『正義警察モンジュ』を読みながら、ふと思い出していたのがこの映画『シザーハンズ』です。手にハサミを取り付けられた人造人間エドワードが主人公。ひとりぽっちでいたところを、親切なのかおせっかいなのかわからないおばさんに見つけられて、引っ張っていかれるまま町で暮らすことになったのですが、このエドワードに対する町の人の視線というのが実によかったなと思うのです。まったくの異邦人であるエドワードを警戒し、遠巻きに見守っていた町の人が、次第に彼を受け入れていくというその流れは、まさしく仕合せな関係を気付いていくプロセスであって、見ていて嬉しくなってくる。 — だからこそ、エドワードに訪れるその後の変化がより以上につらく感じられるのだと思います。
ちょっとの誤解がすべてをだいなしにしてしまうんですね。まったくもっての誤解、いや陥れられたんです、彼は。私はあの場面を見て、そのあまりの仕打ちに悔しくってしかたがなくって、あんまりにつらいもんだからこの映画を見れば必ず嫌な気持ちになってしまう。嫌な気持ちになるのは、この誤解を解く鍵を握っている人間が、なすべきことをなさずにいるから。そのように思っています。
ヒロインですよ。出会った当初こそはエドワードに過敏に反応した彼女ですが、次第に打ち解けて、わかりあっていくというそこはいい。けど、エドワードと彼女の仲に嫉妬したボーイフレンドがエドワードに対して為した罠とそのからくりに加担はするは、そればかりか、評判を落とし悪意の視線にさらされるエドワードに憐れみや共感を示すそぶりをしながら、最後まで真実を告げない。なんだそれは! それを裏切りっていうんだよ。裏切りを働いておいて、なにひとりだけすべてを美しい思い出みたいにしてやがるんだ。ふざけんじゃないよ。
といった具合に、私は過剰にエキサイトしてしまうので、この映画見られないのです。まあ、これほどに反応するのは、エドワードにそれだけの深い共感を持ってしまうからなんでしょうけどね。
『シザーハンズ』は人造人間というSFちっくな存在を持ち込みながら、その語法はファンタジーに似ていると思います。そして私は『正義警察モンジュ』を読んで、やはり『モンジュ』もファンタジーであると、そのように思ったのです。ファンタジーとは決して非現実的な夢物語ではないことに気をつけてください。想像の力によって生み出された世界は、時によく現実をあらわに描いて、だから私は『シザーハンズ』も『モンジュ』も同じくよいファンタジー作品であると思います。
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