2008年4月26日土曜日

HR — ほーむ・るーむ

  HR — ほーむ・るーむ』の第2巻が発売されて、これで晴れて完結です。『きららキャラット』での連載で描かれたラストにエピローグが続いて、ああ終わったんだな、本当にそういう感じがします。ホームルームに始まりホームルームに終わるという連載時でのラスト、あのすべてがここに集約されたという感じ、すごく好きで、ああ本当に彼らのそれまでが一段落したのだなと思われたものでしたが、エピローグではその閉じたと思われた物語を未来に向かって開こうとするベクトルが感じられて、その様子をうかがうことは私たちには叶わないけれど、でも彼彼女らの世界は終わることなく続くのだなあと思えるところ、なんかすごくいい余韻を残してくれたと思います。そう、余韻。この漫画を読むといつも思うのが、残る余韻の心地よさだと思います。彼らの世界の彼らの物語に多少でも関わって、そのかいま見た出来事が心に大きな波紋を投げ掛けて、嬉しかったり、なんか懐かしむようであったり — 。だから私はまたいいたいと思う。私もかつて過ごしたかも知れない季節がこの漫画にはいっぱいにつまっている。だから共鳴するのだと思う。心が気持ちが懐かしく思い出される過去のすべてが、長月みそかの描くこの漫画に共鳴して、だから私はたまらなくなるのだと思うのです。

胸がいっぱいで、実はちょっとあんまり書けないんですが、なんでやねんって感じですが、だってしかたがない、私はこの人のファンなんだ。この人の描く世界に魅せられて、引き込まれるように既作買って、さらに好きになって、そして『HR — ほーむ・るーむ』第1巻でまたさらに好きになって……。いったいなにがそんなによかったのかというと、一言でいうと作者の愛のためだと思います。自分の作り出した世界、描き出した人たちに対し、この人は溢れんばかりの愛情を注いでいる。そういう風に感じられるところがあまりにも強くて、そしてその愛は、ただそうした世界を独占したいという狭量なものではなく、自分の作り出した世界、人物、出来事に対して責任をとろうかとでもいうような、生真面目なものだった。それがよかったんだと思います。そうした愛の示し方が、私をしたたかに打ったのだと思います。だから私も好きになった。その愛される世界や人物もそうなら、作者そのものに対してもそう。ああ、なんかいい人だなあと、そんな風に思ったんですね。

『HR』第2巻はこの三年間の決算で、物語中の三年、そして連載されていた三年間、だからちょっとした節目ですね。そのためか、カラーの書き下ろしがなかなかにすごいです。ページ、扉をめくったら、わお、これって卒業アルバム? というか、現時点における長月みそか総決算の様相を呈していて、すごいな、いや本当にすごいです。『HR』に登場した人たちが集結、まさしくオールキャストであります。中心人物は当たり前、物語に関わった人も当然、さらにはほんの数コマ出ただけのような人も! 面白いのが、『あ でい いんざ らいふ』の登場人物でしょうね。ちょくちょく出てたんですよ。彼彼女らが物語にからむことはなかったけれど、それでもはっきりとわかるかたちで背景に写り込んでいたり、あるいはモブとして参加していたり、それ見るたびに、いいなあ、面白いなあと思ってました。さらには『すてぃるぶるー』にいたっては、普通に出て、普通に物語の一端に位置して、そしてイベントを共有していた。いや、これらは18歳未満は買えないものだから、そういうのを健全四コマに絡めるなんて! という意見があることは知っています。でもそれがエロ漫画だったからといって、一般紙掲載作に対し低められねばならないものと作者は思っていない。同じく大切な子、大切な世界なのだということが伝わってきます。だから彼彼女らも当然ながら『HR』集合写真に入っていて、だからこの2巻は長月みそかの一種のまとめであると感じたのですね。

そしてこのまとめをさせた原動力が愛であるというのです。だってね、既作の人たちやその舞台に愛着があるというのは理解できる。けど、それだったら名前だけあって顔のない人まで描く必要ないでしょう? ほんの数回、ほんの数コマの人たち、それこそ名前も明かされず、どんな性格かなんてわからなかったような人たちも、きっちり描いて、今通っている学校から入っている部活まで含めて紹介する必要なんてなかったでしょう? けれど長月みそかはそれをやったんだ。そして私はこうしたところに、氏の作品に注ぐ愛情、彼彼女らそして世界への責任を感じて、ああいい人だなって思って、このあまりにナイーブでセンチメンタルである性質に、より引きつけられるのです。

凝られた設定。例えば表紙、カバーをはがしたところにある地図。橋沢市を鳥瞰し、物語中の舞台がどこであったか指示されている。地名は主にバイク、自動車及び模型おもちゃ関連企業からつけられていて、『HR』登場人物は文豪など、そうした仕掛けの豊富さも面白いのだけれども、でも作者はこうした設定に耽溺することなく、物語なら物語だけで勝負しようと一生懸命で、それがいいのだと思います。設定は重要かも知れないけれど、瑣末な設定に耽溺しすぎるあまり、独りよがりなものになるということはあります。設定ばかりが細かくて、描かれるものが追いついていないようなのもあります。けれど『HR』の物語は、諸設定を踏まえた上で、その先を歩んでいました。後半、物語への傾きを強めたために、当初の気の利いたネタが生み出す小気味いい感触は薄れたけれど、でも彼彼女らの恋愛模様は密度高く描かれました。それは、連載ではもどかしいくらいに少しずつ進行して、もっと先を、その先を見たいという飢餓感をあおったものでしたが、けれど単行本となるとなんとみっちりと充実した感触を残すものであったか。三年間という時間をかけて、少しずつ歩んだ季節の色、体験したことが、すべて意味を持って立ち現れてくる。ああ、時間というのはただ過ぎるものではないのだ、そこで起こったことはすべてそれを経験したもののうちにはっきり残され、きっかけさえあれば意味をともに思い出されるのだというかのような実感。この実感の確かさが、私の最初にいった共鳴を呼び起こすのだと思うのです。

そしてその共鳴が、私のかつて過ごしたかもしれない季節をふつふつとさせて、その思い出の甘酸っぱさ、苦さが、この漫画に加わり、揺さぶり返すことで、また新たな実感を生み出して、その思いの行き交いがさらに彼彼女らの世界、出来事、物語に対する思いを深めさせ、一種の特別にしてしまうのでしょう。ええ、三年という時間をともにして、それらは間違いなく特別なものとなった、そういって私ははばかりません。

蛇足

冒頭のポエムがなんかくすぐったくって、めちゃくちゃいいんですが、正直な話、参りましたな。そしてカラー最後のページ、自分に素直でないから、私は後悔ばっかりだよ!

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