ進むにしたがってどんどん危険になっていくという、まあこれも単純といえば単純ですが、さすがナイジェル、エンターテイメントをよく理解しておいでです。

危険という点でいえば、現代の海だってたいがい危険なんです。サメやシャチといった危険生物、大きなものでは10メートル近いものがいるといいますね。こんなのにぱくっとやられたらそれだけで致命的ですが、ナイジェルはこれら以上に凶悪な生物を求めてタイムトリップを敢行して、その危険度合は第1話時点で非常識級なんですが、それがこの先どんどんエスカレートしていくのかと思うと、わくわくするというべきかはたまた思いやられるというべきか、実に微妙な気分です。

この海のシリーズには、『驚異の恐竜王国』で紹介されていた海の爬虫類、リオプレウロドンも登場します。リアリティに関しては絶品だと大絶賛していたやつでありますね。大気よりも透過性で劣る水中の映像、そこに陸上の生物よりものっぺりとして作りやすそうな水棲生物を泳がせるわけですから、その存在感は現存生物を撮影してきたのかと見まごうほどにいや増して、もう半端ではありません。巨大魚にナイジェルが近づくシーンでは、個体表面についた傷も実にリアルで、本物の魚みたいですからね。ただ大きさが半端でない。人も丸のみしそうなやつらがごろごろいて、さらにそれを捕食するやつがいて、その捕食者がナイジェルのターゲットなんですね。

『太古の海へ』は『ウォーキング with』シリーズの集大成なのではないかと思います。よりリアルな映像、水棲生物に絞って展開される映像世界は扱われる時代といい表現といい幅広く、そして案内役のナイジェルの面目躍如です。ナイジェル、やりたい放題。オルドビス紀では打ちあげられた魚や三葉虫の死骸をおとりにターゲットを引き寄せ、しかしこんなのはほんの序の口。デボン紀に至っては、おとりの魚を現地調達ですよ。ナイジェルほどの人になれば、タイムパラドックスなどまったく考慮する必要がないのです。ばんばん釣り上げて、巨大甲冑魚ダンクレオステウスをおびき寄せるのですが、これが凶悪。けれどこれでランキング5位。冗談じゃない。ランキング3位のメガロドンは、現代のサメがかわいく見えるくらいで、なにしろそのあごの標本、ホオジロザメのあごが人をすっぽり通せそうなサイズにとどまるのに対し、メガロドンのそれは歩いて通れるほどの大きさです。そいつをおびき出すためにナイジェルたちのとった方法は、細切れにした魚をコマセにして海にどんどん流すという方法。その魚どっから調達したんだ。また釣ったのか? それとも現代から持っていったのか? とにかくナイジェルの傍若無人が光ります。加えてナイジェルの性質ですよ。巨大生物を見ればとにかく一緒に泳ぎたくて仕方がない、さらには近づきたくなるという性格、果敢というよりも無謀なチャレンジの数々が肝を冷やしてくれるのですね。

とはいっても、私もわかってるんです、これらは結局はフィクションだって。ナイジェルのチャレンジは、アニマトロニクスとCGによって実現されているものだって。けれどそれでも、うわー、とのまれてしまう映像のすごさです。これ、事前の説明なしで見せられたら、実際の映像と思ってもおかしくない。わかっていてもはらはらするくらいですからね。常識外れの生き物を、あたかも現実かと思わせる常識外れの映像の力。これは見ないと損だわ。海洋生物もしくは古代生物が好きという人間にとっては、必見の作であると思います。もう何時間でも見ていたいほどに魅力的、むしろこれだけでは物足りないと思うくらいに引き込まれてしまうのですから。あ、ナイジェルファンにとってもそうですね。ナイジェルの無謀さは、『プレヒストリック・パーク』をはるかに上回って過激です。こんなこと続けてたらいつか死んでしまうんじゃないかと思うくらいの大活躍なのであります。

2008年1月23日水曜日

ウォーキング with ダイナソー — タイムスリップ! 恐竜時代

 年末年始に見た『プレヒストリック・パーク』が引き金を引いたせいで、この頃私は恐竜に執心しておりまして、BBC制作の恐竜ものDVDを買い込んでは見ていると、そんな次第であります。先日見たのは『ウォーキング with ダイナソー — 驚異の恐竜王国』。恐竜の跋扈した時代、三畳紀から白亜紀までのおよそ二億年をざっくりと見ることのできる良質の科学番組で、江守徹のナレーション。『プレヒストリック・パーク』のナレーションがNHKは渡辺徹、DVDは古谷徹、そしてここに江守徹まで加わって、恐竜ファンは徹ファンでもあるのか!? なんて思っていたら、『ウォーキング with ダイナソー — タイムスリップ! 恐竜時代』にはナレーションがありませんでした。残念! けれど、我らがナイジェル・マーヴェンは健在です。

