2008年4月30日水曜日

GENERATION XTH -CODE HAZARD-

「ジェネレーション エクス」応援バナー期待しつつ、その発売を心待ちにしていたGENERATION XTHがついに発売。到着するまではなにも手に付かず、到着すれば矢も立てもたまらずインストールして、あとはプレイ三昧ですよ。といいたいんですが、いくら休みだからといってゲームばかりに没頭するというのもまた無理で、ああもどかしいなあ、もっと遊びたいのになあ、と思いながら、一日あたり一時間二時間のペースで遊ぶ。あっという間に消費してしまうのもつまらないでしょう。だからこれぐらいのペースがいいのかなと自分を慰めています。

さて、実際にプレイしてみたG-XTHですが、これ結構厳しめの難度設定で、正直驚いています。一番最初に探索する迷宮ですが、深入りすると死者が出るというのは実にらしいバランスで、ええと、最短でイベントを消化したその帰りに欲を出したら死者一名。おーまい、なんてこったい。Wiz XTHでいきなり漏電床を踏んで死んだのも懐かしい思い出ですが、G-XTHのバランスはWiz XTH以上に厳しいことは間違いありません。だってさ、レベルをふたつみっつあげれば楽になるかと思ったのに、ならないんだもの。クリティカルヒット持ちの敵もものすごい序盤から出てくるし、次のフロアに進んだらクリティカル関係なしに一撃死する勢いだし、相変わらず毒は脅威だしで、もう6回くらい死んでる。けど私はリセットしないと決めているから、その都度の蘇生がドキドキもので、だってロストありのシステムですからね。幸い今のところ全員健在ですが、ロストしたら立ち直れないかも知れない。実際、ロストの報告もされているので、ああ、ぞっとしますね。いちにんたりとも脱落者出してたまるものか、その一念でやりますから、レベルあげつつ、少しずつ進める。おかげでなかなかクリアできない、コストパフォーマンス上がる。こんな私にはきっと充分なボリュームとなるだろうと予想されます。いやね、ボリューム不足なんじゃないかって話があるものですから、私もちょっと心配しているんですよ。

G-XTHにはレベルによる装備制限があるのですが、これが難易度をあげることに繋がっているようにも思います。迷宮探索中、高性能の武器防具を入手することってありますが、キャラクターのレベルがアイテムのレベルに達していないと装備できないために、常に初期は貧弱な装備に限定されます。これ、セカンドパーティを作る時に厳しそうです。だってね、Wiz XTHとかならファーストパーティの集めた物資を流用することで、セカンドからは楽ができたわけですよ。強力な武器で敵を一掃し、敵の攻撃は重厚な防具で防ぐ。ちょっとくらい無理しても死なないから、レベルも上がりやすい。でもG-XTHではそれはできません。死にやすいキャラクターばかりのパーティで、危険な敵に立ち向かうということを強要されて、ああこの強要という響きの甘味なること! いやね、ゲームは困難に立ち向かうからこそ面白いんであって、でも楽できるならしてしまうのが私という人間で、その相いれない状況をこのシステムはうまく解決してくれます。とはいってもなあ、もうちょっとレベル1装備の充実をお願いしたかった。いやあ、ほんとにレベル1のキャラクターって弱いんですよ。逃走用のアイテム、スペルを充実させて、死亡リスクを下げて、深入り禁止にして、なかなか上がらないレベルに耐えて、一撃死の恐怖を乗り越える必要があるんですが、それでもひとりふたりくらいは死ぬ。そんな状況を経るからこそ、キャラクターへの愛着がすごいことになるんでしょうね。

私の今の進捗状況いいますと、ほんとに序盤、チュートリアルっぽいクエストを消化してやっと本筋に入ったというくらいです。だからこの先どうなるかはまだわからず、だからこそ楽しみでなりません。急がず、慌てず、着実に進めていきたいと思いますが、今回はなんだかレベル上限が低いらしいので、ゆっくりレベルをあげて、確実な勝利をものにするというスタイルは無理かも知れません。となると、私にはきついバランスになるな。とはいえ、いつもレベルあげすぎている嫌いがあるので、これぐらいがいいのでしょう。あまりに楽勝過ぎるのもなんだと思います。

「ジェネレーション エクス」応援バナー モーセ

2008年4月29日火曜日

えむの王国

  年度があらたまったからというわけでもないのでしょうが、最終回を迎える漫画が結構あって、しかも好きで読んでいたものが多かったためにちょっと寂しいなあという気分であります。けれどこうしたことも雑誌の新陳代謝でありますから、むやみに寂しがるというのもよくないことでありましょう。というわけで『えむの王国』、第3巻で完結しました。当初はこんなに続かせるつもりじゃなかったとかいう話でありましたっけ。マゾヒストだらけのカスティーナ王国を舞台に、マゾでもサドでもない姫さまがとまどう様を楽しむ漫画、であったと思うのですが、なんだかよくわからないうちに純コメディから準シリアスに変わってしまって、3巻ともなるともうほとんどがストーリーというような状況。でもそれでも好きだったんですね。ストーリー仕立てになり、ひとつの事件が解決に向かおうとするのを見ながら、ああ直き終わるなと覚悟してはいましたが、それでもやっぱり終わってしまったことに少し寂しさを感じています。

この漫画が好きだったのは、それこそ私の趣味嗜好のためでしょう。どうも私は性的に倒錯している系統のネタが好きであるらしく、シリアスなものもそうなら、コメディ、ナンセンスでも同様で、古くは『ストップ!! ひばりくん!』などお気に入りでした。BL、百合ものなどは、それこそ今では珍しくもなんともない、普通のジャンルとなってしまいましたが、それらジャンルが確立される以前から、漫画、小説、アニメなどでそういう雰囲気漂わせるシーンが出たらがぜん色めき立ったものでして、だからこれらが一大ジャンルとして成立した時は、やったと思いましたなあ。

『えむの王国』は、当然そうしたジャンルが形成された以後のもので、というか、そうしたジャンルが存在することを前提として遊んでいるという感じの漫画でありました。国民がマゾの国があれば、サドの国もあり、さらには百合やら薔薇やら、そうした特徴的な性癖を取り上げて、国民性にしてしまうという乱暴な設定は、それが乱暴でストレートであるほどに面白みを増すと思わせて、まあ端的にいえばベタなんですけど、ばかばかしくてよかったです。もちろんこの漫画は、それら性癖を克明に描きましたなんていうのじゃなくて、あからさまにいびつで、現実とは乖離したものであるのですが、でもかけ離れているというそこがよかった、極端に紋切り型が押し立てられているから、現実のそうした人たちとは無関係のものとして、単純に楽しむことができたのですね。もしマイノリティを笑おうなんて色があったとしたら、きっと私は受け入れなかったですよ。ところがこの漫画に関しては、そうしたものを感じなかった。だから、キャラクターに主導される微温的な面白さに、ゆったりと浸ることができたのだと思います。

後書き読めば、なんだかこの話が続く可能性がないでもないって書かれていて、だったらまたいつかお目にかかることができるかも知れないってことですか。だとしたら嬉しいことです。あまり設定に縛られたりするのではなく、あの修学旅行編(連載時には、いったい何事かと思いました)みたいな、ばかばかしくも面白いというのが読めればきっと私は嬉しいだろうなと思って、でもあの渾身のストーリー展開も、ラスト付近は緻密さ、丁寧さに欠けてはいたものの、うまく落としたなあ、なんだかすごくいい話みたいになってて、嫌いじゃないんですよ。そして、ハッピーエンド。すべて片が付いたあと、一人一人のその後にライトが当たるようなエピローグ、ああしたところも好きでした。だから、やっぱりまた読めるものなら読みたいと、そんな風に思います。

