2008年12月15日月曜日

KOKUYO 領収証A6ヨコ型ヨコ書き ウケ-1036

 頼まれていた仕事を仕上げたのは、まだ夏の暑さが残るころ。さあ後は支払いだけだ、と思いながら年末まで放置する私というやつは、どれだけものぐさであるというのでしょう。ですが、さすがに年末。いくらなんでもそろそろ集金せねばなるまい。私だってそうそう余裕があるわけでもないし、それ以上に向こうさんにも申し訳が立たない。それにそもそも師走といえば、集金の季節と決っております。といったわけで、領収証なぞ買ってきました。いやね、領収証を用意してね、といわれていたものですから。そうか今までは向こうが用意してくれた領収証に住所名前を書いて判子を押してというようなことしてたけど、実際の取引においては支払いを受ける側が領収証を用意するのが当然だよなあ。当たり前のことに今さら気付いて、生れてはじめてのMy 領収証を持つこととなったのでした。

領収証を買いにいくとき、できればちょっと凝ったもの、一味ちがうものが欲しいなあ、みたいなことを考えていたのでした。それこそ文房具探偵山口由美子氏よろしく、英文領収証なんかをぱっと取り出して、ぱっと切ったらかっこいい? なんて思ったものの、いった店には普通の和文の領収証しかなかったので、じゃあまあこれでいいやと普通の領収証を買ってきました。

買ったものはKOKUYOの領収証、A6サイズの80枚入りです。最後まで迷ったのが同じくKOKUYOの小切手判で、こちらはよく目にするサイズ、収入印紙を貼る場所についても指定があるし、こちらがいいかなあ、と思いながらA6に決めたのでした。決めた理由はコストパフォーマンス。小切手判が168円で50枚入りなのに対して、A6ヨコ型は同額で80枚入ってる! わお、ちょっと安いじゃん!

とか微妙にけちくさいこといってますけど、残る79枚はいつ使うのでしょうね。もっと仕事増やすべきなんだろうなあ。どなたか仕事ください。

領収証は買った。じゃあ次は収入印紙、ってことで、たしか職場の売店で印紙売ってたから、明日にでも買っておこう。といいながら、忘れるのが私という人間です。とにかく支払いを受けた時点で、印紙を貼って、判子も突いておかないといかんわけだから、買い忘れましたじゃすみません。あ、そういえば、うちに二百円の印紙ってなかったかな。子供のころ、切手に似て切手じゃない印紙を見て、これなんだと親にたずねた記憶があります。でも、まあ、ここは買う方向で。そして、もし買い忘れたときには家捜しをするということでいこうかと思います。

2008年12月14日日曜日

Natural — 身も心も

 Windowsの動作するノートPCだって持っているのに、Macintosh上でWindowsアプリを動かす互換レイヤー、CrossOver Macを試してみたり、また最近も、Macintosh上でWindowsマシンを仮想的に動かすVirtualBoxを試してみたり、はたしてそれはなにゆえなのか、といわれれば、答えはひとつ。どうしてもWindows 9x環境が必要だったからに他なりません。Windows NT系OS上では動作しないゲームを持っていて、それをどうしても動かしたかったのですね。それはなにかというと、フェアリーテールから出ていた『Natural — 身も心も』であります。実は、これは私のはじめて買ったPCゲームでありまして、とにかくこれを遊びたい一心でWindows 98ノートを調達した、それくらいに思い入れのあるゲームであるのですね。そういえば、私がWindowsノートを購入したのもゲームがきっかけでしたっけ。つくづくゲームがPC導入の原動力であることがわかります。

『Natural』が新しいWindowsでは動かないというのは、ゲームのシステムプログラム、ADVWin16が、Windows 2000以降のプラットフォームでは動作しないからであったのでした。しかし、いくらなんでもシステムプログラムが16ビットだから動かないってことはないだろう。それは私も思ったことですし、またまわりからもいわれたことであるのですが、しかし動かないっていうんだからしかたありません。もしかしたら、別のゲームから新しいシステムプログラム、ADVWin32を持ってきたら動くんではないだろうか、そんなことを思ったりもしましたが、そういった報告例は残念ながら見付からず、自然私は『Natural』の動作する環境、Windows 95の確保にやっきになったのでした。

残念ながら私は満足にWindows 95を動かすことはかないませんでしたが、Windows XPで動作する『Natural』がDL販売されていることを知ってですね、アレルヤ! これで旧環境を確保する理由がなくなったとばかりに、仮想化ソフトウェアからも互換レイヤーからも手をひいたのでありました。もちろん『Natural』XP対応版はすでに購入済。ダウンロードは二日遅れて本日おこないました。そしてインストール。すぐさまゲームを開始してみたら、なんとBGMが鳴らない。あれー、と思ったら、Windows Media Audioのドライバをインストールしていなかったからでした。ドライバをインストールしてやったら、無事BGMも鳴るようになりまして、よかった、いや、しかし懐かしいなあ。

『Natural』の発売されたのは、1998年2月6日のことであったのだそうですね。今から十年も前のこと。私の購入はさらにこれより遅れて、2001年1月9日に発注して、2月1日に入手しています。その直後の感想が残っていたのですが、それによると、どうもあわなかったみたいですよ。なにしろ男性優位のゲーム、自分の部屋に転がりこんできた女の子、千歳をあれやこれやと支配する、そんなところもあるゲームですから、そういうところに拒否を示したのだろうなあ。今から振り返るとなんとナイーブなことか、と驚いてしまいますが、基本的にこの性質は今も変わっていないようですよ。しかし、なのに、今では『Natural』が好きだといっている。それはいったいなぜなのか、なぜなんでしょうね。

それは結局は、ヒロイン千歳の可憐さと、そのゲームの行き着く先、エンディングへ向かう流れにあるのではないかと思うのですね。攻略対象は千歳を含めて四人いるのですが、中でも千歳は別格です。臨時講師として訪れた学校で、かつての恋人の妹と再会する。それが千歳。千歳はこのまま主人公のうちに転がりこんできて、それからゲーム終了までの一ヶ月間、千歳との蜜月関係が続きます。千歳が別格であるというのは、自宅でも一緒、学校にいっても会える、そうした設定であるため、いたるところで行為になだれこむことができる。というわけで、シチュエーションもバリエーションも実に豊富で、そして主人公は千歳を行為を通して支配していこうとするのですね。

そうした、支配に及ぶ可能性、それが見え隠れしたところに、当時の私は嫌悪を感じてしまったのでしょう。それこそ、最終的に隷属状態にまで持ちこむことができる、そんなゲームです。でも、できるからといって好き勝手に振る舞っていたら、それなりのエンドにしか辿りつけないんですね。千歳に去られてしまう、主人公は心に空白を残したまま、同じ過ちを繰り返すことになる。そうしたわびしさの残るエンドは、私の最初に感じた嫌悪をうまく受け止めて、そして私は納得してしまったのです。ああ、そういう仕掛けなのか。そして私は、千歳とのハッピーエンドを迎えるべく、再度プレイし始めた。そうしたことを思いだします。

私がこのゲームをプレイしたいと思ったのは、たまたま見たイベントグラフィックのためでした。海外のオタクが、画像を勝手に公開していたんですね。しかしこれは私にとってはよかったのだと思います。その画像に見付けた女の子の可愛さに射すくめられたようになって、ずっと記憶のどこかに残して、そしてついにその出典を知って、あの時は嬉しかった。だから、結局は私は、千歳にはじめっから支配されていたってことなのだと思います。活発な女の子、ボク少女、激辛カレー、主人公の呼称はお兄ちゃん。そのどれもが懐かしい。自分の好みからははずれているはずなのに、少しも気にならなかった。それはつまりは、私が千歳にすっかりまいってしまっていた、そういうことなのかも知れない — 、それこそ意思やなにかの及ぶ話ではなかったってことなのだと思います。

2008年12月13日土曜日

Dear Friends IV

 私は岩崎宏美が好きで、というのは、前にもいってましたよね。『聖母たちのララバイ』、子供の時分、この歌が好きで、また歌っている人、岩崎宏美にも憧れていた、そんな話でしたっけ。そして今、岩崎宏美熱、再燃です。NHKの歌謡ショーでこの人の歌を聴いて、ああ、やっぱり素敵だと思って、Blogに書くために、『聖母』のはいっているアルバムを調べていたら、もうなんだか堪らなくなってしまって、PRAHA買ってしまって、しかもDVD付きの限定版。で、DVD見たら、岩崎さんがもうお美しくて、素敵で、可愛くて。堪らんね。かくしてその勢いのままに、Dear Friends IVも買っちゃったってわけです。

Dear Friendsはカバーアルバム、すなわち岩崎宏美が他アーティストの持ち歌を歌うという、そんな趣向であるのですね。この度、私が買ったのはDear Friends IVだから、その四枚目。しかし、それがもう素晴しい。たくさんある歌から、特にこれというものをピックアップしていらっしゃるのでしょう。耳に馴染みのある曲、有名曲から定番、名曲といえるようなものまで実に多彩で、またそれを歌う岩崎宏美のうまいこと。この人が上手というのは、いまさらいうまでもないことでありますが、それでもいわずにはいられないほどに上手。全体に落ち着いたテンポで歌われる、そのどれもがまた新しい魅力を引き出されて、それは曲の魅力と岩崎宏美の魅力との相乗作用によるものなのでしょう。聴き覚えのあるという程度だった歌は好きに、好きだった歌はより好きに、こんな具合にどれもが好きのランクを上げた。それくらいに魅力的なのであります。

私がこのアルバムを買おうと思った、そのきっかけとなった曲は、『飾りじゃないのよ涙は』でありました。ご存じ、中森明菜の歌う名曲、作詞作曲は井上陽水であります。これを岩崎宏美が歌っている、その歌唱を試聴してみてですね、フルで聴きたい! そういう気持ちが抑えられないほどに高まったのです。

このアルバムでカバーされた歌は比較的新しいものが多くて、1980年代のものは二曲だけ。テレサ・テンの『別れの予感』と『飾りじゃないのよ涙は』であるのですが、十代のころの私が、テレビの歌番組で耳にして、いい歌だな、かっこいいなあと思っていた、その記憶を呼び覚まされたようなのですね。覚えようとしたこともない、きちんと歌おうとしたこともない、けれどちょっとくらいならくちずさめる、そういう懐しい歌。人が、歌に、音楽に呼び起こされるもの、それは音楽そのものの魅力であるのはもちろんですが、それと同時に、昔、その歌を耳にしていた時代の思い出でもあるのでしょうね。このアルバムは、そうした昔を思い出すきっかけとなって、そしてまた今、この時間を、新たに思い出として刻む、そのよすがとなろうとしています。今の、こうして文字を打っていること、母が気に入って、台所に小さなCDラジカセ持ち込んで聴いている、そうしたことを、いつか思い出す日がくる。懐しく、そして愛おしく、今の日々を思い出す、その時にはきっと岩崎宏美の歌声は優しく私の心に触れて、なによりの慰めとなってくれることでしょう。

2008年12月12日金曜日

ゾンビロマンチシズム

 新しい雑誌に出会うということは、これまで知らずにいたものに知り合えるということでもある。そんなことを思うのは、『コミックエール』で初めて知った漫画家が結構あったからなんですね。しかも結構なヒットと申しますか、好みである、気になる作風である、思わず既刊の有無をチェックしてしまったりしましてね、こうして新たに触れた世界が、さらに世界を広げるきっかけとなるのもよくある話です。新しいなにかに出会ったことがきっかけで、また別の違うなにかを知る。結局、人間っていうのはこうしたことの繰り返しでものを知っていくのかな、そんなことを考えたりもするのでした。

さて、本日12日は『コミックエール』と『まんがタイムきららフォワード』のコミックの発売日であります。雑誌掲載時に気になってしかたのなかった睦月のぞみの漫画が単行本になるということで、ちょっと楽しみにしていたのでした。そのタイトルは、『ゾンビロマンチシズム』。この、奇でもてらったのか、異質なことばをふたつ繋げてみたとでもいわんがばかりのタイトル。そのインパクトはなかなかのもので、そして実際、雑誌に掲載されていたときの異質さ、それもまたなかなかに忘れがたいものでありました。

この人の漫画を意識した最初は、『人斬り恋愛ロジック』でした。辻斬り女子高生に出会った主人公が、命惜しさに起死回生の告白をしてしまうという、衝撃の幕開き。のっけからとばしすぎだ! と思ったのですが、これがまあ気になること気になること、もう先を読まないではおられん気持ちになって、それで話を先に進めたら、その辻斬り女子高生が可愛いんです。まいったなあ。日本刀、長髪、長身、スレンダー。凛々しさの中に、かすかに照れをにじませる、その様がもうどうしようもないほど可愛らしくて、これはたまらんなあ。主人公ならずとも、引き付けられるのも無理ないわ。それほどに魅力的、でもそれだからこそ、辻斬りしているという設定に心がかき乱されるというのですね。

でも、だからこそ、あの展開にはちょっと参りました。えーっ、こうくるの!? ていうか、そりゃないよ、すっかりコメディ、喜劇じゃないか! って、まあいうまでもなく最初からコメディだったんですが、でもそうした喜劇的落差に腰砕けになったところに、再度ちょっとシリアスな心の揺れ動きをもってくるから、変にしんみりしちゃいましてね、なんだか面白くも気になる漫画だったなあ。そんな風に思ってしまったんです。

この後に始まったのが、ゾンビものの連作でした。「リサイクリング・ビューティー」、そして「ゾンビロマンチシズム」。それにしても、なぜゾンビなんだ。疑問は疑問ですが、でもこの作者はエキセントリックが売りみたいだから、これはこれで面白そうだ、そんな風に思えたくらいには、馴染んでいたのでしょう。そして、実際面白かったと思います。ゾンビとの共存が実現した社会。その異様で異質な社会構造もエキセントリックですが、そこに恋愛がからむところもまたエキセントリックで、そして主人公がエキセントリック。変人さ加減では、「ゾンビロマンチシズム」のヒロインが頭ひとつふたつ抜けていました。恐ろしく自己完結した、そんな印象のあるヒロインには変にいらいらさせられるかも知れません、それに男の煮えきらない態度、そこにもいらいらするかも知れない。でも、その行きつ戻りつする心の弱さやらままならなさが、コメディにひと色添えていたように感じたのも事実でした。時におかしみを付加し、そしてせつなさやちょっとほろりとくるような感情のうるおい、そうしたものも付加して、ああ恋愛ってやつは滑稽で、しかしなかなかに悪くないものだねと、そんな思いにたどりつく、紆余曲折含めての道のりが面白かったのでした。

漫画としての表現しかたについては、少し生硬なところも感じないではないのだけれど、けれどそれを上回って興味をそそらせるものがある、なんか気になって仕方のない、そんなところがある、実に不思議なあるいは妙な作風だと思います。それは結局はエキセントリックであるというところに落ち着くのかも知れませんが、でもそれは目立ちたがりが奇をてらった結果ではなく、ただ単純に着眼点がすごく独自なのだろうなと思わせるような素直さを持った独特であるのです。そしてそうした特性は、多かれ少なかれ、登場人物みなが持っていて、だからなんでしょうね、紆余曲折ありながらも、最後にはまっすぐに向かいあうのは。そうした幕切れに、私は変に心が動いて、やっぱりなんだか気になる漫画だなって思うのです。

  • 睦月のぞみ『ゾンビロマンチシズム』(まんがタイムKRコミックス エールシリーズ) 東京:芳文社,2008年。

2008年12月11日木曜日

百合星人ナオコサン

  昨日は待ちに待った『百合星人ナオコサン』第2巻の発売日。ですが、発売当日の入手はかなわず、一日遅れでの購入と相成りました。しかし、『ナオコサン』、これは素晴しいですね。なにが素晴しいといっても、アヤコサン、ああ、この人は、百合星人であるナオコサンをライバル視しているヤオイ星人なんですが、ホンモノだぞー がおーって、どんだけ可愛いんだこの人。しかも魅力はこれだけにとどまらない。あちらこちらでアルバイト。自宅においては、よれよれTシャツにはんてん姿でBL原稿に向っているというのですから、なんという理想的なお姉さんでしょう。眼鏡、長髪、長身、スレンダー。お出かけ時にはエレガントなお召し物も艶やかに。けれど普段人に見せている強気な素振りとはうらはらに、人恋しさに寂しさ覚えることもある — 、そんなところも可憐で素敵、本当に素晴しいお姉さんであると思います。

といった風に、アヤコサン大好きな私ですが、主役はといえばやっぱりナオコサンです。百合星からやってきた、地球の百合化をもくろむ宇宙人であるはずなのですが、しかしその目的がはたされる日はくるのか、ひたすらに疑問です。だってこの人、百合だなんていうわりには、圧倒的にようじょ優位の言動が目立ちます。一説には、子供相手に百合の浸透を図っているのだから、これでいいのだそうですが、いや、しかし、本当かなあ。そんな疑問も湧いてくるのですね。

『ナオコサン』は、1巻が出てからもう二年がたっているのですね。正直、あっという間の二年でした。久しぶりに触れる『ナオコサン』は思った以上にまっとうなストーリーを描いていて、ちょっと驚くくらい。毎回の短いエピソードに、主にナオコサンが持ち込むナンセンスな表現がこれでもかと詰め込まれる、そんな感触さえあるというのに、緩やかに話は繋がり進んでいく。その印象は不思議の一言です。おかしみ以外になにも残さない、そんなふりをしていますが、実際には叙情的で、センチメンタルな気質もある漫画。時に少しメランコリック、けれど感情に強くは訴えない。静かに跡を残して消える、そんな色合いが独特で素敵だなと、そう思う私はすっかりkashmirの世界観に取り込まれているのかも知れません。

さて、遥かなる叙情が心の奥に埋ずもれた遠い日の思い出を刺戟する本編から離れまして、2巻初回限定版に付いてきたおまけ、YURICLOCK、じゃないや、LOLICLOCKについて少々。

これ、いわゆるデスクトップアクセサリであるのですが、なんと嬉しいことに、Macintoshでも動作するのですよ。なので、早速実行してみたのですが、時計として常用するのはちと厳しい、そんなアプリケーションでありました。というのもですね、バレーボールの得点を表示する幕がありますが、ああいうの使ってプロ幼女が時間を案内してくれる。三人いる幼女のうち、一人が表示幕をめくる係で、もう一人は木琴で時報を叩く係で、そして残る一人はステージ中央で踊っている。このナンセンス。ちょっとすごい。これは家族には見せられない。のはいいとしても、木琴の音が結構大きくて、だから日常使いにはしにくいのですね。もちろんミュートもできるのですが、音を消したら面白くないでしょう。極力、音は出す方向で頑張りたい。となると、やっぱり常用はしにくいというような結論になってしまうんですね。

しかし、この木琴の音がいいんですよ。あんないい音する木琴、ひとつ欲しいな。そう思うくらいいい音。そして、青い名札の娘さん。ちょっと気に入りました。

  • kashmir『百合星人ナオコサン』第1巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2007年。
  • kashmir『百合星人ナオコサン』第1巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,初回限定版,2006年。
  • kashmir『百合星人ナオコサン』第2巻 (電撃コミックス) 東京:アスキー・メディアワークス,初回限定版,2008年。
  • 以下続刊

引用

  • kashmir『百合星人ナオコサン』第2巻 (東京:アスキー・メディアワークス,初回限定版,2008年),12頁。

2008年12月10日水曜日

PILOT ペイントマーカー

 私の受講しているPILOTのペン習字通信講座は、万年筆やボールペンだけでなく、油性マーカーを用いる課題も用意していまして、この十二月がその掲示文課題であるのですね。なので、早速油性ペンを用意しまして書き始めているのですが、なにしろ日頃使い慣れない筆記具、サイズもずっと大きいときたものですから、どう書いたものかさっぱりわかりません。用紙サイズはB4に指定されていて、だから紙も買ってこなきゃならないなあ、なんて思っているのですが、まあそれはもう少し先の話です。

さて、今回とりあげますのは、掲示文の課題に使っているペンです。PILOTのペイントマーカー。これを選んだのは、いつも文具買っている店、梅田の紀伊國屋書店なんですが、そこにあった油性マーカーがこれだったから。実にわかりやすい、実にいいかげんな理由です。いや、油性ペンならたくさんあったのですよ。太字から細字まで各色取り揃えて、それはもう目移りするほど。ですが、ここはPILOTのペンを選びたい。なんといってもPILOTの講座ですからね。なんていいながら、ボールペン課題は三菱鉛筆のJETSTREAMで書いたんですどね。まあ、そのへんはあんまり気にしない方向でお願いします。

最初探したのは、同じくPILOTの油性ペン、油性マーカーの中字であったのですが、これがなかったのでペイントマーカーにしたのでした。なぜ油性マーカーを探したのかというと、PILOTペン習字通信講座の機関誌、わかくさ通信に紹介されていたのがこれだったからなんですね。私は普段、マーカーを使いません。だから全然詳しくない。しかも、万年筆やボールペンと違い、マニアもそうそういないらしく、なかなか情報が出てこない。そういう場合は、おすすめに従うのが一番でしょう。というわけで、PILOTの油性マーカー。でもそれが店になかったので、ペイントマーカー。実にわかりやすい思考の流れであります。

ペイントマーカーは、購入直後にはペン先、チップにインクが浸透しておらず、なので数回振ってからペン先を紙面に押し付けてやる必要がありました。ペイントマーカーってこんななんですね。新品の油性ペン、それも中字以上なんて、本当に使ったことがないから、こんな基本的な約束事項も知らないのであります。

振って押し付けて、そうするとペン先がへっこむのですが、それを二三回も繰り返すとインクが出てくるようになりまして、こうなるともうすらすらと書けますね。マーカーについてもインクの出を云々するかどうか、ちょっとわからないのですが、たっぷりとしたインク出、書いているうちにだんだん楽しくなってくるほどでした。

