ラベル Dramatiques / Dramas の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Dramatiques / Dramas の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年6月16日日曜日

1670

てっきりドキュメンタリーと思い込んで見始めたシリーズでした。『1670』。中世ポーランドの一地方で地主をしているヨハネ・パウロとその一家を主人公として展開するコメディドラマ。ヨーロッパ中世、それも都市ではない農村を描いて、そうかこんな感じだったんだ! と思わせる描写が魅力的なドラマだったのですが、同時に現代人を皮肉るような描写もあるからおかしい。スマートフォンに夢中の息子とかね、あるいは気候変動や平等パレードなど、社会意識が高い娘など、中世の体裁で現代を描いたりしているんですね。だから歴史物として見るよりもあくまでもコメディ、肩の力抜いて楽しむドラマ。とはいえ、やっぱり舞台や小物に見る中世ってのもまた魅力でありました。

しかしこのドラマのインパクトったら、やっぱり主役のヨハネ・パウロでありましょう。村の半分を所有している世襲貴族なのですが、貴族ゆうたらノブレス・オブリージュうんたらかんたら、人徳なんかも求められ、また貴族らしく学もある—、なんてことはまるでない無学で傲慢で、やることなすこと無茶苦茶のいきあたりばったり、身近にいると困るタイプのおっさんなんですね。それで人間的な魅力があれば、といえばさにあらず。なにやっても台無し、どうやってもめちゃくちゃ、あっちもこっちもダメダメな、本当に困ったおっさんで、なにしろものがわかってないから、しっちゃかめっちゃかに状況をかきまわすだけかきまわして、あとは雰囲気まかせの結果オーライ、みたいな感じでやっている。

正直、自分はこういう人は苦手なので、ライバルにあたる村のもう半分を所有する実力者アンジェイを応援していました!

ドラマや映画で見る中世というのは力のある王族や貴族だったり、平民でも都市生活者であったりすることが多かった、そんな印象があるものですから、貴族にしても地方領主、平民というとほぼ農民というこのドラマはそれだけで興味深く見ることができました。舗装なんてされてないぬかるみ道! 敵対的な異邦人! 家畜、脱走、宗教家。雑然とした中世とそこに生きる人たちの、どこまでリアルなんかはわからないけれど、まことらしさには結構やられてしまいました。

さて、このドラマ、もう完結してしまったものと思っていたのですが、どうも新シリーズが作られている模様です。これは楽しみですね。絶対見てしまうやつですね。

2018年4月1日日曜日

弟の夫

 先日、NHKでドラマになったのを、遅ればせながら見ました。『弟の夫』。漫画が原作で、その冒頭は読んでいたのですが、いやあ駄目ですね、いつでも読めると思ってしまうと、ついつい後回し、積んでしまうのは悪い癖です。結末はドラマで知ることとなってしまったわけですが、どうなるんだろうと思っていたドラマ、丁寧に作られていて大変よかった。把瑠都の演技も、自然で、人情味溢れていて、相撲取りとは仮の姿だったのか……!? マイクの雰囲気、よくよく体現なさっていたなあと、あらゆる方面に感心しきりのドラマでした。

このドラマ、BSだけでやっていたんですけど、なんでなんだろう。総合でやってくれたらいいのに。もっと多くの人に見てほしい、そう思えるドラマだったんですね。

タイトルに違和感を感じる人もいるんじゃないかと思います。弟の夫。普通 — 、弟には夫はいない、そう思ってしまいがちですよね。つまり、これは弟がゲイであるということ。かつてそのカムアウトを受けて、以降どう弟と接していいかわからなくなってしまった兄が、カナダからやってきた弟の夫と交流を深めることで、自分自身に向きあっていく、そうしたストーリーといえばいいのでしょうか。言葉にすれば簡単なのだけど、それをこうまで真摯に描いてみせたことがとてつもない。知らず共感を覚えて、弟の夫マイクが、兄弥一が、そして弥一の娘夏菜が、親しい友人であるかのように感じられる。だから、それだけに、マイクに向けられる偏見が描かれた時には、なんて酷いんだと憤慨する気持ちがふつふつと沸いておさまらない。けれど、そうした偏見に、劇中でこっぴどくやり返して溜飲さげたりすることはないんですね。ただただ、自分自身の心情を、思うところを語るばかり。声高にはならない。それだけに、胸に静かに言葉も感情も通ってくるのかも知れません。

この物語でなにが悲しいかといえば、もう弟が亡くなっているってことでしょう。この物語は、弟が亡くならなければ始まらなかった。あるいは、こうした展開もなかったのだろうと思われて、だからなおさら兄の気持ちが思うほどにつらい。

死者との対話は、つねに後悔がともにあるのだろうか。ああすればよかった、こうもすればよかった、あるいは、なぜあんなことしてしまったのだろう。今、あの時の失敗を悔いたとしても、もう取り返しはつかなくって、弥一よう、やっと弟のことを理解できたというのになあ。弟も兄との関係がギクシャクしてしまっていたこと、悔いていた。もっとこうしておけばよかったのかもと弟も思っていた。けれどそれを今知ったとしても、もうどうにもならんのです。時間さえ許せばきっとわかりあえただろう兄と弟が、その機会を持たないままに別れねばならなかったというのは大きな大きな不幸で、ずっと凍っていた感情が溶けたかのように涙を流す弥一の姿に、もう胸をしめつけられる思いがした。たまらんドラマでした。

