2005年5月19日木曜日

ドリーム・シフト

 誰にも素直になれない思いというのがあると思うのですが、私にとっては『絶対無敵ライジンオー』がそうなのではないかと思うのです。平成三年(1991年)に放送されたこのアニメに、私も私の友人たちもかなりはまっていて、実際その小学校の一クラス全員が正義のヒーローという思いきった設定に打たれた人は、当時ものすごく多かった。設定にはおたくっぽさよりもむしろ伝統的な雰囲気が漂っていて、その雰囲気というのも、子供向けロボットアニメの熱さと子供コミュニティにおける友情ものが持つしっとりした感じがうまく混ざっていて、やっぱり『ライジンオー』は名作だったなあと改めて思います。

じゃあ、なんでこの名作が私にとっての屈折した思いであるのかといいますと、なんというのでしょう、若干の失望があったからでした。

(画像は『絶対無敵ライジンオー』DVD-BOX)

失望 — 失望というのは、シリーズ後半におけるぬるさだったのです。前半の、こんなアニメこれまで見たことがないよという意外性、地球人にとっての迷惑が具現化された敵という設定が持つメッセージ性、そして登場キャラクターたちと、おそらくは制作者たちの一生懸命さは、まさに見るものの心を虜にしてしまうような熱さでした。けれど後半、特にバクリュウオーが出てからの数回にわたっては、実にぬるい展開が続きました。

ライジンオーを追いつめながらも、もったいぶってなかなかとどめを刺さない敵幹部。まさにライジンオーのピンチという場面に飛び込んでくるバクリュウオー。助かったぜマリア! のせりふも何度も聞けばさすがに心は動きません。

いや、これだけで私は『ライジンオー』を嫌いになったわけではありません。それが証拠に、プレーヤーもなかったというのに私は『ライジンオー』OVAをLDですべて揃えました。じゃあ、なにがために嫌いになったのかというと、その引き際の悪さであったかも知れません。

OVAまではよかったんです。主要キャラクターのテーマソングをシングルでリリースするというのもまだよかった(ちなみに防衛組の生徒は18人。シングルは全部で六枚でました)。けれど、そうして発売したものを再編集してアルバムにして売る、カラオケコレクションてのまで売る。ドラマも何枚でたっけかなあ。とにかく、人気のあるアニメで、関連商品を出せば売れるというのがわかっていたから、次から次へと出すんですね。私はこうした商売を決して否定はしませんが、足下を見られる側からすればあんまり気持ちのいいものではない。それに、勢いがあるうちにこれをやるならともかく、明らかにマニアも疲弊して、火勢も落ちつつある時期にまでだらだらとやられた日にはたまりません。こうして、引き際をすっかり誤った『ライジンオー』を、私はむしろ嫌うような気持ちにさえなっていたのでした。なにか、思い出をけがされたみたいな、そんな気持ちといったほうが正しいかも知れません。

ですが、ですが、どうして本当に嫌いになることなどできましょうか。あれだけ熱く、あれだけ愛したものをどうして嫌いになれるでしょう。私は、今も主題歌『ドリーム・シフト』を聴くたび、その胸を熱くするのです。

独特のリズムで始まるイントロを聴けば、目にはあの印象深い絶対無敵の四文字が流れていくようです。軽くディストーションのかかったギターの絶妙なリフには胸が締めつけられるようで、そしてSILKののびのある歌声には涙が出そうになります。まるで、本当にあの子らが自分たちのそばにいたかのように、思い出がうずいて仕方がないのです。

私の『ライジンオー』に対する愛は、『ドリーム・シフト』に凝縮されています。そして、おそらくは誰もが仁とマリアの不器用な関係を重ね合わせた『明日 Fall in Love』。私は、今もこの二曲を、そらで歌うことができます。それほどまでに心に焼き付いてしまっているのに私は素直になれず、目を逸らしてしまって、 — これではまるで『明日 Fall in Love』に歌われる情景のようではないかと苦笑します。

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