なにが楽しいといっても、ペンを運ぶ速度を変えることで、線の硬軟を調整できるのですね。ちょっとした毛筆気分とでもいいましょうか。毛筆ほど難しくはなく、それっぽい線を引ける。これは楽しい。無駄にいろいろ試し書きして、そうしたら溶剤の匂いがすごくて、面白いんだけど、この匂いはちょっときついなあ。

字を書くということは、字を知り、そして道具の使い方に通ずるということであろうかと思います。なので、もう少しいろいろ書いて、マーカーという道具に慣れようと思います。なので、まずはちらしの裏、比喩じゃなんかでなくて、に思いつくままいろいろ書いている次第です。

2008年12月9日火曜日

ユッカ

 先日、書店に買い出しにいったら、新刊の棚に思いがけない祥人の新作を見付けて、当然のごとく買うのです。タイトルは『ユッカ』。表紙のイラストを見れば、この夏に最終巻の出た『日がな半日ゲーム部暮らし』に出ていたキャラクター、雪華の面影が見てとれて、もしかしたら『日がな半日』のスピンオフかなにかなのかなと、そんな期待もちょっとあって、読むのがすごく楽しみであったのでした。そして、読んでみて、違った。残念! 残念というのは、それだけ『日がな半日』が好きだったってことなんですが、あの漫画の、どこか優しげな雰囲気、本当に好きだったんですよね。みんな前むきで、いい子ばかりなんだけれど、どこかに危うげなところを隠していて、それが不思議といじらしかった、そしてそれがなおさら愛おしくさせたと、そんな風に思っています。

そして、新作『ユッカ』。読んでみて、ヒロインユッカが雪華に似ているというのは、実際のところそのとおり、雪華をモデル、下敷きとしたキャラクターであったのだそうです。でも、それは最初だけ。次第にユッカは雪華とは違っていって、独特のキャラクターとして振る舞うようになっていった。そのあたりは、作者ならずも、おぼろげながら感じるところがあって、確かに面影こそはあれど、違う人なのだ。そう思わせるところ、大いにあったのでした。

しかし、この漫画の印象は『日がな半日』とは随分違っていて、なにが一番違うかというと、おっさん色がかなり強めなんですね。登場人物は、ゲームのために仕事をやめたというお父さん、早良博明。まずその設定からして駄目な大人って感じですが、ここに負けず劣らず駄目な匂いをさせる甥っこ、大学生の春告君が加わって、このふたりがふたりして、コアなゲームトークを繰り広げるものだから、もうおかしくて。お父さんにはあずねちゃんという小学生の娘さんがあるのですが、よくわからないことをいっているこの大人ふたりに対して、不審がるというか、心配しているというか、そういう様がなおさらおかしさを醸し出しているように思うんですね。

以上の三人が、この漫画の基本となる登場人物。そこに突然やってきたのが、タイトル・ロールであるユッカ・クマゴマでした。謎の美女の登場、しかし謎をはらみながらも、ネタはゲームに落ちていって、やっぱりこのあたりはゲーム四コマであるという所以でしょう。しかし、謎が謎を呼ぶ展開はとどまるところを知らず、ふたり目の謎の美女、屋形原京子が現われたかと思えば、早良家に入り浸ってゲーム三昧。なんなんだろうなあと、苦笑しながら面白がっていたら、だんだんにそんな笑いごとではすまされなさそうな、シリアスっぽい展開がじわじわ日常ゲーム四コマを侵食していって、うわあ、これ、なんか、事前に想像していた以上にすごそうだぞ。もっと、お気楽なノリで進行するものだとばかり思ってた。それが、こうくるか!

作者、コメントにて曰く、連載は30話近くまで回を重ねているのだそうですが、この第1巻に収録されているのは、第8話まで。つまり、後二三冊くらいは軽く出せるほどの分量が控えているってことですよ。それを知ったら、もう早く先を読みたくなって仕方がなくなって、いや、本当に、早く出てくれないものかなあって思っています。けど、同じく作者曰く、そんなに話が動いているわけでもないようだから、そんなにがつがつして先を心待ちにすることはないのかも知れません。とはいってもなあ。やっぱり先が気になる、その気持ちを押さえるのはちょっと難しそうでありますよ。

  • 祥人『ユッカ』(電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2008年。
  • 以下続刊(きっと)

2008年12月8日月曜日

ネコ式生活

  四コマ漫画もだんだんに高度化、複雑化する中、『ネコ式生活』はシンプルにシンプルを重ねたような構成で、登場人物は猫三匹と飼い主の夫婦。ストーリーも感動的もりあげもない、ただただエピソードを積み重ねていくというスタイルが読みやすく、わかりやすく、そして面白いのですね。描かれるのは、猫のいる生活。ですがその猫が、三匹ともにむやみやたらと個性的で、もう見ていて笑いが止まらなくって困ります。積み上げられるエピソード、その畳み掛けが容赦なくて、腹の皮がよじれるとはまさにこのことかと思うくらいに笑わされる。猫の漫画のはずなのに、そんじょそこらのギャグ漫画よりもずっと面白いのだから恐れ入ります。というか、間違っても電車の中、衆人環視の中で読めない漫画。だって笑っちゃいますから。絶対笑っちゃいますから。

以前、この漫画を実録と勘違いしていたなんていっていましたが、登場する猫たちのそれっぽさは妙にリアルで、モデルかなんかいるのかなあ、そんなことを思ってしまうくらいです。それぞれの猫の個性は、非常に独特で、普通の猫らしくないなんて思うほどであるけれど、でも同時にこんな猫もいるかも知れないと思わせる、そんなところがあるのですね。だから、モデルがいるんじゃないかと思ってしまう。ですが、もし作者が三匹の猫を、まったくのゼロから性格や行動を決めて、作り出したというのなら、それこそ本当かと、そいつはすごいなと、よけいに驚いてしまいそう。それほどに、どこかにいそうという感じがあふれているものですから、これが全部想像なんですよなんてなったほうが、よっぽど現実的ではないと思うんじゃないかというのですね。

けれど、もしニャソさんやムームーさん、ガッツが現実に存在するとなったら、それはそれで驚き、見てみたい、一体全体、あの爆笑の猫たちの現実とはいかなるものか、可能ならば体験してみたい、それほどに興味津々です。ですが、多分現実にはあれほどに面白くはない、それこそ普通の面白さに留まるくらいなんじゃないかなあって思う節もあるのですね。つまり、作者の見せ方、演出のうまさもあるってことです。猫はそれぞれに個性的で、実際猫の普通からも外れるところがあるように描かれていますけれど、でも個性的なペットっていうのは多かれ少なかれいるわけです。実際この漫画の猫たちも、三匹が三匹それぞれに違った個性を持っているから、それぞれの特質が際立つともいえるわけで、もしこれが一匹二匹だったらここまで面白かったかなあ、なんていうけど、ガッツ一匹でかなり破壊力あるからなあ。

どこにでもいる、どこにでもある話とはいわないけれど、特別に珍しいほどではない、それくらいのエピソードだから、そこにリアルを感じるのかと思います。しかし、その出来事をことさらに面白く描いてしまう技術、構成力があるから、面白さは爆発的に増大して、読むほどに笑いが止まらなくなるのです。きっと明日腹筋が厳しいことになるのだろうなあ。腹筋を鍛えるにもよさそうな漫画、それくらいに笑ってしまうんですね。