それだけに弥一とマイク、夏菜がたどりついたところ。離れていても家族だという、その言葉に救われる思いがしたのでした。ええ、弥一にとって弟もそうだというのが、彼の気持ちの整理がついたように思えて、かたく蓋のとじられていた弥一の心も開かれたのだろうなと思わされて、人はこうして悲しみに折り合いをつけながら、その心に大切なものを同居させていくのかも知れない。また私にも、いつかそういう日がくるのかも知れない。なんてことを思いながら、なら私は後悔する前にわかりあう努力をしなければいけないのだろうな、などと考えたりもしたのでした。

  • 田亀源五郎『弟の夫』第1巻 (アクションコミックス) 双葉社,2015年。
  • 田亀源五郎『弟の夫』第2巻 (アクションコミックス) 双葉社,2016年。
  • 田亀源五郎『弟の夫』第3巻 (アクションコミックス) 双葉社,2016年。
  • 田亀源五郎『弟の夫』第4巻 (アクションコミックス) 双葉社,2017年。

2015年8月3日月曜日

プレヒストリック・パーク

 やっぱり男の子ってのは恐竜が好きなんですかね? 家にちょこちょこ出入りしとる就学前児童がですね、やっぱりなんか恐竜のこと大好きになっちゃったみたいで、やれティラノサウルスの模型見せてくれ、みたいな感じで、また買ってもらった恐竜のDVDがどうたら、いろいろいうとるみたいなんです。まあ、自分も恐竜、好きだったもんなあ。なんせ、最初に買ってもらったひみつシリーズは『恐竜のひみつ』だったくらいなもので、だからきっとチビにしても同じような感じなんでしょう。しかし、こないだチビが買ってもらったっていうティラノが羽毛恐竜らしい。マジで!? えらい時代は変わってしまった、そう思いましたよ。

きっとチビに見せてやれば喜ぶんだろうなあ。そう思ってるのは、『プレヒストリック・パーク』とか『ウォーキング with ダイナソー』のシリーズ。これ、絶対面白いよ。そう思うんですけど、今こうして確認してみれば、うおお、『プレヒストリック・パーク』で2007年。もう8年前とか、そんな昔になるのかあ。恐竜に限らずでしょうけど、これだけの時間があれば、研究はどんどん進んでいってしまってるだろうし、復元だってもうがらっと変わっててもおかしくない。まあ、ティラノサウルスが羽毛で復元されてるってわけじゃないことは知ってはいるんですけど、ラプトルみたいな小型恐竜はずいぶんと違っちゃってるだろうなあ。

まだチビに、研究により復元が変わるというの、説明しても通らないと思う。

『プレヒストリック・パーク』には夢があるんですよね。ロマンといってもいい。地球には、絶滅してしまってもう出会うことのできない動物がたくさんいたという現実。わずかに出土する化石、痕跡から、それら生物の姿、生態を想像し、復元していくという、学術のロマンがあれば、そうしたもう存在しない動物を、時空を越え、今という時代に取り戻そうという、フィクションとしての夢。ああ、こんな動物園があったらきっと面白いぞ! わくわくする!

そのわくわくを、子供に伝えられるとよいなあ、そう思ってるんだけど、一度見せたら、くるたびに、あれを見せろっていわれる気もするから、なかなか見せられない。枚数あって、長いですしね。みたいな感じで、なかなか見せられないみたいな感じもあるんですね。難しいなあ。

2008年3月1日土曜日

コミックスイメージアルバム「トリコロ」

 よくできたアルバムであるとは聞いていたのです。でも正直ここまでとは思いませんでした。漫画『トリコロ』のイメージアルバム。『全作業“海藍”』がひとつの売りでもあったこのアルバムですが、海藍の手によらない部分、音楽、歌までもがこぞって、『トリコロ』という世界を作り上げることに貢献していると感じられます。一曲目『あじさい』の引き込む力、これからして実に半端ではなく、雨の季節、陰鬱として薄暗く、立ちこめる雨の匂いの濃厚さ。これから物語が繰り広げられようとする舞台が、目の前なんてレベルでなく、今この身の回りを取り囲もうというかのようにさっと広がるのですね。そして、場面が切り替わる時、私たちは現実の地平を離れて長織の街にある — 。物語が始まります。

もっと早く買っててもよかったかな、というのは私はこのアルバムを特装版入手が確定してから発注したのですね。2004年当時、ファンブックどころか英語版まで買おうとした私なのに、CDに手を出すのを躊躇したのは、正直きりがないと思ったからで、『トリコロ』の広がり、そしてKRレーベルのマルチメディア展開を考えると、どこかで一線を引いておきたかったのです。作者の手によるもの以外は手を出さない、そう決めて、だから絵や漫画は買っても、CDやアニメ、ノベライズの類いは黙殺しようと。けど、このアルバムに関してはミスジャッジだったな、今心の底からそう思っています。

つまりはそれくらいに作者の手の跡が感じられる出来であったというのですね。ドラマ部分に関してもそう。確か、これってミリセコンド単位で作者がキューを出しただかどうだかしたという伝説があったように記憶していますが、声優的マニアック世界に突入することなく、漫画の雰囲気を維持し、かつ広げることに成功していると思えるのですね。はじめて聞いた時には多少の違和感を感じたりはありました。ですが、三度目にはまったくそうした違和感は払拭されていて、きれいに重なり合った、あるいは私が完全に引き込まれてしまったというのでしょう。それまで違う質感で読まれていた八重たちの台詞は、まるっきりドラマの印象に上書きされてしまって、それまで私はどのように彼女らの声を読んでいたのだろう。思い出せないくらいに、アルバムの印象が支配的となったのです。

語られるストーリー、これもさすがに原作者の脚本というべきなのでしょう。見事に『トリコロ』の世界であって、聞いていて実に自然であるのです。BGMのない、会話により進行していく世界。短いスパンで落ちがあるのは四コマというスタイル由来なのか、しかし普段の四コマでは語られないストーリーがありました。やはりこれはオーディオドラマという形式があってのものだと思います。そしてその形式の違いが物語の可能性を広げて、いつもとは違った切り取られ方で語られる『トリコロ』の世界が実現したのでしょう。

