2006年12月4日月曜日

著作権法の意義ってなんだろう

著作権に対し熱心に取り組んでいるサイトやBlogではすでに取り上げられているのではないかと思いながら、私もコメントしてみようと思います。

 車の事故で亡くなった子どもの写真などを自分のホームページに無断で転載したとして、愛知県警が、東京都あきる野市に住む小学校教諭の男(33)を著作権法違反(公衆送信権の侵害)の疑いで書類送検していたことが3日明らかになった。

 教諭は交通事故以外にも、虐待や災害で死亡した子どもの遺体の写真を大量に掲載していたという。裸の写真も含まれていた。

最初この記事を見たとき、私は理解することを拒否したのです。はっきりいってまともであるとは思われない。上記の引用部分の後にも記事は続きますが、そこに引用された問題サイトの文言は見るに堪えないというほかないもので、死者の尊厳や個人のプライバシーをうんぬんする以前の問題であると思われて、はっきりいってまともではない。嫌悪が先にたって、この人の行為に対しコメントすることは私にはちょっとできそうにありません。

私がこの事件において気になったことがあります。上記の問題を告発するために著作権法が使われたということです。児童の写真に発生する著作権でもってサイトを差し止めようとしたのでしょうが、しかしこれは著作権法の本来の趣旨からすれば逸脱しているというほかなく、まさしく搦め手というべきやり方です。

身内の死が好奇の対象としてさらされるという状況が遺族にとって苦痛であろうことは私にもわかります。だからなんとかしてサイトを差し止めたいと思う気持ちもわかります。そして、現状の法においては著作権法を使うのがもっとも速く目的に達する手段であったということなのでしょう。

ですが、これは著作者の権利を保護するという著作権法の趣旨から見れば、明らかに逸脱する運用であることには留意しておく必要があるように思います。今回は、悪意を退ける目的でおこなわれたケースであり、故にメディアも著作権法を利用して表現を差し止めたとストレートに取り上げていますが、同じ手段でもって不善をなすことも可能であることを充分理解しておかなければなりません。コンテンツホルダー(著作権を有する側)が自分にとって不利益な表現(情報)を、その表現の内容を問題にすることなしに、著作権法違反として告発、取り下げさせることがありうるということを知っておく必要があるということです(そしてそうしたケースは、今回のようにおおっぴらに報道されることはほとんどないでしょう)。

今回のようなケースに関しては、個人のプライバシーにかかる侵害、尊厳に関わる侵害を、その表現そのものを問題として罪に問える法が整備されることが理想であろうと思います。おそらくは本文にあるように侮辱容疑やあるいは名誉棄損に問うというのが筋であろうと思いますが、これらの容疑でもってサイトの差し止めをおこなうには手が遅すぎると判断されたのでしょう。ですから、インターネット上に公開された(そしてそれはインターネット上に限らないでしょう)個人の権利を侵害するリソースを迅速に差し止めることのできるような法も、これからは求められるのかも知れません。そして私はすでに必要とされていると思っています。

もちろんこうした法律を作るのは簡単なことではないと思います。なにをもって権利の侵害とみなすかは常に問題となるでしょうし、おそらく裁判所が為すこととなるだろうその判断を待てないという事情もあるでしょう。また、その法を悪用して自分にとって批判的な内容を持つ表現を摘もうとする者も現れるかも知れません。ですが、本質的に関係ない法を流用して追い込むというような手法をとるほかないという状況もまた問題です。こうした、本来の法の趣旨にもとる流用がおこなわれたとき、そしてそういうことが往々になされる風潮があるときに、それら行いがはらむ問題を認識しながら沈黙するようなことはしてはならないと考えます。

引用

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