  • めで鯛『ネコ式生活』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • めで鯛『ネコ式生活』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年12月7日日曜日

CASIO EXILIM Hi-ZOOM EX-V8

 YouTubeが、JASRACと音楽著作権の二次利用に関する包括許諾契約を締結したら、動画をアップロードするんだ……、なんていって、動画の撮れるカメラを買ったのはいつのことだったでしょうか。ええと、購入したのは11月の6日でした。しかし、それ以降、まったくといっていいほど撮影する機会を持てず、それはなぜかというと、風邪をひいたり、風邪をひいたりしたためなのですが、いやあ、まさかひと月に二回風邪をひくだなんて、思いもしませんでした。といったわけで、今日、録画してみたのです。場所は玄関入ったところの廊下。なんでそんなところ!? ここが我が家で一番響きがいいところなんですよ。風呂場もかなり響きますが、水を使う場所にギターを持ち込むのはさすがにいやです。となると玄関かなと思ったわけです。

撮影は夕方、5時になろうとする少し前でした。今の季節は日の落ちるのもはやいし、そもそもうちの玄関は北向きだしで、光量は不足気味でした。なので、玄関の明かりをつけ、廊下の明かりもつけて、光量不足を補います。その状況で撮ってみたところ、まあ問題ないかなあと、画質にちっともこだわりのない私は思いました。いや、本当に画質はどうでもいいと思っているので、というと言い過ぎですが、動画の質に関して詳しくない私には、これで充分、結構撮れてるじゃんかと思ったくらいによく撮れていました。

次いで問題となるのは音質ですね。音に関しては、さほど期待はできないといっていました。ステレオで撮れるとはいうものの、左右のマイクはほとんどくっついているから、音の分離感もほとんど感じられません。おそらく、モノラルより多少ましというくらいかと思う程度でしょう。ただ、結構遠くの音も拾う、人間の耳に聞こえるものならまず間違いなく拾って、というのは以前もいったとおりですね。

今回の録画に関していいますと、私(音源)とカメラの距離は、目測で二メートルいかないくらいだと思うのですが、これくらいの距離だと、結構びりびりと音が割れてしまっているんですね。私の、それほどパワーのあるわけではない声量で割れる。まいったなとは思うけれど、まあこれは仕方がない。これ以上を求めるなら、カメラ本体のマイクを使わず、別録りして、編集時にあわせろという話でしょう。で、そこまでするのは正直めんどうくさい。なら、ある程度の妥協は必要になろうかと思います。

しかし、ビデオを編集している(といっても、必要な部分だけ切り出して、ノーマライズするくらいだけど)際には気になったノイズですが、実際に公開してみればそれほどは気になりません。むしろ自分のへぼさの方がずっと重要で、なんというか、もう寝込みそうだよ! 録音したあとはいつだってそうなんだけれど、がっかりする。いやになる。もう、おうちにかえりたい、って、ずっと自宅にいるんですが、ショックのあまり衝動的に窓から飛び降りたくなるくらい。今いるのは一階だから、庭に出ちゃうだけなんですが。あーもう、なんてこったい。

といったわけで、動画はここには紹介しません(ひでえ)。いや、もう、今日はこれから寝込みます。

2008年12月6日土曜日

すいーとるーむ?

  どんだけ、永井君は夢見がちなんだろう。彼は職場の先輩、ゆかりさんに憧れて、あれやこれやと夢見るけれど、今までがそうだったように、その夢は打ち砕かれる運命にあるってことを、まったくもってわかっていません。でも、夢っていうのはそういうものなのかもなあ。我が身を振り返ってみても、そんな気がします。つまり私も、それなりに夢見がちであったということなのですね。これまで、職場で、学校で、素敵な先輩、魅力的な同期、可愛い後輩に夢を見てきた、出会ったばかりの人にさえ夢を見てきた。けれど、そうした夢は永井君の夢同様儚く消えると相場は決まっていて、それゆえ永井君の気持ちもよくわかるってもんさ。多分この気持ち、かつて男子だった人ならわかってくれると思う。いや、女子でもきっとわかると思いますけどね。

それはいわば下心。下心あれば水心、といかないのが世の常とはいいましても、それにしても永井君の思いの通じなさは半端でなく、それはきっと、彼のレベルが、まわりの人たちのレベルに達していないからなんだろうなあと思うんですね。なにしろ彼の周囲の女性陣は個性的すぎます。通勤嫌い、外出嫌いが高じて会社に住まうようになった先輩がいる。見た目はすごく優しげで落ち着いた風に見えるのに、中身は結構シビアで容赦ない人もいる。元社員の強みをいかして、凶悪な値引きを迫ってくる人もいれば、三人組でこれまた凶悪な売り込みをかけてくるのもいる。いやあ、しかし華やかな毎日でうらやましいよ。なにぶん私の職場は男の職場、課に女性はひとりもおらず、仕方がないから男性社員間でセクハラしあう毎日です。

閑話休題。永井君を見ていると、ああ男というのは浅はかだなあと思ってしまうんですね。きれいなお姉さんが笑顔で話しかけてくれるだけで、勝手に勘違いして、そんな気になって、そしてうまく使われてしまう。でもこういうことは現実にもあるんだと思うんです。だって私がそうだもの。視線が胸元に向かってしまうというのもよくわかります。私にも幸い理性があるから、必死で押しとどめようと努力はするけれど、いやはや古い脳に刻まれた習性というものはおそろしい、なかなかに理性だけでは御せない。だからこそ、永井君の気持ちもわかるっていうんですね。

『すいーとるーむ?』の面白さは、その永井君の底の浅い、いやちょっと言い換えよう、まっすぐで素直なところあってのものだなあ、そんな風に思っています。憧れのゆかりさんがいて、美好さん、塩田さんがいて、そしてセールス三人娘がいて、この人たちの活躍、個性は、永井君と関わることによってより一層によく引き出されて、いわば永井君は触媒みたいなものですね。いかにもちょろそうな永井君に迫る魔手、それはお決まりのパターンにはまるのだけど、そこまでにバリエーションがあって、今度はどうアプローチしてくるんだろうという面白さ。またゆかりさん、美好さんの、友好的な人たちにしても、永井君の勝手な期待が肩透かしを喰らう、それもまた勝手に外しているだけなんですが、そうした関わりの中で表現される、彼女らの個性。それが素敵です。

ただ、ゆかりさんに関してだけはやはりヒロインであるというべきか、永井君を離れた個別エピソードも豊富で、この人のとにかく外に出たくないという性質に発するネタもパターンの中にバリエーションを持って広がり、面白いのですね。基本的に固定された人間関係、性格、舞台で展開されるから、そんなに大きくパターンを外れることのない漫画ですが、それでも飽きることなく読めるのはその描き方、バリエーション、そして期待させるその見せ方であると思います。きっとこうだ、きっとこうなると思わせる部分がある。そうかと思えば、これでどう展開していくのだろうという部分も用意して、パターンと意外性の面白さが合わさっている、そんな風に感じるのですね。そして、そこにはキャラクターの個性というものも少なからず関わっていて、けれどそれもキャラクター頼りではなくて、そのバランスもまたよいと、そんな風に思っています。

ところで、永井君のベストショットは、靴下を取りだすべく洗濯槽に手を突っ込んだあのコマだと思います。その躊躇のなさ、迷いの消えた表情には、決断する男の凛々しさが充ち満ちていたと思います。本当にかっこうよかった。ただ、惜しむらくは、そのシチュエーション。その決断力、男前は、もっと違ったところで出せよ! こうしたギャップが本当にたまらない漫画です。

  • 東屋めめ『すいーとるーむ?』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 東屋めめ『すいーとるーむ?』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年12月5日金曜日

とらぶるクリック!!

