2009年1月12日月曜日

森田さんは無口

 佐野妙は私にとっては『Smileすいーつ』の作者であります。姉と妹の暮らしを描いた漫画、姉が妙に色っぽいことがあって、別にそうしたニュアンスを強調しようだなんて風でもないのに、ドキッとさせられる。あんな素敵な人が上司だったら、どんなにかいいだろう。そういう気持ちになったことは、一度や二度ではありません。さて、私は『Smileすいーつ』ですっかり佐野妙の漫画を気に入ってしまったようで、だから『森田さんは無口』という漫画が出るよと聞いたとき、どんな漫画か知らないけど買い決定だ、そう心に決めた。いわゆる作者買いってやつですね。そして実際に買ってみたのでした。

森田さんは無口、ええ確かに無口であります。けれど、それは本当に無口、しゃべろうとしないのではなく、話そうとするその時に、どう話したらいいか、あるいはこれはいうべきことだろうか、いろいろ考えすぎた挙句に話す機会を逸してしまう。結果無口、寡黙と見られることになってしまい……、そうした森田さんの身の回りに起こることを描いた漫画であるのです。結構これが面白くて、けれどそれは『Smileすいーつ』とは違うタイプの面白さでありました。私はこの作者のまた違ったアプローチを知って、こういうのも悪くないなと思ったのでした。

違うのはアプローチ、私はそういいました。ということは、変らないものがあるということ。それは、人との繋がり、関係性ではないかと思います。森田さんが見る友人たち、そしてクラスメイトの見る森田さん。森田さんの真実を周りの皆は知らない、誤解している。逆もまたしかり。ある種の変わり者である森田さんの見る世界認識は、やはりちょっと独特なんだと思う。しかし、こうしてすれ違い続ける認識、誤解の積み重ねがあると思えば、そうではない、ちゃんとわかっているという関係もあって、例えばそれは森田さんの友人である美樹がそう。そうした関係性の違いに生じる濃淡、わかりわかられ、あるいはともに誤解する。そうした様を、一望できるというところが面白いんじゃないかと思ったりしています。

しかし、この漫画に対する、いやはっきりいおう、森田さんに対する感触は、実に危険な領域にある、そんな風に感じられてしようがありません。危険? ええ、ちょっと危険。先ほども少しいいましたが、私は読者の特権で、森田さんの真実に触れることができる、そんな立場にあります。それはすなわち、多くのものにとっては謎めいた存在である森田さんを、より正しく見つめることができるということであり、誰よりも彼女を理解しているのは私なんだっ、っていう錯覚に陥ることも可能ということです。だから危険。誰にでも好かれる、そんなキャラクターよりも、孤立ぎみのキャラクターにひかれる人には、ある種、訴えるものがあるのではないか。彼女は誤解されている、彼女のよさを知っているのは私だけだ、ゆえに彼女は私がまもるよ! こうしたパターンが確立されている人、そうした要素を受けて狂信的な愛に向かってしまうような人には森田さんは格好の獲物、失礼、ヒロインとなる可能性があります。

けれど、森田さんは特に孤立しているわけでもなく、その無口であるというところも含めて受け入れられている、つまり不幸ではない。いやあ、本当によかった。それは森田さんのためによかった、そして私のためにもよかった。私の狂信をトリガーする最大の要素は不幸です。森田さんには不幸の影はなく、たとえ誤解されて、ムラムラ、じゃないや、イライラするといわれることがあったとしても、そこには険悪といった印象はありません。だから心安らかに読める。そのテイストは、女の子社会におけるふれあい、であるような気がします。女子的コミュニティの雰囲気といったらいいか、それが私には新鮮であるように感じられて、長く女子的コミュニティに暮らしていたんだけどな。私にとって女子とは、なおも謎であり続けているようでありますよ。

さて、余談ですが、冷凍イカの目の森田さん、すごく魅力的でありますが、でもきっと、現実にこういう人がいたらムラムラ、おっと失礼、イライラするような気もするのでありますが、そうした森田さんにはじめはただの興味から、しかしいつしかただの興味ではすまなくなってしまっているような女子、あの眼鏡の娘さんが気になってしかたありません。

あ、それと、これも余談ですが、どうも私も磁石のM極の人間である模様です。あのお母さんも婀娜っぽくて素敵だなあ。

  • 佐野妙『森田さんは無口』第1巻 (バンブー・コミックス MOMO SELECTION) 東京:竹書房,2008年。
  • 以下続刊

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