『タイムスリップ! 恐竜時代』にはふたつのストーリーが収録されていて、ひとつは「巨大な爪の謎 (The Giant Claw)」、もうひとつは「地上最大の恐竜を追え (Land of Giants)」、両方とも時代は白亜紀、舞台は前者が今のモンゴル付近、後者は南米アルゼンチン付近とのこと。有名恐竜も出るし、近年発見されたような比較的新しい種も出るしで、見ていて非常に楽しいのですよ。たとえば「巨大な爪の謎」でいうと、プロトケラトプスが群生する中をナイジェルが駆け抜けたり、森の中ではヴェロキラプトルの狩の現場に出くわすなど、我々視聴者がいかにも見たそうな場面を選って構成してくれているのですね。

私は『驚異の恐竜王国』で書いた時に、これら恐竜ものは、それが制作された時のホットトピックが反映されるところに見どころがあるんだ、なんていってましたが、だとすると「爪の謎」のトピックはほかならぬ巨大爪の持ち主であるテリジノサウルス、プロトケラトプスとヴェロキラプトルの死闘、そして原始的な羽毛をもつ姿で復元されたモノニクスでしょうか。「地上最大の恐竜」においては、当時最大の恐竜ではないかといわれていたアルゼンティノサウルスでしょうね。それら注目の恐竜を、ただ姿を復元するだけでなく、生態についても紹介しようという姿勢がとにかく光っていまして、そしてそのレポートを普段現実の生物を紹介しているナイジェルがおこなうことによって、まるで恐竜に実際に肉薄しているように錯覚させてしまう。いやはや、素晴らしい企画だと思います。科学ものとしても質が高いうえ、エンターテイメントとしてもしっかりしていて、こりゃいいわ、何度も見たい、続きがあるならそれもと思わせる魅力にあふれています。

過去に恐竜ものの映像はいくつも見てきましたが、これほどまでに人間が接近しているものも珍しいと思います。『ジュラシック・パーク』みたいなエンターテイメントなら多いですけど、サイエンス系となるとがくんと減って、『恐竜惑星』くらいかなあ。けどこれはアニメだったので、どこまでも作り物感が抜け切らないという問題があります。対して、ナイジェルものはというと、生身の人間が恐竜に接近するというシチュエーションが、恐竜の存在感を強烈なものにして、プロトケラトプスってあんなに小柄だったのか! ヴェロキラプトルも小さいなあ。それに引き換え、こ、このテリジノのでかいこと。このタルボだって! いやあ、でかい。その大きさというのが、模式的でなく、生々しさをもって迫ってくる。ということは、アルゼンティノサウルスはどうなんだろう。とわくわくしながら待っていたら、あそこまででかくなるともうどうでもよくなってきますね。私の生物に関する大きさの把握限界を超えたんでしょう。もう唖然とするしかない大きさです。

このシリーズに問題があるとすれば、ナイジェルが実際に恐竜を見てきましたというスタイルをとっているために、紹介される恐竜の生態や特徴について、言い切らざるを得ないところでしょうね。まだそこまではわかっていない、だからいくつもある仮説のひとつでしかないのに、ナイジェルが見た以上、いやそうじゃないか、ナイジェルを通して私たちが見た以上、それは真実であると知覚してしまいがちになる、そういう問題点ですね。マニアはわかってるんですよ。仮説のひとつだって。色や鳴き声なんかはまったくの想像で、体表面なんかも多くは想像で、そうした想像が仮説を繋ぎ合わせて、こうだったんじゃないのかなあという恐竜の姿を、恐竜たちの時代を作り上げているって。けど、恐竜に詳しくない人、そうしたバックグラウンドを知らない人だと、ほら『ジュラシック・パーク』でディロフォサウルスが毒液を吐いたりしていたでしょう? そうしたらディロフォサウルス=毒吐き恐竜と固定されてしまう。『ジュラシック・パーク』というエンターテイメント映画でもそうなら、『ウォーキング with ダイナソー』のようなドキュメンタリータッチだとなおさらで、まあ制作サイドもこのへんは認識しているでしょうから、できるだけ正しそうな部分で勝負しているでしょうが、けどこれを正典みたいに押し頂いちゃう人も出そうに思います。まあ、マニア度が高まるにつれて、理解は深まり、背景についても理解できるようになります。いろいろ知って理解することで、『ウォーキング with ダイナソー』のとった戦略やその位置づけなんかもわかるようになると思うんですね。

『ウォーキング with ダイナソー』のシリーズ、特にナイジェルの活躍するものは、そうしたマニアの世界に誘う入り口として、まさしくうってつけの素材です。あんまり無茶は書いていない。ナイジェルこそは体を張って無茶しますけど、考証に関してはそんなにとばしていません。だからこれを見て、生き生きと躍動する恐竜たちに心引かれ、かつて地球上には興味深い生物が存在していたんだと知ることは、すごく意義深いことだと思います。そして彼らがすでに滅亡していること、我々人類は残された証拠をもとに彼らの姿や生活を思い描いているという事実に思いをはせることができれば、マニアの世界にようこそ! ってところでしょうか。それはつまりロマンだってことです。果てなく広がるフィールドに足を踏み入れたってことですからね!