蛇足

書き下ろしのイラスト、四人は仲良し、ああいうのりで是非。つうか、なぜシェリス王子はおられんのですか。

  • 中平凱『えむの王国』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 中平凱『えむの王国』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 中平凱『えむの王国』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。

2008年4月28日月曜日

ふーすてっぷ

 岬下部せすなは、かわいらしいキャラクターとほのぼのとした雰囲気持った漫画を描くのに非常に長けた人で、『ふーすてっぷ』などはまさしくその本領の発揮されたというにふさわしい仕上がりであろうかと思います。内容はというと、社会から隔絶した環境に育った少女の更生もの。一口に説明してしまうと重く痛ましい設定でありますが、けれどこの作者独特のあたりの柔らかさはそうした暗さを払拭するに充分で、読んで得られる感触といえばむしろ人と人が出会い、交流を深めるというのはどういうことであるのかを再確認させるような、暖かで静かに染みる成長ものでありました。ヒロインは、闇の組織にて暗殺者となるべく育てられた風。外の世界を知らずに育った彼女は、組織から助け出された後、児童養護施設に入所し、自分の人生を取り戻すべく少しずつ歩みを進めていくのですが、その急がず着実に歩を進める様、それがよかったと思うのですね。

そして、その歩みを進めるということが、風のらしさを消し去るのではないというところが素晴らしかった。風は、人と触れ合うことで、自分で自分の歩み方を決められるまでに変わります。しかしそれは人が変わったということではないのです。風はあくまでも自分のらしさを保ったままでいます。ぶっきらぼうと感じさせるような物言いや淡々とした振舞い、普通なら欠点といわれかねないような要素をも残したまま、けれど足りなかったものを少しずつ得ていくことで、人間らしさを回復していく — 。この人間らしさとは、お仕着せの喜怒哀楽、作られたよい子像などとは無縁の、一人一人の真情に根ざすものであります。自分の心が求める喜びややりがい、そして誰かに認められ、誰かを認めるということの意味を知るということにほかならないと思うのです。そして自分を押し殺すのではなく、よさもわるさも、できることもできないことも、すべてひっくるめて受け止めることができた、そうした時にはじめて人は自分の一歩を踏み出すことができるのではないだろうか、こうした一歩を重ねることで、人は自分のありたいと思う自己像に近づいていくのではないか、そんなことを思わせてくれる物語でありました。

自分自身を受け止めるということ、それは自分のありのままを受け入れてくれる誰か、信頼できる誰かがいるということが大切なのだ、そういうこともまた思わせてくれる漫画であったと思います。風にとっては鉄平だったのでしょう。伝にとっては風であったのでしょう。自分のすることを後ろで見守っていてくれる。なにかがあった時には自分を助けるために動いてくれる。そうした安心感を与えてくれる誰かがいるということが、新しいことにチャレンジしようという勇気を後押ししてくれるのだと思います。そして、チャレンジが成功しようと失敗しようと、きっと迎え入れてくれる場所が用意されている。帰る場所があるということの幸いを知り、そこで得たものの大切さを知るからこそ、そのかけがえのないものをともに守ろうと思えるのだと思う。こうした気持ちが育まれ、受け継がれる、そのなんと仕合せにして喜ばしいことでありましょう。私が私らしくいられる場所、私らしくていいといってくれる場所を得ることのできる、そのことは本当の意味での安らぎを得られるということに同じであると私は信じるものであります。

だから、きっと風は仕合せなのだと思います。まだまだ発展途上の風は、きっとこれからも新しいなにかに出会いながら歩み続けるのだと思います。そしてその歩みの先には、よりよい風のらしさがあるに違いないという予感がする。なら、その先にたどり着いた風はいったいどのような女性になっているんだろうか、それを想像するだけでもなんだか嬉しい。嬉しくなるのは、今以上のハッピーがあるという予感にあふれているからなのでしょうね。

  • 岬下部せすな『ふーすてっぷ』(まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。

2008年4月27日日曜日

帝都雪月花 — 昭和怪異始末記

 辻灯子の新作が本になって、私は相も変わらず喜ぶんだけど、でもなあ、これちょっと人には勧めにくいんです。いや、面白くないわけじゃない、面白いんですけれど、それもべらぼうに面白いのですけれども、人を選ぶんじゃないのかと、そのように思うところが非常にあるのです。『帝都雪月花』、副題に「昭和怪異始末記」とつけて、昭和の頭ころの風俗をたんまり盛り込んで、怪異コメディをやってみる、そういう漫画です。年代は、おそらく昭和一桁くらいでしょうか。ヒロイン和佳さんが噂の地下鉄道で浅草まで花を買いに出る場面があるのですが、噂というからには引かれてまもなく、物珍しさから話題になっている頃でありましょう。となれば、東京地下鉄道の開通がわかればある程度の年代特定はできるというわけで、ええ、上野浅草間に地下鉄道が走ったのは昭和二年のことであったのだそうです。

こんな具合に、当時の風俗、出来事が目立たぬようにそっとさしはさまれて、もちろんそれらは背景であるからでしゃばるようなことはなく、けれど確かに漫画に一花、一味を添えるものであるのです。前作『昭和余禄』に比べれば、そうした風物の現れ方はおとなしくなったとも思えますが、でも確かにベースにはその素養があって、いい味出していますよ。それこそ、こうした時代物が好き、大正から昭和戦前の風俗が好きという人にはちょっと無視できないものがあるんではないかと思われます。そして私はこうした時代が好きなのです。かつての職場で、明治から大正、昭和前期の雑誌、新聞を整理する仕事をしていた時、黄ばんで読むほどにかゆくなるような紙に辟易しながらも、見知らぬ時代の空気が面白かった。新聞の記事、なんか大げさな読み物風で、今ならプライバシーの観点から絶対出せないような風聞、あるいは週刊誌風とでもいいましょうか、そんな欄がばっちりあって、どこそこの令嬢がどこに嫁いだとか、そんなことが報道されている。味がある。こんな時代があったのか、あの時代はこんな風であったのか、すごく興味深かった。『帝都雪月花』は、これら一次資料の持つ生っぽさはないけれど、こうした昔に触れる面白さを感じさせてくれるものだから、好きな人にはたまらないものがあるのですね。

でも、あくまでもそれは主役ではない。主役は怪異譚でしょう。神職の家系に連なる瓜生の家の娘和佳が出会う怪異。というか、瓜生の家がすでにお化け屋敷呼ばわりされるような有り様なんですが、ともあれ、怪しげな下宿人上代秀真と猫又寅吉などをともなって、些細なものから危ないものまで、様々な怪異に遭遇する、そういう漫画なんです。ですが、和佳さんが明るく元気で、はつらつとしているものですから、気味の悪さ、おそろしさがむやみに強調されることはなく、コメディとしての風合いも持って、楽しませてくれます。そして、読めばどことなくうろんで、のらりくらりと手から逃げるような感触の中に、剣呑を隠している、そんな具合であるから、読んでいる私が化かされているようなそんな不思議な感覚味わうようでもあります。淡々と盛り上がり、淡々と締められる、ああ私の読んだものはいったいどういうものであったんだろう。すごく独特な雰囲気に呑まれてしまって、その霧中な感じもよいのだと思うのですね。

まれに重い話もある『帝都雪月花』、今回もやはりそうで、人の心の弱さや執着に少々触れるような趣、瓜生の家の化け物屋敷と成り果てた所以であるとか、あまりにさらりと描かれて、それはもったいないと思うほどであったのですが、けれどさらりとしているからこその味もある、これが作者辻灯子の持ち味なのでしょう。だけれども、『ただいま勤務中』や『ふたご最前線』、『べたーふれんず』なんかにはこういう感じはなかったから、いわば別の側面、違った顔なのではないかと思います。B面や裏面などとはいいたくない、多面性を持った一面。これもまた表の顔のひとつでありましょう。