これを大変に素晴らしいものだったと思うのは、私がファンだからなのかも知れませんね。確かに、これは海藍の『トリコロ』を知っている人、そして好きだという人のためのアルバムであると思います。ですが、そうした狭い世界に押し込んでしまうには惜しいものがある。そういう魅力があると思うのは、はたしてファンの欲目であるのでしょうか。

ところで、指三本でも持てる骨がアルミの折り畳み傘など、こうした小物への傾き、さすがですね。きっと現実に存在する商品なんだろう、それこそ型番指定して買えるくらいのレベルで、詳細に決められてるのだろうと思います。そしてその異常ともいえる緻密さ綿密さ、それが海藍のドラマ — 、四コマ、オーディオドラマといった形式を問わず、 — の雰囲気を決定する一要因になっているのだろうと思うのですね。

  • 海藍『トリコロMW-1056』第1巻 (Dengeki comics EX) 東京:メディアワークス,2008年;特装版,2008年。
  • 海藍『トリコロ』第1巻 (まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2003年。
  • 海藍『トリコロ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 海藍『トリコロプレミアム』(まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。

2008年1月10日木曜日

プレヒストリック・パーク

 先日ご紹介しました『プレヒストリック・パーク』、到着しています。冒険家ナイジェル・マーヴェンが先史時代の生物を集めたサファリパーク、その名もプレヒストリック・パークを作ろうという一大スペクタクルであります。タイムポータル(NHKの訳ではタイムゲート)を使って過去、先史時代へと赴き、絶滅した生物を保護するという美名のもとに、古代生物と大格闘。いや、おっさん、ただ自分の好きな生物とじゃれあいたかっただけなんだろ。とはいえなにしろ保護ですからね、捕まえるにしても武器は使わない。使っても網撃ちだす銃とか洗剤つけた水鉄砲だとか、なんにしても原始的で、そして最後には生身がものをいう。自分がおとりになるしかない! って、いや他に方法あるでしょうよというつっこみも素知らぬ顔で、ナイジェルは走る、走る、とにかく走る! いかすぜ、ナイジェル。といったようなわけで、私の尊敬する人はナイジェル・マーヴェンです。

私はこの番組をNHKの地球ドラマチック!で知りまして、地球ドラマチック!っていったいどういう枠かといいますと、ええとNHKの公式ページではこんな風に紹介されています。

NHKが世界中からえりすぐった海外のドキュメンタリー番組をお届けする『地球ドラマチック』。

野生動物の王国に出かけたり、恐竜に追いかけられたり、古代文明をたずねたり、果てしない宇宙を目指したり、行ったこともない外国の人々の生活に触れたり・・・。

「へー、こんなノンフィクション番組が外国にはあるんだ!」ときっと感じてくれるはず。

な、なんか違和感ある文章だぞ。けど、これはましなほう。『プレヒストリック・パーク』アンコールについてた地球ドラマチック!紹介はもっと直球で、こんなでした。

世界中からえりすぐったノン・フィクション番組をお届けする「地球ドラマチック」。

いろんな場所に冒険に出かけたり、奇抜なアイデアにチャレンジしたり、見たこともない世界の番組を放送します。「へー、こんな番組が外国にはあるんだ!」ときっと感じてくれるはず。

これいいのか? いいのんか? そういい切っちゃってるんだから、信じちゃうぞ。恐竜に追いかけられたりしている『プレヒストリック・パーク』だけど、これノン・フィクションなんだな。本当にノン・フィクション番組でいいんだな。信じたぞ。

『プレヒストリック・パーク』のよくできているところは、その番組の作り自体なんです。前回、私もちょっと悪乗りして、あたかもプレヒストリック・パークが実在するかのように書いていましたけど、もちろんプレヒストリック・パークはこの世にある施設ではありません、まことに残念ながら。すべてはフィクションであり、もちろんナイジェルの活躍もそうなら、パークで飼育係長のボブがその生態食性もつまびらかでない動物たちの世話に苦労したり、動物の体調管理から治療、繁殖まで一手に引き受ける獣医師スザンヌの奮闘する様なんかもみんなそう。この『プレヒストリック・パーク』という名前のドラマにおいて描かれるばかりのものであるのですね。

しかし、それを作り物に思わせない演出が冴えています。ドキュメンタリータッチ。ナイジェルは実際に野生動物に果敢な(無謀な?)チャレンジをするような人で、そうした番組もあるそうで、その際のスタイルはまさしく『プレヒストリック・パーク』でのナイジェルに同じだとかいいますけれど、つまりそうした動物ドキュメンタリーのスタイルで先史時代の絶滅生物捕獲劇を描くというのが番組の趣旨なのでしょう。だから、勘違いしてしまうんですよ。いくらなんでも恐竜です、マンモスです。現代においては生存していないことなど百も承知です。けど、それがまるで実際に生息していて、彼らの手によって飼育されているのだと、そんな気になってくるんです。うちの母親なんて、スザンヌ、そしてボブに毛刈りされるマンモスを見て、これ、本物? なんて聞いてくる始末ですよ。いや、母だって知ってるんです、マンモスはもういないって。あんな毛むくじゃらの象は現存してないって。でも、そう聞かずにはおられない説得力があった。ええ、気持ちはすごくよくわかる。だから私は答えました、今はイギリスの動物園にいるらしいよって。