2008年1月19日土曜日

ウォーキング with ダイナソー — 驚異の恐竜王国

 年末年始にNHKでやっていた『プレヒストリック・パーク』がきっかけになって、再び恐竜ブーム到来ですよ。といっても、私の周囲だけなんですが、というか盛り上がってるの私一人? 具体的にいいますと、『プレヒストリック・パーク』に繋がりを持つ映像作品を買いはじめているんですね。まずは古いものから到着。『ウォーキング with ダイナソー — 驚異の恐竜王国』。恐竜の生息した時代をざっくりと俯瞰しようという、三十分×六本のシリーズものであります。

扱われる時代は三畳紀から白亜紀まで、つまり中生代、極めてオーソドックスですね。ですが、紹介される生物は恐竜にとどまらず、海の爬虫類である魚竜や首長竜、空の爬虫類である翼竜までに及びます。翼竜は比較的ポピュラーで、紹介されることも多いのですが、海の爬虫類は珍しい。しかし知らない奴らばかりですよ。海の爬虫類というと、私の子供の頃はですよ、イクチオサウルス、モササウルス、後は首長竜、いやまだいたわ、アーケロン、巨大な亀。けれど、このシリーズに出てくるものはその覚え知った名前ではなく、ついぞ聞き覚えのない魚竜、そして首長竜が二種類。わくわくさせますね。古代の海における海の爬虫類の生態が紹介されるのですが、あたかもそれは今生息するものを撮影してきましたといわんばかりのリアリティを持って迫って、すごいですよ、すごかったです。

リアリティに関していえば陸上のもの、空のもの、どちらも同じで、まあ陸上のものに関してはクリアな画質、なんといっても水をはさみませんから、おのずと厳しく見てしまいがち、ちょっと作り物臭いかなと思うこともあったことは事実です。けれど、そんなこと考えてたのはそれこそ最初のうちだけで、だんだんと引き込まれて、仕舞いにはそんなことちっとも思わぬようになりました。ごく初期の恐竜コエロフィシスが、大型爬虫類や哺乳類型爬虫類らとともに、厳しい自然環境を生き抜こうとする序盤から、ジュラ紀を経て、そして白亜紀後期、恐竜絶滅の引き金になったと考えられる巨大隕石の衝突まで、地を海を空を埋め尽くさんとするかの勢いで、その種を増やし繁栄を謳歌した巨大爬虫類。ああ本当はどうだったんだろう、具体的なイメージを持って現れる彼らの姿におのずと想像は膨らんで、ああすごく楽しいや。恐竜はやっぱロマンです。これを子供の専有物みたいにしておくというのは、得策じゃないね。

さて恐竜っていうのは、新たな発見が過去の常識を打ち消し、どんどんその想像される姿を変えていくのですが、『驚異の恐竜王国』の作られた頃は、あまり羽毛恐竜のイメージは前面に出されてはいなかったようですね。『プレヒストリック・パーク』では羽毛恐竜も重要なターゲットでした。けど『驚異の恐竜王国』では社会性を持った生物としての恐竜に重点が置かれているように感じました。夏には緑が茂ったという過去の南極(今のオーストラリアやニュージーランド)に生息していたレエリナサウラ、子育てをする恐竜として知られるマイアサウラとともに、過去の恐竜観を一新させた種なのですが、群を成し、越冬する。大きな脳を持ち、後に恐竜人類に進化する可能性を秘めていた(『恐竜惑星』ですね、DVD欲しかった)などなど、当時のホットなトピックが反映されているから、遡って見てると、その昔を思い出して本当に懐かしい。ああ、こんなことなら無理してでも『恐竜惑星』、BOXで買っとくべきだった。いや、ほんとにそう思います。BOXとはいわんから、DVD再版しておくれよう。

あ、そうそう。『驚異の恐竜王国』にはナイジェル出てきません。ちょっとショックでした。いや、見始めると問題ないんですけどね。恐竜よりもナイジェルが好きなんだという人は、お気をつけください。