引用

2008年4月26日土曜日

HR — ほーむ・るーむ

  HR — ほーむ・るーむ』の第2巻が発売されて、これで晴れて完結です。『きららキャラット』での連載で描かれたラストにエピローグが続いて、ああ終わったんだな、本当にそういう感じがします。ホームルームに始まりホームルームに終わるという連載時でのラスト、あのすべてがここに集約されたという感じ、すごく好きで、ああ本当に彼らのそれまでが一段落したのだなと思われたものでしたが、エピローグではその閉じたと思われた物語を未来に向かって開こうとするベクトルが感じられて、その様子をうかがうことは私たちには叶わないけれど、でも彼彼女らの世界は終わることなく続くのだなあと思えるところ、なんかすごくいい余韻を残してくれたと思います。そう、余韻。この漫画を読むといつも思うのが、残る余韻の心地よさだと思います。彼らの世界の彼らの物語に多少でも関わって、そのかいま見た出来事が心に大きな波紋を投げ掛けて、嬉しかったり、なんか懐かしむようであったり — 。だから私はまたいいたいと思う。私もかつて過ごしたかも知れない季節がこの漫画にはいっぱいにつまっている。だから共鳴するのだと思う。心が気持ちが懐かしく思い出される過去のすべてが、長月みそかの描くこの漫画に共鳴して、だから私はたまらなくなるのだと思うのです。

胸がいっぱいで、実はちょっとあんまり書けないんですが、なんでやねんって感じですが、だってしかたがない、私はこの人のファンなんだ。この人の描く世界に魅せられて、引き込まれるように既作買って、さらに好きになって、そして『HR — ほーむ・るーむ』第1巻でまたさらに好きになって……。いったいなにがそんなによかったのかというと、一言でいうと作者の愛のためだと思います。自分の作り出した世界、描き出した人たちに対し、この人は溢れんばかりの愛情を注いでいる。そういう風に感じられるところがあまりにも強くて、そしてその愛は、ただそうした世界を独占したいという狭量なものではなく、自分の作り出した世界、人物、出来事に対して責任をとろうかとでもいうような、生真面目なものだった。それがよかったんだと思います。そうした愛の示し方が、私をしたたかに打ったのだと思います。だから私も好きになった。その愛される世界や人物もそうなら、作者そのものに対してもそう。ああ、なんかいい人だなあと、そんな風に思ったんですね。

『HR』第2巻はこの三年間の決算で、物語中の三年、そして連載されていた三年間、だからちょっとした節目ですね。そのためか、カラーの書き下ろしがなかなかにすごいです。ページ、扉をめくったら、わお、これって卒業アルバム? というか、現時点における長月みそか総決算の様相を呈していて、すごいな、いや本当にすごいです。『HR』に登場した人たちが集結、まさしくオールキャストであります。中心人物は当たり前、物語に関わった人も当然、さらにはほんの数コマ出ただけのような人も! 面白いのが、『あ でい いんざ らいふ』の登場人物でしょうね。ちょくちょく出てたんですよ。彼彼女らが物語にからむことはなかったけれど、それでもはっきりとわかるかたちで背景に写り込んでいたり、あるいはモブとして参加していたり、それ見るたびに、いいなあ、面白いなあと思ってました。さらには『すてぃるぶるー』にいたっては、普通に出て、普通に物語の一端に位置して、そしてイベントを共有していた。いや、これらは18歳未満は買えないものだから、そういうのを健全四コマに絡めるなんて! という意見があることは知っています。でもそれがエロ漫画だったからといって、一般紙掲載作に対し低められねばならないものと作者は思っていない。同じく大切な子、大切な世界なのだということが伝わってきます。だから彼彼女らも当然ながら『HR』集合写真に入っていて、だからこの2巻は長月みそかの一種のまとめであると感じたのですね。

そしてこのまとめをさせた原動力が愛であるというのです。だってね、既作の人たちやその舞台に愛着があるというのは理解できる。けど、それだったら名前だけあって顔のない人まで描く必要ないでしょう? ほんの数回、ほんの数コマの人たち、それこそ名前も明かされず、どんな性格かなんてわからなかったような人たちも、きっちり描いて、今通っている学校から入っている部活まで含めて紹介する必要なんてなかったでしょう? けれど長月みそかはそれをやったんだ。そして私はこうしたところに、氏の作品に注ぐ愛情、彼彼女らそして世界への責任を感じて、ああいい人だなって思って、このあまりにナイーブでセンチメンタルである性質に、より引きつけられるのです。

凝られた設定。例えば表紙、カバーをはがしたところにある地図。橋沢市を鳥瞰し、物語中の舞台がどこであったか指示されている。地名は主にバイク、自動車及び模型おもちゃ関連企業からつけられていて、『HR』登場人物は文豪など、そうした仕掛けの豊富さも面白いのだけれども、でも作者はこうした設定に耽溺することなく、物語なら物語だけで勝負しようと一生懸命で、それがいいのだと思います。設定は重要かも知れないけれど、瑣末な設定に耽溺しすぎるあまり、独りよがりなものになるということはあります。設定ばかりが細かくて、描かれるものが追いついていないようなのもあります。けれど『HR』の物語は、諸設定を踏まえた上で、その先を歩んでいました。後半、物語への傾きを強めたために、当初の気の利いたネタが生み出す小気味いい感触は薄れたけれど、でも彼彼女らの恋愛模様は密度高く描かれました。それは、連載ではもどかしいくらいに少しずつ進行して、もっと先を、その先を見たいという飢餓感をあおったものでしたが、けれど単行本となるとなんとみっちりと充実した感触を残すものであったか。三年間という時間をかけて、少しずつ歩んだ季節の色、体験したことが、すべて意味を持って立ち現れてくる。ああ、時間というのはただ過ぎるものではないのだ、そこで起こったことはすべてそれを経験したもののうちにはっきり残され、きっかけさえあれば意味をともに思い出されるのだというかのような実感。この実感の確かさが、私の最初にいった共鳴を呼び起こすのだと思うのです。

そしてその共鳴が、私のかつて過ごしたかもしれない季節をふつふつとさせて、その思い出の甘酸っぱさ、苦さが、この漫画に加わり、揺さぶり返すことで、また新たな実感を生み出して、その思いの行き交いがさらに彼彼女らの世界、出来事、物語に対する思いを深めさせ、一種の特別にしてしまうのでしょう。ええ、三年という時間をともにして、それらは間違いなく特別なものとなった、そういって私ははばかりません。

蛇足

冒頭のポエムがなんかくすぐったくって、めちゃくちゃいいんですが、正直な話、参りましたな。そしてカラー最後のページ、自分に素直でないから、私は後悔ばっかりだよ!

2008年4月25日金曜日

Suitcases, taken with GR DIGITAL

The bride and groomGR BLOGのトラックバック企画、4月のお題は旅立ちであるのだそうです。旅立ち — 。私の手帳にはいつも旅立ちとメモしてあるので、適当な手帳、そう、測量野帳あたりに旅立ちと書き込んで、写真に撮ろうかと思ったのですが、あんまりにばかばかしいと思い直してやめました。ここで測量野帳が出てくるのはですね、昔フィルムカメラ使っていた時にですね、撮影データやらもろもろをメモするのに使っていたからなのですよ(表紙が硬いのですごく書きやすいのです)。しかし今やデジタル時代。手でメモしなくとも、画像にデータが記録される、それも詳細なデータが残るから、参照のしやすさは比較になりません。いや、ほんと便利な時代になったなと痛感します。

さて、本題。旅立ちと聞いてなにを取り上げるべきか。迷った揚げ句、冒頭には友人の結婚式、披露宴での入場を掲げることにしました。結婚、それもまた旅立ちだろうというこじつけ。けどそれもあながち間違いではないでしょう。なんといってもいやおうなく新生活に放り込まれるわけで、おおおおおそろしい。職場の新婚男性が、ひと月目にしてストレスに耐えられないといっています。おお、私にはどうやら無理そうだ!

などという馬鹿な話はおいておいて、写真をざっと見直して、これが旅立ちっぽいと思ったものを選んでみました。その結婚したという友人と一緒に出た演奏会、会場へ向かう荷物、スーツケースです。スーツケースがふたつにギターがひとつ、ぱっと見れば演奏旅行? ってな雰囲気を見せますが、旅行じゃないです。衣装が入ってるんですな。まあ、私は着たきりでいったのですが(ギターケース持って、さらに荷物増やすなんて信じられない!)。

なんかギターケースが写り込んでいるだけで、ちょっと自由な気分がします。理由なんてないけれど、楽器の中でもギターは自由な空気を色濃く持っている、そんな感じがして、そしてスーツケース。やはり私の手帳には旅立ちと書かれてあって欲しい、そんなこと思う写真です。

Suitcases

カラーもあります。

Suitcases

引用

  • 中島みゆき『with』 ポニーキャニオン PCCA-00558,CD【Singles II

2008年4月24日木曜日

ADAMAS

 皆川亮二は今『イブニング』で描いていたんですね。まったくもって知りませんでした。私にとって皆川亮二は、『ARMS』で知り、『スプリガン』にはまり、そして『D-LIVE!!』にいたるまで、好きで追いかけるに足る存在であり続けているのですが、いったいなにがそんなにいいのかというと、少年漫画らしい爽快さを漫画いっぱいに詰め込んでいるところであります。『ARMS』こそは異色ですが、過去の重荷を背負った少年が、成長を果たしつつ、強大な敵、計画に立ち向かうというプロットが基本にあり、そしてちょっと感動したりもする、そんな筋立てがすごくいいのです。そしてやはり『ARMS』こそは異色なのですが、基本的に人が死んだりとか、むごたらしい描写であるとか、あるいは過剰なお色気なんていうのもありませんで、実に清廉といいますか、作者の生真面目な様が見て取れるような、そんな感触も実にいいのです。でもそうした感想に加えるべき点がありますね。それはロマンです。テーマとなる対象に向けられる憧れ、畏敬、情愛の溢れんばかりの様子。それがなによりいいんです。それがなにより私を引きつけるのですね。

しかし新作『ADAMAS』には驚かされました。戦うヒロイン、というのはまあこの人の場合はそんなに珍しくなくて、『スプリガン』のころからアグレッシブに前線に出ていって立ち回りするようなヒロインはいたし、『ARMS』でもお母さんが最強の一翼を担えそうなポテンシャルを秘めていて度肝抜かれたし、『D-LIVE!!』にも並み居る強豪を抑えて暴れ回るような強い女性がおりました。けど、そうした女性が主役として出てきたことははじめてで、それはつまり『ADAMAS』は少年漫画ではない、ということなのだろうと思います。少年が主人公に自分を重ね合わせて読むという、そういう構図ではもはやないのです。読者はあくまでも漫画の外部にいる傍観者であり、ヒロインの立ち回る様を眺め楽しむという、そういう漫画になったのかなと思ったのですね。

いやあ、まったく関係ないですよ。主人公が男であるとか女であるとか関係なしに、皆川亮二らしい面白さは健在です。読者が外部にいるとか内部だとか関係なしに、どんどん先を読みたくなるそんなテンポのよさが気持ちよく、そしてコメディの風を少々交えながら、どんどんシリアスな顔つきに変わっていく展開も心躍らせるに充分で、面白かった。ヒロインが女性っていうものだから、もしかしたらお色気あり!? なんて期待心配しながら読んだのですが、ないない、全然ない。むしろ立ち回りにおける身体の切れこそが魅力であるというほかない描写に釘付けですよ。いや、本当。宝石を愛でる才媛、そんなイメージを与えられている女性が、いざ戦いとなればダイヤモンドを鋲がわりにちりばめたごついナックルでもって、殴る、殴る、殴る。そのギャップの面白さ。月まで届きそうな鉄拳制裁のダイナミック、華麗なるアッパーカットはページをめくった瞬間にケリをつけ終えているというのだから、もう素敵すぎ。本当にこの人の描く女性は前向きで、しなやかで、そして強い。素晴らしいなと心から思えるそんな漫画でありました。

しかし、ちょっと問題があるとすれば、ヒロインのあだ名というか肩書きというか、宝石使いと書いてジュエルマスターと読ませるその設定はちょっと読んでて気恥ずかしくて、いやね、かまわないんですけど、でもちょっとなあ……。とかいいながら、宝石と対話し、その持つ力を引き出すという能力について、ヒロインが全幅の信頼を置きながらも、どこか他人に話すのは躊躇するという常識を持ち合わせているというのは見ていてコミカルで、そして問題解決に向けて奮闘し結果をたたき出すことで、すべてを認めさせてしまうという爽快感にくらくらするところなど、本当は気に入っているのかも知れません。あるいは作者もこうした呼び名、設定にくらくらするところがあるのかな? 真面目に考えれば気恥ずかしくて、けれど動き出してみればかっこいい! ええ、くらくらですよ。ほんと、こうしたくらくらするほどの快感に酔いたくて、皆川亮二を読むといってもいいかも知れないくらいです。

  • 皆川亮二『ADAMAS』第1巻 (イブニングKC) 東京:講談社,2008年。
  • 以下続刊

2008年4月23日水曜日

PILOT 万年筆インキ iroshizuku

Pilot ink bottles万年筆を買ったのはよいとして、インクがなければ使えませんわね。というわけで、万年筆に興味を持った人が次に足を取られる沼、それはどうやらインクである模様です。いやね、ひとりでもくもく日記書くなりしているだけならきっと問題にはならないのでしょうが、手紙を書くとかする場合、ちょっと気の利いた色インクを使ったらどうだろうと思うこともあります。で、私はJ. HerbinLie de théなんぞ買ったりしたのですが、使ってない! もったいない! というわけで、今度はPILOTのインクなど買ってみることにしました。って、あんたなんにも学習してないな!

(写真は歴代PILOT黒インク)

私の買ったというインクは、去年末にリリースされて大人気となったPILOTの色彩雫というシリーズです。これ、少しずつ色味を変えた青を五色用意したという、実に凝ったものであるのですが、凝っているのは色だけでなく、ボトルもそうであらば、さらには名前まで。朝顔、紫陽花、露草、紺碧、月夜と名付けられて、それぞれがそれぞれに魅力的なのですが、私はですね、月夜を選びました。ええと、実に主体性のない選び方をしたのであれなんですが、人が使っているのを見ましてね、なんかいいなあと思ってろくに吟味もせずに買った。いや、一応興味は前々からあったので、色の傾向とかは見てたんです。けど、実際に買おうという時には月夜決めうちでありました。

インクだけ買っても仕方がないんですよ。インクなんてのは書いてなんぼです。だから、このインクを使うペンを用意してやらないといけない。それこそ以前いっていた日本字ペンでもいいんですが、常用するなら万年筆に入れてやりたい。で、その候補となるペンが一本あったのですね。

それは母が昔使っていたペンでした。RS-150という樹脂ボディのペンで、150ということは1500円だったのかな? これに空きインクカートリッジを使って月夜を入れようと思ったんです。で、PILOTのインクカートリッジも買ったのですが、12本入りの黒。これが空き次第、月夜を詰めてRS-150につけるつもりでありました。ですが、全然インクが減らないんです。ボーテックスで使ってるのですが、本当に減りません。さすがFというべきか、購入時に付いてきたサービスカートリッジがなみなみとインクを湛えていて、黒のボトルも合わせて買ったけど、早まったなと思っているところです。まいったな、毎日使ってるんだけどなあ。