地上波アナログで見た『プレヒストリック・パーク』は画質の甘さゆえにCG臭さもほとんど気にならず、けれどDVDとなればさすがに違いますね。生物がそして背景の植物も、このへんはCGだって見えてしまいます。だから、もしハイビジョン時代が到来したら、こうしたCGものの説得力というのは一時的に後退してしまうかも知れません。けど、きっともっとものすごい世界を見せてくれるようになるんだろうな。そんなことを思わせます。だって、CG映像がこうした映画、ドラマに登場するようになってまだ十年そこそこじゃないですか? 二十年前なんて、どうみてもCG、というか単なるエフェクトレベル? でしかなかったのが、ここまできたのですよ。だから、ハイビジョン時代には、それこそどこからどう見ても現実に生きてそこにいる生物にしか見えないと、そんな驚異の世界を見ることになりそうな予感がしています。

そうだ、DVD版について一言。画面がテレビサイズでなくビスタサイズになったので、ちょっと嬉しい。そして声優についてですが、NHK版の方がコミカルな感じ、DVD版だと結構シリアスでドキュメンタリー調を強調してくれます。そしてナレーションですが、NHKは渡辺徹、DVDだと古谷徹、徹対決なわけですが、渡辺徹の温かみある穏やかな調子と異なり、古谷徹はクール、すごく淡々として、実に好対照です。いや、どちらもいい。優劣は競えません。でも、やっぱり人は最初に触れたものをいいと思うようにできているんでしょうね、渡辺徹ナレーションをもう一度聞いてみたいなあ。けど、もしNHKが古谷徹だったら、もう一度古谷ナレーション聞きたいなあっていってたんですよ、私はそういう奴です。

引用

2008年1月6日日曜日

プレヒストリック・パーク

 年末年始とか、休みが続くうえに特別編成番組がじゃんじゃん流される時期になりますと、実はNHKが面白くてですね、年間放送してきて評判よかったものをどかんとまとめて放送してくれたりする、それが実に豪華で、もう本当に目が離せないんですね。今年の目玉は『プレヒストリック・パーク』でした。これ、素敵すぎ。なにがいいといっても、出演者、ナイジェル・マーヴェン氏ですよ。この人、先史時代の生物を集めて生態展示するプレヒストリック・パークの園長さんなんですが、まさにそのパークを造っているその時の様子が紹介されていて、もう鼻血でそうなくらいに素敵。うわあ、こんな体当たりで動物を捕まえていたのかあ、と唖然としながらも大興奮でありました。

どれくらい体当たりかというと、いまだ調査も満足になされていない古生代にパークスタッフ&カメラクルー率いていってみたかと思うと、人間大の多足生物アースロプレウラ、まあはっきりいって虫なんですが、それもヤスデとかムカデといった類いの節足動物であるのですが、そいつと取っ組み合いの大格闘ですよ。うわあ、勘弁してください。子供の頃は虫好きだった私も、今やさすがに直視に堪えない。それがメートルサイズでうごめいているときた。ああ、プレヒストリック・パークにいくことがあったとしても、昆虫館に寄るのはやめておこう。あんなのと対面したら絶叫しそうです。

『プレヒストリック・パーク』は全六回シリーズで、残念ながら途中の回は見逃してしまいました。見たのはティラノサウルスを二頭連れてくる話とマンモス、そして昆虫、巨大ワニの回ですね。しかし、それにしても楽しい番組です。恐竜にしてもマンモスにしても、とにかくこんなの見てみたいなあという、子供どころか大人にとっても夢憧れの存在に、仮想的にとはいえこんなにも接近させてくれるのですから素晴らしいです。思えば私は子供の頃から恐竜が好きで、図鑑見たり映画見たりして、想像を膨らませていたものでした。どんな生態だったんだろう、どんな時代だったんだろう。なにしろ私の子供時分といえば、恐竜は尾を引き摺って歩く鈍重な生物とされているのが主でしてね、ブロントサウルス、じゃないや、アパトサウルスなどの足跡化石に尾の跡が残っていないのは、こやつらが水中で生活していたからだろうっていって、それにブラキオサウルスの鼻の穴は額についてたんだそうですが、これ水面から頭のてっぺんだけ出して息をしてたんだっていってたんです。でもその後の研究で水中生活説は否定されて、ともない私の知識も上書きを余儀なくされたのでした。

この新たにわかってくるということが、こうした古い時代の生物を知ることの醍醐味であるんだと思うんですね。そしてその新しい知識、知見に基づいて新しい恐竜像が描かれて、それが『プレヒストリック・パーク』のような番組になって私たちの興味を刺激し、楽しませてくれるんですね。まあ、この番組に関しては恐竜にとどまらないのですが。

この番組、制作はイギリスなんだそうですが(正確にはイギリス・アメリカ・フランス・ドイツ合作だそうです)、こういうのががっつり作られて、放映されて、人気になってという土壌のある国はうらやましいなと思います。それを日本に持ってきて、吹き替えしてくれて、放送してくれたりするNHK。素直にありがたい、NHKがやってくれなかったら、私は知る機会を持たないままでした。ということでDVDも買ってみて、到着してまた頭から見るのが楽しみで、吹き替えが違うのがちょっと不安だけど、きっと大丈夫ですよね。ええ、始まってみればきっととりこになってしまうだろうと思います。

2007年7月24日火曜日

エル・ポポラッチがゆく!!

