2009年1月18日日曜日

NHKスペシャル|シリーズ 女と男 最新科学が読み解く性

小芝居が気になって見始めたNHKスペシャル、『シリーズ女と男』の最終回が放送されて、ええ、ちゃんと見ましたよ。というか、母ともども楽しみにしていたんですね。さて、その最終回はどういう内容を扱っていたかといいますと、なんと男という性が危機に向かっているという、実に刺激的なものでありました。その危機というのは一体どういうものかといいますと、まずは性を決定する性染色体のうち、男性にかかわるもの、Y染色体がどんどん劣化しているっていうんですね。具体的にいいますと、男性女性ともに持っているX染色体に含まれる遺伝子の数が千程度であるのに対し、Y染色体はというとなんと70そこそこだっつうんです。えーっ! なにその比較にならん差は! なかなかにショッキングで、しびれる事実からスタートしたものですよ。

Y染色体が劣化するというのは、基本的に対で構成される染色体の中、Y染色体だけがシングルであるからなんだっていうんです。例えばX染色体の場合、女性の場合はこれが2本あるから、仮にどこかに欠損が生じたとしても、もう1本から補うことが可能です。しかし、男性のみに1本しかないY染色体では、欠損がでたとしてもその欠けた部分を補うことができません。そのため、過去より綿々とコピーされつつ受け継がれてきたY染色体は、どんどんその遺伝子数を減らしてきたんだ。そういう話であったのですね。

その結果が、さっきもいった遺伝子数が70そこそこという事実であって、そしてこの劣化を避けられない仕組みのために、あと五百万年もすればなくなってしまっているだろう。あるいは、突然変異が起きて、Y染色体を消滅させてしまう個体がすぐにでも出る、そんな可能性もあるというのですから驚きです。まあ、実際問題として、Y染色体の消滅が人類の滅亡をもたらしうるとしても、それ以外の要因で絶滅する可能性の方が大きいんじゃないかと、私なんかは思うわけですが、だって人類の文明の歴史なんて、たかだか千年単位で語られるようなものに過ぎないわけで、そもそも種としてのヒトにしたって、新人で十万だか二十万年前にぽっと出たものに過ぎないわけです。五百万年さかのぼってみたら、そこにいるヒトはせいぜい猿人ですから。それに、このY染色体の劣化は、我々ヒトに固有の問題ではなく、彼ら猿人、さらにいえば性の決定にY染色体が関わるようになった時にすでに始まっていた問題であります。だからこれは学問的には興味深いトピックであるけれど、直接に我々ヒトという種の未来をどうこうするほどの重みは、今のところ持ち得ない、そのように感じています。

それよりも問題なのは、ヒトの精子が弱っているという、そちらのトピックでありましょう。ヒトの精子は、ヒトが一夫一婦という制度を持ってしまったために、淘汰を受けなくなり、その結果弱くなってしまったというのですね。ヒトとの比較に出されていたのは、チンパンジーであったのですが、彼らの社会では発情したメスが複数のオスと性交するために、子宮内で複数の個体の精子が競争を余儀なくされます。その結果、運動性能に長けた精子を持つオスの精子が受精する、それはつまり、優秀な精子を持った個体の遺伝子が受け継がれるということにほかなりません。

けれどヒトは一夫一婦というシステムを持ったために、そうした精子の選別がなされなくなってしまいました。弱い精子を持った個体が淘汰されなくなってしまったわけです。そのため、ヒトの精子はずいぶん脆弱になってしまい、しかも悪いことに、環境要因と考えられる精子の弱体化もあるかも知れないときた。現在、私たちの社会では、不妊治療を受けるカップルが増えてきているといわれていますが、その背景にはそうした精子の弱体化があるというのですね。しかもなお悪いことに、不妊治療で用いられる顕微受精が、より精子の弱体化を加速させるかも知れないといわれて、ああ、こちらもなかなかにしびれる話でありますね。

こうしたしびれる話のあとは、多様化する性のありかた、あるいは家族というものの捉えかたといってもいいのではないかと思いますが、精子バンクや同性愛カップルの事例が紹介されて、人によってはなんだそんな異常な連中め! と思うのかも知れないけれど、私には特に嫌悪感のようなものもなく、むしろこういう選択肢がある社会のほうがよい、そんなこと考えているような人間ですから、面白いありかただなあ、ただただそう思うばかりでありました。そして、特に男を必要としない人があるということを知れば、将来においては、こういう選択も普通になっていくのかも知れない。それこそ、男が少数になって、あるいは消滅しても、テクノロジーがその生物学的欠損を補ってしまうのかも知れない、そんな風にも思います。

などと思いながら見ていた『シリーズ女と男』最終回ですが、その見ている間中、頭の中にあったのは、ゼントラーディでした。ほら、あのマクロスの。そして、今この文章を書いている途中、思い起こしたのは、『大奥』でした。そうか、あの社会が到来するのか。だとすれば、まあ問題はなさそうだね。なんて思ってしまう私は、結構な楽観論者であるのかも知れません。

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