ところでこれは余談ですが、RS-150のカートリッジはダブルスペアと呼ばれるタイプであるらしく、現行のカートリッジと互換性を持たないのだそうです。おお、なんてこった。コンバータは今も売ってるらしいですが、参ったな、どうしたものかな。

でもその問題はもう解決していて、オークションでParkerの75を手に入れているものですから、コンバータを使ってそいつに詰めています。思ったよりも色が薄め、まあブルーブラックと比べるのがいけないのですが、落ち着いた色合いで、ブルーよりもくすみが強く、ブルーブラックよりも透明感があるといったところでしょうか。今持っている青、PelikanのロイヤルブルーとParkerのウォッシャブルブルー、そのどちらとも違う色合いで、これはこれでよい色です。落ち着きをもって沈んだ色合いがいいのかな。渋いいい色だと思います。

こういうことはいくら言葉で説明しても仕方がないから、以前撮った写真をご覧いただくのが一番早いでしょうね。一枚目の写真、左肩にあるのがPILOTの黒インク、右側奥からJ. Herbinの茶、PILOT月夜です。インクの色合いは、一応ホワイトバランスは調整したけど、参考程度にしてください。

  • Stationery
  • Stationery

そういえば、色彩雫は夏に緑、秋に赤を予定しているんだそうですね。いったいどういう色、どういう名前でくるものか、今から楽しみです。って、買うの? うう、緑はどうかはわからないけれど、赤は買いそうな気がします。深い赤が出たら最高ですね。

2008年4月22日火曜日

GENERATION XTH -CODE HAZARD-

「ジェネレーション エクス」応援バナー ロゴ今や巷はG-XTHの話題で持ち切り、日本中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔を合わせさえすれば、まるでお天気の挨拶でもするように、GENERATION XTHの噂をしています。GENERATION XTHというのは、毎日毎日インターネットを賑わしている、素敵なゲームの名前です。ええ、昨日、体験版が公開されたのですよ。もちろん私はダウンロードして、寸暇を惜しんでプレイしているのですが、いや実に楽しみになってきましたよ。G-XTHはWizardry XTHの流れを汲むといってもいいのではないかと思うのですが、Wiz XTHシリーズの開発元であるTeam Muramasaの手がけるPC用ゲームであります。Wizardry系RPGにして、学園もののテイスト、ラノベ風? を持ち込んで、独特の世界を作り上げることに成功したXTHの最新作であります。

Team Muramasaが独立して、新たにゲームを作るという話が出た時、私は実は少し心配しないでもなくて、いやね、Wiz XTHが架空世界を舞台にしているのに対して、G-XTHは現代日本風の世界が舞台だというではありませんか。ええーっ、それで実際成立するかね。なんか変になっちゃうんじゃないの!? なんていぶかしんで、そうした変更点を好きになれなかったらどうしようだなんて、大変に怖れていたのです。けれど、先立って公開された動作確認版にて、大丈夫と確信することができました。確かに今の日本を舞台にした世界でありますが、ラノベ風ってのは伊達じゃないぜ! 魔法まがいの技を使い、剣を振るって異形相手に立ち向かう少年少女たちという、そのちょっとおっさんにとっては微妙な設定がですね、プレイしてみれば気にならない。それどころか、職業、ええと、今回はブラッドコードというんですが、そのクラスを選択する時に、わくわくがとまらんのですよ。

ブラッドコードに用意されたイラストがね、かっこいいんだ。いや、トモエとエンジェルはかわいい。あ、ブリュンヒルトも、ってのはどうでもいいんだけど、Wizardry XTHをプレイしたことのある人間にとっては、ピンとくる要素が多分にありまして、それは職業にあたるブラッドコードにも、種族にあたるタイプにも、そしてスペルやアイテムの体系においても同様でしょう。様々な要素にWiz XTHで親しんだ要素が感じ取られて、そうした要素を見付けるたびに、どういう風にパーティを組もうか、迷宮探索においての有利、戦闘においての有利などを考え考え、それだけでもううはうは。そして実際にパーティを組んで、迷宮に飛び込んで、扉蹴破ってうはうは、敵に遭遇してうはうは、撃破して、宝箱開けて、ああもうたまらんね! これはよいよ。素晴らしいよ。遊べる、楽しい、迷宮踏破は当然として、アイテムなんかも全部埋めてやるもんね、と今からテンションが上がりっぱなしであります。

G-XTHは学園もの、だからなのか、学期ごとにシナリオがリリースされるそうで、4月30日に出るのが一学期なら、九月、そして来年初頭にも出るのでしょう。ああ、ちょっと追うのが大変そうだけど、楽しみでもありますぞ。とりあえず、全部買うことは決定してる。もちろんクリアもするつもりで、ただ、アイテム全部揃えられるかなあ。Wiz XTHもそうなら、Wiz XTH 2もアイテムそろってないんですよね。Wiz XTHは、まあなんとかなりそうかなって目処は付いている(ユニークアイテムがないからね!)のですが、Wiz XTH 2が無理。本当に村正って出るの? というか刀のユニークが全然でないんですけど!? こんな具合ですから、当然今も継続してプレイしているのですが、ということはG-XTHとも長いつきあいになりそうな予感がしますね。もちろんノーリセットでプレイしますよ! 急がず、慌てず、確実着実に進めていきたいと思います。

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2008年4月21日月曜日

ふるーつメイド

  私がいったんこの漫画を見送ったのは、殿方はわかりやすい方がいいんですよといわれることを怖れたからかも知れません。主人公、漫画家を目指す夢多き大学生、一成のもとにメイドが三人送り込まれてきた! という漫画です。しっかり者のクールビューティ林檎、底知れず謎めいた眼鏡メイド蜜柑、そして真打ちなのか? どじっ娘だけどどこまでもまっすぐ一生懸命な苺の三人、さああなたはどの娘が好み!? と聞かれて、あ、じゃあ、はい、林檎さんで、とかそんな手を食うかーっ! と思っていた時期があったのかも知れません。今じゃなんの躊躇もないんですが、ええ、蜜柑さんが好きです。でも林檎さんの方がもっと好きです。でも一成はきっと苺を選ぶんだろうな……。

さっきいっていた、見え見えの罠に引っかかってたまるかっていうのは、ちょっとほんとだけど、ほとんど嘘です。実は買おうかどうか迷っていたんです。けれどその1巻の出た当時、私はちょっと四コマ漫画を取り巻く状況に疲れはじめていましてね、どんどん出る新雑誌、その時は少しやけだったんでしょうね、とにかく買ってみて、三号でつぶれるならそれでよしと思っていた、そんな時期だったように思います。といっても、かたくなに芳文社しばりに徹して、だってそもそもが他者の雑誌見かけないし、それ以前にもう何誌あるかわからんし。そんな具合に、もうなにがなにやらわからなくなってきていて、そろそろ自分ははじかれた末にたどり着いたはずの四コマというジャンルからもはじかれるのかなと、そんな気分だったのですね。だから、漫画を買おうという時にも、多少ブレーキをきつめに踏んでいた。買いはじめると、今後いったいどこまで拡大するものやらわからんと怖れて、新刊とりわけ新レーベルに対しては買わない方向買わない方向にと調整をかけていたのでした。

『ふるーつメイド』の2巻が出たので、既刊を買いました。それではっきりと理解しました。ああ、1巻買っておかなかったのは失敗だった。迷ったその時に、買うと決めときゃよかったんだよ。今では私は開き直ってるから、迷うくらいなら買えの精神でいるのですが、当時の私は色んな意味で思い切りが足りなかったのだなと、そう思わないではおられません。

『ふるーつメイド』第1巻が『もえよん』掲載分、第2巻は今はなき『まんがタウンオリジナル』と『ケータイまんがタウン』にて連載された分。私が読んでいたのは『タウンオリジナル』掲載分であったのですが、『ちびでびっ!』ですでに知っていた寺本薫。結構好きな作家で、だから連載も結構楽しんで読んでたのですが、なぜか単行本に手のでなかった理由は、以上のような非常に屈折したものでありました。そして、遅まきながら買って、読んで、驚いたのが『もえよん』掲載分とそれ以降のものでは、設定やなんかが少しずつ違っているようでして、あるいは設定は一緒なんだけれど、描かれるシーンが限定されたとでもいったらいいんでしょうか。いや、それでもあえて私はいいたい。この漫画は2巻に入った時点で、軽くリセットが入っています。

最も大きな変更は、蜜柑だと思います。1巻では確かに蜜柑も一成に好意を持っていたのに、2巻以降は傍観者に後退してるし、それに漫研の美沙との微百合展開も薄れました。三すくみ三つ巴のハーレム状況に微百合、このへん、美味しいポイントだと思って読んでいたから、ちょっと残念だったかも。残念といえば、一成の女装美少年展開。あのへんも薄れたというか、消えましたよね。あの、叶うんだか叶わないんだか、叶ったらむしろ不幸なんだかの部長の恋、好きだったんですよね。1巻かけて作ってきた設定だとか関係だとか勢いだとか、それがより一般向けの『タウンオリジナル』に移ることで、よりマイルドなものになるよう調整されたのだとしたら、より一般から外れる私には残念としかいいようがない。それこそ即売会にジャンル創作(男性向)で参加させられて、美人美少女メイドをアシスタントにエロ漫画描く羽目になるという針のむしろ展開。アグレッシブで素敵だった。もちろん2巻も面白くて好きなんですが、よりアグレッシブでシビアで辛辣、厳しさもそこはかと漂う味わいの1巻のバランスが私には好ましかったなと思われて、だからこの先、客層にもよるのかも知れませんが、もっともっと過激にチャレンジしていただきたい、そんな風に思うのです。そう、部長が萌えキャラではなくて、萌えキャラ一成に部長が! 部長が!! といったようなのりでも私は断然オッケーです。いや、性別なんか気にしないさ!! というか、それくらい突っ走るくらいが! といいながら、普通の読者を振りきっちゃっても元も子もないからなあ。私はやっぱり特殊なほうだと自覚してますから、まあ、ほどほどでお願いします。

1巻と2巻で変わったといえば、絵柄もちょっと変わりましたよね。私はもともとあまり絵の揺れには気付かないたちなのですが、それでも2巻になってずいぶん目のまわりというかがぱりっとして、特に蜜柑さんの眼鏡とのバランスが変わった? より輪郭がかっちりしたというか、2巻75ページ左3コマ目とか素晴らしいと思いますが、というのはさておいて、実は私はこの人の人体の書き方が結構好きなんです。肩とかちょっとがっしりした感じで、水泳選手っぽい身の付き方してることがありますが、ああいう感じが結構好きで、本来なら華奢で薄っぺらいのが好きなはずの私が、なぜかこの人の絵に関してはそうではない。不思議です。でも自分でも不思議に思いながら、そのボディのあるという感触が魅力的と感じるのは、もう仕方がない。魅力にはあらがえないものであると、つくづく思わされます。

  • 寺本薫『ふるーつメイド』第1巻 (アクションコミックスもえよん) 東京:双葉社,2005年。
  • 寺本薫『ふるーつメイド』第2巻 (アクションコミックスもえよん) 東京:双葉社,2008年。
  • 以下続刊

引用

  • 寺本薫『ふるーつメイド』第2巻 (東京:双葉社,2008年),89頁。
  • 同前,83頁。

2008年4月20日日曜日

身想心裡 — 陽気婢作品集

 多重人格もので続けます。とはいっても今回はずいぶん色味が違い、多重人格に翻弄される話でなく、もうひとつの人格を作ることで自己を守ろうとした少女の話ですね。と、こうして書くと、取り上げ方が非常に教科書的というか、多重人格障碍 — 解離性同一性障碍の生じるとされる要因に対し非常に素直であることが諒解されるのではないかと思います。こうした点、説明される理由に対し素直であるところなどは、どうも陽気婢という人のらしさを感じてしまうのですが、筋立てに対し説明できるところは説明したい性分であるというか、あるいは逆に、描き出す前にクリアにできる範囲は全部押さえておきたい性分というか、そういうのが感じられるように思うのです。だから読後に不安な気分やもやもやとした不可解は残りにくく、そういうところは昨日取り上げた華倫変とは対極にあるような作風であろうかと思います。

短編集『身想心裡』に収録された「MY TURN」、これは最初にもいいましたとおり多重人格ものです。ですが、多重人格はテーマではなく、もっと別のものを描くための仕掛けであり、じゃあテーマはなにかというとボーイ・ミーツ・ガール? いや、さすがにそれはいいすぎかと思いますが、事件に巻き込まれてしまった多重人格ヒロイン、彼女に事件の先触れを知らせたのが多重人格という仕掛けであり、そして事件の鍵をつかんでいながらもそれを記憶に残していないヒロインという構図がために、物語はサスペンスとしての色合いを帯びるのですね。だから、多重人格は仕掛け、ギミックであり、読者はヒロインが事件の渦中に引き込まれていく様をはらはらとしながら眺め、そして謎の少年の存在に希望を見出すのです。

事件の発端から解決までは比較的シンプルにすっきりと進むので、物語に波乱や劇的な緊張を求めるような人には少し拍子抜けと感じるのではないかと思いますが、けれど陽気婢の漫画というのは、そうしたところよりも、登場人物の心情を読もうというのがいいのではないかと思います。「MY TURN」においてもそれは同様で、このタイトル、私の番というテーマが本編にきっちり盛り込んであってすごくしっくりとしています。テーマが描かれる過程、提示と展開の丁寧さがよいのでしょう。加えて、少々センチメンタル寄りでナイーブな表現に感じ取られる、少年少女のアンバランスな危うさ。そうしたテーマや作風、画風も含めてのもろもろがそろうことで、独特の肌触りを残すのが陽気婢の漫画であるというのなら、これもまた非常に陽気婢らしい漫画であると思います。

2008年4月19日土曜日

高速回線は光うさぎの夢を見るか?

この本は大阪梅田は旭屋書店で買いました。まだ縮小される前の漫画フロア、隅の方にやたらマニアックな漫画を集めたコーナーがあって、そこで吸い寄せられるように手に取って、内容も作者もその評判さえもわからないままに買った一冊でありました。作者は華倫変。いまだにどういう人かはわかっていませんが、亡くなられたらしいということだけは知っています。この本を買おうと決めたのは、帯の高橋源一郎のコメントのためであったのですが、正直このコメントがいったいなにをいいたいか私にはよくわからなくて、それじゃ内容はというと、さらに輪をかけてわからないという、ものすごい漫画です。筋やなにかがおそろしく稀薄なものがあって、作者もいうように実験色の強いものもあって、読んでいて大変きつい。けれどなぜか引きつけるものがあって、多分それは、生のまま押し出されてきている感情であるや実感であるが、不快ながらも私のどこかに触れるからなのかと思います。

私がこれを引っ張りだしてきたのは、実は昨日書いた『でゅあるてぃーちゃー』がこの本に収録された短編を思い出させたからです。「あぜ道」、「下校中」、「木々」の三部連作ですね。端的にいって多重人格ものです。しかし『でゅあるてぃーちゃー』に見られるような、楽しげであったりコミカルであったりとした色は皆無で、正直なところ読んでいてつらくなってくるような話であるのです。つらい中に、悲しさ、切なさが混じって、なんだか泣きたくなる。そんな話で、私はこれを読んだから、いくらこの本の他の短編が意味わからなくっても、受け入れようと努力するのだと、そのように思える作品でした。