 Amazonでなんだか夏の大バーゲンとかやってるよって聞いたものだから、どんなだろう、欲しいのあるかなってわくわくしながら見にいきまして、こういうとき、まず見るのはゲームですよね。以前、春のバーゲンだったと思うんですけど、では、発売日に購入したゲームが特典付きでお安く提供されているのを見付けて、愕然としたり、いやね、まだ封さえ切ってなかったものですから(今も未開封だけど)、もう本当に悔しくて悔しくて、もうひとつ買っちまおうかと思ったくらいでした。買いませんでしたけど。ゲームを見たら次に見にいくのがDVDストア。実は欲しいのがあるのですよ。アニメかというと、残念、アニメじゃない。アニメは欲しいのが多すぎて危険すぎるから見ないようにしてるんです、っていう事情はおいておいて、ええと『シャーロック・ホームズの冒険』が欲しいんですね。昔、NHKで放送されていた海外ドラマですよ。これ、23枚組という大ボリューム、もちろん価格も結構なものだから、欲しいなと思ってもおいそれと手を出せるものではなく、涙をのんではや数年が経ちました。と、こんな感じで欲しいの買えないのとバーゲン商品をぶらぶら眺めていたところ、ちょっと気になるものを発見。1min. ドラマ『エル・ポポラッチがゆく!!』。おお、これはNHKでやっていた変なドラマじゃないですか。

私がはじめてエル・ポポラッチに遭遇したのは、今年の正月のことでした。NHKはですね、紅白が終わった後にですね、『年の初めはさだまさし』なる番組をやっていましてね、今年で二年目? さだがファミリー引き連れてなんか端書読んだり、歌ったり。わりと面白いんですよ。しかもこれ生放送だから、結構危険な領域に踏み込んだりしましてね、そういうところも楽しみどころだと思うのですが、そう、今年の私はさだまさしで始まったんですよ。

笑って、歌に心揺さぶられて、そして番組終了後、突然始まったのが『エル・ポポラッチがゆく!!』なる番組。いや、これ番組なのか? 私は最初、てっきりコマーシャルかと思いました。新番組の宣伝じゃないなとは気付いたものの、けれどこれはNHKのイメージ広告? いや、そうだとしたらなんか変すぎる。主人公はマスクを付けたレスラー? 街にふらっとあらわれて、街の人たちと交流を深めていくみたいなストーリー? が淡々と展開されるんだけど、なぜか米屋の地下にリングがあったり、ほんとよくわからない不条理感。これをさだ見た後で見たんですよ。しかも夜中、結構な時間、脳はつかれてるし眠たいし、けど目を離せない。早く終わらないかなあ、もう寝たいんだけどなあと思うんだけど、番組は延々続く。次へ次へと回が進み、多分、こんときに全部見たんだろうなあ。目を離せないまま、最後まで見てしまったのでありました。

その後、時代劇の後なんかにポポラッチが放送されるようなこと数回経験して、なんかぽいっと放送しちゃう、予告もなんもなしにやっちゃう、そういう企画みたいですね。でも、私はこれが1min. ドラマなんていうシリーズだったとは今の今まで露知らず、しかもこれDVDが出とるのか。なんか、欲しくなるなあ。ちょっと興味がそそられる。なんでかわからないけれど、私を釘付けにしてしまうそんな番組であるようなのです。

ドラマでは鈴木京香が素敵だったなあ。この人、正ヒロインだと思うのですが、なんかしっとりとしたいい美人ですよね。この美人が、なんか変な不条理なドラマにて淡々と役をこなしていく様は実に美しく凛々しくて、ポポラッチと恋仲になったりする!? なんて思ってたらどうもそうでもないみたいで、とにかくほんとよくわからないんですよ。筋もあったようでないというか、結末も変によくわからないまま、それこそ終わったんかどうかもわからないまま終わったというか、このへん、DVD見たらわかるのかなあ?

なんだか本編よりも特典映像の方が長い『エル・ポポラッチがゆく!!』。ちょっとおふざけ感もあって、けれどみんな真面目にやってるってことは伝わってきて、この不思議感はちょっと他にはないような気がします。だから、だから、買っちゃおうかな、どうしようかな。買っちゃっても後悔しないだろうけど、いつでも見られるポポラッチというのもなんか変な感じがする。ほんと、その存在自体が不思議なドラマであると思います。

2007年6月23日土曜日

『フルハウス』サード・シーズン

 買うだけは買ったんだけど見るにいたらなかった『フルハウス』のサード・シーズン。もちろん見れば面白いことはわかってるんです。けど、見始めるとこれ一色になってしまうのがわかってるからか、あるいはこの発売された時期、たまたま忙しかったのかも、見ないでいたらフォース・シーズンが出てしまった。けど、もうじきフィフスがうちに届くはず。だからというわけでもないんですけど、ようやっとサード・シーズンを見始めて、いや、やっぱり面白いわ。思い起こせば、私が『フルハウス』を見始めたのはセカンド・シーズンで、決定的にはまったのはサード・シーズンだったように思います。あのハワイロケの回。あの回からビデオに録りはじめたんでしたっけね。いや、懐かしい話です。どうでもいい話でもあるんですが、まあ私にとっては重要な話であったのでした。

サード・シーズンは1枚目を見て、今2枚目を見ている途中。人によって意見は違うとは思いますが、私にとっては一番『フルハウス』らしい時期と感じます。D.J.は中学に上がって、妹(ステファニー)とは違うんだと背伸びして、ステファニーは子供らしい無邪気さにこましゃくれた物言いを装備して、強烈に可愛かった。ミシェルは赤ん坊から子供になろうという時期、いろいろしゃべるそれが可愛いは、面白いは。けどこのドラマの面白さは、子供たちだけではないね。子供も大人も、それぞれがそれぞれの個性をもって楽しませてくれる。毎回毎回、なんらかのテーマをもって話は展開されるけれど、その内容も子供の子供らしい話があったかと思えば、大人の結構シリアスなものもあって、それらがバランスよく配合されているから、大人が見ても見ごたえがある。子供だましじゃないというのが大きいんだと思うのですね。子供も大人も、問題に直面し悩んでいる時の大変さは一緒。そして悩みに取り組み解決しようというその態度が真摯だから、見ているこちらもほだされる、共感するんだと思います。

