2007年5月31日木曜日

ひめくらす

  今、改めて1巻から読み直してみると、あんまりにも印象が違っていて驚いてしまいましたよ。今は頭身低めの丸っこい、可愛らしさの前面に出た絵柄の『ひめくらす』ですが、当初はというと、頭身高目、わりあいかっちりと描かれた精悍な感じさえある画面であります。けど違うのは絵柄だけではなくて、そのネタの持って行き方も違うんですね。私はすっかり忘れていましたよ。これ、タイトルが『ひめくらす』なのは女子クラスだったからなんですね。で、その女子クラスに編入された男子苦手の女高生が主人公。元男子校という危険領域において、水野葵は生き残ることができるか!? という漫画です。

いや、でした。ってのはですね、当初こそは男子校設定も強く出されていたし、そして女子クラスの特異性 — 、女子校的空気も描かれて、いわば男子校と女子校を水野葵がいったりきたりするといったような、アップダウン激しいコメディであったのです。ですが、いつの間にか男子代表として直江が押し出されてきて、水野葵への恋心もつのれば、また水野葵の直江への関心もちょこっとずつ現れてきたりして、 — そうなんですよ。今や、運命に翻弄される男女の心模様に胸ときめかして読むような、そんな漫画になっているのです!

って、ちょっとごめん、ちょっと嘘。第2巻刊行現在における状況はというと、水野葵、男子に対する好奇心は持ちつつも苦手意識はなお強く、かろうじて直江だけはコミュニケーションが成立するという感じ。直江においては、水野葵に対する恋心をつのらせたあまり、その一念は尋常の領域を超え超常的センスにまで達しようというのに、驚くほど二人の関係には進歩がないという、そんな感じです。けど、直江の覚醒っぷりもすごいけど、その滑りっぷり、空回りっぷり、報われなさもものすごくて、またその直江に対してクールに突っ込み入れる名前の明かされない友人の視点が、読者のそれに重なって非常によく利いています。

この漫画のベースとなるのは直江と葵の関係だけではないんですが、ともすれば女の子たちの日常に起こるちょっとしたできごとのいろいろを見て、穏やかに楽しむ方向に落ち着いてしまいそうなこの漫画においては、直江とその友人の存在は非常に大きいと感じています。直江はその男性であるということにおいて葵の驚異となり、また超常能力によって積極的に関わってくるものだから、そこに動揺が生まれます。動揺が生まれれば話に動きも出て、女の子側の話、男の子側の話、このちょっと趣を異にする両者が出会うわけですから、その片側だけでは出てこない面白さが生き生きとしてきます。そして、これが一番重要なことだと思うのですが、こうした仕組み、こうした動きはパターンとしてできあがっているのです。ギャグには、単発では弱くとも、パターンとなって畳みかけられることでずっと面白さを増すようなものがあります。『ひめくらす』の直江パターンはまさしくそのタイプ。当初は通りすがりレベルのキャラクターだったらしい直江ですが、よくもここまで育ったものだと、なんだか身内の成長を見るような思いで彼のこと見てしまうのです。

あるいは、憐憫かも知れんけど。いや、だってね、作者がいうのよ。この漫画が続いているうちは、直江の仕合せになる余地はないんだってさ! いや、まあそりゃそうだろうなあ。とりあえず現在の黄金ともいえるパターンにおいて、彼の思いの成就する余地はないような気はします。

蛇足

そば屋の娘、鮎川みなみが魅力的です。クール系で良識あって面倒見よいしっかり者で、女臭さがあんまりないところがなおさらよく、けどわりと乙女っぽいところが見え隠れするのがチャームポイントだと思います。私は断然うどん派だけれど、彼女のためならそば派に乗り換えてもいい。って、冗談冗談。いや、けどどこまで冗談だかはわかりませんな。

蛇足2

第1巻にて高良カコ曰く、

まるで分かってない!

一人水の中を歩きながらうけるがんばれコール… 周回遅れへ容赦なく浴びせられる拍手と声援…

あんな残酷な羞恥プレイが許されていいのか!

そうだ! そうだ!! ほんと、その気持ちわかるよ! ほんま、ほっといてくれ! っていいたくなるよな!

  • 藤凪かおる『ひめくらす』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 藤凪かおる『ひめくらす』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

引用

  • 藤凪かおる『ひめくらす』第1巻 (東京:芳文社,2006年),74頁。

2007年5月30日水曜日

ワンダフルデイズ

  荒井チェリーという人の漫画は、始まった当初こそはあまりぱっとしないという感じがあるのですが、読み続けているうちにすっかり好きになってしまうという、そういうパターンが多いような気がします。絵にしてもネタにしても穏当であるためでしょうか、ことスタートダッシュに関しては不利であるのだけれど、一年読めばその印象はがらっと変わってしまう。『ワンダフルデイズ』なんてまさにそうだものなあ。ヒロインは薄幸の女性、皮肉にもその名前はさちといいます。くじの類いは当たったことがなく、部屋を借りれば幽霊付きといったような、そういう間の悪さ、運の悪さでできているような人です。しかし、この度入居した岡田荘はちょっと違っていた。というのがこの漫画の出だしです。して、なにが違っていたのかといいますと、さっちゃんの入居した部屋には座敷童がついていたのです。

けど、それでめでたしめでたしにならないのは予想のとおり。その座敷童というのがくせもので、座敷童というのにその実ちっとも童でない。すっかり育っちゃってるし、昼間っから酒飲んで、ごろごろして、遊んで、そしてなんといってもその御利益が薄いときた。というようなわけで、さっちゃんはまたなんだか厄介な物件を引き当ててしまったのでした。

というような話かと思っていたのですが、いやあ参りましたね、まさかこの状態からぐいぐいと話が進んでいくとは思っていませんでした。それこそ当初こそは、御利益の薄い座敷童との同居コメディ、しかも他の入居者もおしなべて妖異怪異の類いだし、こりゃどういったどたばた系になるかと思っていたらば、思いのほかのほのぼの人情系。人外の入居者たちも、その存在はさておいても、皆それぞれに常識人ばかりで、むしろ人間の管理人が微妙……、いやいい人なんですけどね、と、こんな風な転倒した価値観の中で、助け合いながら、お世話になりながら、毎日を頑張って暮らしているさっちゃんを応援する漫画です。

と思っていたんです。第1巻時点では。いやあ参りましたね。まさか、この一旦確保された安定的シチュエーションを崩しかねない話の進み方をされるとは思いも寄りませんでした。しかも、これが結構いいんです。ネタバレになるからいいたくない。だからその周辺だけをちょろっというならば、まさかこの微温的漫画に過去のどうこうというのが関わってくるだなんて思いもしなかったし、それにまさかこの漫画の核になってる部分を動かしてまで、状況を変化させるだなんて。第2巻はちょうどその変化の訪れるあたりで終わります。

私はそもそも変化というのが嫌いなんです。昨日と同じように今日が過ぎ、明日もまた同じような日がくることを願っている、そんな一種駄目なところのある人間なのですが、この変化嫌いの私が、『ワンダフルデイズ』の動きに関しては興味津々で、これはもしかしたらこのまま終わっちゃうんじゃないかなんて心配しながらも、先が楽しみで仕方がない。いや、先に対する興味だけではなく、この変化そのものに対する興味、変化を引き起こした登場人物の心の動きへの思いも同じく強く、これはちょっといいですよ。正直、どういう方向に向かうんだろう。おそらくは数ヶ月のうちにはその答の一端は出るのではないかと思っているのですが、それがすごく楽しみであるのです。

私はそもそも荒井チェリーの漫画が好きで、『まんがタイムきらら』を購読するようになったのも、『三者三葉』読みたさででした。そして、多分今連載されている荒井漫画の中では、おそらく『ワンダフルデイズ』を一番楽しみにしていると思います。もちろん『三者三葉』も楽しいし、『ハッピーとれいるず!』も動きが出てきはじめた頃、そのどれも好きなのですが、けれど今は『ワンダフルデイズ』が一番です。そして、もしかしたらその話の展開次第では、私の中での荒井チェリーベストとして確定するんではないかと、そんな予感がしています。

蛇足

長谷川珠季がいいです。クール&ビューティ。そしてちょっと不器用もの。身近にこんな娘がいたら、ちょっとほっとかないですよ。といっちゃうくらい好きです。

  • 荒井チェリー『ワンダフルデイズ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 荒井チェリー『ワンダフルデイズ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

2007年5月29日火曜日

ビジュアル探偵明智クン!!

  思えばこの漫画との出会いが私の阿部川キネコ初遭遇だったんですよね。『まんがタイムオリジナル』だっけ? を買いはじめた、すなわち『ラブリー』だけにとどまらず芳文社刊行の四コマ誌を手広く買うようになった頃の話です。当時すでに絵柄の可愛さを売りにする漫画はあり、またストーリー四コマと呼ばれる、四コマを次々とリレーしていくことでストーリーを紡ぐものも広く認知されていて、けれどそれでも『ビジュアル探偵明智クン!!』は衝撃的でしたね。一目見て、これどうなんだろうと思ったのです。ジャンルは、タイトルからもわかるように探偵もの(?)。美貌の探偵明智が脱いで脱いで脱ぎまくるというのがコンセプト(?)。とにかく衝撃的でした。けど、一度見れば忘れられないインパクトで、ほどなくして『まんがタイムきらら』にて復活したとき、やったと思わず喜びの声をあげたというのも今やもう懐かしい話になってしまいました。

というのも、あれほど皆に愛された『ビジュアル探偵明智クン!!』ですが、すでに連載は終了しているんですね。探偵明智クンの脱衣ギャグに助手山村美々の殴打突っ込みが炸裂する、これを基本形としながら、時事を辛辣に扱い、またさまざまな探偵にミステリないしはマニアックなネタへのシニカルな視線が投射されていることもあり、なんだなんだ危ないネタだなと思うこともあり、こんなこと書いちゃってほんとにいいのかと思うこともあり、けれどそのぎりぎりさが面白かったんですよね。好きでしたよ。

しかし、明智クンの推理はちょっとすごいよ。第2巻買って読んで、意外に時事ネタの風化して思い出せなくなっていることに残念さを感じながらも、しかしまれに強烈なのがあるから度肝抜かれます。年金がもらえないって誰から聞いた?と問い掛ける江角マキコのCMに、明智クンの答えときたら誰からもなにもちょっと考えれば誰にでもわかる推理だよねとくるんですから恐ろしい。だって実際、今、そんな感じなんだもんなあ。この漫画が掲載された当時は、もしかしたらなんて思いながらも、まさかねと笑える余裕もあったけれど、今はそうした危惧が具体的にかたちになって、まあ破綻したわけじゃないとはいえさ、しゃれになりませんわ。ともあれ、明智クンの推理には驚かされました。

けれど、こうした時事ネタはこの漫画の本質ではありません。やっぱり基本はギャグでしょう。明智クンをはじめとする、一癖も二癖もある探偵たち。探偵とは名乗っているけれど、推理とは違う方法で事件に取り組む、というかあんまり真面目に取り組んでいない? そういう無茶でいいかげんな登場人物たちの、その非常識さ、めちゃくちゃさを楽しむ、そういうタイプの漫画です。もちろん探偵がそんな非常識な連中ばかりですから振り回される役目の人もいて、それは助手の山村美々なんですが、けれどこの人は一撃必殺のこぶしで突っ込み入れるもんだから、やっぱりまともじゃないよね。実際、この漫画に出てくるまともな人といったら鬼瓦警部くらいしかいない、多分。ええと、この人、すごく真面目な人なんだけど、それゆえに不憫な人であります。

『ビジュアル探偵明智クン!!』は、人気が衰えない時期に惜しまれながら終了して、その時はずいぶん残念に思ったものでしたが、こうして単行本になってみると、ラストまでテンションの高いまま読むことのできるわけでありまして、だからむしろよかったような気もします。この漫画とナントカの『影ムチャ姫』が終わったことで、きらら誌の一段落もついたのかなと、そんな風にも思います。今『明智クン!!』を読んで、そうかあきららってこんな感じだったっけ、と思った。そう、あの頃のきららはもうなくなって、新しい誌面に切り替わっているのだなあと思いました。終わったのはほんの半年ほど前のことだというのに、すごく昔の漫画のように思えた。意識していなかったけれどそれくらい変わっちまったんだなあと、なんだか妙な感慨にふけっています。

2007年5月28日月曜日

雅さんちの戦闘事情

 後書きにて著者曰く、連載当初はあまり評判よろしくなかったのだそうです。実をいいますと、私も最初はそんなに好きな漫画じゃありませんでした。なんでかといわれると、ダイレクトすぎるエロ表現かなあと思うんですが、まあ一言でいいますとパンツで始まり露出で終わるというような、そういうところを苦手にしていたんです。あともう一点苦手があるとすれば、あの妙に出来過ぎた設定群かなあなんて思うんですが、なんかエヴァンゲリオンを思い出したり、あるいはダイコンフィルムあたり。パロディとかもじりの類いは嫌いじゃないんですが、この人のテイストは自分にはあってないなあと思って、一言でいうと直球すぎたんだと思います。でも、今となっては楽しみに読んでいるというのは例のごとくで、これは著者のいう試行錯誤が功を奏したということなのでしょう。確かに、途中から面白さが増してきて、いつごろだったかなあ、「悪の首魁」から「胎動する闇」のあたりだと思うのですが、『きららキャラット』既刊をひっくり返して頭から読み返しをやっています。その少し前から徐々に高まりつつあった読み返したい欲求が、既刊を引っ張り出す面倒に打ち勝ったのがその時分ということなんだと思います。

それにしても、四コマ漫画らしくない四コマ漫画だと思います。落ちがあるとかないとかではなく、その設定の緻密さに四コマらしくなさが感じられるように思うんですが、マニア臭の強いきらら誌連載の漫画の中でも飛び抜けてマニアっぽさが強いと感じられて、例えばそれは(ほぼ)毎回現れる敵に味方側の変身パワードスーツ、必殺技等々。お約束といえばお約束の数々をこれでもかとこなしていく様、情熱は、様式へのこだわりというにはあまりにも異質と私には感じられて、四コマらしくないなあ、むしろストーリー漫画みたいな印象がある、いや四コマ漫画では持て余しちゃうんじゃないかなと思ったりしていました。

けど、途中から持て余してしまう部分は持て余したままギャグとして処理してしまったり、お約束として成立しているパターンを搦め手で使ってきたりと、当初思っていたよりも多様な見せ方が出てきて、このへんからこの漫画の面白さ、楽しみ方がわかってきたような気がします。お決まりのパターンを外すうまさといえば『火星ロボ大決戦!』が思い出されますけど、『雅さんちの戦闘事情』は『火星ロボ』とは違った外し方があって、またどちらもエロ方面に振れやすいところがありますが、やっぱり『雅さん』は『火星ロボ』とは違った表現があって、それぞれにそれぞれの楽しみ方があると感じています。

私にとって『雅さん』が面白いと感じられるようになってきたのは、父そして妹月子らに振り回されるばかりだった花子が、だんだんと対等に対処できるになってきてからでした。最初は、なんだ花子ばっかりひどい目に遭わされて! みたいな風に思っていたんですが、父に対しては容赦なく殴打するようになるし、妹に対しても弱みを見付けてみたいな、そういうところが出てくる。いや、逆か。父や妹の花子に対する万能性が薄れて、弱みが描かれるようになったことで、キャラクターの幅が広がって親しみやすくなったのだと思います。特に月子。姉には冷酷、父にはデレだったはずの月子が、姉たちにからかわれて余裕なくしてみたり、好きなアニメのためには目的を見失ってみたり。花子の友達たちも、ベタをあえてベタとして持ってきたようなキャラクターだけど、ベタに徹することでただベタというだけではない面白さが出ていて、こうしたキャラクターの面白さ、わいわいとやってる楽しさが私は好きです。あと、あからさまな父の変態性。どうも私は、ダイレクトな露出は苦手だけど、変質者的言動は楽しめるたちのようですよ。

