2022年12月18日日曜日

銀河漂流バイファム

 ここ数ヶ月ほど、『銀河漂流バイファム』を見ていました。dアニメストアで見ていたのですが、12月24日18時で配信が終了するというので、急ぎ足で見て、今日ついに視聴を終えました。実はこれが初視聴でして、十五少年漂流記をモチーフとしているとか、あとラウンドバーニアンについて少しだけ知ってくらいで、ストーリーはまったくといっていいくらい知らない状態で見始めて、そして見終えた今、少し疑問に思うところはあるものの、完走できてよかった。そうした思いでいます。

『銀河漂流バイファム』は、子供たちだけで練習巡洋艦を操り、敵性宇宙人との戦闘に生き抜いていくというのをコンセプトとしています。最初はふたりいた大人も、まずひとり、そしてまたひとりといなくなっていって、本当に子供たちだけが宇宙に取り残されてしまう。なるほど、ここから必死に地球に向かうわけだなと思わせたところで、進路変更、最終的に敵本星へと向かわせるという、子供たちだけでなしとげさせるには少し大きすぎる物語が展開されていきます。

これはおそらくは本放送時からのつっこみどころで、さらにいえば制作陣も理解していたところだと思うのですが、序盤では正規パイロットが駆るバイファム、ネオファム混成の編隊でさえまるで歯が立たなかったアストロゲーターに、地上基地に残されたシミュレータによる訓練をしただけのロディとバーツがバイファム、ネオファムの2機で勝ち抜けてしまうなどなど。昔のアニメだもんな、これくらいのご都合主義がないと話も成り立たないよな、みたいな感じで片目をつむるようにして見てたのが、後に惑星クレアドで発見された謎の遺跡が発するエクストラ力線が敵のコンピュータに働きかけるため、戦闘において優位を得ることができていたと明かされるなど、多くの視聴者が疑問に思ったり片目をつむったりしていたところに、その状況を成立させるための前提が明かされていった、そんな印象を持っています。

とはいえ、とりわけククト星に降り立ってからが顕著ですが、ラウンドバーニアンの燃料弾薬修理部品ってどうしてたのとか、そうしたつっこみどころはやっぱり抜きがたくあるわけで、また序盤に明かされた地球側が先に侵略を行なったということが終盤には言及されなくなるとか、いろいろそういうの。ククトニアンの認識及び実際においても地球側の侵略が発端であるものの、それはクレアド駐屯の現地軍がしたことであり、地球の本隊はその事実を知らされていないとかかなと思ってるのですが、このあたりもなにかしらの説明があったりするのかなとか、少し気になっています。

このアニメは子供たちの生活や自治、また敵対している相手と同じ属性を持つカチュアとの関係など、人間のドラマこそがメインでした。だから、あまり細かいところを気にしていてもしかたない。物語としては積極的な戦闘描写を必要とはしないものの、ロボットアニメであるゆえに戦闘をさせなければならないといった齟齬のようなものも感じることはありましたが、そうした要素を抜きにしても、終盤の皆の関係性などは魅力あるもので、はたしてこの子らが無事に親とあえるのだろうか、また無事に地球に帰ることができるのだろうか。

ハラハラと気を揉むようにして見られたのは、まさに初視聴者としての特権だったと思っています。

いや、だってね、ジェダさんのことどこまで信用していいのか、ずっと不安でしたからね。またククト星を出てからも、彼らを受け入けることとなる地球軍のこと、どこまで信用していいものか、ずっと不安でしたからね。それこそ、地球軍との通信が確立した時にクレアの父が軍の将校であるとのやりとりを聞くまで、地球軍にククトニアンリベラリストと一緒に拘束されるのではないかという不信を拭えませんでした。

こうした不安があったおかげといっていいのでしょうか、地球人との交渉において不安を感じていたククトニアンリベラリストリーダー、ジェダの気持ちにはよく共感でき、そしてラストのあの紙飛行機にいたるシーケンス、地球側の意図はわかってるから心配はしなかったんですけど、ククトニアンたちの焦り、そこに共感することができたのはよかったと思います。

序盤のケンツの扱いや、その変化についても書きたかったけれど、それを書きはじめるといよいよ終わらなくなりそうだから、書かずにおきます。

ジミーとケンツ、ふたりがいずれ出会える未来があればいいなと、その気持ちだけを記しておきます。

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