サード・シーズン、ジョーイのコメディアンの話がなんだか他人事じゃない感じで、見てて面白かったし、結構じんとさせられて、若い頃の夢を思い出して、今自分はなにをやってるんだろうと悩んで、落ち込んで、けど夢は捨てられないって話なんですが、この回をはじめて見た時、もう十年以上も前なんじゃないかと思いますが、その時私は一体どういう思いで見たんだろう、ってもうちっとも思い出せないんですが、けどこうして若い頃、年いってから、そしておそらくはこれから先も、その時々の私が、その時々の思いで見るのだろうと思うと、改めて『フルハウス』の幅の広さがわかるように思います。今はまだ、将来の私が思うことはわからないけれど、きっと胸にこたえる言葉、シーンがある、そんな風に思えるドラマです。

ところで、続きを見てたら、ステフが地震を怖れる話があるんですが、これ、1989年のサンフランシスコ地震ですよね。PTSDってやつだと思う。はじめてみた時はピンとこなかったけれど、こんな風に当時の状況みたいのがわかれば、より深く理解できることもあるかも。あるいは、私も神戸の地震を経験したから、ある程度のリアルさを持って感じられる部分もあったのかも知れません。

2006年2月4日土曜日

『フルハウス』セカンド・シーズン

 おとついの夜、たのみこむからのメールを受け取り、『フルハウス』セカンド・シーズンのBOXを明日発送しますぜという内容。たのみこむで買うと支払いは代引きを選ぶことになるので、早速お金を用意して、しかし物入りだなあ。いや、『フルハウス』の代金を支払うのを惜しんでいるのではないのです。そうではなくて、なんでかこのひと月ほど、あれやこれやと出費することが多くて、節約しないといけないなんて思っているんです。ですが、『フルハウス』のDVDがくるとなればそんなことはいっておられないわけで、そういえば本国ではサード・シーズンのDVD発売がアナウンスされているそうですね。ああ、そうなれば日本版も直きでしょう。もちろん発売が決まった瞬間に注文する気満々でいます。

DVDの受け取りは昨日でしたが、昨夜は思わぬ出会いがあったものですから見る暇を持てず、なので今日ようやく見ることができたんですね。私、いつも見始める前は、一話だけと心に決めているのですが、なにしろ意志が弱いものだから、結局DVD一枚に収録されている分全部を見ないでは気が済まないんです。『フルハウス』のDVD-BOXは四枚組だから、つまり全部見るのに四日かかるというわけです。いや、時間さえ許せば一日二日で見終わりそうな勢いなんですが、『フルハウス』漬けというのもなんですし、なにしろもったいないです。楽しい時間は長く続いて欲しいものじゃありませんか。

『フルハウス』のセカンド・シーズンにはなんとビーチボーイズがゲスト出演しましてね、この回も実に面白く楽しく見ることができました。ジェシーが自分の夢に向かっていよいよ歩みだすというこのシーズンをとおして描かれるテーマも少し絡んで、しかしそれだけじゃないんですね。ビーチボーイズのステージ、そして観客の熱狂も収録されて、すごく広がりのある話でした。

で、ここからちょっとネタバレだから気にする人は読むのをやめていただくとして、ジェシーと組んで曲作りに取り組んでいるジョーイがですよ、ステージ上でビーチボーイズメンバーのポケットにデモテープをこっそり入れているんですよ。この場面を見たとき、私ははっきりいって我が目を疑いました。事前に打ち合わせしてたんでしょうか。あのシーンは正直本編から離れたおまけ、ボーナスみたいなつもりでいたから、本当に驚いて、しかも曲を終えた後に深々とお辞儀した時、胸ポケットからカセットテープがこぼれ落ちている。慌ててそれを拾ってというところもちゃんと録られていて、いくらなんでもこれはハプニングでしょう。けど、こうしたたまたま収録されてけれどあえて語られてない伏線みたいなのがあるというのは面白く、なんかわくわくさせるものがあります。

しかしですよ。タナー一家がステージ上から呼ばれたあのとき、あたかもあのファミリーが本当の家族のような気分がしたんですよね。これはきっとアメリカの視聴者も同じように感じたんじゃないでしょうか。日本の視聴者もきっとそうでしょう。

なんか、こういう虚実がクロスするところに、本来虚であるはずのものが事実のように見えてくる。すごく不思議な気持ちで、そしてこの不思議さはとても嬉しいものです。あの家族を実在のもののように感じている、そんな気持ちを自覚できる瞬間でした。

2005年10月25日火曜日

『フルハウス』セカンド・シーズン

 本日たのみこむからメールがきまして、ふむふむなになに、『フルハウス』のセカンド・シーズンが出るんですか。ふーん。てな感じで実にクールなもんです。だって、当然出るはずのタイトルで、私にしても当然買うに決まっているものですから、いちいち騒いだりするようなことはございません。息をするように自然。太陽が東から昇り、西に沈むくらい自然。そりゃまあ、昇る朝日の美しさに嘆息することもありますよ。けれどそれでも、それはわあわあと騒ぎたてるようなことではないのです。

ただ一人、よいものに触れることができたと、胸の中にしまっておきたいような、そういうものだといえば伝わるでしょうか。いや、多分伝わらんな。まあ、変なこといってるのはわかってますから、放っておいてやってください。

