この漫画の帯には、メガネ&メイド好きなアナタには特にオススメ!
だなんて書かれてありまして、けれど私は別にメイドが好きというわけでないし、メガネについてもどうということもないしで、さらに加えていえば猫耳だとかというのも興味の外。これでもかと畳みかけてくる萌え要素をことごとく退けてしまって、なのに私はこの漫画のこと無視できないんです。まんがタイムきららを読むようになって、最初はなんだか味気ないというか灰汁が強いというか、そんな感想を持っていたというのにも関わらず、気付けば今やすべての漫画を通して読むようになって、単行本だって(全部じゃないけど)買ってるぞ!
そうした変化が起ころうという前から、私は『きつねさんに化かされたい!』は読んでいました。どうしようもないなあ、けれどこのラインナップ中では普通の漫画だなあなんて思っているうちに、目が離せなくなってしまって、まあ有り体にいいますと好きになってしまったんですね。いや、正確を期すなら、もともとこういう感じの漫画は好きだった、というべきでしょう。
人間に化けてるきつねのこくりさんが、いい子なんですよ。なんというか、本当にけなげでいたいけで、すごく素直ないい子なんですよ。こくりさんの寄食先である保険医をはじめとする変わり者、ひねくれ者に囲まれて、そんな中こくりさんはまるで、私たちの世界に残された最後の希望のようでありませんか!
馬鹿なこといってるというのはわかってます。けれど、私は、この漫画を読みながら、こくりさんが自分のそばにいたらどんなに仕合せだらうかなあとか思ってしまうそんな駄目なやつなんです。もし自分が保険医の立場だったら、こくりさんには変なことを教えず、健やかなよい子のままでいさせるぞ。お菓子でもなんでも買ってあげて、いっぱいいっぱい喜んでもらうんだ! いや、馬鹿なこといってるのは重々承知してますから、そうっとしといてくださいってば。
昔、ヨーロッパでルネサンスという運動がありました。人文主義が花開き、それまでの神様を中心とした世界観から、人間中心の世界観へとシフトするという一大転機でありまして、思想や芸術の変化もさることながら、科学的な視点に基づいて物事を捉えようという動きが出てきたということこそが一番に重要な変化でありました。
ルネサンス絵画では遠近法が巧みに用いられるようになって、中世絵画とはまた違う、外部から事象を捉えようという意思はここにもまざまざと感じられます。この精緻な遠近法というもの自体が、まさに科学的視点のたまものでありまして、透視図法に見られる比率の美というものは、ルネサンス人が復興したいと願った古典的美学の粋であったのかも知れません。
ただここでいう遠近法というのは、あくまでも透視図法のことであって、実をいうと遠近法には空気遠近法というのもあります。遠くにある山を見ると、近くのものよりもぼやけて見えるというあれです。山と私たちの間にある空気が、山の姿を微妙にぼやかしてしまうという、そういう遠近感もあるのです。
もちろん、ルネサンスの芸術家たちは空気遠近に気付いていました。そして、透視図法に取り組んだように、空気遠近法を体系化しようという努力を惜しみませんでした。しかし、空気遠近法が理論として体系づけられることはなかったのですね。
なぜか? それは、空気遠近は計量できないからです。ルネサンス人が重んじた数と比率の美 — これこそは古典的美の神髄です — の世界に、空気遠近法の居場所はなかったのです。
なんでこんなことを唐突に説明しだしたのかといいますと、今の私の『きつねさん』に対する思いというのが、まさにルネサンス人における空気遠近に似ているからです。
曰く、萌えは計量できない!
私は今、自分のBlogにこくりさんの表紙を載せられたということで満足しています。ただこれだけのことで、こんなにも嬉しいなんて!
もうすっかり、駄目人間ですな!
蛇足
上の方で、変わり者だとかひねくれ者だとかいってるけど、この漫画はそうした人たちこそが優しくて、すごくいいと思います。特に、あの文化祭の日における、保険医と登校拒否児童田中さんの関係はすごく暖かいと思いました。
なんとなく失礼で、なんとなくひどいことばっかりいっている人たちですが、実はそんな人たちがすごく暖かいというのはすごくいいことだと思います。
蛇足2
えっと、私が好きなのはこくりさんだけじゃありませんで……、甘ロリ服もいいけど和服もねってやつでして、見た目キツ目の子供で中身は年増って、実は最高なんじゃありませんか!?
蛇足3
えっと、実はみんな好き。
- 桑原ひひひ『きつねさんに化かされたい!』第1巻 (まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社.2005年。
- 以下続刊
引用
- 桑原ひひひ『きつねさんに化かされたい!』第1巻の帯 東京:芳文社.2005年。
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