変身ヒロインものという見かけが強い漫画ですが、読んでみると思いのほかほのぼの(?)家族ものであったりするところ、こういう意外性が悪くないと思います。それに、なんだか読んでるうちに、花子も月子もかなたも由香理も可愛く思えてくるんですよね。そうしたキャラクターがごちゃごちゃやってるだけで楽しくて仕方なくて、その傾向は連載を追っている今、なお一層強まっているように感じます。だから、2巻以降も出てくれないことには困ります。

蛇足

月子、一択です。というか、この漫画、月子フォーカスがあまりに多すぎませんか? それとも私が偏向しているせいで、そう感じるだけなのか。ともあれ、月子が一番だと思います。ほんと、ベタで申し訳ない。

おまけ

The doll "Kuidaore"

くいだおれ

  • 鬼八頭かかし『雅さんちの戦闘事情』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

引用

2007年5月27日日曜日

Rose, taken with GR DIGITAL

Secret gardenRicoh GR Blogのトラックバック企画、五月度のお題は香りでありました。香り……。これまた抽象的というか、非常に難しいテーマで、正直私は今回は棄権しようかと思いました。だってこういうの苦手なんだもの。なんていってても始まらないから、なんとかお題に添うような写真を撮ろうと思いまして、で結局花に落ち着くんですよね。香りといわれて花というのも直球過ぎる気がして、できれば避けたかったのですが、他のがなにも思いつかなかったんだから仕方がない。けど花といっても簡単ではなくて、私は花見付ければ写真を撮ってるような人間ですが、うまく撮れた! と思うようなことはまあほとんどなくって、こりゃなんなんでしょうね。と、ひとしきり言い分けじみたこといいながら、トラックバック企画「香り」に参加したいと思います。

今日、日中ギターを弾いていましたらば、庭に咲く薔薇に光が差しているのが見えまして、そうだ写真撮っておこうと思ったのです。この時点ではトラックバック企画のことはまったく忘れていて、それよりも室内から見た薔薇の印象をなんとかうまく撮れないものだろうかということに掛かり切りであったのですが、しかし難しいですよ。ああ美しいなと思った、その気分というのは写真にはなかなか出せないものです。それをやろうとすれば、自分の感じた美しさを被写体の上に再構築するほかないのかなと思ったりするのですが、それができない、わからない。多分写真のうまい人というのは、こうしたことを自然にできる人なのかなと思います。

というわけで、写真:

Rose

咲きかけたところなのか、小さな薔薇がかわいらしいと感じたものだから撮ったものです。もうそれはもう単純に、寄って撮った。ごちゃごちゃと考えてしまいがちな私には、こうしたシンプルな態度というのが必要なのかも知れません。はっと気付く、寄る、撮る、みたいな、そういうシンプルさ。まず気付くところからはじまる。日々感性のチャンネルを開けるようにつとめたいものだと思いました。

P.S.

冒頭の写真、あれはうちの庭じゃありません。宝塚のガーデンフィールズ、植物園で撮った写真です。

2007年5月26日土曜日

ドリームハンター麗夢

 昨年、『ドリームハンター麗夢』のDVD-BOXが出るんだってよ! というニュースに小躍りしつつも、買うか買わないかで迷ったなんてことがありました。まあ結局買ったんですけど、買って、届いて、見て、よかった。中学生の時分だったかなあ、よみうりテレビが春夏冬の休み期間にやっていた『アニメ大好き』という番組でこのアニメに出会い、なんでか知らんけど忘れられなくなってしまった。ビデオ録っときゃよかったよなんて悔やんだのが、こうしてDVDで見られるようになって、こんなに嬉しいことはありませんでした。でですね、DVD-BOXが売れたら残りの『麗夢』もDVD化されるかもなんて期待もあって、おそらくファン連中は皆その日を心待ちにしていたんだろうと思うんですが、そう、ついにDVD-BOXの2巻が発売されたのですよ。うちには今週中ごろに届きましてね、見たい見たいと週末のくるのを心待ちにしておりました。

BOX2に収録されたものは、『新ドリームハンター麗夢』と銘打ってリリースされた二本、『夢の騎士達』、『殺戮の夢幻迷宮』です。これらは私にとっては初見となるものですから、一体どういうものなのだろうと楽しみで楽しみで、当初は土日に分けてみるつもりでいたのですが、思わずぶっ続けで見てしまいました。

ストーリーとしてはシンプルで、けれん味も少なく、やけにおとなしいと感じられる『夢の騎士達』。舞台をヨーロッパに移し、けれどレギュラーメンバー勢ぞろいしての大活劇が楽しい『殺戮の夢幻迷宮』。私の好みとしては『殺戮の夢幻迷宮』かな。『夢の騎士達』はちょっとシンプルすぎて、活劇としては楽しめるのですが、ドラマとしてはちょっと食い足りません。けれど、これは『麗夢』全般にいえることかも知れず、だってストーリーを楽しむにはちょっと粗が多いといわざるを得ないものですから。法もへったくれもなく拳銃ぶっ放す警部がいたり、女学校が治外法権並に強固に守られていたり、だってそもそも麗夢にしても、リボルバー持ち歩いてるのはまだしも、愛車にはミサイルランチャーが装備されているなど、あまりにあまりの重装備っぷり。これを見てまゆひそめるのは野暮ってなもんです。おいおいなんだそりゃと突っ込みながらも楽しむ、これが『麗夢』とのつきあい方だと思います。

という風に考えたら、『夢の騎士達』には突っ込みどころが少なすぎたんだと思います。ストーリーはよくあるパターンといえばパターン。けれど『ドリームハンター麗夢』のパターンからはずいぶんとはずれて、現実世界における麗夢の活躍はなくてですね、だからアクションは夢の中に限られているんです。あ、突っ込みどころはあったわ。麗夢を取り巻く男連中の無茶っぷり。相も変わらず法もへったくれもない無茶やってくれて、面白いんですが、けどちょっと小粒かなあ。みたいな印象で、だから見せ場は夢の中での大立ち回り、ここですね。

反対に、設定にぷんぷんとあふれるけれん味含めて、楽しめる箇所が多いのが『殺戮の夢幻迷宮』でした。第1巻(『惨夢、甦る死神博士』)からの因縁がここにきて再び息を吹き返して、しかもその被害の範囲といったらシリーズ中屈指といってもいいくらい。突っ込みどころは相変わらずあるけど、けれどそれはさっきもいったようにこのアニメの楽しみどころでもあるわけで、充分に満足して見終えることができました。ただ、ちょっと切ない話かもね。確かにああいう決着の付け方が話の流れからすると自然で、しっくりとはいってるんだけど、こういうのには結構弱いのですよ、私は。弱いといいながら嫌いではないのですが、だからまた今度余裕を見て見直してみたいと思います。

さて、DVD-BOX2はこれだけで終わりではありません。特典盤と銘打たれた三枚目には過去にリリースされたCDドラマが四本収録されていて、加えて『怪奇 黒死城殺人事件』も収録されています。とはいえ、権利の関係上カットされていたり、また『黒死城殺人事件』は音声が収録されてないなど、ちょっと残念といわざるを得ないところもあって、けれどこれらは特典なんだから、文句をいっちゃいけないと思います。だって、こういうの、普通なら収録されなくて当然のものばかりです。それがこうしてまとまって、聞いて、見ることができるだけでもありがたいといわねばならないと思います。

そして、もう一点。漫画がついてきます。大塚あきら『ドリームハンター麗夢』。ページ数にして192ページ。充実の単行本ではありませんか。これにしても普通ならDVD-BOXには収録されないような特典で、こういうところを見ても、スタッフはファンにできるだけのものを届けたいと骨折ってくださったのではないかと思うのです。実際はどうかわかりません。けれど、十年以上も前のアニメの、関連する諸作品をできるだけ多く収録しようとしたことはBOXの構成からも感じられて、本当にありがたいことだと思います。

VHS

CD

書籍

2007年5月25日金曜日

CLOVER

 先日、偶然その発売されることを知ったDVD、『CLOVER』を発送しましたよというメールが昨日入って、私は今日が楽しみでなりませんでした。帰ってくれば確かに到着していて、最近の物流はすごいなあ、じゃなくて、数年を待ってようやく『CLOVER』を見られるということがどんなに嬉しいことであるか。以前にもいいましたが、この映像は劇場公開された『カードキャプターさくら』の併映作でした。時間にして五分程度のショートショートムービーで、これはパッケージ化されないんじゃないかという心配があったので、目に、脳裏に焼き付けるような思いで見たものでした。けれど、それでも結構忘れているものなのですね。私が見て覚えていたつもりだったものと、今日届いたDVDの映像は食い違いを見せて、それはおそらく、私の漫画『CLOVER』に対する思いが映像を増幅させてしまっていたということなのでしょう。

私の記憶にある『CLOVER』はもっと濃密な印象があって、いやDVDに見た映像が散漫だといいたいわけじゃありません。そもそも五分というストーリーを展開するにはあまりに短すぎる時間で、原作のすべてを語るには無理があります。だから、原作のビジュアルが持つ印象を駆使し、エッセンスをうまく取り出して、物語るのではなく見せることに徹した。そしてそれは成功していると思います。その思いは今でも変わらず同じで、けれど私の中では、あの遊園地のシーンが知らない間に肥大していて、あの伸ばされた手の触れようとするシーン、そしてスウの和彦の名を呼びかける場面、すごく印象に残っている。そしてその印象の強烈さというのは、私の原作に入れ込んだ分だけ深まったんだと思うんですね。

今、私は『CLOVER』原作からは離れて、その筋も、雰囲気もおぼろげながらにしか思い出せません。悲しいけれど、七年の歳月というのはそういうことなんだろうなと思います。単行本は大切に保管していて、あの本の塔の立ち並ぶ部屋、どこにあるかすぐにわかる。いつでも読める。けど、大切に思ってるからいつでも読みたくはない。そんな感じで、特別に保管されているといっていい漫画です。

だけど記憶が薄れて、だから映像の持つ象徴性やなにかが伝わりづらく、なんかダイジェストみたい、あるいは映画の予告編みたいという風に感じられて、私にはそれがショックでした。思い出します。当時一緒に劇場にいった友人二人が、『CLOVER』には笑いそうになってしまったなんて不謹慎なこといいましてね、なにいってやがるんだ、素晴らしかったじゃないか、って私一人抗弁していたんですが、やっぱり原作読んでないと、原作にはまってないと伝わらんのだと思いました。あの時、劇場で、どれくらいの人が『CLOVER』に感情移入できたろう。もしかしたら、あの劇場、あの公開で感動していたのは私一人だったかも知れない。けれど、それでも私はよかったと思う。周囲とは隔絶していたとしても、私はあの映像に繋がることができたのだと思えれば、そうした孤独感はすべて帳消し。あるいは、そうした孤独感を共有できること自体が、この映像のファンとして特権的であるのかも知れません。

映像を見て、二度見て、その雰囲気にやっぱりいいなと思いながら、私は近々再び原作を読むだろうと予想します。実をいうと、スウのデザインに関しては、原作の方がずっと好きなのです。そして原作を読み、浸ってみて、もう一度映像に戻ってくるだろうと、そういう予感がしています。

2007年5月24日木曜日

BOY

  山下和美の『天才柳沢教授の生活』、新刊が出ていたので買い求めましたところ、カバー折り返しにちょっとショックなことが書かれておりました。ほかならぬ柳沢教授のモデルであった作者山下和美のお父上が逝去なされたとのこと。もちろん私なんかは面識もなにもないものでありますから、特になに思うものでもないはずの立場であるのですが、けれど山下和美の漫画を通じて、わずかながらでもかかわりを持って、しかも親しみを感じていた人が亡くなられたというのは、多少なりともショックでありました。漫画の中では時間の経つことなく同じ時期をぐるぐると旋回しているようであったけれど、現実はそうもいかず、喜びも悲しみも、愛しい人もなにもかもがだくだくと流れる時間に押し流されていくばかりであるのですね。

柳沢教授で語ろうと思ったのですが、ここはあえて『BOY』を取り上げたいと思いました。マーガレット時代の作品、今から二十年ほど前の漫画です。主人公は二人、親の離婚再婚がきっかけになって再び暮らすことになった姉弟の話。その姉の一人は双子。双子の姉弟が、お互いに自分自身を映し、あるいは反発しあいながら自分の位置を見つけ出そうともがく。そういう物語なんだと思います。

なぜ、柳沢教授でなく『BOY』なのか。この漫画に出てくる父が、おそらくは柳沢教授以前に描かれた作者の父の姿であると思うからです。見ればわかります。杓子定規ともいえる、少しばかり、いや、結構? 世間離れした父親が描かれて、そしてその風貌も、柳沢教授以前に描かれた父の像であるということを物語っています。けれど、この人は柳沢教授みたいな人格者としては描かれない。破綻者とはいわないけれど、世間の求めるモラルから逸脱した父を責める目が家族の中に潜んでいる。その父への非難は息子、すなわち主人公にも向けられ、そうした女性という性のはらむセンシティブな傾向が、男性という性に向かって鋭く突き刺さるような、そういう描写もある漫画なのです。

けれど、それが一面的に終わらないのがやっぱり山下和美なんだと思うのです。主人公真太郎は親に反発し、かといえば双子の姉紀子も同様で、押さえきれない情動に突き動かされるようにもがきます。そう、この漫画の登場人物には情動が強く働き掛けて、時にその情動が理性を押しやぶってしまう。そしてそれは父においても同じであったのでしょう。モラリストである父。曲がったことの嫌いなはずの父が、それでも情動に突き動かされた。いや、それは情動と単純化できるようなものではなかった(と父はいう)。むしろ情動ではなかったところがまずかった。迷いでなく衝動でもなく、けれど規範的でもなかった、そうした、人が扱いきれない人の感情というものを描かせれば山下和美は白眉です。そして私たちは、この二十年前に描かれた漫画を読んで、その時点ですでに山下和美は自分の描くべきドラマを知っていたのだと気付くのです。

『BOY』のラストは素晴らしく美しく仕上がって、それはご都合主義なんかじゃない。人間が自分自身を飲み込み、乗り越えた先にたどり着いた、そうしたラストであるということを力強く物語っています。そしてそのラストに向かう途上の奮闘、おそらくは作者の身にも吹いた嵐であったのではないかと思っています。考えすぎかも知れない。けどそう思えてならない。それくらいに、この漫画の登場人物たちはリアルで、生き生きと、あるいは生々しく息づいています。そしてそれゆえに、この漫画を読む私は、しようのないほどに引きつけられてしまう — 、のだと思います。

  • 山下和美『BOY』第1巻 (集英社文庫) 東京:集英社,1999年。
  • 山下和美『BOY』第2巻 (集英社文庫) 東京:集英社,1999年。
  • 山下和美『BOY』第1巻 (マーガレットコミックス) 東京:集英社,1984年。
  • 山下和美『BOY』第2巻 (マーガレットコミックス) 東京:集英社,1984年。

2007年5月23日水曜日

Real Clothes

 パティスリーMON』の新刊が出ているのを発見して、いそいそと寄ってみれば槙村さとるの『Real Clothes』という本も出ている。こちらを見据える視線が強い女性が表紙で、私の表紙買い傾向を見てみると、こうした真っ正面から見据える女性に非常に弱いということがわかっていて、だからちょっとぐらっときましたね。でも一旦は踏みとどまりました。今やもう『You』を購読していない私にはこれがどういう話かわかりません。けれど槙村さとるならはずれはないだろうとも思っている。なので、結局は買うんですね。よくあるケースですが、書店の新刊の棚から消えないうちに購入してしまったのでした。

内容をざっくり説明すると、百貨店勤務の女性が思いもかけず花形部署に異動することになってしまった。それは婦人服売り場。いわば百貨店の最前線ともいえる売り場に、戸惑いながらもまっすぐに取り組み、変わっていく主人公……。という、王道ともいえるパターンです。でもって、私は王道パターンが結構嫌いじゃないんです。だから、この漫画も面白かったなあ、というかこれからがいよいよ面白くなりそうだという場面で1巻の終わり、2巻に続く。これは2巻の発売が待ち遠しいわあということであります。

私がこの漫画読んでいいなあと思ったのは、ヒロインとそれを取り巻く環境の描き方でありまして、自分の仕事に対して誇りを持って取り組んでいる女性たちが凛として格好良く、読んでいてすがすがしい。やっぱりレディーズコミックはこうあって欲しいな、なんて思って、だってさ私が『You』の購読をやめたのはさ、こうしたしゃんとしたヒロインの出てくる漫画が減ってきたからなんですよ。なんか平凡な、特にこれといって取り柄もないような女が、イケメン、セレブに見初められてみたいな、はあ? なにその依存心まるだしのプロット、みたいなんを見てはがっかりしてた。正直、そういうのはティーンのうちに卒業していただきたい、だなんて思いましてね、だから『Real Clothes』は大層気に入って、そしてもっと気に入るだろうという予感がひしひしとする引きがありました。

ちょっと話はそれるけど、こういう漫画がまた出てきたの見ると、実際景気は上向いてきてるのかなという気にもなれます。相も変わらず景気の動向を肌で感じることのできない環境にある私ではありますが、思えば私の好きだったレディコミを見ると、先の好景気に連載されていたものが多かったように思うんですね。今から見たら馬鹿みたいなのもあるんですけど、凛として生きよう、自ら輝こうというヒロインが描かれるのは、やっぱり景気の良い時期に増えるんでしょうかね。また、こりゃちょっとないだろうなんて思ってしまうような絢爛豪華カリスマ群なんて見てみても、そんな気がするんです。カリスマたちの言い分にしても実にそんな感じで、まあ一利あるんだけど、実際はああいうのちょっと鼻持ちならん類いだからなあ。漫画だし、こういう豪華絢爛があるのもいいとは思うけど、あのへんはちょっと好みじゃないかもって感じ。どうも反発を感じるみたいですよ。

さて、『Real Clothes』第2巻は来月発売である模様です。『パティスリーMON』の時にも思ったけど、最近のユー・コミックスでは1巻2巻を続けて出す戦略をとってるんでしょうかね。いずれにしても、すぐ読めるというのは読者としては大歓迎であります。

  • 槙村さとる『Real Clothes』第1巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社.2007年。
  • 槙村さとる『Real Clothes』第2巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社.2007年。
  • 以下続刊

2007年5月22日火曜日

ワンス・アポン・ア・タイム

最近つきあいのある高校生と今日偶然ばったり出会って話なぞしたのですが、そいつはですね音楽を生業にしたいなどと考えていて、それで進路を音楽大学になんていっているんです。正直、おすすめしないんですが、できれば避けるべき、一般大学にいきながらぼちぼちやればいいじゃん、趣味で、なんて思うんですが、というかその旨本人にもいっているんですが、それでもやっぱり音楽をやりたいだなんていうんです。いやね、もう俺には音楽しかないんですよ! なんていって実際目の色変えて音楽に取り組んでるとかだったら別なんですが、どうも見てるとそんな感じじゃないんです。なんか音楽をというか世の中を甘く考えてるなあみたいな風で、ほら高額所得者を見るとミュージシャンがいたりしますでしょ、ああいうのになりたいっていうんです。作曲して、作品を提供して、プロデュースなんかしたりもして、それでお金持ちになって、みたいなこと思ってるみたいですが、 — 正直その夢は破れるだろうなという予感で一杯です。

でも、高校生くらいって馬鹿なんですよね。私だってそうだったもの。私は演奏家になりたくて音楽方面に進路をとったのですが、それで今なにやってるのといわれると、ほんとなにやってるんでしょうね。ギターは弾いてるし歌も歌ってるけど、そのどちらも高校時分の私が志したものではなくて、ほんと迷い道くねくねの人生。高校生の頃はサクソフォン奏者になりたかったのです。でも私なんかじゃ無理だろうなって思ってて、ところが高校吹奏楽部に教えにきて貰ったトランペットの学生が、なんかすごくいいかげんな感じで芸大(大阪ね。まかり間違っても東京じゃないよ)に入ったなんて話を聞かせてくれて、そうかあもしかしたら今からでも間に合うのかも知れないと思った。それが高二の冬。しかしね、よく入れたもんだと思いますよ。たいした学校じゃなかったとはいってもさ、あんな後手後手の受験で潜り込むことができて、けど私の場合そこまででした。

大学に入ったら、なんとか道ができるのかなみたいな漠然とした甘い考えがあって、今の自分から見ると、そんなわけないじゃん、なにゆうとんの、ってなもんなんですが、ほら高校生って馬鹿だから。特に私は馬鹿だったなあ。で、今のこのていたらく。まあ後悔はしてませんけどさ、けれどこれからの未来ある若者に自分のような無軌道人生を歩ませたいとはちと思いません。

さて、件の高校生の話を聞いていてちょっと昔を思い出したのです。彼のアイドルはどうやらコブクロであるようなのですが、私のアイドルは誰だったろう。そして思い当たったのが須川展也でした。私が高校生だった時分にデビューした演奏家で、私の楽器の選定者がこの人。楽器を買ったらサイン入りCDが付いてくるという話で、それが『ワンス・アポン・ア・タイム』でした。

サクソフォンソロのライトクラシックといったらいいんじゃないかと思います。冒頭はグリーグの叙情小品集から三曲。美しい愛らしい小品で、聴きやすく、高校生の私には非常によかったと思うな。実際私は楽譜を買ったり、あるいは耳で聴いて覚えたりして、いくつかを練習して、いつかこの人みたいになれたらいいなあ、と思っていました。CDとか出せたらいいなあ、なんて思っていて、けれど今となってはまあなんと無謀なことをなんて思うんですけどね。インターネットがあったわけでなく、CD-Rにしろプレスにしろ、個人で安価にCDをリリースできるような時代じゃありませんでした。だからこそこれらは夢であったんだと思いますけど、でも件の高校生に比べるとなんとささやかな夢なんだろうなとも思います。

その後私はサクソフォンから離れ、まずは自分の技術のなさが原因で転科、そしてその後いろいろ思うところがあって決定的に離れたんですが、まあサクソフォン自体を嫌いになったとかじゃありませんよ。むしろたくさんある楽器の中のひとつとしてサクソフォンを捉えるようになったというのが正しいと思います。そうして見ると、サクソフォンという項でしか音楽を捉えられていなかった私は、視野が狭かった。サクソフォンを抜けても吹奏楽という枠があり、それを抜けても標題音楽という枠があり、まあそれらが悪いとはいわないんですが、けれど音楽はそれだけじゃないんだなと、そんな風に私は変わって、だから高校短大時分にあれほど聴いたサクソフォンのCDも、次第に聴かなくなって、実際iPodを入手し、所有する音楽をシャッフルで聴くようになるまで、それらは忘れられていました。

『ワンス・アポン・ア・タイム』は今から聴くとずいぶんと若い演奏で、けれどそのストレートな表現、てらうでなくこびるでもない、真摯なふうが聴き取れる感じは決して嫌いじゃないと思います。先ほどもいったグリーグの『叙情小品集』とかは今聴いてもいいと思いますし。今はあえてこのCDをアルバムで聴こうとは思わないけれど、稀にシャッフルで現れてくるのを聴いて、懐かしさだけでなく、その音楽に耳を傾けようということもあるのです。まあ、これが自分の青春だったのかなって、そんな風に思うわけでもありませんけれども!

2007年5月21日月曜日

らぶデス ~Realtime Lovers~

 昨日、エロを期待して買ってみたら思ったほどじゃなくてがっかりという経験は誰しもあるだなんていっていましたが、じゃあ私はどうなのかといいますと、やっぱりあります。『ぱにぽに』の登場人物に似ているキャラがいるといって紹介されたゲーム、『らぶデス』なんですが、これがまさしくそれ。このゲーム、ポリゴンで描画されるキャラクターを売りにしていまして、実際その技術はたいしたもんだと思うんです。ですが技術への興味がまさってというか、あらぬ方向へ全力投球しているようなところがありまして、正直私はたまげました。なに考えてるかわからないんです。いや、面白かったですよ、いろんな意味で……。とにかくいろいろやってみようというチャレンジ精神がひしひしと肌に感じられるようなゲームでして、そういうアグレッシブなところ、私は大好きです。けど、これその方面を期待すると思いっきり肩透かしすること請け合いというか、いやいや結論は急ぎますまい。

 私がポリゴンはすごい! と思ったのは、ナムコの『ソウルエッジ』を遊んだときだったんですが、ソフィーティアだったかなあ、こりゃすごいと心の底から思って、知人にあれはすごいね! といったら、そうだろうと返されました。できておる喃、というか、類は友を呼んでいるだけか。ともあれ、ポリゴンを用いたゲームの出始めた頃には、あのかくかくのキャラクターに萌えるなんてことはあり得ないなんて思ったりしたもので、それでもいくつかのパイオニアたちが新たな地平を開こうとポリゴンによるギャルゲーを作っていて、でもなあ、ありゃ駄目だよ、最初はみんなそう思ったものでした。

けれど技術の進歩はすごいです。日本人の二次元嗜好を満足させるためにトゥーンシェーディングという技術がポリゴンキャラをスムーズなアニメタッチに描き換えて、いやそもそもトゥーンシェーディングがなくたって充分に魅力的なポリゴンキャラは出現しているわけで、いやあ本当に技術というのはすごい。私にとっての衝撃は、やっぱりナムコ、『ソウルキャリバー』でして、ゲーム店店頭のドリームキャスト試遊台にてシャンファを見たときには、ゲーム機の表現はここまできたのか! と驚愕も驚愕、ぶったまげました。

 で、その後ナムコはポリゴンキャラを用いたゲーム『ゆめりあ』をリリースし、熱烈なファンに迎えられたとかどうとか。この辺の状況については『まろまゆ』で知った口なのでよく知らずにいるのですが、けどその後『ゆめりあベンチ』をダウンロード、ベンチマークとるだけでなくその体験版もちょこっと見てみて、「なのだーなのだーなのなのだー」という台詞が出たところでリタイア。これはどうも私には向かないゲームであるなと思ったので、手を出すことは今後もないと思います。

さて、なぜ『ゆめりあベンチ』に手を出したのか。これは単純な話で、委員長似のキャラがいるといって紹介された『らぶデス』が私の持っているPCで動くかどうか不安だったから、こうした3D系のベンチマークソフトで試してみようと思ったのです。結論からいいますと、動きました。うちのコンピュータは結構ハイスペックだったのだな、なんて思ってますが、それ以上の環境を知らないからそう思っているだけかも知れません。ですが、少なくとも『らぶデス』遊ぶには充分でした。360度のパノラマ背景を背に立つポリゴンキャラクター。一般にいうギャルゲーの立ち絵がポリゴンキャラによって表現されることで、動きを見せます。けれどこのゲームの真価は、いわゆるイベントCGにあたるところのシーンであると思うのですが、例えば喫茶店でのシーン。一枚絵を意識した構図、ヒロインがメニューのページをめくります。これがおおっと思わせるに充分なインパクトで、実は私はこのシーンが一番のお気に入りです。

でもさ、こうした小シーンが見せ場になってるのは正直どうかと思ったりもして、っていうのはやっぱりこれは18禁のゲームなんだから、そうしたシーンはもちろんあるわけで、けどありゃあギャグですよ。なんというか、今回これを書くために検索してみたらおんなじことをいってる人がいたんですが、爆笑ものなのです。努力の方向がおかしい。アクロバチックすぎる。というか、あほすぎる。けどこのブランドのファンというのは、こうしたあほなところが気に入ってるんじゃないかなあ、多分。絵が魅力的でさえあれば、そこそこのシナリオ、そこそこのシステムで作って売れるこうしたゲームを、あえてオーバースペックともいえる仕様でもって実現。けど、このオーバースペックであるところに注力しすぎて、本来の目的見失ってるよね。けど、それもまたよしかもと思わせる、潔いほどのばかっぷりがすがすがしいです。

シナリオについて少々。残念なのは、あちこちに伏線とかギャグとかを用意しているんだけど、そうしたものがほとんど消化されずに流れされてしまっているところであると思います。ヒロイン奈々美の連れているぬいぐるみこゆうざあたりの扱いとか、微妙にネタの仕掛けを匂わせて、けどそうしたネタはほとんど触れられることもなくスルー。いや、一応本来の伏線として機能はするんだけど、だとしたらあの一連のネタはどうよってな感じもして、でも奈々美がこゆうざと話すシーンは馬鹿馬鹿しくも結構好きです。

シナリオについてもうちょっと。こうしたゲームはどうしても感動作に持っていこうとする傾向がありますが、『らぶデス』においても同様で、(ほぼ)すべてのヒロインがどこかに暗い影を抱えているのはいいとしても、特定のキャラクターにそのしわ寄せが向けられるというのはどうなんだろうってなもんで、ネタバレになるから詳しくは書かないけど、こっちのキャラを救う方向にいくとあの娘が不幸になる、そっちのキャラに向かってもやっぱり不幸になる、ってなにこの八方塞がり、ってな感じになって、なんかすごーく悲しい感じになってしまいます。以前、知人が女性向けの恋愛シミュレーションやってるときの話をしてくれたのですが、全キャラクリアする際に自分のひいきキャラに冷たいそぶりをとらねばならないのが辛すぎる。けれどフルコンプのためなのだ、ごめんよごめんよと心の中でわびながらあえてつれなくするその悲しさよ、みたいに嘆いてました。私にとっては『らぶデス』がまさにそれで、件の不幸しわよせキャラに対して、ごめんよごめんよ、すまないねと心の奥で申し訳なく思いながら全キャラクリアした。つうか、他のキャラを選ぶことでそのキャラが不幸的シチュエーションから抜け出せないってんじゃなくて、むしろ積極的により不幸な方向に押しやられるみたいな? ほんと、逃げ場なし! って感じ。つらすぎです。

でも、買って後悔はしていません。プレイして、特にオープニング、エンディングの歌がお気に入りで、あのどこかセンシブルな歌声聴くと思わず胸に迫るものがありますね。ほいでオープニング。これも誰かの受け売りなんだけど、あのオープニングのクオリティで全編が進行したら、このゲームは強烈な名作と化したかも知れない、なんて思います。とにかくアクションがかっこいい。だから、私はこれが18禁とかじゃなく、ポリゴンを用いてリアルタイムに描画されるアニメ作品的な展開をしてくれたりしたら、きっともっと嬉しかったんじゃないかと思います。

ああ、最後にもう一言。主人公の造形はひどい。人物がひどいんじゃなくて、ポリゴンキャラがひどい。あれはちょっとあんまりですぜ。あの死人ライクな顔を見るとげんなりして、ただでさえ作業臭のする一連のシーン、ぱっぱか飛ばしてしまいます。ほんと、それくらいひどい、次回作が用意されてる? かどうかは微妙にわからんのですが、次回作が出るんだったらこのへん考慮していただけますと助かります。