 つい最近、『とらぶるクリック!!』についてなんか書いたような気もするけど、気にせず今日も『とらぶるクリック!!』です。いやね、あんまりに大貧民に偏った内容だったので、いかがなものかと思いまして。そして、今回書こうと思うのは、前回少しだけ触れた桃乃についてです。

杏珠たち下級生グループとは一線を引いているようにも見える桃乃。彼女の距離がもっと縮まったらなあ。なんか今の、ひとり、輪から離れることを選んだような状態だと、ちょっとさみしそうで、そうかだからあんな惨事が……。

これを書いたあと、ずっと考えていたんです。ひとりひとりが、各々のポジションを確立していくなか、桃乃についてだけは、なにか異質と感じられてならない。その異質と感じる理由ってなんだろうって思っていたんです。

第2巻でメンバーに入ったなつメロ、榎本棗は、なにかと割を食う、運の悪い、そういったどこか報われない印象のある役どころでありましたが、第3巻中盤あたりとなると、すっかり溶け込んで、ついには杏珠と一緒になって無茶をしてしまう、そんな娘になってしまいました。いや、私はそれが嬉しいのですよ。どことなく人に距離を置いていた彼女が、今ではすっかり仲良しさんだ。いやいや、本当によかったなあ。

なつメロがあそこまで溶け込めたのは、杏珠の人好きのするキャラクターあってのことだろうと思うのですが、同時に部長、皇藤乃の存在も大きかったのかなと思ったのでした。ほら、正月初詣での回なんかですね。どことなくかたいなつメロに、もっと大らかにいこうよといいたげな藤乃、杏珠ペアのアプローチはちょっと沁みました。こうした出来事を重ねることで、棗は自分の居場所、ポジションを確固たるものにしていったのかなと。あるいは、友人との距離をつかむにいたったのかなと、そんな風に思い、そしてより素直さを増していった彼女のらしさに、ちょっとした幸いを感じるのですね。

そして、本題。桃乃であります。この人は唯一の上級生、一年生四人とは立場が違うゆえか、少し距離を保っています。この距離について、私は当初、桃乃の超越的な立場を演出するものであると思っていたのですね。一年生たちのトラブルを眺めて楽しむようなところのある人です。また積極的に、トラブルないしは騒動を演出しようという人です。その能力は高く、策謀に長け、人に有無をいわせずいうことを聞かせることのできる押しの強さを持った人。けれど、そうした特権的キャラクターであると思われたこの人は、特権的ポジションをとるがゆえにどこかさみしいと、そんな風に思えるようになってきてしまったんですね。

この人は、ほとんど参加していない、そんな風に感じられたからかと思われます。罰ゲームを設けてのゲーム大会、大貧民もそうですが、テストでの対決、PCゲームでの対戦、その他もろもろあったけれど、そのどれもに彼女は参加していない。果たしてそれは、特権位置から見下ろして楽しむがゆえ、そのようにとるか、あるいは高みから降りて輪の中に入っていく術を知らないがため、そのようにとるか、そのとりようでずいぶん印象が変わってきます。そう、私は今は、彼女のありようは後者である、そのように捉えています。

あの温泉での惨劇。あれは、結局は、先頭に立ってはしゃぐ杏珠、そして姉、藤乃に着いていくことのできなかった、彼女の引っ込み思案の裏返しであったのかな、そんな風に思えてならないのですね。第3巻描き下ろしで語られた藤乃と桃乃のエピソードですが、あの約束が結果的に姉藤乃に桃乃をロックさせてしまうことになったのだとしたら、少々皮肉です。独りぼっちのさみしさゆえに人を求めて、そして温かみを与えたのが藤乃であったとしても、それが桃乃にとってのすべてになってしまったのではちょっと浮かばれない。実際、桃乃の行動は徹頭徹尾そのように描かれて、藤乃大事、藤乃だけを見続けています。第3巻末尾のエピソード、PC部の過去、あの話はちょっと私も好きな話なのですけれど、藤乃はほうっておけない妹桃乃を守るため、部長としての存在を残した。しかしそのためか、それともそうでなくともそうだったのか、桃乃にとってPC部は部長のPC部であり続けることになってしまったのかも知れない、そう思います。

下級生たちにとってPC部は、ほかならぬ彼女たちのPC部で、藤乃もそれはわきまえています。彼女は現在はOGであり、卒業生としての立場で、現役部員たちの中に飛び込んでいっている。しかし、現在のPC部に桃乃はいないんですね。桃乃は、過去の、藤乃が部長であった時代にひとり留まっています。PC部を守るのは藤乃のPC部だから。PC部に在籍するのは、藤乃とのつながりが最も強い場だから、そう思えてなりません。

桃乃は、素直になる方法を知らないのかなあ。一歩踏み出せば、まさしく今のPC部の、濃厚で豊かな人の輪に連なることもできるのに。けれど、桃乃にとってのすべては藤乃であるから、桃乃は目の前にある温かな人たちの場を見過ごしにしてしまって、それが時に彼女を孤立的に見せてしまう。それが、私にはひたすらさみしいと感じられます。

これから先、桃乃にまつわるエピソードがどのように描かれるか、それとも描かれないまま進むのか、それはわかりません。ですが、もし桃乃が姉への執着から自由になって、自分の一歩を踏み出すことができたら、きっと彼女の世界はいっときに色を変える、そんな風に思わないではおられません。これは結局は私の願望でしかないことはわかっています。けれど、そうした思いを持ってしまうほどに、彼女らの存在は豊かに迫ってきます。たかだか漫画の、架空の人物に過ぎないのにね。けれど、それがたかだかではもうすまされない感じで、それはやっぱり彼女らの存在感の近しさ、雰囲気の温かさがためであると思うのです。

ところでだ、私は昔、よく菓子を作ったものなのですが、スコーン、あれはちょっと不評じゃった。ジャムを切らしたのが失敗でした。プレーンとココアのミックスクッキー、あれも作ったことありますよ。棒状にした生地を冷やし固めてから、ナイフで切っていくんですよね、結構手軽で簡単なんです。混ぜて、伸ばして、切って、焼くだけだから。なんの話してるかわからないという人は、『Webクリ!!』第20回をご覧ください。うん、コーヒーだっておいしーよ。

引用

2008年12月4日木曜日

とめはねっ! — 鈴里高校書道部

  ペン習字に取り組み中、昨日そんなことをいっていましたが、文字を書くということの面白さに関して、皆さんに紹介したい漫画があります。といっても、おなじみ『とめはねっ!』なんですが、高校書道部にて、筆紙硯を相手に青春を燃焼させる漫画 — 、いや、ごめん、ちょっと嘘。燃焼なんていうほどではないと思う。むしろもっと静かな情熱みたいなものがあって、書とは自分にとってどういうものであるのだろうと向き合いながら、その距離を縮めていこうとする、そんな感じが妙に気になる漫画なのであります。

しかし、第4巻を買ってみて、その縮みゆく距離というのが、人対書道だけでなくて、少年対少女という様相も見せてきたからちょっと驚きました。いやね、第3巻までも、ヒロイン望月結希に接近する男子にちょっとやきもきして見せる主人公大江縁という構図が見られましたが、第4巻ではなんと逆です。ユカリに接近する女子が出てきて、今度は望月が面白くない。心ここにあらずといった感じ、とまではいかないんだけど、掛け持ちしている柔道部で結構な成功を収めても、なんの感興も起こさない。むしろ書道に、あるいはユカリに心を引っ張られているような描写が目立って、おお、えらくボーイ・ミーツ・ガール色が強くなってきたぞと、日野ちゃんならずともちょっと色めいてしまう展開なのであります。

しかし、たとえ恋愛ものとしての色が目立って強まってきたといっても、『とめはねっ!』は書道漫画。篆刻にチャレンジし、書道の大会への出展に思い、悩み、迷い、その結果、書道というテーマにおいては、多様な字のあり方が浮かび上がり、そして彼らのドラマにおいては、青春の戸惑いといった要素が見えてくる。ふたつのテーマが同時に進行し、同時に深まるという、本当にうまいな、面白いな、そんな展開がこれを読む私の心をくすぐってやまないのですね。

青春の要素に関しては、望月の腕挫十字固なんてむしろご褒美じゃねえか! などと言い出しそうな気配があって危険なので割愛して、習字についていいますと、ふたりいる主人公格、ユカリと望月が、だんだんに自分にとっての字を書く意味に近づいていっているという、その感じがたまらなくいいのです。特に望月だと思う。字の汚いのがコンプレックスだった。字をきれいに書けるようにと思って書道を始めた。なのにその思いが果たされない。それが迷いの根本にあって、しかしちょっとした気付きを与えられて、迷いが消えた。そのプロセスが見事、しかもそこには前述の青春がしっかり入り込んでいるというのですから、やっぱりうまいなと思うのですね。

対して、ユカリ。彼の字は祖母ゆずり、それはそれは端正に書くから、まったく望月とは方向性が違っているのだけれども、しかしただただ能書への道を歩むかと思われたユカリが、思わぬところで迷い道にはまり込んで、そうなんですよね、字というものは見ていれば書けるというものではなくて、ある程度その書き方を知らないと書けないんですよね。とはいえ、ユカリのストーリーはこの巻では語られず。次巻に持ち越しであります。ええと、第5巻は、2009年初夏予定か。あと半年、ぐわあ、ちょっと待ちきれないよ! あ、そうそう。書において迷い道に入り込んだユカリですが、同時に青春における迷い道にはまり込んでいるのも面白いところで、この、ふたつのテーマが同時に進行するというところ、実に微妙で面白い。ユカリも望月も青春的要素にはとかく鈍くできているから、おおむね書道方面への取り組みがクローズアップされて、ああもう、やきもきさせられるなあ。でもそのやきもきが楽しいのだから、この展開はむしろオッケーであります。

あ、そうそう。5巻の楽しみといえば、彼らが取り組んでいた書道の大会、書の甲子園ですが、今まで意図的に隠されてきた望月の選んだ言葉、彼女のこの夏一番の感動、それが明かされるのも待ち遠しい。ユカリが書いたのは『雁塔聖教序』でありますが、その成否も気になりますが、やっぱり望月の書が楽しみです。といいながら、まさかこの書をもってこれまでの展開を小綺麗にまとめて、最終回! なんてことはないですよね。実はちょっと怖れているのであります。

いやね、なんか最近、そんなことがやたら多いからさ……。『ヤングサンデー』休刊にも負けず、『スピリッツ』移籍を果たしたくらいだから、大丈夫だと思うんですけれどもさ……。

2008年12月3日水曜日

PILOT ボーテックス

 今年の4月からはじめた、ペン習字。習っているのは、筆記具メーカーのPILOTが実施しているペン習字通信講座であります。毎月、決められた添削の課題を習い、そして級位認定課題に取り組むというシステムで、私は未だ初級に留まり、楷書に四苦八苦しております。しかし、この字というものは難しい。私はペン習字を始めるまでも、何年か毛筆を習っていましたが、なにぶん子供時分からの悪筆が身に付いておりますから、なかなか上達しないのですね。それこそ、自分の悪い癖を洗い、その上によい字をのせていくというような、二度手間しながらの手習いです。しかし遅々とした歩みであっても、多少はよくなってきているのかな。私は自分の字を上手と思ったことはないので、よくわからないのですけれど、字を習っていない人からすると、充分に上手だ、そういわれることが増えてきたように思います。

さて、PILOTのペン習字通信講座に入会すると、わかくさ通信という機関誌が送られてきます。これは毎月の級位認定課題や級位認定を伝えるだけでなく、届いた課題の添削や優秀作品の紹介、字を書く際に注意すべきポイントが示されるなど、結構充実した内容を持っています。そして、その優秀作品に私の書いたのが選ばれて、わあ驚いた。そんなことあっていいのん? というか、自分の字って無闇にでかいな……。他の人の字よりも一回りくらい大きいぞ。なんか恥ずかしいなあ。

私はあの課題を書く際に、興の字がロボットの顔っぽいなあ、もう少し具体的にいうと、トランスフォーマーの部隊マークぽいな(ほら、サイバトロンとかデストロンとかのです)って思いながら書いていたため、必要以上にごつく、かど張った字になってしまっていて、こういうところも恥ずかしいなと思うわけです。けれど、字にせよなににせよ、うまくなってから人に見せよう、そんなことを思っているうちは、上達しない、そのように思っています。とにかくやる、きっと思った以上にできてなくて、恥ずかしさも後悔も眠れないほど、だろうと思うのですが、そのハードルを越える、越えようと思う気持ちが上達を下支えするものだと思うのですね。だから私は、恥ずかしいなあって思いながらも、だったら次こそはもう少しましな字が書けるようにって思って練習することにします。

私の今年度の目標は、5級以上です。PILOTの講座における目安では、10から6級までが初級、5から1級までが中級であるのですが、すなわち今年度できっちり初級を終え、来年度は中級で習うぞ、っていっているわけです。だから今年度はきっちり基礎を習います。でも、来年度に入っても、やっぱり基礎をやるんだろうなって思います。

ああ、なんでボーテックスを紹介しているのか書いてなかった。私のペン習字に使っているのが、PILOTのボーテックスなんです。以前、内野成広氏による調製品を買った後、茶軸の太字とオレンジ軸の細字を買っています。前者には、エルバンのティーブラウンを、後者にはPILOTのブルーブラックを入れています。リーズナブルで高品質、本当にいいペンだと思いますよ。

2008年12月2日火曜日

こどもすまいる!

