2005年5月23日月曜日

日本の弓術

 西洋人から見れば日本というのはいかにも神秘に満ちた国だったようで、そもそもベースになる考え方が違います。西洋は合理主義に基づいて事物を弁別せんとしましたが、そもそも東洋においては一見非合理としか思えないやり方で物事の真実に向かおうとして、そしてそれはある種の成功を見ているわけです。計測可能であることに重きを置いた西洋からすれば、さぞや日本のやり口は奇妙で神秘的に見えたことでしょう。西洋人がそれまで絶対的ととらえてきた理屈を、真っ向から否定するかのような態度でもってことにあたる。なにしろ、力学やなにかといったメカニズムを否定した上、言語で説明するということさえはなからあきらめているとしか思えないのですから。しかしこの不確実で非合理にしか思えない方法をとりながらも、振舞いといい芸術といい、そのなされることは一流国のそれだと、幕末の日本を見た西洋人は口を揃えていったといいます。西洋とは全く違ったやり方でもって築き上げられた文化に接し、あたかも奇跡のように感じたとかいう話を聴けば、驕れる西洋に一撃を与えた当時の日本の程度がわかろうというものです。

さて、西洋人にとって、日本の神秘が最も現れた部分というのは思想であったようで、あの禅というものの非合理にしてしかし深遠なることに、一時はヨーロッパもアメリカもえらく驚嘆したようで、禅のブームというのは何度もあったようです。言葉によらず、分析的な知からおそらく最もかけ離れた場において果たされるの体験。いろいろな人がさまざまなやり方でに迫ろうとしましたが、弓術を通してに肉薄した西洋人がいました。オイゲン・ヘリゲルその人であります。

禅の神秘主義に触れようとしたヘリゲルは、武術という行為を通してその神髄に近づこうとしたのでした。瞑想によって得られる悟りは長いが会得するまでに時間がかかる、ために無の境地に遊ぶ時間こそ短いものの達するのはたやすいという、行為を通した禅を行うと決めたのです。数ある手段の中からヘリゲルが選んだのは弓術でした。

『日本の弓術』には、ヘリゲルが弓の修業を通して体験した事々が、つぶさに記録されていて、西洋的視点から東洋的感性に分け入ろうというその感覚が新鮮です。そんななかでなにが面白いといっても、最初は日本的なことごとになじめなくて、ずるをしたり反発したりしてたヘリゲルが、次第にだんだん感化されてくるという、その変化が見て取れるところなのではないかと思います。メカニズムを重視し、理屈でもって的に対していたヘリゲルが、徐々に師のいうところに近づいていくに従って、東洋的なるものに深くはまりこんでいく。そして、感動的な師の暗闇に矢を二度射るという場面。私ははじめてこの本を読んだとき、このまさに神秘的なる描写に、自分も弓術をしようと思ったものでした。結局身近に弓術を教えるところがなかったので果たせぬ思いに終わりましたが、もし近場にそうした場所があったらば、私はいま書をするのではなく、弓を引いていたのではないかと思えるのです。

以前私がコンメディア・デラルテを体験したときのことです。講師としてイタリアからはるばる日本までやってきたアレッサンドロ・マルケッティ氏がおっしゃるのですよ。杖を向かいの相手に投げ渡すという時は、頭で考えるのではなく、身体の動作でもって身体で考え、意識のコントロールを離れたところで投げなさい — 投げられた杖が私であり、杖の投げられた相手もまた私であるというような感覚でなければならない。そしてこの後に、氏は日本の弓術に関する本に、こうした話があったとおっしゃったのです! ああ、それはまさにヘリゲルの本なのではないか。私は思い掛けないところで思い掛けない本の関わりを得て、驚くとともに嬉しくなったのでした。

ところでこのヘリゲルくんですが、その後いろいろ研究が進んだことからわかってきたのですが、どうも山師みたいなところがあったという話で、ちょっと自分の体験に色をつけて紹介する癖があったのだそうです。だから実際の話、彼の弓と禅に関する話は、話半分くらいに聞いておいたほうがいいとか、そんならしいのです。

けれど、書かれたすべてが本当でないとしても、読めば感動を得られることは間違いないことでありましょう。それは確かに脚色を加えられた事実なのかも知れませんが、その脚色があることで、弓術を通した神秘体験の彩りはより鮮烈になったのかも知れません。だから、決してすべてが否定されるべきものとは私は考えません。もちろん全肯定すべきとも思いませんけどね。

  • ヘリゲル,オイゲン『日本の弓術』柴田治三郎訳 (岩波文庫) 東京:岩波書店,1982年。
  • ヘリゲル,オイゲン『弓と禅』稲富栄次郎,上田武訳 東京:福村出版,1981年。

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