引用

2007年5月20日日曜日

女の子は特別教

 エロを期待して買ってみたら思ったほどじゃなくてがっかりという経験は誰しもあると思うのですが、またその逆に、エロを期待せずに買ったらエロでびっくりということもあるのではないかと思います。私にとっては『女の子は特別教』がちょうどそんな感じで、書店の新刊の棚にこれを見付けて、かわいらしい表紙に興味を引かれ、作者についても内容についてもまったく知識のないまま買ってみて、まあびっくりした。なんといいますか、有り体にいえばエロだったってことなんですが、だってこれがもともと成年指定で売られてた漫画だなんて知りませんでしたよ。でも、仮にこれが成年指定と知っていて買ったのだったら、思っていたほどでなくてがっかりコースなんじゃないかと思います。エロは確かにエロなんだけれどエロ一辺倒でなく、けれど決してこれを非エロとはいってはいけないというような、そういう中間的な立ち位置にある漫画であると思います。

 読んでみての感想。もしこれがエロなら、読んでいる人に対してちょっとチャレンジしているようなネタが多いのが面白いところかなと思いまして、エロなら余韻こそが重要なんであって、ああした落ちはいらないかなって、しかも辛辣な落ちならなおさらだろうと思うのです。だってさ、笑っちゃうからね。そうきたか、みたいな落ちにやられたのは巻頭作の「動力の姫」、続く「マイナスガール」も多少そんな感じかも知れません。でも、残るはそれほどに強い落ちではなく、どちらかといえば余韻落ち。けど、その余韻がエロ方面にではなく、ネガティブな気質に落ちるものも多くて、こうしたちょっとした陰鬱なトーンというはこの作者の持ち味なんでしょうか。基本的に煮えきらず、行き着くこともなく、そうしたサスペンド状況において終わる物語に暗い影が落ちて、人によってはたまらなくいいと感じるのでしょう。けれど、人によってはたまらなく駄目ということにもなりそうな、そういう両極端な評価を受けそうな漫画だと思います。

私は、すべてがいいとは思わなかったけど、「カントリーロード」みたいなのはよかったです。叙情性といったらいいのか、夏の気だるさというか、過ぎ去る時間への視線みたいのが効いている漫画だと思います。またこれとは違う傾向なんだけれど「かわいい家族」あたりはわりと辛辣で好きな落ち、「好きになったひと」はちょっと思わせぶりなラストで、そうした思わせぶりは結構嫌いじゃなく、だからベクトルがあえばはまるのかも知れない、そんな作風です。

さて、表題作。「女の子は特別教」ですが、これ一体どういう意味かと思っていたら、女の子は特別ということを教義とする宗教じみた考えを指してのことなんですね。そうした意図を知って、改めて面白いタイトルだなあと思いました。でも内容は結構ネガティブ。けどネガティブにはまる一方ではなく、浮上する機会、ネガティブがポジティブに転倒する瞬間も用意されていて、そのネガティブが現れるシーケンスも好きなら、ポジティブに転換するコマもはっとさせるような印象にあふれていて、好きな話のひとつです。

けど、シリアス話かと思ったら最後に落ちがついて、いや、この落ちは結構好き。ポジティブが間違った方向に向かったってな落ちなんですが、もともとヒロインは間違った方向に向かいがちの不思議ちゃんだったから、これはこれで説得力があっていいよ。でもなにが一番いいといってもヒロインの造形だったりするから私は駄目なんだ。眼鏡。美少女。完璧じゃん。第一コマは最終落ちへの伏線になってるみたいなんですが、その両コマに現れるヒロイン西村、最高です。かわいいとは故あっていわないけれど、最高であると思います。

  • タカハシマコ『女の子は特別教』(DNAコミックス) 東京:一迅社,2006年。
  • タカハシマコ『女の子は特別教』(ホットミルクコミックスEX) 東京:コアマガジン,2002年。

2007年5月19日土曜日

ZOOM H4

昨日、持ち運びできるオーディオレコーダーを買うとしたらM-AUDIOのMicroTrack 24/96あたりがいいんじゃないかなというよなことを書いたら、yujirocketsさんがZOOMのH4がいいんではなかろうかという記事を書いてくださった。で、リンク先を見てみて、おお、これは確かによさそうだという印象を得て、なんだろう、すごくスパルタンな外観を持ったレコーダーです。レコーダー上部にX/Y配置で取り付けられたマイクロフォンがSonyのPCM-D1を彷彿とさせて、いやがうえにも高まる期待とでもいえばどうでしょう。実際、ZOOM H4が主眼としているのはMicroTrack 24/96やEDIROL R-09の占める位置でありましょうが、ライバルをよく研究して、一歩先を目指しているというのがよくわかる仕様であると思います。

 H4のどこが一歩先かというと、先行製品の持つ魅力、 — 24bit/96kHzリニアPCM録音可能で外部マイクとしてコンデンサマイクを2系統接続可能であるなど — をしっかり押さえて、そして他社製品にない魅力を押し出しているところです。例えばマイクをX/Yで付けてくるというのもそうであり、ただステレオというわけではないという+αな主張が感じられますし、さらに最適な録音レベルを知るためのオートゲイン機能、その上DSPエフェクトが搭載されている。これ、つまりはリミッターがついてくるということですが、正直一発録りしなければならないような場合、リミッターがないと怖くないですか? リミッターを使うことで原音そのままではなくなるという嫌いはあるけれど、思いもかけない過大入力のせいでクリップノイズが入って台無しというほうがずっと嫌です。気に入らなかったらやり直せる場合ならいいけど、そうでないケースもあるわけで、となるとやっぱりリミッターがあるというのは魅力的だと思います。

まだまだ魅力がある。ええと、4トラックマルチレコーダーになるんだそうですね。けど私はこういうのはPCでやるから、MTRモードはいらないや。となると、もうひとつの売りであるUSBオーディオ・インターフェイス機能が光りそうです。実はですね、昨日の記事を書いているときにですね、こいつらがオーディオ・インターフェイスとしても使えたらいいのになと思っていたんです。マイクスタンド立てるまでもなく、簡単にマイクを使いたいというようなことはあるじゃないですか。そういうときに便利かなと思って、さらにSkypeで歌うときにエフェクタが欲しいといっていた、そういう需要も満たしてくれそうです。って、リバーブかけたい場合は4トラックモードじゃないと駄目ですか!? ええーっ。ってことはオーディオインターフェイスとして使う場合にはどうなんだろう。リミッターくらいは使えて欲しいんだけどなあ。

正直、録音時にリミッター以外のエフェクトはいらないので、その他のエフェクトやら機能やらは、私にはオーバースペックと感じられます。チューナーになるのは便利だと思うけど、これをメトロノームとして使うのはどうなんだろうという気もしますし、でもついていて困るものではないから、いざというときに役立ってくれたりはするのかも知れません。

とりあえず単純な雑感に過ぎませんが、これがR-09に劣るとすれば4GBのSDに対応してない(らしい)というところ、MicroTrackに劣るとすれば充電池への対応が(公式に)謳われていないというところくらいでしょうか。だから、私がもしこれを使うとすればSANYOのeneloopが使えたらいいのになあといったところかと思います。eneloopはちょっと径が普通の電池よりも太いらしいと聞きますので、うまく収まってくれるといいけど、ちょっと心配に思うところであったりします。

2007年5月18日金曜日

M-AUDIO MicroTrack 24/96

なんだかんだと音楽やってれば出費は増えるもので、実は持ち運べるデジタルレコーダーが欲しいと思っています。いや、欲しいというのはちょっと違う。できれば買いたくない。けれど、いずれ必要になるだろうなということはわかっている。そういう状況なのです。実はですね、本腰入れてフラメンコギターに取り組もうと思っているところなのですが、その先生というのが楽譜を使わない人なのです。聴いてそれを弾く。基本的にメモも取らず、ただただ弾く、聴く、真似る。ただ録音は可、というかレコーダーを持ってくるようにということなので、ソニー製のカセットテープレコーダーを使っています。このレコーダー、会議録音用のものなのですが、フラメンコギターを録るにはやっぱりちょっと不向きでして、それに今どきテープというのも使い回しが悪いし、だからデジタルレコーダーが欲しいなと、そういうわけなのです。で、どうせ買うならちゃんとしたのが欲しいと思うものじゃないですか。となるとやっぱM-AUDIOかなあなんて思ったりしたのです。

別に、マイクオーディオインターフェイスに合わせたいという理由じゃないですよ。むしろもっと単純に、必要充分機能があることが重要だった、そして発展性もありそうというところがよかったんだと思っています。

 実は、こうしたレコーダーを欲しいと思ったのは今がはじめてではなくてですね、ほら以前、去年の夏? 近畿大回りの旅を考えたことがありましたが、このときにレコーダー買おうかなと思ったんですよね。つまり、旅の様子を録音しようかと思ったってこと。で、その時に買うならこれかと思ったのは、M-AUDIOじゃなくてEDIROL。R-09だったんですが、これなにが決め手だったかというと電源が単三乾電池ってところでありました。ほら、大回りは数時間にも及ぶ長丁場でしょう。となると、リチウムイオン電池で約4〜5時間の録音を謳うMicroTrackでも時間的に厳しそう。なら単三電池二本で4時間駆動するR-09の方がいいじゃありませんか。替えの電池を持っていけばいいってわけです。

まあ、結局この計画は頓挫して、ともないレコーダーを買うこともなかったんですけどね。

この両者、考え方にちょっとずつ違いがあって、R-09は内蔵のステレオマイクで録るのが基本であるのに対し、MicroTrackは付属のエレクトレット・マイクロフォンを使う模様です。なので、本体だけで無駄な付属品を付けずに簡易軽便に持ち歩けそうなのはR-09なんです。でも、発展性を考えたときに、R-09はエレクトレットコンデンサマイクにまでしか対応しないけど、MicroTrackはTRS入力を2系統持ちしかもファンタム電源供給可能という豪勢な仕様。

はっきりいいまして、そこまで機材をごちゃごちゃもって録音するなら、PC持っていってオーディオインターフェイスも持っていったらいいじゃんって気もします。けれど、やっぱり荷物は軽く、機材も軽く動きたいという需要はあるでしょう。まあね、コンデンサマイクを使うならスタンドもいるでしょうし、結局大荷物にはなるでしょうが、けれどやっぱりレコーダーが持ち運びに軽便というのは大きなメリットになると思います。

と、ここまで書いておいて、残念ながら今はちょっと買えません。こないだ、大きな買い物をしたものだから余裕がなくて、だからもうしばらくはおとなしくしておきたいと思います。

どうでもいいことだけど、MicroTrackのオフィシャルページにあるサンプル音源、大阪地下鉄というのはなんか面白いなと思います。あのメロディベル、作ったの私の通ってた大学の先生です。

2007年5月17日木曜日

男爵校長

  『男爵校長』は、最初『もえよん』という私の知らない雑誌でやっていて、そしたら雑誌がなくなっちゃった。で、私も楽しみに購読していた『まんがタウンオリジナル』に移籍してきて、なんかテンションがよくわからない漫画だなあって思っていたら、この雑誌もなくなってしまって、今では『コミックハイ!』で連載中なのだそうです。いや、そうじゃないか。そうじゃないという理由はおいおい告げるといたしましょう。ともあれ、私はこの漫画を一時期読んで、テンションのおかしさ、ギャグのシュールさに戸惑いながらも楽しんでいたのですが、けれど長く単行本を買うにはいたらなかったのでした。まあ、たいした理由じゃないんですけどね。第1巻が出た頃にはまだこの漫画をよく知らなくて、だから手を出すに出しにくかった。それだけの話。でも、長くこの作者の漫画に触れて、面白さのツボもわかっていたから、第2巻発売を機に揃えてしまおうと思ったのでありました。

それでまとめて読んで、やっぱり面白いねえ。当初、第1巻冒頭の絵柄のあまりの違いに戸惑ったりもしたのですが、けれどのりはさほど変わらず、いやちょっとおとなしいかな? ヒロインは芽野アリカ、女子校生。彼女を中心にして、どたばたと楽しく繰り広げられる学園生活、その模様がなんともいえぬ面白さで、なにをおいてもやんちゃの一言に尽きる、そこがいいのです。ヒロインがやんちゃ。友人にはおとなしい娘やちょっと謎めいた娘もいるんだけど、そうした一人一人が、アリカに感化されてか、やっぱりどことなくやんちゃなそぶりを見せることがあって、このやんちゃっぷりは特筆ものですよ。

まずヒロイン、アリカがやんちゃ。途中転校してくるミリタリー好きの咲森小蘭、この人も相当にやんちゃ。着ぐるみ大好き入江ドナさん、見た目に反してこの人も割合やんちゃで、普段落ち着き払っている弓道少女菜ケ原弦音さんも条件揃えば結構やんちゃ。突っ込み担当? おとなしい本好き文系少女樋口小夜子は流されてやんちゃ。けど、多分一番やんちゃなのは校長だと思う。男爵校長が早変わり。なにか意味あり気にいろいろなものに変身しては、その変身も役に立ってるのか立ってないのか、漫画全体のシュールの度合いを高めるばかり。意味わかんない。全然わかんないんだけど、けれどなんだか勢いで押しきって笑わせてしまうみたいな躍動があって、むしろ跳躍、飛躍の類いか? けど、このテンションになれてしまえばもう引き返せない面白さがあって、そうなんですよね。私はすっかりこのテンションに病みつきです。

けどこの漫画は、キャラクターのやんちゃっぷりだけで押しきっているわけではなくて、その元気さの向こうにあるけなげとか気弱とか、そしてそれらを繋ぐ友情とか、思いやりとか、それがいいんです。いや、別にお涙頂戴じゃない。けど、元気一辺倒でないところが見えると、キャラクターが一気に身近に感じられて、それが変に可愛さを増しちゃうんだわね。アリカが可愛いわ。騒がしいのにたまに弱気で、おせっかい焼きで天真爛漫で、ちょっとメランコリーも見せてくれる、そんなアリカが可愛いです。咲森小蘭も可愛い。アバンギャルドに銃器片手に登校するはみ出し者のくせに、意外に泣き虫っぽかったりしてそれが可愛い。つうか、ボーイッシュで意地っ張りなところがすでに可愛い。ドナさん飛ばして、まっすぐ真面目な弦音さんはまったく冗談通じなさそうな感じなのに、結構砕けて、クールながらも調子に乗って、そうかと思ったら惚れっぽさもあったりするのが可愛いし、樋口小夜子は……、キャラクターが薄いよね。可愛いんだけどなあ。なんてったらいいんだろう。ちょっと思いつかないので、宿題にしておいてください。

ぱっと見にはつかみづらい漫画なんだけれど、キャラクターの個性がわかってきたら、それで誰と誰がどのように繋がり、どのように思っているかなんてのが見えてきたら、断然面白さが増す漫画だと思います。搦め手だけど、なによりシュールだけど、けれどそうしたところだけではすまないまっすぐなところもある漫画。気に入っています。

蛇足

私はトイガン大好き小蘭さんが好きだったはずなんだけれど、気付いたら入江ドナさんが一等好きになってしまっていました。つかみ所のないキャラクター。なのにこれというときにはのりのりなところとか、それからあれだ、あの笑ったときのつり目の細目。2巻「トリック・ガールの一日は」の冒頭3コマ4コマ目なんて、どしたらいいのかわからん可愛さだ。と思ってたら、ここから続く数回はどれもこれもいい話で、好きな話で、このへんが『まんがタウンオリジナル』掲載分。道理で私が単行本を買おうと思ったかって話ですよ。

蛇足2

赤井先生の恋の行方、私は応援しています。

  • オイスター『男爵校長』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2005年。
  • オイスター『男爵校長』第2巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2007年。