そもそも、私にたのみこむからメールが届くというのは、ひとえにファースト・シーズン日本語版を買ったからなのですが、いやあ、『フルハウス』はいいドラマですよ。今更私がいう必要もないくらい広く知られた事実ですが、『フルハウス』は本当にいいドラマです。

『フルハウス』の面白さというのは、特定のある年代にしか通じないような、そういう偏狭なものとは一線を画しているんです。高校に通っていた時分の私が見て、おじさんになった私が見て、当時壮年で今は老境にさしかかろうとしている父母にしても面白いといって見ている。あらゆる年代に通じる幅の広さは恐るべきものがあります。ギャグ、コメディの切れもよく、そしてちょっとしんみりさせるシーンも、欠くことができない『フルハウス』のエッセンスです。こうしたエッセンスが、そもそも国境も越え、基底となる文化も違えている日本において受け入れられているというのは、どれだけ『フルハウス』の扱うことごとが普遍的なものであるかを語っていると思います。そして、これは素晴らしいことだと思うのです。

セカンド・シーズンのリリースは来年二月といいます。ことさら急ぎはしませんが、その日が来るのが楽しみというのは紛れもない事実です。

2005年6月22日水曜日

『フルハウス』ファースト・シーズン

 私は、大学に通っていた頃、NHK教育で放送されていた海外ドラマにはまっていまして、友人が好きだったのは『ALF』、私が好きだったのは『フルハウス』。きれいに棲み分けができているではないですか。

『フルハウス』は実にアメリカ的なホームコメディでした。男三人が女の子三人を育てるという、その設定も面白かったのですが、けれど一番よかったのは、恥じるでなくおもねるでもなく、まっすぐに家族の愛や絆を確かめようという思いが各回の基底に響いていたところであろうかと思うのですね。家族一人一人は対等に向かい合って、そして事件の後は、愛しているよという言葉で終わる。そういう話が多くて、なんか憧れのアメリカは『フルハウス』にこそあったと思えてきます。

実をいいますと、私は『フルハウス』においても、遅れてきた視聴者でした。私が見始めたのはいったい第何シーズンからだったのか。ミシェルはジャケットに見るほど赤ん坊ではなかったし、ステフもエレメンタリー・スクールに上がるか上がらないかくらいだったような覚えがあります。多分第3シーズンか第4シーズンくらいだったんじゃないかなあ。

なんで今『フルハウス』を取り上げたのかといいますと、たのみこむからファースト・シーズンの日本語版が発売だというメールをいただきまして、うわあ『フルハウス』がでるんだ! とちょっと色めき立ってしまったからなのです。けど、驚いたのは、DVDでも出ていて当然みたいに思っていたこのタイトルが、未だリリースされていなかったということのほうでした。

さて、この日本語版DVD-BOXですが、4枚組でありながら定価8,400円という低価格にも驚きました。一枚あたり二千円ですからね。一般的な日本のDVDの価格からしたら半額くらいなもんで、さすがと思っていたら、本国では3,429円なんですね。さらに半額じゃんか!

でもいくら本国版が安いといっても、リージョンの問題もありますし(リージョン1ディスクは、日本のDVDプレイヤーでは再生できない)、日本語吹き替えもありませんしで、やっぱり私は買うなら日本版が欲しいです。リージョン2で、あのNHK教育で見て、覚えのあるキャストでの『フルハウス』を見たいじゃありませんか。

しかし、それにしても思うのですが、『フルハウス』の日本版キャストはすごかったです。副音声のオリジナルの英語を聞いても、ほとんど違和感がないのです。私は、英語を耳に覚えさせるために、ビデオに入れた『フルハウス』を、最初は日本語で見て、次いで英語で見て、また日本語で見るというということをしていましたが、この切り替えが本当に違和感なくて、すごいやと舌を巻いていました。

とまあ、そんな思い出深い『フルハウス』を再び、落ち着いて、ビデオに録り逃すんじゃないかというプレッシャーからも自由になって見られるというのは、すごく贅沢なことであると思います。すごく嬉しいことだと、心の底から思います。

ちなみに、私は大人ではジョーイ、子供たちの中ではステフのファンでした。ああ、懐かしいやらわくわくするやらで、私の心は十年前のあの頃に戻ってしまいそうなくらいですよ。

2005年1月14日金曜日

天気予報の恋人

    『天気予報の恋人』は、仲間内で不思議に人気の高かったドラマで、普段はドラマなんてあんまり見ない私も、毎週楽しみにストーリーを追って、来週はどうなるんだろう、二人いるヒロインのどちらが最後に仕合せをつかむのだろうかと、口々に続きを予想し合ったり、感想を交換し合ったりしたものでした。

思い返してみると、なんだか懐かしいですね。ドラマは2000年放映で、あの頃は今とは全然違う環境で、今とは違う楽しみがあった。振り返っても仕方がないけど、たまには来し方を思うのもいいもんじゃないですか。

二人のヒロインは互いに友人同士で、同じ男性を好きになるんだけど、いがみ合ったり取り合ったりといったいやらしさがなかったのがよかったのですよ。私にとってのメインヒロインは深津絵里演ずる金子祥子、ラジオの人気パーソナリティだけど、なんだか容姿にコンプレックスがあるかなんかで、その正体を隠しているという設定がGoodでした。

この、コンプレックスというか男性に対する自信のなさというかがいいじゃないですか。一昔前の少女漫画のヒロインってのは大抵みんなこんな感じでしてね、美人で女らしいお姉ちゃんとか友達とかに比べてなんで自分はこうなんだろう、わたしもお姉ちゃん(もしくは友人)みたいだったらもっと自信が持てたのにみたいに思ってましてね、けど普段の行動はそんなそぶりをみじんも見せず、明るく元気で、憎まれ口聞いたりしましてね、金子祥子もまさにそんな感じ! 素晴らしかった、実に素晴らしくキュートでした。

