2005年5月30日月曜日

My Favorite Things

 私は昔サクソフォンを吹いていまして、サックスというとジャズの楽器という印象が強いですが、私のやっていたのはクラシックジャンルにおけるサクソフォンだから、ちょっと趣が違います。ですが、クラシカル・サクソフォンといいましてもね、サックス奏者にとってはジャズは避けて通れないものでありまして、だから私もジャズに興味を持って、いろいろ試しては見ました。参考にといろいろ聴いてみたり、またコピーしてみたり。そんな私の一番のお気に入りだったジャズ・サクソフォンはといいますと、ジョン・コルトレーンの演奏する『マイ・フェイヴァリット・シングス』。ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の佳曲を、ソプラノサクソフォンで熱くしかしクールに歌い上げる、ジャズ名盤中の名盤であります。

コルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングス』は、私にとって、強烈に鮮烈で本当にショッキングな体験でありました。サクソフォンを吹こうという人間は皆おしなべて、ヴィヴラートなるものを練習するのですが、ヴィヴラートというのは音を細かに揺らす技法のことですが、本来は演奏の一要素に過ぎないヴィヴラートを中高生というやつは妙に持ち上げる嫌いがありましてね、一旦できるようになったら、どんな曲でも、頭っから最後までヴィヴラートをかけながら、どんなもんだい僕の演奏はぁ、ってな感じにこれ見よがしにやっている。けれど、あくまでもヴィヴラートなんてものは表面的な装飾みたいなものに過ぎなくて、こんなのなくたって音楽的な演奏というのは充分可能なのであります。そのことを私に思い知らせたのは、まさにジョン・コルトレーンであったのでした。

コルトレーンは、『マイ・フェイヴァリット・シングス』を、徹頭徹尾ノン・ヴィヴラートでやっていて、むしろその音というのは粗野な感じさえあるのですが、しかしそれがどうして細やかでデリケートで、しかしパワフルでホットな演奏なのです。私はこれを聴いて、おいおい、なんだよ、ヴィヴラートなんてなくったっていいじゃんかと思うようになりまして、特にソプラノを吹くときにはコルトレーンのまねして、もっぱらノン・ヴィヴラートでやっていたのですよ。

まあ、だからといってノン・ヴィヴラートが一般に受け入れられるかどうかといえばなかなかうまくなくって、私は高校の時の演奏会でノン・ヴィヴラートでソロをやってみて、しっかりアンケートに、デリカシーのない演奏で最悪です、って書かれましてね、いやあ、結局音楽的演奏をできなければ、ヴィヴラートはよいごまかしになってくれるという話ですかな。ともあれ、私がノン・ヴィヴラートでうまくいけたと思ったのは、大学を卒業した頃だったかな、ちょっとしたイベント先でバッハの『無伴奏チェロ組曲』をやったとき。その日の演奏はきわめて気持ちよく吹けて、この世の憂いなんかどうでもなるような気分で、それに周りの評判もなんだかよくって、ノン・ヴィヴラートでもなんら問題がないんだというのを自分でも確認できた思いでした。

ともあれ、そうしたヴィヴラートがあるのが自然みたいななかに、ノン・ヴィヴラートでてらいもごまかしもなしの熱演を繰り広げたのがコルトレーンで、実際この盤は名盤として広く知られています。力強くそしてデリケート、歌う心にあふれた演奏であることは、多くのジャズファンもうけがうことであるでしょう。

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