 『こどもすまいる!』は、見た目子供の保育士さんが、保育の仕事に奮闘する様を描いた四コマ漫画。掲載誌は『まんがタイムきらら』、ゆえにD☆V系となるのでしょうが、いやいや、見場は確かに可愛いし、萌えといっていいのか、そうした感情に訴える作りになっているのですけれど、工夫を持って保育の仕事に取り組む保育士三人の頑張る様もなかなかのものだと思うのですよ。毎回の作りは、ひとつのテーマを軸に緩やかに四コマを繋げていくという、最近の主流といえるようなものであるのですが、毎回の一番最後に添えられるおつかれさまの言葉がですね、すごくしっくりとしていい感じ、効果的に働いてほっとするのですね。漫画だから、面白く、楽しく、大げさに物事を描いて、そのせいか仕事をしているというより、一緒に遊んでいるというテイストが強く感じられるのですが、最後の一日をねぎらう言葉に触れれば、、ちょっと大人の世界に戻ってきたように感じて、ああ、お仕事ようお頑張りやしたと、そんな気持ちになるのですね。

けれど、これはカテゴリーとしてはお仕事四コマとはならない、そんな感じもして、それはいったいなぜなんだろう。職業もので保育士といったら『ゆずりは!』を思い出しますが、これは断然保育士側に視点が置かれていて(特に後半)、保育という仕事の現実を感じさせるようなところも多々あって、職業ものとしてのリアルが感じられたものでした。対して『こどもすまいる!』はというと、ずっとファンタジーに寄っていると感じられます。現実的な要素を減じ、漫画としての表現を強めているといったらいいでしょうか。本当ならあり得ない仕事ぶり、お酒とかね、そうした要素を絡めつつ、ギャグにしつつ、やり取りのおかしみを追求して、リアル路線ではない面白さを演出しています。

こうしたリアル路線から外れたところが、職業ものとしての雰囲気よりも、保育園コメディとしての色合いを強めさせているのだと思います。そして、これがなにより重要なことだと考えるのですが、そうしたコメディが面白いんですね。この漫画は、割にくっきりと四コマ単位で落ちを付けていくタイプであるのですが、その落ちのついたという感じが心地いい。そして、そのネタがよく練られているなと感じられます。おそらくはサービス精神の旺盛な作者です。特筆すべきは欄外に描かれる登場人物紹介、一回として出来合いですまされたことはなく、設問に対する答でもって、その人となりを表現しようという凝ったものです。そうした、読者を面白がらせよう、喜ばせよう、よりよいものを作ろうという工夫が、当然本編にもあってしかるべくあるのですね。そうしてできあがるのが、D☆V的華麗さを持った、萌え心をよく喚起するコメディ、土台はというと割と正統派っぽい四コマらしさがあったりして、そのハイブリッド感、芯の強さはそのままこの漫画の魅力であるといっていいかも知れません。

そして、作者の旺盛なサービス精神、工夫の心は、主人公の保育士たちにも受け継がれていると思うのですね。その傾向は特に初期の、連載化するまでの回に顕著であったと思います。ああした誰かを楽しませようという精神、大切だなあって思います。できないことがあったとしても、できることを精一杯にがんばる。そうした奮闘が、最後のコマの、おつかれさまでむくわれる。ほっとするのですよ。

  • 娘太丸『こどもすまいる!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年12月1日月曜日

とらぶるクリック!!

 とらぶるクリック!!』は素晴らしいね! もう、大好き。PC部に所属する娘たちが繰り広げる、わいわいがやがやと楽しそうな日常の風景。ああ、なんで私はおっさんに生まれてしまったのだろう、後悔するほどです。いや、別に若い可愛い娘に生まれていたら、ああした毎日が保証されてたってわけじゃないけどさ、でもこうした部活の風景、いや部活に限んないですね、友達同士集まって過ごす時間、そのなんと輝かしく見えることよ。いや、私だって彼女らくらいの年代には、そうした時間を友達と過ごしてたはずなんだけど、でもなあ、なんで手の、指の間から砂がこぼれるみたいに、そうしたいろいろは消え去ってしまうんだろう。振り返れば、茫漠たる空虚が果てしなく広がるばかり、ああどこで道を間違えてしまったのだろう。と、こんな私が四コマの、学園ものを読む時は、果たせなかった夢、失ってしまった思い出を探すかのようであるのですね。

さて、第3巻は大富豪の回からスタートですよ。私はこの大富豪の話がもう大好きで、侃々諤々審議されるルールの数々、知ってるものもあれば知らないものも当然あるわけですが、その知らないルールの面白いことったらなかったです。この話が掲載された時のことは忘れられようもありません。職場の昼食時、自席で『まんがタイムきららキャラット』を読む私は、この話に釘付けになったのでした。もうめちゃくちゃに面白い。そう思うのは、その数ヶ月前に、同じような経験をしていたからかも知れません。当時終了がアナウンスされていたMMO、最後の最後でやけくそのように追加された機能の中に大富豪がありまして、終了に向かう教室で、私たちは夜な夜な大富豪しながら、いずれ来る日のことを考えまいとしてはしゃいでいたのでした。

その大富豪がですよ、ものすごくよくできていたんです。細かなルールをオンオフすることができましてね、例えば8切り、2あがり禁止など、しかし私はそうしたルールをまったくといっていいほど知らなかったのですね。だから、教室の皆に教えてもらいながらプレイして、それがすごく楽しかった。そうした日々のことを思い出させた『とらぶるクリック!!』大富豪回は、おそらくは多くの人の過去の記憶を呼び覚ましながら、共感をともに引き込んだに違いない、そう思っています。それくらいに大富豪はポピュラーだし、そして話のテンポも最高によかった。実際、この話は、あの号における白眉であったと思います。つかんで、引き込んで、緩急付けながら最後まで引っ張って、そしてあの落ち。しかも、あれ、私もやっちゃったんですよ。最後に3を切ってあがるつもりが、革命受けて、2あがり禁止ルールに抵触しちゃったんです。3持ってるんだけど、2あがり禁止って、革命受けたら3あがり禁止? って聞いたことを覚えています。大丈夫なんじゃないかなあ、試しに切ってご覧よっていわれるんですけど、切れない。システムが私の札を拒否するんです! まさしく、……私の負けです状態。革命まではぶっちぎりのトップで、…ついに来たよ 私の時代!!なんて思ってたのになあ — 。

かくして、私のポジションはなつメロなのであります。まあ私も眼鏡キャラだったしな! で、罰ゲームはその日一日語尾にハァハァをつけるだったかな? とにかく屈辱的で、最低でしたハァハァ。

しまった。冒頭16ページまでのエピソードでこんなに書いてしまった。

2巻で仲間に加わったなつメロ、当初はちょこっと距離を置いていた彼女も、3巻ではすっかり溶け込んで、あのメンバーではどんどん自分から出ていくくらいでちょうどいいっていうのを学んだって感じなんでしょうか。その打ち解け具合が、すごくいい感じであるのですね。それに、なつメロに限らず、皆が自分のポジションというのを確立している、それもすごく自然にはまっているって感じで、それが見ていて楽しそうと感じさせる最大の理由であるのかなあなんて思えて、やっぱり彼女らの空間はよいなあ、そう思う気持ちが止まりません。

特にどこでそう思ったのか、具体的に書いてもいいんだけど、きっとものすごく長くなるから、今日はやめときます。ただ一言付け加えるなら、結構自分好きのなつメロ、可愛いなあ。でも、柚が好きです。あの、自分が撮られるのいやだからといってカメラ係を買って出たりするところ、なんかわかります。私もそうでしたから。って、一言が長いな。長いついでに書いとこう。杏珠たち下級生グループとは一線を引いているようにも見える桃乃。彼女の距離がもっと縮まったらなあ。なんか今の、ひとり、輪から離れることを選んだような状態だと、ちょっとさみしそうで、そうかだからあんな惨事が……。

そんなわけで、冒頭のカラー描き下ろし、ほろりと涙ぐみました。でも、なつメロほどには泣いてませんよ。

引用