現在、『コミックハイ!』にて『男爵校長DS — アリカと月面紳士』が連載中だそうですよ。

2007年5月16日水曜日

ヘブンズゲイト

  Amazonのおすすめというのは実に馬鹿にできなくて、それはあるいは言い換えれば、人の読書傾向というのが似通っているということの証拠でもあると思うのです。だから私はたまにはおすすめをざっと眺めて、本から本、CDからCDへ興味の派生する様を見て楽しんでいます。それはあるいは視野を広げるためのきっかけになってくれて、いや、広がるよりもむしろよりディープになるといったほうが正しいかも知れません。さてさて、ずいぶん前のことであるのですが、門井亜矢の『ヘブンズゲイト』がお勧めされていたことがありまして、実をいいますと、私この人、わりと好きです。とはいっても、漫画家としてのこの人を知ったのは『まんがタイムきらら』に連載されていた『天然女子高物語』が最初で、しかも最初はほぼスルーしてた。でもね、結局は単行本を探して買っちゃってるんですから、なんのかんのいって好きなんです。

 門井亜矢は18歳未満はできないゲームの原画を描かれた人だったと記憶しています。いや、こういういい方はよくないよね。以前、知人からPC98を貰ったときに一緒に『下級生』も貰えまして、だからもちろんプレイ済み。ええと、クリアはできませんでした。正直、あのゲームなにをどうしたらいいのか、全然わからんのです。だから未クリア。なにより一年は長すぎるよね。だいたい夏あたりでへこたれて投げ出すんですよ。とかなんとか、泣き言ばっかりいってるのもあんまりに情けないから、新しいハードでプレイできたりはしないかなと思ったら、Mac版しか買えないみたいですね。微妙だなあ。プレイできる環境はあるけど、このために貝殻iBookを引っ張り出すのも億劫に感じます。いや、Pantherからクラシック環境を持ってくればいいのか。

ともあれ、門井亜矢の描く絵はすごく魅力的であると思うのです。というように思っていたから、私はあえて抵抗して『天然女子高物語』の単行本を買わなかったんです。買ったら負けだと思ってた。けどさあ、読んでたらわかるんですが、絵だけじゃなくてキャラクターも魅力的なんですよね。別にこびてるとかそういうわけではないんですが、けれどすごくチャーミングと感じます。この魅力というのは、一種舞台裏の魅力ではないかと思うのですが、人は他人の前で多かれ少なかれ演じて見せて、よりよい自分、魅力的な自分を演出して見せる。門井亜矢の漫画は片方でこの演出された側を見せ、他方では裏側、地を見せる、こういったところが私には強く働き掛けるのだと思います。

『ヘブンズゲイト』の魅力もやっぱりこれだと思う。舞台裏をかいま見ることのできる面白さ。私ら男ではちょいと思わないようなことが描かれていて、はー、女の子の側ではそうなってるのかー、と思わせるようなネタが多くて、面白かったり、勉強になったり、例えばPINKの「ケティちゃんの怪」なんてのはそんな感じ。他にも、女の子同士の和気あいあいとしたおしゃべりなどなど、そのへんはまあえげつない部分はうまく処理されて見えないようになってるんですが、本音っぽく見せて、共感させたり、可愛さ、身近さを感じさせたり、あるいは私ら男からしたら違和感を感じるような部分をぽろっと出してみたり、そういう塩梅が実にうまいと思います。

けど、女の子ばっかりがメインじゃないぞ。そりゃ出てくるのは女の子メインなんだけど、ネタはというとそうしたカテゴリーからはずれていくものもあって、日常雑感ものっぽいのがあれば、ギャグ色の強いものがあり、さらにファンタジー傾向に向かうものもあって、多種多様にして多彩です。この色とりどりは、毎回登場人物も設定も違える読み切り型連載であるがゆえのことかも知れませんが、けれどその次々と表情を変える趣向装いは悪くないですよ。なにげなく手に取って、どこからで読みはじめて、気付いたら最後まで読んで、頭からまた読み直して、気ままにつきあって楽しめる、いい漫画であると思います。

ところで、巻末にまとめられてるエッセイ。あれも面白いね。エッセイだけがっつり読めたりするとすごく面白いんじゃないかと思ったり思わなかったり、というかこの人の漫画、もっと読みたいんですが、『ヘブンズゲイト』と『天然女子高物語』しか出てないの? だとしたらすごく残念です。

旧版

2007年5月15日火曜日

ピクニック

こないだ、表紙を見てピンときて買ってみた『かよちゃんの荷物』が面白かったから、雁須磨子の別の漫画、『ピクニック』というのも買ってみたのです。これ、太田出版から出ている漫画で、fx comicsだから多分『マンガ・エロティクス』あたりに掲載されたのが載ってるのかなと思ったんですが、けどこの雑誌って、タイトルにエロティクスなんてあるわりには、別にそんなにエロかったりはしないよなあっていうのが印象で、もしかしたら私勘違いしてるのかな。でもfx comicsって、どちらかというとエロ寄りじゃなくてコアな漫画読みに向けたものが多いような気がします。『青い花』はともかくとしても、『秘密の新選組』とか『ラビパパ』あたりからはそんな匂いが感じられるのです。

というわけで雁須磨子。掲載作は非エロからちょいエロ、しっかりとエロまで結構多彩で、とりあえず表題作が一番エロ。ええっと、巻末収録です。けど、どれを見てもそうなんですけど、直接的にエロを感じさせるシーンが展開されたとしても、けれど普通のエロ漫画のようには読めなくて、なんというんかな、やっぱりエロが目的じゃないんだと思うんですよ。エロが現れたとしても、それは別のなにかを表現するための手段として機能しているんだと思います。だから、ネガティブにいえばエロに没入できない。ポジティブにいうならエロではない別のなにかを嗅ぎ取ってしまうのだと思います。

巻頭作「春なのに」は『マンガ・エロティクスF』掲載作なんだそうですが、特にそんな感じ。セックスシーンも出てくるんだけど、むしろエロは感じなくて、妄想と良識が交錯するなかに欲望が散って溶けていくような、そんな感じがあって、ほのかに甘い郷愁というか少年期への思慕みたいなのが感じられるラストはむしろ叙情性があって好きであったりします。

こうした叙情性、あるいは精神の交感への傾倒は他の収録作にも見られて、『エロティクス』ではない別雑誌に発表されたものの方がその傾向は強いと感じられます。面白かったのは『小説JUNE』初出の二作かなあ。妙に純愛志向であったり、変に屈折していたり、けれどそれは別に『エロティクス』掲載作がその方面で弱いというわけでもないから、やっぱりこうしたのが雁須磨子の味なんだろうと思います。

平凡ながらも、ちょっと変わり者っぽいところのある人たち。そういう普通の人たちが、ボーダーの上で、平凡に寄ってみたり、変わり者に寄ってみたりしながら、思いを交換している。それはささやかに、ちょっとしたしぐさやなにかに浮かぶものであったりして、この感覚がいいのかななんて思うんですが、だとしたら表題作はちょっと異色かも。異色ながらも、その奥にはやっぱりいつもながらの風はあると思うのですけれども。

  • 雁須磨子『ピクニック』(fx comics) 東京:太田出版,2001年。

2007年5月14日月曜日

ミラクルケース

突然ですが、ギター買いました。アストリアスプレリュード。表板が杉のモデル。サイド及びバックはスプルース、マホガニー、スプルースの三層合板。指板はインディアンローズウッドで、塗装はウレタン。まあ普及価格帯のエントリーモデルといっていいんじゃないかと思います。というか、十万超える楽器を指して普及価格帯やらエントリーやら、私もえらく感覚が変わっちまったもんだと思います。最初買ったギターなんて、定価3万5千円だもんなあ。えらく変わったもんですよ、ほんと。

で、ギター買ってきたのはいいんですが、なにしろこのギターにはケースが付属しないから、なんか適当に見繕う必要があったのです。正直、ここで私はケースに余計に費用をかけたくないから、この店で一番安いハードケースはどんなですか、と聞いたら八千円弱のが出てきまして、これ樹脂製。最近のケースは木製じゃないんですね。昔はギターケースといえば木製の、堅いは重いはってのが定番だったんですが、最近は廉価品でも軽くできているようです。

と思って持ったら重いのなんのって。参りました。それ持って、最寄り駅からうちまで歩いて、そしたら手がくたくたでもうどうしようもありません。こりゃ駄目だ。すっかり鈍っているのかなんなのか、こうした重いケースを持つには今の私はあまりに非力にできているみたいです。

でも、このへんは織り込み済みでした。実は私は、クラシック系のギターケースに関してはひとついいのを持っているのですよ。それは、スーパーライトケースとの呼び声も高い、ミラクルケース。実際、これはかなりのもんですよ。ケース重量1.8kgだそうですね。ギター入れたら3kgくらいかなあ。羽のように軽いとまではさすがにいいませんが、けれど私はこれ以上に軽いケースを知りません。一時期は毎日これをもって職場自宅を往復していましたけど、特段疲れやなんかはみられず、やっぱり軽さには大きな価値があると思ったものでした。

このケース、定価で三万円近くします。だから、今日買ってきた廉価なケースに比べて約三倍の価格なんですが、価格応分の品だと思いますよ。正直、今日ちょっと重いケース持って歩いてみて、ミラクルケースの素晴らしさを思い知りました。本当。ギターを弾く前に疲れるようではいけないと、そんな当たり前のことを思ったらミラクルケースの買い時かなあと思います。

  • ミラクルケース

2007年5月13日日曜日

はなまる幼稚園

 『はなまる幼稚園』を買うときにはちょっと迷って、どうしようかな、多分普段なら見過ごしにした漫画だと思うのですが、作者が勇人、『ぱにぽに』の氷川へきるのアシスタントだった人で、この人の漫画は『ぱにぽに』絡みでちょこちょこっと見てきたけれど、オリジナルはついぞ読んだことがないんですよね。というわけで、ちょっと不安。で、迷ったというわけです。でもね、『ぱにぽに』絡みで見てきたこの人の漫画は、そつなく書けているし、絵も綺麗だしで、結構気に入っていたものですから、オリジナルもちょっと試してみようかなと思いまして、買ってみたのです。そうしたら、あたりでした。もしかしたらちょっと浅いんじゃないかという事前の不安を払拭して、おつりがくるくらいに面白い漫画でありました。

漫画の主人公は、ヒロインが杏、幼稚園児。男性側主人公が土田、幼稚園教諭。土田先生大好きの杏が、あの手この手でこれでもかと迫る漫画なのであります。などというと、私屋カヲル『こどものじかん』なんかを彷彿としてしまいがちですが、いやいや、あんなに過激じゃない。いや、ちっともというべきでしょうかね。杏は自分が一人前のつもりでいるんだけど、土田先生からしたらそりゃもう小さな子供ですからね、うまくあしらわれてあしらわれて、まったくもって相手にされてないんですが、けどそれでも大好きな先生に大事にしてもらっているということが伝わったときの杏の会心の笑顔が可愛いんだ。釣り込まれて一緒に笑ってしまうような笑顔。なんかもう本当に罪のないって感じでしてね、読んでるだけでかたくなな心もやわらかに変わる。いい漫画だなあ、本当にそう思います。

けど、この漫画は杏と土田先生だけのお話ではなくて、柊と小梅という、また杏とはキャラクターを違えた園児がいて、そして同僚教諭の山本先生もいて、それぞれがそれぞれの思惑で動いて、またそれが仕合せな気持ちにしてくれるものだから参ってしまいます。山本先生は杏にとっては恋のライバル(!)なんだけど、それでも杏は山本先生も好きだし、山本先生ももちろん子供たちのことが好きだしで、見ていてやっぱり嬉しくなる。ちょっと気弱な小梅ちゃんも不思議系の柊も、杏とは違ったやわらかな世界を作り上げて、ふくよかに幅のあるいい漫画に仕上がっているのです。

実際、小梅メインの話にしても柊メインの話にしても、それぞれに違った個性に応じた面白さを見せて、つんと胸に暖かさの芽生えるようなよさがあれば、世界に向かう愛がロマンティックに広がるようなものもあって、全然一本調子じゃない。園児と先生という限られた登場人物で、思いもしなかった豊かさを見せてくれる漫画。読むたびによさがしみてきますよ。

  • 勇人『はなまる幼稚園』(ヤングガンガンコミックス) 東京:スクウェア・エニックス,2007年。
  • 以下続刊

2007年5月12日土曜日

怪物さん

 インターネットはSNSにて、西川魯介の新刊が出てるよという情報を得ましてね、その名も『怪物さん』。ぱっと聞いて藤子不二雄を思い出してしまったところに自分の世代というのが現れると思うんですが、けど、多分これ意識してるんじゃないかなあ。ともあれ、西川魯介漫画を片端から買いそろえている私ですから、新刊が出たとあれば買わないわけにはいきません。漫画の品揃えに定評のある書店にいって、新刊の平積みを見て回れば、ありましたありました。ん? 表紙の白髪眼鏡の女性。ああっ、『怪物さん』って立烏帽子先輩のことだったのか。そうならそうといってくれなきゃ、という私は、これまでに読んできた魯介漫画にちらほらと現れてはその存在感を示してきた立烏帽子先輩のファンであったりします。これまではあくまでも脇役であった立烏帽子先輩が主役! これは期待が高まるなあ。

と思ったら、やっぱり先輩は脇役なのかあ。主役は種村広樹、ヒロインが酒井初芽。けど、この二人は常に出ているわけでなく、話によってはまったく関わってこなかったりもして、むしろさまざまの事件の発端を作るのは生徒会長の渋沢弥生(眼鏡)であったりして、そして度重なる怪奇を解決ないしはその不思議な眼力でねじ伏せるのが我らが蛇の王、立烏帽子清華(眼鏡)であります。

そして、やっぱりがもうひとつ。第一話を読んだとき、あ、今回はエロ傾向が少ないのかなと思ったら、そんなことはない、エロエロじゃないか。参ったね。正直いいますと、私は魯介エロはちょっと苦手なのです。まあ、嫌いというまではいかないんだけど、積極的に好きなれない。そういう感じなので、エロ方面ではもうちょいマイルドなほうがよかったのになあなんて思ったり思わなかったり。

基本的な話の流れは、種村や初芽を代表とする若者たちが巻き込まれた怪奇事件を立烏帽子が解決していくというものなんですが、これらがまあエロ絡みになってしまうというのはさておいて、悪さをなすのが日本妖怪的な、おどろおどろしさにどこか憎みきれない間抜けさというか親しみというかを合わせ持った、そういう連中であるのが魯介漫画の味なのかと思います。人死にが出るわけでもなく、とんでもない不幸が押し寄せるでもなく、なんかごたごたと迷惑に巻き込まれて、ごたごたと解決して、とっぴんぱらりのぷう。なにごともなく日常に回帰する。いや、あれ、日常じゃないな。あんな生徒会長が普通に存在している日常なんて嫌すぎる。ともあれ、日常と非日常が共存する、そういう日本怪奇譚的な雰囲気があるんです。

このいつもの状態に戻ってくるばかりと思っていたら、そうではなかった後半戦。まあ、立烏帽子を取り巻く物語であるとわかったときからそうなるんだろうなあという覚悟はしていたんですが、しかしそれにしても立烏帽子にああもきっちりケリがつけられるとは思ってもいませんでした。きっとこの漫画が終わっても、妖異怪異のからむところには立烏帽子が現れて、いつものようにいつものごとくあの眼力を見せてくれるものだと思っていた私の予測は甘かったと見えますね。けど、まったく終わりではないという感じも残して、だからこれまでの立烏帽子を巡る怪異譚はひとまずの終わりを見せて、これからは新しい話が語られていくということなのでしょう。もしそうした話がつづられるのだとしたら、魯介マニアといわれても仕方のない私のことですから、きっと楽しみに読むことでしょう。初期のちょっと怪異な読み切りみたいなのも読みたいところですが、また新しい蛇の王を巡る話も読みたいものだと思うところです。

ところで、『怪物さん』にはこれまでの魯介漫画に登場した人たちが、特になんの説明もなしに現れてきますが、雑役オッドジョブとか朧谷(眼鏡)とか、あと野槌さん(眼鏡)もそうか。この人たちのバックグラウンドがわからなくても『怪物さん』単体で充分話を追うことはできますが、知っていたほうがきっといいんじゃないかなあ。そんな風に思います。彼らの扱いを見れば、『怪物さん』は、これでもって新たな読者を獲得するというよりも、むしろ既存のファンに向けられた物語であるという方が適切なのかも知れません。だとしたら残念かなあ。西川魯介は面白いのに。人を選ぶけれど、面白いのに。もっと読まれて欲しい人だと思います。

はじめての魯介漫画は『屈折リーベ』がおすすめです。『SF/フェチ・スナッチャー』あたりもいいんだけど、これはこれでエロだものなあ。好きなんだけど、人に薦めにくいのはちょっと困りものです。

  • 西川魯介『怪物さん』(BIRZコミックス) 東京:幻冬舎コミックス,2007年。

関連

2007年5月11日金曜日

コミックエール!