けれど、途中で私は気付いてしまったんですが、キャストのクレジット順が深津絵里トップじゃなくって、その前に稲森いずみがいたんですね。いや、私稲森いずみも結構好きなんですよ。深津絵里を十好きだとしたら六から七くらい好きかな? 稲森いずみ演ずる原田早知は美人でかわいくってという役柄で、けれどこちらにも男性に対する負い目がありまして、— シングルマザーなんですね。

こんな風に、それぞれ男性に積極的になれない二人が、屈折してみたり、譲り合ってみたりしながら、それぞれの恋愛に揺れるというドラマだったのでした。

金子祥子は、ラジオパーソナリティ — 唯川幸として表立つことを嫌がって、原田早知を影武者に立てた。これがこのドラマの面白さでした。声の唯川幸と容姿の唯川幸がいたわけでして、唯川幸に恋した男が、唯川幸が二人いることに気付かず振り回されるというのがよかったんですね。

けどさ、原田早知が唯川幸と思っているこの男がですよ、だんだん知り合っていくうちに金子祥子こそ本当の唯川幸なんじゃないかと気付いていくわけなんですけど、こういう展開を見せられたら、やっぱり最後に仕合せをつかむのは真実の唯川幸 — 金子祥子だろうと思うじゃないですか。いや、実際私はそう思い込んでいたのです。一歩引いて陰に隠れていた人が真実の思い人であるとわかって、恋は怒濤の急展開、成就しないと思われた愛がかたちを成して、最高のカタルシスをともにドラマは幕をおろすのです!

少女漫画だったらそうですよね、けれど、このドラマは私の予想(いや期待といっていい)をあっさりと裏切ってしまったんですね。クレジット順から稲森いずみが正ヒロインとわかって以来、おぼろげに覚悟はしていたとはいうものの、私、正直なところ、ショックでしたよ。

ドラマは徹頭徹尾コメディタッチで、だからこそ揺れ動く二人の恋心が切なく感じられたのだと思います。それでもって私大好きだったんですが、けれど私の好きなのは常にマイナーといいますか、大ヒットという感じにはなりませんでした。大ヒットしていたら、今もDVDで見ることができたのかも知れませんが、しかし現実はビデオしか出てない上に絶版、さらにいえばビデオは異常に高いという三重苦です。

再放送して欲しいんですが、期待できないもんでしょうか。私は、いつまでも待っているんですけどね。

2005年1月12日水曜日

六番目の小夜子

   昔は民放でもジュブナイル・ドラマをやってたんですけど、最近では子供がドラマを見なくなったのか、あるいは大人向けのドラマを見るようになったのか、とんと見かけなくなってしまいました。結構好きだったんですよ。『ハウスこども傑作劇場』というのがあって、主題歌の断片だけ覚えています。「飛ぶんだ跳ねるんだボールになってさ」ってやつで、人のうちにいってもみるくらい好きなシリーズでした。

この後に、私が夢中になってみたのは、NHKでやってる海外ドラマシリーズで、私がここにはまった要素として、ジュブナイルをみることができると思うんです。『素晴らしき日々』なんか、まんまジュブナイルといっていいドラマかと思います。

さて、そんな私がこのところ楽しみにしてるのが『六番目の小夜子』。結構前のドラマなんですが、今再放送してるんですね。結末のわかってる話なのに、それでも毎週の放送が楽しみで、もうまったく魅惑されてるのであります。

『六番目の小夜子』のなにがいいといっても、そのミステリアスさですよ。学校に残る伝説にまつわる事件の数々! 予定からはずれはじめているサヨコ伝説に、振り回されながらもまっすぐ立ち向かう中学生が凛々しくっていいですよ。凛々しいってのは、少年少女関係なく、もうなんというか、それぞれ持ち味を違えながら、それぞれが格好いいんですね。

その凛々しい中学生たちが、二転三転するサヨコ伝説の謎にせまっていくんです。そりゃ、面白くないわけがない。はまります、いや、ほんとはまりましたよ。

NHKだからなのかどうなのか、出演者がみんなうまいんですよね。中学生たちがメインのドラマですが、誰も役に負けていないと思う。それこそ、名前のついている主要な登場人物にいたっては、本当にそんな子がいそうな感じさえしますからね。それくらい自然に演じているのですよ。

二人のヒロインの個性が際立って対照的で、特に明るくてさっぱりした潮田玲(鈴木杏、撮影時はまだ小学生だったらしい、……恐ろしい子!)のキャラクターは、ともすれば重くなりかねない展開に華やかさをそえ、牽引する力になっていました。そして津村沙世子(栗山千明)ですよ。あのミステリアスな雰囲気! いやあ、目を見開いて話すのはちょっと恐ろしげだったりしますが、この硬軟対照をなすヒロインが、ばっちり世界を決定づけています。

ところで、花宮雅子を演じている松本まりかという女優さんが非常によい感じですね。思春期のとんがった感じを出しながら、中性的な雰囲気の中に女性らしいいやな感じも隠していて、しかも一番かわいい。実にいい感じですよ。あといい感じといえば、関根秋役の山田孝之くん。もうなんというか、いいですよ、いいですね、いいですわ! もう凛々しくってね、凛々しくってね、最高です。でも、もう五年経っちゃったから、育っちゃったんだろうなあ。時間というのは残酷だなあ……。

アコーディオン奏者Cabaによる音楽も素晴らしい、まさにこの数年におけるドラマ界最大のヒットといってもいい『六番目の小夜子』。話よし、役者よし、演出よし、音楽よし。もう私にとっては、けちのつけどころがない名作ですから!