過ぎてゆく年を振り返るという意味からもなんだか重要な気もする一年最後の日、大晦日の更新は志村貴子の『青い花』です。ええと、特に深い意味はありません。第1巻を書店で見かけて以来、ずっとずっと気になり続けていた漫画なのですが、それをついこの間まとめて買ったものですから。正直なところをいいますと、この漫画に関しては出遅れたという感じが強くて、だからなんだか買いにくかったんです。ところが、先達て第2巻が出ましたでしょう。そんときにですね、多分第1巻2巻そろいで入荷して新刊だけ売れたんでしょうね、いつも立ち寄る書店で第1巻が平で置かれていたんです。あれ? 1巻新発売? とすると、これまで見てたのって雑誌の表紙だったのかなと思って、新刊気分で第1巻を買ってしまった。その後、地上三十階の書店で第2巻が大々的に売られてるのを見て、ああそういうことかと理解、一日で1巻2巻を買ってしまうことになってしまったのでした。
でも、なんか日常の些事に追われて、今日まで読めなかったのです。今日、つまり一年の最終日、大晦日の日中、なんだかなにをするにもやる気の出ない昼下がり、そうだ『青い花』読もう。そして読みはじめて、この繊細に作り上げられた世界の細やかなディテール、鮮やかでけれどメロウな少女たちの感情の機微にとらわれて、ああいいね、なんとなくレトロでありながら、間違いなく現代的でもある、この端境に現れる混雑が淡くグラデーションを描くような感覚。素敵だと思いました。これはきっとはまる人にとっては堪え難くあらがえない魅力とうつるでしょう。
キャラクターの味付けも良い感じだと思うのです。みんな、なんだか一生懸命でかわいいよね。素直でまっすぐでそれが強さに繋がってるようなあーちゃんとナイーブで引っ込み思案でそれゆえに思いが胸中に醸成するような乙女ふみちゃんがヒロインなのかな、そして彼女らを取り巻く舞台装置が相まって、現代でありながらレトロモダンの空気を感じさせる。もしかしたらこういう空気を保った世界も、この世のどこかには残ってるのかも知れませんけどね、でも私には、ひたすらに美しい夢がかたちになったもののように感じられて、そう、私の思い描いた夢はこんな感じだったのかも知れないなあと思うのです。
で、ここでやれ美しい女として生まれたかっただとかなんとかいう与太話が続くのだけど、こんなの一年の最後に読まされてもどうしようもないし、なにより申し訳がないから割愛。けど、そうなのです。私はもう、女性同士の恋愛、特に少女期に見られるようなものを特段に美しいものとは思わないようになっているのですが、けどなんだか夢に描く少女期の恋愛は美しいもののように思える。まあいうたらロマンチストなんでしょう。潔癖に純粋培養するかのように閉鎖された空間で起こる、心と心が純潔性を手がかりに引きあい、求めあうような恋愛だなんて夢想したいのか、とにかくどろどろの愛憎劇なんて見たくない、けど心と心が絡み合い引き合い、別れもあらば傷ついて心千々に乱るるようなそんな恋模様なら別だと思っている。そういう恋愛のかたちというものをこうした漫画に投影して読んでいるのではないか、きっとそうなのだろうと思います。
それだけに、この漫画の中に投げ込まれたあの男性、井汲京子の許婚が怖ろしゅうて怖ろしゅうてたまらんのだよ。もう、兄貴の気持ちがよくわかるってやつさ。おそらくは、こうした異質な存在、 — この作り上げられた甘い夢をぶち壊しうる欲望 — がこの漫画の、特にあーちゃんを取り巻く物語の動因になっていくんだろうなと思って、楽しみでありながら心配です。けど、心配だからこそ読み進まないわけにはいかないと、果たしてどういった方向に進むのか、そうしたいろいろ全部含めて、この先に起こるだろう展開を心待ちにしてしまっています。
0 件のコメント:
コメントを投稿