なんか、芳文社がまた新しい雑誌を出すらしいよ。てな話を聞きまして、それもなんだか妙に力が入っているようでしてね、発売前からBlogが用意されていて、しかもドメインまでとっている。正直、恐ろしいなあ。なにが恐ろしいといっても、男の子向け少女マンガ誌なんだそうですよ。なんだそりゃ一体。まあ、いわんとすることはわかるような気もするけど、男の子向けなんて謳ったら、女性が買いにくくならないかね。てな具合にいろいろ怖れてみたり、勘弁してとも思ったり、いろんな意味で消極的ではあった私でありますが、けど第1号くらいは買っておこうと思ったのでした。後が続くかなんてわからないし、一応『まんがタイムきららキャラット』の増刊だっていうから、押さえておいてもいいかなあなんて、そういう理由で買おうと思ったのでした。

にしてもですよ。売ってない。いつものコンビニに売ってない。このコンビニは『まんがタイムジャンボ』を除く芳文四コマ誌がすべて揃うという夢のような店であるのですが、当然のごとく入荷すると思っていた『エール!』が入荷しない。そうか、四コマじゃないからか。いや、けど『フォワード』は入荷するぞ。増刊時代から入荷してたし……。ってことは、『エール!』の誌名にきららとついていないからか。いや、むしろ『まんがタイム』とついてないのが悪いのか。とにかく、いつもの店で入手できず、その後コンビニを一軒、四コマ誌の充実する書店も一軒回ったのですが入荷はなし、仕方ないからちょっと遠い書店に足を伸ばして、ようやく買うことができたのでした。

読んでみました。まずい……。面白いやんか。巻頭作は雑誌のカラーを決めるといいますが、とすると『エール!』はおたく男子寄りの雑誌といってよさそうです。と思ってたら、次にくる漫画が男性向けという感触を払拭して、これが少女マンガ誌を標榜する所以か? こんな具合に、おたく男子傾向に揺れたり、女性誌傾向に揺り戻ったりと変に一定しない感じではあるのですが、けれど不思議と違和感はありません。むしろ違和感があるとしたら、既存読者を引っ張ってくるために用意された、系列誌連載作であったかも知れません。『恋愛ラボ』は違和感なく読め、『ミス・ポピーシードのメルヘン横丁』もわりと綺麗におさまっていましたが、『らいか・デイズ』はちょっと厳しかったです。なんか、そこだけ違う空間になっていたというか、浮いているように感じました。けど、おんなじ引っ張ってくるなら、タイム系からじゃなくてきらら系からの方がよかったんじゃないのかなとも思うんですが、そうもいかなかったのかな。『フォワード』とバッティングするから? よくわかりませんが、『らいか・デイズ』は好きな漫画であるだけに、あの違和感でもって読み進めるのはちょっと厳しかったです。

雑誌全体から感じられる雰囲気は、少女マンガというよりもやっぱりおたく向けです。けれどなかには、『御伽楼館』や『溺れるようにできている』みたいにばっちり女性誌に載っていてもおかしくないようなのもあって、というか後者はやっぱり少女マンガじゃないだろう。少女というには大人すぎるし、レディーズというには若い。そういう中間の年代をつくような漫画で、私は気に入りましたけど、男性には向かんのじゃないかな。

『コミックエール!』、次号は8月に出るのだそうで、きっと私は買うでしょう。その時にどれだけ気に入った漫画が残っているかですが、けど問題は気に入らなかった漫画、つまらないと思った漫画がないってことなんですよね。アンケートにはつまらなかった漫画を書けだなんて非情な項目があるのですが、残念ながらひとつもなかった。特に好きな漫画はあったけれども、あえてつまらないといわなければならないようなのはなかった。そのようなわけで、『コミックエール!』は私にはずいぶんと相性のいい雑誌であったようですよ。

  • コミックエール!

2007年5月10日木曜日

七時間目のUFO研究

 kikulogに掲載された紹介をきっかけに読み進めてきた、藤野恵美の七時間目シリーズ。本日、その最新刊である『七時間目のUFO研究』を読み終えました。これまで怪談占いを取り扱ってきた七時間目シリーズは、三作目にしてUFOという少し毛色の違った題材を取り上げて、ともない主人公も少年に変更されるなど、ずいぶんとその雰囲気を違えました。とはいっても、その根底にある態度は変わっていません。私たちがときに憧れ、ときに怖れる不思議、怪異の類いに向けられるのは懐疑の視線です。いや、懐疑とは頭から信じないということではないのです。懐疑とは、その字句が示すように、疑いを持つということ。それは果たして本当なのだろうかと、興味をともに検証を試みようという態度のことです。信じる信じないという極端に走るのではなく、その中間に立ち、信じるべきか信じぬべきか、自らそのものに相対してはかり、決めようとする姿勢を懐疑的というのであると思っています。

そして、この本はその懐疑的ということを、おそらくはこれまでの二作よりももっとも濃厚に打ち出しています。それは安心できる思考停止と苦しみを伴う懐疑的態度の対比というかたちで描かれて、正直、ちょっと苦いですね。主人公は少年。私はてっきり、元気で活発であるとか、そういった少年像が描かれるものと思っていたのですが、主人公のあきらは思った以上に内省的でナイーブで、けれど少年は自らに問いかけながら、自身のよりどころを見つけ出そうともがいて、ついにその立つ位置を自分自身の中に見つけ出す。『占い入門』が少女が他者との関係性の中に自分の位置を見出す物語とすれば、『UFO研究』は少年が自己の内面に分け入り自らの寄って立つ足場を築くまでの物語であったといえるように思います。こうした物語の常とはいえど、少年の勝ち取った新たな自身のありようは多少の苦味もともなって、それはすなわち少年期は終わりを告げ青年になろうとしているということなんだろうなあと思ったのですが、少年期における(精神的)親殺しという古典的なテーマを踏襲するにあたり、乗り越えられるべき対象が父親ではないというところが現代なのかも知れないなと思ったりもしたのでした。まあこの現代は、私自身をも含んでいることはいうまでもありません。

しかし、今度の物語はテンポがすごかった。ペットボトルロケットを打ち上げているときに、不思議な飛行体を目撃する。この事件を発端に、あれよあれよと物語は進んでいくのですが、そのテンポのはやさに私もついつい釣り込まれて、常にはない速度で読み終えてしまったのでした。多少詰め込み気味であったかも知れません。表のテーマであるUFOとその周辺について、UFOという現象を懐疑するだけでは足りないと見たか、利益のためには真実も曲げる諸力のあることや、与えられた答えに疑いもなく群がる思考停止した群衆についても触れるなど、意外と思えるほどのストレートさでもって昨今の社会状況に批判的な目を向けています。正直私はここに拙速を感じたのですが、これは今私たちの置かれている状況に対する著者の危機感の現れなのでしょうか。巧遅は拙速に如かずといいます。今このタイミングでこの本が書店の新刊の棚にあるのは、子供たちにとっては重要なことであるかも知れません。そしておそらくは、私たち大人にとっても同じではないかと思います。

ともあれ(こっから蛇足)、私はこの本読んで、ちょっと反省した。自立するでもなくぶらぶらしてる自分を見てさ、高等遊民と揶揄されながらも開き直っている自分を見てさ、はっきりいってあきらくんに後れを取ってるものなあ。正直、恥じるよな。

というわけで、私はまずあきらくんに追いつくところからはじめたいと思います。

  • 藤野恵美『七時間目のUFO研究』HACCAN絵 (講談社青い鳥文庫) 東京:講談社,2007年。

2007年5月9日水曜日

七時間目の占い入門

 人間はとかく占いというものが好きですね。これから起こるできごとについて、漠然ながらも知りたいという思いは誰しもあって、一寸先を少しでも照らす手段として占いは用いられてきました。かくいう私も、占い師をやっていた期間がありまして、常設ではありませんでしたが、機会があらば、依頼があらば、タロットを手に占ってきました。クライアントを前にして、仕事やら恋愛やら、その他もろもろさまざまな悩みをカードの上に透かし見て、そして私はやっぱり占いは駄目だなと思うようになって、廃業してしまいました。やっぱりね、将来のことはわからんわ。わかるのは、その人の中で問題がどのように意識されているか、それだけで、だからなんだか心苦しくなって、やめたのです。というわけで、藤野恵美の『七時間目の占い入門』は、私にとってはちょいと他人事ではないテーマを扱っていたものですから、興味津々で読み進めることができました。

舞台は神戸というのもポイントが高かった。というのは、まあ私が関西在住だからというだけの話なのですが、家庭の都合で神戸に越してきた佐々木さくらがヒロイン。新しい環境でうまくやっていけるかと不安を胸に抱きながらの転校に、一筋の光明をもたらしたのが占いでした。これが物語のオープニング。占いに触れ、勇気を得ることができたさくらは、新しいクラスで自分の居場所を獲得するための手段として、占いを使おうと決めたのでした。

この本は、先日紹介しました『七時間目の怪談授業』のシリーズ二作目です。登場人物を刷新し、舞台も変更して、けれどしっかりとシリーズとしてのテーマは共通しています。それは懐疑するということ。この世にいろいろある不思議、怪異の類いを扱って、頭から信じ込んでしまうのでもなく、またかたくなに否定しようとするでもなく、まずは考えようと呼びかける。そういうしなやかな姿勢に健全さの感じられる物語が爽やかです。

しかし、私はこの物語をちょっと侮っていました。読んでみて驚いたのは、質の向上具合。前作に比べてもなお一層、深まりを見せるドラマが展開されます。『怪談授業』がギミックの面白さだとすれば、『占い入門』は人間のドラマの面白さじゃないかと思うのですが、この本は占いという不思議を中心のテーマに扱いながら、人間関係を築くことの大切さにまでリーチを伸ばしています。友達であるとはどういうことなのか、差別とは、そしていじめとは。あるいはモラルについてといってもいいかも知れません。占いを取っ掛かりにして、大人でもなおざりにしてしまうようなテーマがぼんぼん放り込まれてきて、私なんかは一瞬たじろいで、一息つくとともにやるなあという感想を持った。いやあ、本当、これはなかなかのものですよ。決して長い物語ではないし、必要以上に語ることもしないのだけれども、さまざまな事物が物語の中で繋がっていくことで生まれていく感情、問い掛け、そして大団円。ほんと、児童文学は侮れない。読んでいて気持ちよかった。登場人物は一人一人がその役割を十全に果たして、そして物語は充実する。追いつめられたもやもやが晴れすかっとするところがあれば、ずっと心に残っていたものが決着して新しい世界が開かれるような感じもあって、ほんと、これはおすすめ。読みごたえもあらば、感動もあって、そしてなにより著者が読者を信頼しているという、そういうのが感じられてよかったです。

前にもいってましたけど、このシリーズ、NHKが以前やっていたドラマ愛の詩みたいな感じで映像化されたら、HDレコーダー買ってでも見るだなんて思うくらいに期待するんですが、今の時代じゃそういうの難しいのかなあ。ぜったいいけると思うんですが、やっぱ難しいんでしょうか。

以下、ネタバレ。この本、ネタバレなしで感想書くのきついです(でも、ここからは馬鹿な話に終始します)。

最初、私はプリンセス・ひみこの占いの館に憤慨してたんです。だってさ、小学生相手に五千五百円のタロットを勧めるのは正直ちょっとどうかと。だって、ウェイトなら解説書付きで三千円だし、結構凝ったものでも五千円超えるのはそうそうないしさ。でも、まあこれくらいならと思ってたら、後で一万円超える水晶ペンダントを売っちゃったりして(まあ、これを売ったんはプリンセスじゃないけどさ)、こりゃやっぱ駄目だよ。そりゃ、一番やっちゃいかんことだよ。てな感じで憤慨してました。実はこの憤慨は結構後まで引いていて、ひみこが本性を明らかにしてからも、まだちょっとわだかまっていたのでした。

まあ、これはどうでもいい話。

この本は女の子向けで、また占いものでもあるから、避けて通れないのは恋愛で、美春ちゃんを巡る恋愛模様とかは、実は結構いい感じに盛り上がったりしてました(特に私の中で)。だってさ、美春ちゃんが追いつめられたとき、ここで助けられるのはお前しかいないっ、って思ったその小谷秀治が絶妙のタイミングで助けに入る! 待ってました、大統領! まさしく、美春のヒーローだよ、君は! ここで美春の状況を詳しく伝える描写こそはなかったけれど、この展開は燃えるわ。悪いけど、燃えるわ。

萌えるといえば(うわ、最低だ)、安倍野いよが強烈にお気に入り。肩のあたりでさらさらと揺れる真っ黒なおかっぱってだけでもポイント高いのに、しかも強烈な懐疑論者。クールでスマートで、けれどその奥に傷つきやすさを隠していて、ああもうどうしたらいいんだろう(いや、なにもしなくていいのは重々承知です)。笑ってる安倍野も、驚いてる安倍野も、泣いてる安倍野も素敵ですが、けど一番素敵なのは怒っている安倍野だと思います。

最後。この本の出した結論 — さくらの結論は、私が占い師をやっていたときにずっと思っていたことに重なって、だから実はすごく嬉しかったのです。私は、そんなつもりはなかったんですが、いいにくいような悪い結果でもずばずばいうタイプの占い師だったらしく、ずいぶん人の希望を打ち砕いたものでした。

あるとき役者志望の女の子がきまして、自分はその道に向いているかと聞かれました。占ってみると、残念ですが裏目です、苦労してもぱっとはしないでしょうという結果が出ました。だから、私はしぶしぶその旨告げたんですが、そうしたら駄目ですかと意気消沈して、やめたほうがいいんですねなんていう。おいおい、ちょっと待ってよと思った。なんでこんなあやふやな、なんの根拠もない妄言に揺らいでいるのか。駄目だとしたらその覚悟のなさだろうと、なんと言われようとあきらめない、石にかじりついてでもやり遂げようという意思に欠けているのが君の一番あかんところじゃないのか、といって小一時間説得して(いやな占いだな)、その後彼女からは、事務所に登録したりして、細々ながらも頑張っているという報告を貰いました。

人間が生きるということは、そつなく生きるとか、楽して生きるとか、そういうのんじゃなくって、自分が描いた夢を実現すべくいかに生きるかだと思うのです。苦労とか困難とかはなにをやるにも付き物だけど、けれどそれでも自分が善いと信じる道を歩き通そうという覚悟が、意思が大切だと思う。そんな私にとって、この本は、明るく強靱な希望と思いに満ちた物語のラストは、すごく共感の持てるものでありました。素晴らしかったと思う。こうしたテーマをわかりやすくまっすぐに心に浸透させる、すごく力のある物語であったと思います。

