ひらたくいうと、女子高生4人の日常もの。けどちょっと違う。疑似家族もの、というほどでもない。ひとり、学校の宿直室に暮らしている梁井史夏が、クラスの友達や先輩たちと一緒に家族ごっこをする、そういうお話なんですね。彼女らはお父さんお母さん、姉、妹の役割を演じるでもなく演じて、けれどその役割に捉われすぎるということもなく、友達としての関係を保っている。友人としての仲のよさをベースにして成立する家族ごっこ。寂しくて甘えたり、先輩としてなのかあるいは父や母としてなのか、後輩すなわち娘たちの面倒見たりね、そうした様子がほのぼのとしてあたたかく、見ていて非常に微笑ましい。この微笑ましさ、これが強みであるのだと思うのですよ。
微笑ましさの理由、それは、なんだかんだいって彼女ら全員がまだ大人でないからなんだと思うんですね。姉、梁井史夏。妹、妹尾さな子。お母さん、栂夕希。お父さん、斧田彩音。家族といっても、放課後、皆が史夏の部屋に集まっている間だけのこと。部屋から出ると、家族という設定が気恥ずかしくなって、ちょっと他の人には知られたくない。年頃の女の子がお父さんとかって呼ばれるのは恥ずかしいよね。家族というのは仲間うちだけのこと、秘密にするほどではないんだけど秘密にしときたい。そういうナイショな感じがいい。お父さんだお母さんだいっても、またそれっぽく振る舞おうとしてみても、それなりの経験があったりお金があったりするわけじゃないしね、ましてやなにか責任ある立場というわけでもないしね。どんなにうまくやったとしても、真似事っぽさが抜けない、そのぽくないところが可愛くて、いうならば彼女らの若さ、まだ幼なさを残している、そうした感じを強調することにもなって、すごく見守りたい気持ちになる。ええ、微笑ましいんです。
家族ごっこをやってるのは、海外にいる家族と離れて暮らしている史夏、この子が寂しがっているのを見かねて、なんですね。ホームシックならぬファミリーシック、そんな史夏を元気づけようと妹役を買って出たさな子。いや、この子は現実の兄貴を諦めて、理想の姉を求めていた。理想を史夏に見て、お姉ちゃん妹の関係に潜り込んだ。元気づけたいという気持ちと、自分の望んだもの、両方を一度にかなえようとする、そういううまくやっちゃうところがさな子の魅力なんだと思っています。
誰もが家族の役割を無理して演じてるわけじゃない。だから見ていてしんどくならないんでしょう。さすがにお父さん役には抵抗のあった彩音だけど、別に男っぽく振る舞う必要なんてなくて、女の子、割と繊細だったりしますよね、この子、そうした部分をちゃんと残しながら、お父さんというポジションに収まってる。お母さん役の夕希も、ご飯作ってあげたり、いろいろ細々家事の手伝いしながらも、無理にやってるわけじゃない。好きでやってるところがある。適材適所といってもいいのか、自分の立ち位置を楽しんでる節が見てとれて、お母さん的役割を、お母さんだからやるんじゃなくて、夕希の自然体でやっている。この家族ごっこという不自然が、なぜか自然と感じられる、そんな彼女らのありかた、それも大きな魅力になっていると感じるのですね。
高校生というちょっと特別な時期を、家族として、友達として送る彼女らは、なんだかただの友達というには親密で、すごく特別なんですね。夏、学校に泊まったり、雨に降られたらお風呂に入ったり、屋上で見る花火もまたすごくスペシャルで、特別な時間を特別なステージで特別な相手と過ごしている。そうした情景が時に夢のようで、なんて素敵な青春なのだろう。気負うでもなく、またそれを過剰に劇的なものとするでもなく、とにかく自然なものとして等身大に描いている。その様がまた素晴しく、どうにもこうにも心魅かれてならないのです。
- タダタグ『寄り道ファミリ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2013年。
- 以下続刊