2008年4月17日木曜日

甲野善紀 古武術の技を生かす

 NHKは甲野善紀氏がお好きであるのか、人間講座に出演されていたり、あるいは福祉系の番組に出ていらしたり、さらにはまる得マガジンなんていう五分番組にも出演されたりと、ほんと、結構お見かけすることが多いのです。そりゃあんたがNHKばっかり見てるからだって、そういう意見もありそうですが、まあそれはそうかも知れませんね。でも、たまたま休んだ日にたまたま見た福祉の番組が、古武術を介護に応用しましょうなんてやってるっていうのは本当に偶然で、そういえば民放でも古武術応用介護法をやってらっしゃるのを見て、実際に試してみたりもしましたっけね。それだけ人気で、引っ張りだこだったということなのだろうと思います。またそれは、私のような人間が、この人が出てるっていうのを見付けたら見る、そういうこともあってのことだと思うんです。

『甲野善紀 古武術の技を生かす』は、NHKのまる得マガジンで紹介された古武術応用の技術を映像テキストともに収録して、生活に役立てましょうという趣旨であるのですが、嬉しいことに古武術そのものの技の数々を紹介する映像もついてきて、むしろ私はそっちを見たくてこの本買ったようなものですね。体術、剣術、抜刀術、杖術、槍・薙刀・手裏剣術とあって、それぞれに技を見せ、解説して、なるほどああすりゃいいのか、こうするのかと、まるで自分でもできるようなつもりにさせてくれます。もちろんできるわけなんてこれっぽっちもないのですが、しかし今まで文庫やらなんやら買っては、この人のいうこと、この人の技術というものを理解したいと思ってきた私ですから、こうした映像を好きなだけ繰り返して見られるというのは、それだけでもありがたいことで、本当にいい時代になったものだと、改めて噛みしめています。

けれどなぜ甲野善紀氏なのか、古武術なのか。私はもともとは太極拳をやりたくて、いろいろ本買って試してみたりもして、そのもともとは仕舞なんぞをやりたいと思って、カルチャーセンター覗いたりしたけどはたせなかったりして、そういえば居合であるとか弓術であるとかにも興味を持っていましたっけね。それら一連の興味というものは、身体の拡張みたいな方向への傾きもありますが、同時に機能だけでは説明されない東洋的なものへの憧れであったのだと思っています。日本に生まれて住んで育って、憧れもなにもあったものじゃないとはいっても、残念ながらそうした東洋の神秘はすでに私の身の回りからは消え去って、や伝聞に知るものでしかなくなっていたのですね。残念ながら、日本に暮らす私の身体も知もすべて西洋であり、東洋は失われている、失われつつあるのです。それを回復したかったのか、あるいはもともとなかったものを新規に導入したく思ったものか、東洋的な思想や美学を背景に持つものに触れたかった。身体により、身体的知とでもいうものを理解したかった。そうした興味が今も消えず残り続けているのです。

しかし、ずっと太極拳、中国武術周辺をかぎ回っていたのに、なぜ日本の古武術、それも甲野善紀氏の古武術に向かったかというと、それは理解するためのよすがが用意されていたからかと思われます。というのもですね、同じとられた手を払うという動作にしても、太極拳のテキストでは、ここで気を発して相手を崩すとか平気で書いてあるんですよ。いわんとするところはわからないでもないですよ。テキストにも気についての説明がありましたからね。でも、気を発してなんて書かれていても、そうかじゃあ試しにやってみようとは思わないでしょう。ところが甲野氏の場合は、気なんていう曖昧な概念は使わずに、身体の動作させ方を具体的に説明しようとします。体をねじらず、各部をばらばらに動かさず、体全体を連動させて沈み込ませるように云々、という具合に説明されれば、そうかじゃあちょっとやってみようかなという気持ちにもなりやすいというものです。実際にはできたものじゃないんですけど、理解するための道筋は用意されている。少なくとも、現代人である私にとっては、気というものを持ち出されるより、ずっと近づきやすいと思えるではないですか。

甲野善紀氏の面白いのは、古武術の技術を積極的に他の分野に応用していこうなんていうところで、スポーツ選手が彼のもとで学んでみたいなこともあるんだそうだといいますが、そればかりか介護にまでいくんですから驚きです。もったいぶらない。出し惜しみしない。そして、介護への応用に関しては、私のようなものでもちょっと練習すればなんとなくできるようになるんです。自分よりも体重のある人間を持ち上げたり、起こしたりできるようになる。力を絞るんじゃなく、コツによって、理によって、できるようになるといった感覚が強いですね。説明されるままにやってみて、あ、できちゃったよ、そんな感じです。そして、こうした感覚をつかめると、本当に無理せずできるようになるんですね。

この体感できるというところがなによりも面白いところであろうかと思います。武術となると大変だけど、日常への応用という、向こうからの歩み寄りと、その結果得られるちょっとした気付きとでもいいましょうか、いわばはっと感じるところ、それが魅力になっているのでしょう。神秘に少しだけ近づいた気持ちになれるわけです。もちろん、それがごく一部でしかないことはわかっているんだけれど、わずか一部でも知ることができるというのは、やはり嬉しいことに違いありません。

0 件のコメント: