2005年5月20日金曜日

論語

  もうずうっと前のこと。学生時分、私は少しでも自分の知識やら見識やらを広めたくて、いろいろ古典の類いに手を出してはわからないなりに咀嚼しようと懸命でした。ヘーゲルの『哲学入門』を読んだり、デカルトの『方法序説』もかじってみたり、論語もそんなうちの一冊でした。はっきりいいますと、こうした読書は読んだという事実だけが重要でした。有り体にいえば自己満足みたいなもので、なにしろ読んで内容を理解し、自らのものとし得たかといえば、そんなわけはないのです。けれど今となってはこうしたお堅い本を読む気力や体力、集中力なんかが持続しないものだから、やはりあの若くて血気盛んで、浅はかだった時分に読んでおいてよかったなと思っています。

論語を読んでいたとき、一緒に仕事をしていた若いのが、日ごろの勤務態度のまずさをもって馘にされるという事件があったのでした。その時のことは、はっきり覚えています。制服に着替え仕事場に出たところをおまえちょっとこいやと捕まえられて、私はその時ひやっとその意味がわかったから、仕事の間中気が気ではなかった。結局そいつが出てくることはなくって、仕事が終わって更衣に戻ろうという道すがら、我々を待つ彼の姿を見つけてしまって、自分の予感が正しかったことを理解しました。

すぐに出てくるといって私は早々に着替えると、けれど心中は穏やかでなく、けれど理性ではそいつが馘になる理由もわからないではないので、荒ぶる感情のもって行き場がなく、仕方なしにロッカーを蹴りつけて、けれどその馘を切られた本人が意外に落ち着いていたので、私も直に落ち着きを取り戻しました。

帰りの電車、がらがらにすいたロングシートの真ん中に並んで座って、今まで楽しかったばかりを話して、そこで働いていた私たちはみんなこの男を好きだったのです。ちょっとずるいところもありましたが、根はいいやつで、人の心をつかむのがとにかくうまく、だけれど職場の副責任者には目の敵にされていて、私はこいつを守れなかったというのが悔しくて、けれど私になんらの権力があったわけでもないんだから、守れるわけもないんですね。仕方がないんだなあと、けれどそうしたことを口にすれば湿っぽくなるから、楽しいことだけを努めて話していたのでした。

その時私のポケットには論語が入っていて、はっと気がついて、これやるよと手渡したらば、論語ですかと苦笑いしながらも、読んでためになる本ですなと喜んでくれたのでした。そして、もうそいつのうちの最寄りの駅につくというときに、本に一言書いてくれと、今日の日付と名前、それから俺に贈ると書いてくれと、急にまじめになっていうものだから、私は本には書き込みをしないというポリシーを破って、表紙の裏に請われるままに一筆したためました。本を受け取ったそいつは慌てて列車を降り、そのプラットホームを見送るときが、列車が速度を上げて、どんどんそいつが遠くに追いやられていくときが、一番悲しかった。私は泣きはしなかったけれども、悔しいなあと、なんとかしてやれたんじゃないかなあと、ひとしきりどうにもならないことを返す返す考えては、明日からはあいつと一緒に働けないのだなということを思っていたのでした。

その後すぐ、私は自分のために本を買い直して、けれどあいつはまだあの時の本を手元に残してるだろうか。今、どうしてるだろうか。

  • 論語』金谷治訳注 (岩波文庫) 東京:岩波書店,1999年。
  • 論語』上 吉川幸次郎訳 (朝日選書;中国古典選) 東京:朝日新聞社,1996年。
  • 論語』下 吉川幸次郎訳 (朝日選書;中国古典選) 東京:朝日新聞社,1996年。
  • 宮崎市定『現代語訳論語』(岩波現代文庫) 東京:岩波書店,2000年。
  • 宮崎市定『論語の新しい読み方』(岩波現代文庫) 東京:岩波書店,2000年。

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