子供にも大人にもおすすめの一冊です。疲れたとき、へこたれそうなとき、不安なときにもいいかも知れない。そんな一冊です。

2007年5月8日火曜日

私が会社に行く理由

    松山花子の『私が会社に行く理由』が完結しました。私が松山花子の漫画を読んだのはこれがはじめてだったんじゃないかと思うんですが、あまりに自分本位なヒロインであるとか、漫画全体から感じられる辛辣なテイストだとか、そういうのがすごく新鮮と思われたものだから、毎号を楽しみにして、単行本も買ってと、いうならばちょっとはまってしまったような感じであったんです。ただ、辛辣さでいえば『あなたが主役になった時』の方がずっと上で、だから『私が会社に行く理由』は、自分勝手な女容子のゆがんだ、あるいは異常な愛の行方を楽しむための漫画であるといったほうが正しいかと思います。

主人公容子の異常な愛といっても、その愛が向かうのは相思相愛(?)の夫ショーンに対してだけだから、まああんまり周囲に迷惑があったりはしない。この、比較的無害であるところが、落ち着いて楽しめる所以じゃないかなあとそんな風に思っているんですが、どうでしょう。二枚目のイギリス人と結婚するべく策略を巡らした女容子は、日中も夫ショーンを監視しようと、別名でショーンの会社で働いているという異常事態。この行き過ぎた夫愛に基づく行動の馬鹿馬鹿しさ、ナンセンスを面白がる、基本はそういう漫画です。

この異様な状況を成立させるために、ショーンは髪形でしか日本人女性を判別できないという設定があったりなど、多少無理矢理なところはあるんだけど、その無理を無理と承知しつつ通そうとするあの手この手がいいんですね。職場の女子社員がショーンに寄りつかないよう工作を施したり、また職場での自分が容子であると気付かれないよう、ショーンに厳しく接したり、そしてそうした行動が裏目に出て新たな関係が生じたりと、それもちょっと倒錯したような感じで出てくるのが松山花子という漫画家の味なのでしょう。この人は、ちょっと倒錯気味の関係を描くのが非常にうまい作家だと思います。容子とショーンの関係にしても、またショーンの姉や、容子が便利に使っている男たちにしても、普通はないような異常さが、なんかそれっぽく成立させられて、それっぽく動いてしまっていて、この変なありそう感というか説得性はなんなんだろう。非常に不思議な味が出ています。

けれど、リチャードをはじめとする容子に利用されている男を見ると、人によってはちょっとなと思うところもありそうですね。日本にきたところのリチャードに対する容子の態度は、ちょっとリチャードがかわいそうになるほどだし、それに第4巻は容子に振り回されるリチャードばかりが目立ってしまって、連載でならともかくまとめて読むときついです。もうちょっとリチャードにもそれらしい仕合せを与えてあげて欲しかったなと、そんな風に思いました。だから、書き下ろしというか、そういうのにちょっと期待していたんです。でも、やっぱりリチャードの扱いはああなのねというか、まあリチャードがあれで仕合せならいいか、なんて思いますが、まあ『私が会社に行く理由』は、かわいそうなリチャードを可愛いと思えるかどうかで評価が分かれるところなんじゃないかな、なんて思ったりします。

第4巻では、女の子らしくないショーンの姪エリザベスの話が、全体に綺麗にまとまっていて好きだったんですが、エリザベス周辺を巡る話がもう少し多かったら嬉しかったかななんて思って、だから最後に語られた続いていたらあったかも知れない展開、ちょっと読んでみたかったです。終わるにはそれだけの理由があったんでしょうけど、いきなりに思えたものだから残念かなって思います。もっと読んでいたかった漫画だったものですから、残念だったって思っています。

2007年5月7日月曜日

パティシエール!

 ついこないだ1巻が出たと思ったら、早々と2巻。こうした異例の刊行を見ても人気のほどがうかがえると思うのです。本日、『パティシエール!』の第2巻が発売されました。製菓学校を舞台に繰り広げられる、パティシエの卵たちの和気あいあい劇。主役は皆からねーさんと慕われる森山まさこ。彼女のまわりには若さと希望にあふれる学生たちや、厳しくも愛情にあふれる教員たちが集まっていて、その様があんまり楽しそうに見えるものだから、読んでると学生に戻りたくなってしまいます。そうなんですよね。この漫画は、学生時分という面白さに満ちた時代を描いて、その面白いと感じさせるエッセンスをしっかりと盛り込んでいる。きっとここが魅力なんだろうと思います。

学生の面白さってなんなんだろう。あるいは学びと言い換えてもいいのかな。『パティシエール!』はこうした問に充分答えてくれる漫画であろうかと思います。

学生時代の魅力といえば、自分が好きで選んだこと、興味のあることを知ることのできる面白さ。これがまず第一でしょう。この漫画の学生たちは、それぞれに異なる動機でもって製菓の道に進んで、その面白さも厳しさもともに味わっています。自分の未熟であることを知っては、それを克服しようと特訓を重ね、研究も怠らないという、このチャレンジに面白さがあるのです。これは技術の世界でも知の世界でも同じだと思うのですが、自分のできないこと、理解できていないことを遥か高次のレベルでこなしてみせる人間がいるという事実に直面したときに、ひるみながらも前に進むことを選んだ人というのが、いずれその道の面白さに行き当たるのだと思います。自分はものにならないかも知れないという不安とともに前に進むということの苦しさといったら、それはもう筆舌に表せないほどではあるんですが、けど後から振り返ればそうした時分が一番楽しかったりするんですよね。逃げることなく、まっすぐに取り組み、やり遂げたと胸を張っていえるならなおさら。そうなんですね。この漫画の登場人物たちは、まだ途上ではあるけれど、真っ正面から問題に取り組もうという意気にあふれているから、見ていて気持ちがいいんだと思います。

でも厳しいだけが学生生活ではなくて、しんどい山があったとしてもそれを一緒に乗り越えようという学友がいれば、きっとそれは素晴らしいことなんだと思います。ひとつの課題に取り組むこともあれば、各個別の問題を片づけているときであっても、フォローしたりフォローされたりという、そういう協力関係みたいなのがあって、もちろんそこには負けたくないというような思いもあるんだけど、出し抜こうとかそういうのじゃなく、一緒に乗り越えて、一緒に大きくなっていこうよというようなそういう関係がある。『パティシエール!』にはこうした友人関係の面白さがあふれているのですが、それは学びの現場における厳しさだけじゃなく、遊びやおふざけも含めた、楽しい時間を皆で作り、皆で過ごしていくというような一体感が感じられます。その一体感というのも無理に作られた感じはなくて、皆がそれぞれに、自分なりのやり方で同じ方向に進んでいるという、そういう感じがいいのです。

前にいったように、ヒロインのまさこねーさんは二十代中盤の歳の離れた学友であるわけですが、いわばちょっと毛色の変わったまさこを受け入れる雰囲気が漫画にはあふれていて、その雰囲気があるために個々の生徒、教師の個性なんかもうまく膨らまされて、すごくよいアンサンブルができあがっています。私が上に書いてきたのはちょっと大げさに過ぎますが、けれど学びの厳しさと面白さ、努力、友達関係の大切さみたいなのはしっかり伝わってくる漫画です。そして、こうした面白さに触れて、やっぱり学生時代は面白いよなあって思うのが私なのです。

蛇足

申し訳ない、大げさに書きすぎてしまいました。ほんとは、猫好きの宮本先生が可愛すぎると書きたかったのですが、なんだか暴走してしまって、その余地がありませんでした。なので、余談として付け加えておきます。

  • 野広実由『パティシエール!』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 野広実由『パティシエール!』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

2007年5月6日日曜日

赤い光弾ジリオン

  ゴールデンウィークも終わりですね。皆さん、どちらかにいかれたりしたのでしょうか? 私はといいますと、えっと、ずっと『ジリオン』見てました。昔、好きだったアニメ。類は友を呼ぶといいますか、私のお友達に『ジリオン』が好きだったという娘さんがありまして、DVD-BOX持っていらっしゃるとか。その話聞いたときに、どうも私は過剰に反応したようで、どの話が好きだった、どうたらこうたら云々、力強くジリオン語りをしたのが訴えたのか、なんとDVD貸してもらえたのですよ! きゃっほう! てなわけで、ここ数日は『ジリオン』三昧。いやあ、『ジリオン』はいいよ。ほんと、あの時分のアニメはよかったなあと、懐古するよな思いに浸る数日でした。

私が『赤い光弾ジリオン』をはじめてみたのは、なんと本放送時ですね。たまたままわしたかなんかなのかな? 日曜の朝、光線銃ジリオンを手にしてのアクションが痛快なアニメ。すっかり引き込まれるままに見ていて、いや、ほんと懐かしい。

ダーティペア』の時にもいってました。こうして全話を見直してみて、なんと私全話見てるじゃありませんか。当時、家庭用ビデオデッキがそれほど普及していたわけでもなく、ましてや中学生だった私に全話録画をできるような甲斐性はなく、だから頼みは再放送だったんですよね。TV-O、テレビ大阪が何度か『ジリオン』をやってくれていたのです。30分のプログラムを25分に切り詰めるために、OPは途中まで、EDは丸ごとカットという非情の再放送ではありましたが、けど内容を見られれば御の字。多分、私の昔のビデオを漁れば、数話分くらいは録画したのが見つかるはずです。まあ、EDはないんですけどね!

『ジリオン』は、私の知るかぎり男二人女一人、三人組の特殊チームが強大な敵に立ち向かうという形式の走りであるのですが、いや、他にもあるのかな? けど、これ以外となると『超音戦士ボーグマン』くらいしか思い出さないけど、いや、きっとあるでしょう(あったら教えてください)。

『ジリオン』ってなにがよかったんだろう。やっぱりキャラクターなのかな、と思うんですが、基本能天気でシリアスの似合わないJJが主人公。脇には、二枚目でクールを気取っているチャンプ、そして女性らしさに強さを秘めたアップルがいて、これにメカニック兼パイロットのデイブ、特殊チームホワイトナッツの長官ゴードとその秘書エイミがいて、このへんがレギュラーキャラですね。で、彼らはもちろん、サブレギュラーの面々、そして敵であるノーザからもいくつも顔、名前が思い出されて、ほら、『ジリオン』といえばバロン・リックスという人も多いはず。リックスは敵ノーザの武将であるのですが、鞭に変わる長剣を手にJJを追う彼の悲壮な姿にしびれた人は少なくないはず。格好良かった。敵が格好良ければ、その敵を向こうに決死の戦いを繰り広げるチームメンバーも当然かっこよく、シリアスを嫌いながら時にシリアスにならざるを得ないという、そういうバランスも含めすごく楽しく、なにより面白かった。

私が『ジリオン』をいい!と思っているのは、チームのそれぞれが、自分にできることを精一杯なそうとする、そういうところがちゃんと描かれていたからじゃないかなと思っていて、メインの三名は当然として、デイブにしてもエイミにしても、マスコットキャラであるオパオパ(そう、『ファンタジーゾーン』のオパオパだ)にしても、皆がそうなんですよね。そして、ゲスト扱いの人たちもそう。あまりに強大すぎる敵ノーザに徹底抗戦をしくマリス軍の兵士たちは、名のあるものもないものも、活路を切り開くべく戦い、ばんばん散っていく。ゲストとしてストーリーに現れて、少なからず主要メンバーに関わった人たちも、ばんばん死んでいく。けど、それがただ戦闘の苛烈さの演出のために死んでいっているわけではなく、その先にある希望をつかむための礎として散っていっていることがわかるから、じんとするし、ほんの数秒、一シーンのできごととしても軽さは感じない。そんな気がするのです。

さて、このDVD-BOXには、後にOVAとしてリリースされた『歌姫夜曲』が収録されておりませんで、友人はこれをレンタル落ち? のビデオで補完したとのこと。だから私も見ることできたのですが、やっぱりビデオとなると画質が落ちます。どうせなら、これもDVDで出してくれよー、と思います。『歌姫夜曲』は『ジリオン』本編を離れての、スチーム・パンクっぽい特別編でありまして、ノーザ側主要キャラも出てくるけれど、みんな擬人化、げふんげふん、人間として描かれています。これが、雰囲気を壊さないいい感じでして、けど雰囲気といえば、ゴード長官の扱いに私は泣きました。いや、ゴード長官、好きなんですよ。堅いおっさん、って雰囲気のあるキャラクターなんですが、それでもやる時にはやるという、そういう存在感があるんですよね。それにラストに向けての流れにおいて彼の果たした役割は決して小さくなく、いやあ、あのシーケンスは泣きますよ。なのに、なんであんなになってるんだー! ちょっと残念。けど、まあいいか。ラストに向けてかっこよすぎた分のおつりと思っておきましょう。

長くなりすぎたな。だから、最後に一点だけ。当初は銀河帝国を打ち立てるべく侵攻を開始したといわれていたノーザですが、回を重ねるごとにそのストーリーが膨らんでいったのか、単純に侵略して征服してというだけが目的でないと語られるにいたって、そしてその目的の正当性あるいは共感性もあれば、あのラストがあれだけの力を持つにいたったのだと思います。全体のストーリーを通して下駄を履かされた感もある主人公たち、何度か起こった奇跡もあり、けれどあのラストがあれば、そうした下駄も奇跡も、すべてが神の意思のもとにあったのだと納得できる。そう、昔のアニメ(まあ今もですが)にあるちょっとしたご都合主義、それらを全部ちゃらにして目をつむらせることのできるほどに強靱なラストでした。正直、名作であると思っています。

というわけで、私は今激しくDVD-BOXが欲しいです。

2007年5月5日土曜日

トニーたけざきのガンダム漫画

  書店にて遭遇した赤い彗星が表紙の漫画本。シャアのパーソナルカラーを基調色とした表紙に、線画のシャア・アズナブル。ぱっと見には安彦良和絵かと思われたのですが、ところがなんだかちょっと違う。タイトルにはトニーたけざきという名前があり、もちろん著者もその人、トニーたけざき。なんかパロディみたいですね。で、買おうかなどうかなと迷って、そして結局買った。読んだ。面白かった。極め付けに面白くて、それから数日は同年代のガンダム好きにお勧めしてまわって、それくらい面白かったんですね。

この漫画のなにがよかったかといったら、それはガンダムというアニメへの愛でありましょう。ガンダムという素材が縦横無尽自由自在に料理され、やり過ぎ一歩手前あるいはボーダーを越えるくらいにまで踏み込んでパロディされているというのに、それが嫌みもなく笑えてしまうというのは、作者がガンダムの世界にどっぷりとはまって、そのもろもろをしっかりと吸収咀嚼しているというのが実感として伝わってくるからなんだと思うのです。読者はガンダムを共通体験として共有して、台詞の断片であるとか、あるいはかつて思ったかも知れない突っ込みどころやなにかを心中に抱き込んでいるから、トニーたけざきのパロディのいろいろが直撃するように感じられて、面白い。こんな解釈もありか、ああこれは自分も思ったことあるわ。ここまで共感というか、友達同士で馬鹿話してるみたいな感覚の得られるパロディは、また珍しいのではないかと思います。

さて、私はこの漫画は最初のシャア表紙だけで完結なんだろうかなんて思っていたのですが、実はその後も続いていたみたいなんですね。それが『トニーたけざきのガンダム漫画 II』。書店にておでん缶を手にするアムロ表紙を見付けたときには、一も二もなく手に取って、買って、読んで、度肝抜かれた。漫画としては、正直なところシャア表紙の方が好みだったんです。セーラさんのGブルに向ける愛の深さや、ハヤトとガンタンクの愛憎であるとか、こういうのがとにかく好きだった私には、ちょっとアムロ表紙の方は物足りなく感じられる。いや、違いますね。物足りないのは漫画としての面白さ。はっきりいって見どころが違うのです。