『でゅあるてぃーちゃー』がこの話を思い起こさせたのは、まさしく最終回に向かう流れがためでありました。記憶を共有しない二人の人格、そのどちらかが誰かを好きになってしまうということ。そして両者はもう一方の諒解を得ることなく自由に振る舞えるということ。こうしたことが前提としてあり、そしてひとつの人格が消えて、主たるものに統合されようという兆しが見えた時、ああこれは華倫変のあの話だと思ったのですね。そう、華倫変の多重人格ものも上記のポイントを押さえていて、そしてそれはより救いのないものでありました。

岡山美奈の持つ三人の人格。さばさばとした芳子、気弱な玉江、そして淫蕩なミレマ。この三者のうち、芳子そして玉江は他人格を思いやる余裕を持つけれど、ミレマはそうした機微を持たず、他の二人を傷つけてばかりいるということはどうにもたまらなかったし、傷つけられる側である芳子の求めているもの、それが本当にささやかな仕合せに過ぎないことが伝わってくるものだから、なおさら読んでいる私の気持ちを苦しめて、残酷な話だと思って、けれど本当に多重人格ものを扱うのなら、こうした側面は避けて通れないのでしょう。

ですが、この話は多重人格者、それも破滅的な人格を抱えてしまった人間の不幸を描く話ではなかったと思います。描写こそはそうした悲劇的側面に強く光を当てるけれど、しかし物語は芳子を軸に、彼女らの求める普通の日常への憧れめいたものをつづります。そして平穏に向かおうとするラスト、その平穏というものが、彼女ではない別の人格にとっての平穏であること、さらには芳子がその平穏の中に自分はいないのだという事実を理解しているということが語られるにいたっては、悲しさは極まります。芳子の最後に告げた思いは、そのうちに二重の意味で果たされず終わることを理解しているとありありと知らせて、切ない。私たち人の身は器に過ぎないということ。身体の向こうにあると誰もが思っている心、それはいったいなんなのだろう。そうしたことがわからなくなってしまう話でした。その儚く、とらえどころのないもの。しかしそのかたちのないものこそが真実であるなら、消えていく彼女らはいったいなんであったのか。その意味は、彼女らのいたという意味は。岡山美奈という身体は死なず、存えるということが、なおその心の意味を問いかけてくるように思えたものです。

そして、私はその答がわかりません。けれどもし残るのが私の気に入っていた芳子であったならば、それは仕合せな結末だったんだろうか。そうではないと思います。だとしたらいったいなにが正しいことなのだろう。その答えは、おそらくは劇中にてすでに芳子が告げていた、私にはそのように思われて、そしてそのことがなおさら人の悲しさを際立たせるように思わせるのです。

2008年4月18日金曜日

でゅあるてぃーちゃー

 ボマーンの単行本が『ヒントでみんと!』、『ほほかベーカリー』と立て続けに出たのを受けて、どうせならばと既作にも手を出してみたのでありました。『でゅあるてぃーちゃー』。今はなき『もえよん』という雑誌に連載されていた漫画なんだそうですが、実は私この雑誌見たことがありませんでしてね、ということは当然漫画の中身についてもわからないというわけで、興味は持ちつつも手を出さずにいたのです。その頃は『ほほかベーカリー』もまだはじまっておらず、『ぬぐー』については知ってはいたけど、読んでなかったし、これを描いている人が『でゅあるてぃーちゃー』の人とも気付いていなかったしで。そんな状況で、知らない雑誌の知らない作家を買うというのは、やっぱり少し迷うことであったのでした。

けれど今はもうボマーンという作家がどういう漫画を描くかわかっていますから、買うならまさしくこれが機会と思ったのですね。『でゅあるてぃーちゃー』、二重人格の教師が主人公の漫画で、おだやかおっとり系の一葉先生と過激で奔放な二葉先生が、眼鏡の有無で切り替わる。それぞれの特性がそれぞれに面白いのですが、でもこの両極端ともいえる性格がひとりの中におさまっているからさらに面白いのかも。というのは、別に二葉なら二葉だけでも面白かったとは思うんです。同様に一葉だけでもそれなりに読めるものになっていたはずだと思うのですが、けれどどちらかだけだと、この漫画に出ている面白さはきっとなかったんだろうなと思われて、それはやっぱり二重人格というギミックが充分に生かされていたということなのでしょう。

さて、教師がいるということは生徒もいるということで、つっこみ優等生(おそらく唯一のつっこみ役)からボケ役、さらには霊感少女やらマペット腹話術少女、加えてシスコン兄持ち妹などなど、おたく向けあるいは萌え系なんていわれる漫画にはよく見られるタイプのキャラクターが揃っています。とはいっても、よくあるタイプといえば確かによくあるタイプなんですが、けれどそれが各人いきいきとして個性的に動くものだから、類型的でありながらも個性的というか、間違いなくそのキャラクターであるという独自性がある、すなわちただ鋳型から出されたようなキャラクターではないのですね。そしてこのキャラクターが動いているという感触が、この漫画の面白さをよくひっぱって、空気を暖め、読者を巻き込む力となっています。

キャラクターがよく動く、ボマーンの面白さはこれなのかも知れませんね。そのキャラクターのらしさをもって、期待されるように動き、そして期待を上回って動き、そうした登場人物たちが相互にかかわり合うことで、場も動く。それが面白い。少しナンセンスな味があり、時にかみ合わず時にずれた会話を淡々とするような面白さもあり、ボケとつっこみがあって、そしてシリアスな話も時には展開する。このそれぞれの塩梅、ひとつ傾向にあまり突っ込んで展開しすぎないで、けれど充分に楽しませてくれるという塩梅がなによりのよさと思います。

そして、基本ナンセンス風なのに、時にはっとさせるようないいネタを見せてくれるから油断ならないんですよね。最終回とかしたたかにやられてしまって、あの、なんていうの、一回ギャグに逃がしたあとに、シリアスを持ってくるのはうまいですね。人間は笑うと心が開くんです。だから、一度開かせてから踏み込むといったやり方はこのうえもなく効いて、でもそれだけじゃないですね。私もこの一冊読む間に、不良教師といわれるような二葉を嫌いでなくなっていた、一葉と二葉のコンビが好きになっていたっていうことなのでしょう。だから、そこには私の望んだ言葉があったということに他ならず — 、私も望んだ言葉が望んだ以上の効果を持って発されたということに、私の思いもあふれたということなのだと思います。

蛇足

ずいぶん久しぶりのような気がしますが、折角なので。あの若本千夏という娘はよいですね。などといいながら、傍若無人教師も結構嫌いでなかったりします。いや、彼女はよいですよ。

2008年4月17日木曜日

甲野善紀 古武術の技を生かす

 NHKは甲野善紀氏がお好きであるのか、人間講座に出演されていたり、あるいは福祉系の番組に出ていらしたり、さらにはまる得マガジンなんていう五分番組にも出演されたりと、ほんと、結構お見かけすることが多いのです。そりゃあんたがNHKばっかり見てるからだって、そういう意見もありそうですが、まあそれはそうかも知れませんね。でも、たまたま休んだ日にたまたま見た福祉の番組が、古武術を介護に応用しましょうなんてやってるっていうのは本当に偶然で、そういえば民放でも古武術応用介護法をやってらっしゃるのを見て、実際に試してみたりもしましたっけね。それだけ人気で、引っ張りだこだったということなのだろうと思います。またそれは、私のような人間が、この人が出てるっていうのを見付けたら見る、そういうこともあってのことだと思うんです。