ガンダム世代はプラモデルも好き。ガンプラが社会現象になったのをお覚えでしょうか。入荷日にはおもちゃ屋に行列をなして買い、作り、汚し、飾り、自分なりのガンダム世界を醸成していった、そうしたいろいろが一挙に浮かび上がってきて、胸が詰まったかのような思いでした。すごい! まさにその一言。今や至高の域にまで達したガンダムのプラモデル。それらを惜しげもなく大量投入し作り上げられる、リアル志向のジオラマ漫画ですよ。うわあ、よくこんなの作ったなあ。モビルスーツのみならずジオン兵まで作り込まれて、いやがうえにも高まる臨場感。そこへ投入されるのは、我らが超兵器ガンダムっていうんだから、また度肝を抜かれました。

よく残ってたなあ。いや、なにがかといいますと、クローバーから出ていたガンダムのダイカストモデルですよ。時はスーパーロボット時代。兵器として描かれるガンダムとは一線を画した、合体変形ロケットパンチのおもちゃが存在していたんですよ。それがリアル志向のザクの前に現れて大暴れさ。

こんな感じにリアル志向と非現実的おふざけが共存するところにこの人の真骨頂はあるのかもなと思いましてね、だって大量に押し寄せるザク、ザク、ザクの群れ。擬装を施し埋伏していたザクが現れるところなんかは、嫌になるほど格好いいっていうのに、その後の展開はなんですか。馬鹿馬鹿しい。けど、普通なら思いついても手間のかかりすぎるこうしたことは実行しないんです。それをこの人は十全にこなして見せて、だから馬鹿馬鹿しさが極まって感動作になった。いや、ほんと、これは名作ですって。ちょっと他には類を見ない素晴らしさが、この一冊には結実しています。いや、二冊か。

味わいを変えて展開する、トニーたけざきのガンダム世界。三冊目が出るなら、きっと私は買いますね。というか、きっと買うから、三冊目も出してください。想像だにもしなかった、素晴らしいガンダム世界をかたちにしてくださることを期待して、また数年を待ちたいと思います。

2007年5月4日金曜日

七時間目の怪談授業

 大阪大学にて教鞭をとる物理学者菊池誠の公開するkikulog。このBlogは、今この日本に蔓延する偽科学に対して警鐘を鳴らし、批判する、そうした場として機能しているのですが、ある日一冊の青い鳥文庫が取り上げられました。それは藤野恵美『七時間目のUFO研究』。私はこの本を、仕事帰りに寄る書店に見付けながら、中まで確認するにはいたらず、昔はよく読んだ児童文学ですが、最近はずいぶんと疎遠になっていて開拓するまでにはいかないんですよね。本当なら見過ごされるままに見逃されていたこの本ですが、けれどkikulogに紹介されたおかげで手に取ることができました。これは、本当によかった。いいタイミングでのご紹介、本当にありがたいと思います。

『七時間目のUFO研究』は、七時間目シリーズの第三作目であるということで、私は基本的にシリーズものは最初から読むことにしていますから、早速買いました、第一作『七時間目の怪談授業』。ある日、携帯電話に届いたチェーンメール。九日以内に三人に同じ文面で送らないと不幸になるという、典型的な不幸の手紙であるのですが、この本はこうしたお化け、幽霊、呪いといった怪奇現象をあつかって、けれどそれをおどろおどろしくしないというところに面白さのある、いうならば異色、非常に知的な雰囲気のあるいい物語を展開させていて、すっかり気に入ってしまいました。

基本的にはオカルト的ないろいろに対し懐疑的態度でもって臨むという本でありますから、どうしてもお化け、幽霊、そういったものを否定するという前提で話は進んでいきます。けど子供も大人も、人間っていうのは怪奇、怪異が好きという性質があるようで、だって自分の子供時分を思い出したらそうですもの。夏休みには『あなたの知らない世界』をわいわいいいながら見て、学校にいったらいったで心霊写真本で盛り上がってみたり、怪談本を回し読みしたりと、こういうことってあるでしょう。だから、この本は下手したらそういう興味に対し冷や水浴びせることにもなりかねず、としたら子供はそんな話を面白いと思うものなんでしょうか。

きっと、面白いだろうと思います。携帯電話に不幸のメールが届くという、実際自分の身にも起こりうる事件を発端に持ってきて、そして先生に没収された携帯を取り戻すためには、怪談で先生を怖がらせなければいけないという、そういう条件が提示されて、どうです、このスリリングな構成。不幸のメールの突きつける期限である九日の間、土日を含むので実際にはもっと少ない日数となりますが、授業の終わった後、すなわち七時間目にとっておきの怪談を披露する。そこには、メールを受けた当人であるはるかにその親友の女の子、怪談好きの少年から、憧れの君、自称霊感少女まで参加して、これでなにも起こらないわけがないというシチュエーション。実際、この下手をすれば地味になりかねず、また説教くさくなりそうな題材は、友情あり恋心ありの物語に膨らまされていて、この本来の対象層である小学生、あるいは中学生は、スリルにドキドキ、あるいはわくわくとしながら読み進むのではないかなあと、そんな感じであるのです。

けど、私はもうたいがいおっさんですから、その構成の巧みさに嬉しくなったりはするものの、スリリングというほどには感じず、だってね、もうおっさんですから。でも、児童文学らしいシンプルながらも凝った筋立て、伏線がうまく処理されている様なんかには、やるなあっていう気になって、面白い、いい本でした。子供たちのキャラクターも、わかりやすい類型を用いながら、けど生き生きとしていてよい感じ。妙に弱設定のはるかは可愛くて仕方がないし、かと思えば本作随一のリアリスト、クールさの光るはるかの姉なんかもいい味があるし、あるいは意外に策略家だったあの人の真実。これにはしびれましたね。ほんと、児童文学というのは昔も今も名作の森であることよと思える良作でありました。

子供にとっては、怪談が読めて、大きな物語も楽しめて、そして下手すりゃ夜が怖くなっちゃいかねない可能性をきれいにぬぐい取ってくれる、実に気の利いたいい本だよなと思います(子供の頃、怪談とか読んだら、こんなことねえよと思いながらも、どこか怖かったりしませんでしたか?)。安心安全、一粒で二度も三度もおいしい。ほんとよい構成だわと思います。NHKあたりがドラマに仕立ててくれないかなあ。そしたら絶対見るのに、って思います。

2007年5月3日木曜日

パネルでポンDS

 パネルでポン』を買ったのは、ひとえにWi-Fi対戦やりたい一心で。そのためにWi-Fiコネクタ買ったりして、いろいろ設定で難儀してみたりもして、そしてついにWi-Fi対戦! わっはっは、全然勝負にならないよ。最初ビギナーVSで参加してみたんですが、それでも全然勝てない。数回対戦しているうちに、私とほぼ同等くらいのユーザーさんに当たって、辛くも数回勝つことができて、そうしたらビギナーVS卒業といって追い出されてしまいました。ええーっ、まだはやいよと思ったんですが、実際まだはやかったようで、フリーVSはまさしくエキスパートたちの世界。勝てるわけあるかー! こっちは三連鎖がやっとなんだ! で、負けに負けまくったら、またビギナーVSに入れるようになりました。どうやら落第したみたいです。

『パネルでポン』はスーパーファミコンでリリースされたゲームだそうでして、その後もさまざまなハードにおいて発売されてきたというロングランのヒットソフトであるんだそうです。だから、ちょうど『カルドセプト』がそんな感じであるように、ゲームが発売されたばかりというのにすでにエキスパートたちがしのぎを削っているという、そういう光景が普通に繰り広げられています。

さて、ここで私の進行状況をば。まず初日、まだWi-Fi環境がなかった頃、ひとまずステージクリアをひとまず全面クリアしました。といっても、ビギナーですからね。そんなにすごい話じゃない。けど、これでなんとか慣れることができたって感じかなあ。でも、ステージクリアをいくらやろうとも、対戦が有利になるって訳じゃないんですよね。だって、このふたつ、ゲーム性が違います。ステージクリアはとにかく連鎖しようとしまいと、パネルを数消せば終わる。最終面こそは連鎖の技術が要求されますが、でもなんとかなる。けど、対戦となると連鎖の技術がないとまあ勝てないわけで、けどこの連鎖を作るっていうのすごく難しいんですけど。アクティブ連鎖? 正直あり得ないね。とりあえず二連鎖から三連鎖くらいが自分の意図してできる範疇で、五連鎖、六連鎖となれば、パネル配置がよっぽどいいとかじゃないと無理ですよ。でも、やってればなんとなくできるようになるもので、今は連鎖ヒントをオフにして頑張ってるんですが、がむしゃらに、とにかくどんどん消しながら、ちょこっと連鎖を作れるようになってきました。

ここで報告。昨日、TMOにログインしたときの話なんですが、『パネルでポン』を買ったのさといったら、SFC以来のユーザーさんが一人いらっしゃって、やっぱり興味があるんだそうです。私もWi-Fiできますか? って聞かれて、いろいろ必要になるけど、よかったらサポートしますよなんていっていて、よくよく聞けば無線LAN環境はもうあるんだそうです。ということで、オンラインサポートにて接続までこぎ着けて、そしてその人は『パネポン』買ってきます! って力強くいってくれたのです。フレンド二人目ゲットだぜ! わーい。嬉しいなあ。ユーザーの輪が広がるっていうのはこういうことなんだなあって心底実感して、けどこの波紋を広げる最初の石を投じたのはあなたですよ。というわけで、よかったら教室にもきてください。

驚愕の事実。今日、少しでも対戦観を付けようと、VS COMやってみたんです。それもビギナーじゃなくノーマルで。そしたらですよ、なんとフリー対戦のプレイヤーの方がずっと強いの。比較にならないくらい。そうかあ。やっぱり彼らはハードの世界の人なんだなあと思って、けど今はノーマルで修業中。

フリー対戦の猛者の方々、レベルの低い戦いをして申し訳もない話ですが、いつか少しずつでも強くなりたいと思っていますので、今は胸をお貸しください。

2007年5月2日水曜日

Wi-Fi USB アダプタ 2

 えっと、このタイミングでこの商品が出てくるってことがすべてを物語ってると思います。昨日いっておりました、DellのInspiron 6000を無線LANアクセスポイントにするという計画ですが、見事に失敗したことをここにお伝えします。いやね、ルーティングがどうとか心配してましたけど、そこまでいけませんでした。Inspiron内蔵の無線LANはアクセスポイントとしては使えないみたいなんですね。アドホックモードでさえ動作せず、なのでルータ云々という予習は見事に無駄となったのでした。というわけで、悔しいので、Wi-Fi USBコネクタを買いにゲーム店にいきまして、そうしたら任天堂純正品がなかったので、そのかわりといっちゃあなんですが、サードパーティ製のアダプタを買ってきました。それがWi-Fi USB アダプタ 2。ゲームテックから出ている商品ですが、中身はプラネックス(GW-US54Mini2)です。

で、いきなりではありますが、ネットワークの知識がない人は買ってはいけません、これ。確かに結果的に無線アクセスポイントとして使えますが、けど説明書の記載どおりにやっても無理。インストール後、タスクトレイから右クリックでメニューを読み出し、Switch to AP Modeまではいいですよ。問題はその後。WAN側のポートを指定せよといわれるんですが、もちろんWANに直で繋がってるポートなんてないわけですよ。そのため、説明書どおりに設定することができません。プライベートIPを持っているポートは拒否されてしまうんですね。

参ったなあ、ここでルーティングかよと思って、とりあえず手でIPをGW-US54Mini2にふってやりまして、けどルーティングするまでのこともないかもと思い至って、昨日、ばたばたとコンピュータと格闘しているときに見付けたブリッジの構成ってやつを試してみて、つまり同一のネットワークを繋ごうというわけです。ブリッジを試すまでの時点でDSはアクセスポイントを見付けることができていて、ただしIPが取得できませんという状況だったので手でIPをふってあります。この状態で接続成功。次いで、IP自動取得を試して成功。そんなわけで、ようやくWi-Fi対戦をできる環境が整ったのでした。

なお、最初からブリッジしてやれば、IPまわりはDHCPまかせでよかったみたいです。しかし、このへんをちゃんとフォローしてないのは、製品としてはまずいのではないかと思います。それも、ネットワーク機器としてよりもゲーム周辺機器色を強めて出している商品でこれというのは、ちょっとなあ。まずいんじゃないかと思います。

もし、あなたがコンピュータに明るくないなら、これじゃなくて任天堂純正のWi-Fi USBコネクタを買うべきです。もしあなたがネットワークに詳しいなら、これじゃなくてPLANEX Wi-Fi USBアダプタ GW-US54Mini2を買うほうがずっといいでしょう。

だってさ、同じ商品なのに4,200円もするんだぜ。これ、PLANEXだと2,550円だもんなあ。いやあ、ほんま、これは買うべきじゃないよ。いや、マジで。こりゃあ駄目だよ。

2007年5月1日火曜日

パネルでポンDS

 パネポン買ったよー。と、いきなり報告で始まる今日のお試しBlog。以上。ええーっ! ってのは、まだ説明書読んだだけで、プレイしてないんですよ。だから書こうにもなにも書くことがないという話でして、なにこのひどい更新! といえば確かにそうではあるのですが、『パネルでポン』については、内容について言及するよりも、買ったという事実を伝えることを優先したかったわけです(メールでやれ、メールで)。ええとですね、友人がこのゲームを買ったってゆったはったんで、それでユーザーが増えたら嬉しいな、みないなこともおっしゃってたので、じゃあちょっぽくさ買ってみようかね、なんて思いまして、買った。そう、もちろん目標はWi-Fi対戦さ! とはいうものの、無線LANアクセスポイントとかもってないんですよね……。どうしよう。

実はもくろみがあるのです。私は基本Macintoshユーザーですが、Windowsノートもひとつ持っていまして、DellのInspiron 6000なんですが、これ、なんとIEEE802.11bが装備されていましてね、ええ、Wi-FI対応ってわけですよ。けど、ノートPCが無線LANにアクセスできたからなんだっていうのか。と、ここでもったいぶって一つ記事を紹介しますよ。

@IT:Windows TIPS -- Tips:IPルーティングを有効にする方法(レジストリ設定編)

勘のいいあなたならわかったはず。そうですよ。Windows XPに標準で搭載されているIPルーティング機能を使いましてね、Windowsノートをアクセスポイントにしようって話なんです。

これができるかどうかいくつかチェックしなければならないことがありますが、まずはアドホックモードでいいからNintendo DSとInspiron 6000が接続できることを確認することですね。それで、次はEth0とIEEE802.11bをルーティングしてやる? ということは、ルーティング・テーブルを書いてやる必要があるのか。できるかな、こんな設定。

@IT:Windows TIPS -- Tips:ルーティング・テーブルを操作する

とりあえず、上記説明を参考にしながら、泥縄式に知識を集めるわけですけれども、これってつまり、DSからインターネットに繋がってる方に向かうルートと、インターネットからDSに向かうルートを設定してやるってことだと思うんですが、例えばインターネットに繋がっているネットワークが192.168.1.0/32で、Eth0に割り当てられているIPアドレスが192.168.1.10だとしたら

route add 192.168.1.0 mask 255.255.255.0 192.168.1.10

ってしてやればいいって話なのかな? 正直これでうまくいくものなのか、正直よくわからんのではありますが、とりあえずは試してみようと思います。

というわけで、私が無事パネポンWi-Fi対戦できるかどうかは、付け焼き刃のネットワークの知識にかかっているというわけで、もしこれが駄目だったときには、Wi-Fi USBコネクタでもなんでも買いますわ。

蛇足

しまった! パネポンスーパープレイについてコメントするつもりだったのが、すっかりいらん話だけで終わってしまった。ああ、今度今度。