『甲野善紀 古武術の技を生かす』は、NHKのまる得マガジンで紹介された古武術応用の技術を映像テキストともに収録して、生活に役立てましょうという趣旨であるのですが、嬉しいことに古武術そのものの技の数々を紹介する映像もついてきて、むしろ私はそっちを見たくてこの本買ったようなものですね。体術、剣術、抜刀術、杖術、槍・薙刀・手裏剣術とあって、それぞれに技を見せ、解説して、なるほどああすりゃいいのか、こうするのかと、まるで自分でもできるようなつもりにさせてくれます。もちろんできるわけなんてこれっぽっちもないのですが、しかし今まで文庫やらなんやら買っては、この人のいうこと、この人の技術というものを理解したいと思ってきた私ですから、こうした映像を好きなだけ繰り返して見られるというのは、それだけでもありがたいことで、本当にいい時代になったものだと、改めて噛みしめています。

けれどなぜ甲野善紀氏なのか、古武術なのか。私はもともとは太極拳をやりたくて、いろいろ本買って試してみたりもして、そのもともとは仕舞なんぞをやりたいと思って、カルチャーセンター覗いたりしたけどはたせなかったりして、そういえば居合であるとか弓術であるとかにも興味を持っていましたっけね。それら一連の興味というものは、身体の拡張みたいな方向への傾きもありますが、同時に機能だけでは説明されない東洋的なものへの憧れであったのだと思っています。日本に生まれて住んで育って、憧れもなにもあったものじゃないとはいっても、残念ながらそうした東洋の神秘はすでに私の身の回りからは消え去って、や伝聞に知るものでしかなくなっていたのですね。残念ながら、日本に暮らす私の身体も知もすべて西洋であり、東洋は失われている、失われつつあるのです。それを回復したかったのか、あるいはもともとなかったものを新規に導入したく思ったものか、東洋的な思想や美学を背景に持つものに触れたかった。身体により、身体的知とでもいうものを理解したかった。そうした興味が今も消えず残り続けているのです。

しかし、ずっと太極拳、中国武術周辺をかぎ回っていたのに、なぜ日本の古武術、それも甲野善紀氏の古武術に向かったかというと、それは理解するためのよすがが用意されていたからかと思われます。というのもですね、同じとられた手を払うという動作にしても、太極拳のテキストでは、ここで気を発して相手を崩すとか平気で書いてあるんですよ。いわんとするところはわからないでもないですよ。テキストにも気についての説明がありましたからね。でも、気を発してなんて書かれていても、そうかじゃあ試しにやってみようとは思わないでしょう。ところが甲野氏の場合は、気なんていう曖昧な概念は使わずに、身体の動作させ方を具体的に説明しようとします。体をねじらず、各部をばらばらに動かさず、体全体を連動させて沈み込ませるように云々、という具合に説明されれば、そうかじゃあちょっとやってみようかなという気持ちにもなりやすいというものです。実際にはできたものじゃないんですけど、理解するための道筋は用意されている。少なくとも、現代人である私にとっては、気というものを持ち出されるより、ずっと近づきやすいと思えるではないですか。

甲野善紀氏の面白いのは、古武術の技術を積極的に他の分野に応用していこうなんていうところで、スポーツ選手が彼のもとで学んでみたいなこともあるんだそうだといいますが、そればかりか介護にまでいくんですから驚きです。もったいぶらない。出し惜しみしない。そして、介護への応用に関しては、私のようなものでもちょっと練習すればなんとなくできるようになるんです。自分よりも体重のある人間を持ち上げたり、起こしたりできるようになる。力を絞るんじゃなく、コツによって、理によって、できるようになるといった感覚が強いですね。説明されるままにやってみて、あ、できちゃったよ、そんな感じです。そして、こうした感覚をつかめると、本当に無理せずできるようになるんですね。

この体感できるというところがなによりも面白いところであろうかと思います。武術となると大変だけど、日常への応用という、向こうからの歩み寄りと、その結果得られるちょっとした気付きとでもいいましょうか、いわばはっと感じるところ、それが魅力になっているのでしょう。神秘に少しだけ近づいた気持ちになれるわけです。もちろん、それがごく一部でしかないことはわかっているんだけれど、わずか一部でも知ることができるというのは、やはり嬉しいことに違いありません。

2008年4月16日水曜日

ほほかベーカリー

 そこのパン屋に外人の店員さんがいるらしいぜ。そんな台詞からはじまった『ほほかベーカリー』、外人の店員さんとはタイトルロールであるホホカさん。ヨーロッパはナホナ国からやってきたホホカ=チルノ=パナナ(20歳)が、町のパン屋さんベーカリーさかいにて修業しつつ、店長店員タミオさんと和気あいあいとした日常を送る、和み系の四コマ漫画です。なんで和み系かというと、ホホカさんが金髪碧眼和み系だから。金髪! いや、私は別に金髪が好きってわけじゃありませんよ、一部にそういうこという人がいるだけで。それに好き嫌いでいったら、ホホカの同僚の凛さんの方がより好みというか、また、眼鏡か! という声が上がりそうですが、いや眼鏡がいいのではなく、眼鏡だけがいいのではなく、他にも魅力的なところは多々ありますから(いいなおした、いいなおしたぞ)。と、そういうような漫画です。

以上の説明ではどういう漫画かきっとおわかりでないでしょうから、改めて説明いたしますと、いいなおした、いいなおしたぞのくだりです。台詞の端々にちょっとしたおかしみを持ち込んで、そのささやかな面白さの種を膨らまして楽しませる、そういうスタイルの漫画であるといいたかったのですね。ボケといいたいけれど、いわゆるボケではないようなことも多いです。どことなくナンセンスな印象もありますが、よくよく読めば、ナンセンスでもなんでもなく、結構普通のこといってたりもします。ちょっとずつかみ合わない会話、そういうこともありますが大抵はちゃんと成立してます。なのにおかしいのです。この作者は、彼彼女らの会話や行動、発想に、少しずつ、少しずつ、色んな味のおかしみを加えることで、全体としてはふんわりとあたたかく、そしてどことなくおかしいという、独特の風味に仕立て上げているのですね。

『ほほかベーカリー』は、そうしたやわらかさとおかしさの漫画である、そう思って読んでいたら、時折やたら胸を突くような話、心揺さぶってくれるような話も飛び込んでくるから侮れず、というか私この漫画を読む時は心を緩めていますから、無防備を攻められてひとたまりもないのですよね。ぐっときます、ぐっときますね。あれ、こんなつもりじゃなかったんだけどな、って、そんなそぶり見せなかったくせに、って、ささやかな喜び、かわいさになんだかほっとしたり、感動して泣きそうになってみたり、もういろいろです。そして、私はこうしたところも好きなんです。泣きたくて読むんじゃないし、キャラクターにドキドキ感じたくて読んでるわけでもないんですが、それでも心が動いてしまうのは仕方がないことで、そして心が動けば、そこにはやはりいいなと思えるなにかがあったということなのですから、より一層好きになれるというわけで、ええ、だから私はこの漫画が大好きです。

書店にて表紙を見た時に、キャラクターよりも大きく描かれたパンの数々、帯びもロゴも茶系で、これがまた落ち着いて暖かな印象を与えて、これはいいなあって思ったのですが、それは決して派手ではないけれど、しっかりと私の心を捉えているこの漫画の雰囲気、空気をよく表しているって思ったからなのだと思います。

そういえば、この本読むとパンを食べたくなります。特にバゲット! ホホカの焼いた最新型 (la dernière mode ?) でもきっと美味しくいただきますよ。

  • ボマーン『ほほかベーカリー』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2008年。
  • 以下続刊

引用