2005年7月14日木曜日

メイキャッパー

   先日、『鉄鍋のジャン』を評して、少年チャンピオン連載の面目躍如だなんていっていましたが、今日紹介しようという板垣恵介もまさに少年チャンピオンらしい作家です。板垣恵介は『グラップラー刃牙』でよく知られた漫画家で、この『グラップラー刃牙』というのもまたすごいのです。格闘の漫画なんですが、世にあふれ返る格闘漫画とは一味も二味も違って、まさに独特の価値、孤高の位置を確立しているといってもよいでしょう。絵がすごく、せりふまわしがすごく、そして表現がすごい。あまりにも強すぎる灰汁のせいで、嫌い、読めないという人も少なくないと思いますが、しかし少年チャンピオンという雑誌は、こうした灰汁の強さに決してひるむことなく堂々掲載してみせて、ほかにはない個性を主張するかのよう。その誌面は強烈にして芳醇。軽佻浮薄のはやりすたりなど意にも介せぬ名作の森といってよいかと思います。

さて、今や板垣恵介といえば『バキ』の人みたいになってしまっていますが、デビュー作は格闘漫画ではなかったのです。そのタイトルは『メイキャッパー』。メイクアップ、すなわち化粧を題材とした漫画で、その時はまたチャンピオンではなく『ヤングシュート』という雑誌に連載されていたのだそうです。

しかし、メイクアップが題材といっても、さすが板垣恵介というべきか、他に類を見ない、独自の味を出しています。デビュー作ということもあって、まだ絵もあっさりとしていますし、話も非常に素直にできているのですが、しかしそれでもやっぱり板垣恵介だ、と思わせるのだから、よほど最初から歩もうという道を決めていたんだなあということがわかります。

『メイキャッパー』の基本線にあるのは、自信を持てというメッセージなんだと思うんですね。どうしても弱気になってしまうところを、まずは見た目を整えてやるから、堂々といけよというそういうメッセージがあって、こういうシンプルさは嫌いじゃないです。そして自信を勝ち取るためには努力を惜しむなというメッセージが続く。ええ、こういうメッセージも嫌いじゃないです。

私ははじめて板垣恵介の経歴を見たときに驚いたのですが、この人が漫画家になろうと決めたのは二十五の時というのですね。いうならばレイトスターターで、けれどこの人は十年後には結果を出していたのです。おそらくはレイトスターターであることの不利も感じたでしょうし、焦りもあったのではないかと思います。ですが、それでも不断の努力を続け、目指す位置にたどり着いた。そうした、ありたいと思う自分にたどり着くための努力、そして獲得した自信というものが『メイキャッパー』にはほのかに漂っていると感じられます。

ちなみに私は『メイカー』に度肝を抜かれた口です。『メイカー』は『メイキャッパー』第3巻に収録されています。『メイキャッパー』とはちょっと違っていて、けれどこれにも板垣恵介らしさは満ちていて、— すごいですよ。本当にこの人はただものではないと思いますから。

  • 板垣恵介『メイキャッパー』第1巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1997年。
  • 板垣恵介『メイキャッパー』第2巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1997年。
  • 板垣恵介『メイキャッパー』第3巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1997年。

引用

2005年7月13日水曜日

ウッドストック — 愛と平和と音楽の3日間

 かつてアメリカで、ウッドストックという音楽フェスティバルが開かれたことはさすがの私も知っていて、いったいどこでそんな知識を仕入れたのかはわからないのですが、中学生か高校生の頃にはこの名前を耳にしていたはずです。ですが、当時の私にはウッドストックとラブ&ピースは知識だけのもので、長くその実態を知らぬままにしてきました。ところが、今やなんとそのウッドストックを記録した映画が千円ちょっとで買えてしまうのですね。こんな歴史的な大イベントを、自宅で好きなときに好きに見られるというのは、ものすごい贅沢であると思います。私が子供の頃には思いもしなかったような、そんな時代に今自分はいるのだと、嘘いつわりなく思います。

ウッドストックを、映像によって追体験してみて、私は本当に圧倒されるような思いがしました。音楽が社会のまっただなかにその存在を主張していて、若者は音楽に自分の迷いも誇りも、問題意識も、喜びも、なにもかもを託していたんだと実感して、これは本当の奇跡であると思いました。

ニューヨーク郊外の特設会場に、全米から集まった四十万の若者という、その数もすごいのですが、そんな状況の中で特段の混乱も引き起こすことなく、本当に音楽を楽しんで、音楽をよりどころにひとつの価値、意味を共有し合ったのだということが奇跡です。流れてくる音楽は、今も通用するようなものばかり。Crosby, Stills & NashやThe Whoの歌などは今でも普通に耳にしますし、Joan Baez、Jefferson Airplane、Santanaなんかも最高。Sly & The Family Stoneのパフォーマンスは必見ものの素晴らしさで、そしてしめのJimi Hendrix。もう、こりゃたまりませんよ。この時代の音楽にちょっとでも興味があるなら、これを見ない手はありません。もう、宝の山といえるでしょう。

登場アーティストの中で、私が知っていたのはようやく半分というところでしょうか。しかし私の知らなかった人もやっぱり素晴らしくて、Richie Havensは私にとっての大発見でした。時代が時代だから、エレアコなんてのは使われてなくて、エレキギターにしてもエフェクターに凝らない本当にシンプルでソリッドな音を出していて、こうした素朴さと、それを素朴と感じさせない奥に秘められた力、音楽の力と伝えたいものがあるという強さが素晴らしくて、私はやはりこの時代とこの時代の音楽が好きなのだと再確認しました。

思い返せば、この頃がアメリカが一番輝いていた時代なんだと思います。1969年ですから、アポロ宇宙船が月に着陸したのがこの年です。ベトナム戦争のまっただ中で、前年にはソンミ村虐殺事件が起こっていたものの、まだアメリカの勢いは続くと信じられていたのがこの年(この妄信は『ウッドストック』のインタビューからも感じ取れるはず)で、そして二年後にはニクソン・ショック、スミソニアン合意。— アメリカはその勢いに陰りをみせ、混迷をいよいよあらわにしてゆきます。

そういえば、ウッドストック・フェスティバルの前年にサイモンとガーファンクルが空っぽである苦しさに悩む若者を主題に歌っていました。彼らのアメリカを探す若者たちの歌はアメリカの黄金時代の終わりをすでに見越していて、とすれば、ウッドストックの若者たちも同様に空っぽの苦しみに耐えかねて、アメリカを見つけるためにあの場所に集まったんじゃないかなんて思えます。

だとすると、あの奇跡のような三日間というのは、本当にアメリカの理想や夢がかたちになった、最後の輝きであったのかも知れません。

余談ですが、このDVD、なんと両面です。私ははじめて両面ディスクを見ました。Side Aが終わればB面にひっくり返しにいくのですが、こういうのがなんかLDを思い出させて、そういうところもちょっと懐かしさというか、心をくすぐってくれますね。

2005年7月12日火曜日

鉄鍋のジャン

  世に料理漫画は山とありますが、中でも『鉄鍋のジャン』は群を抜いて独創的です。まずなんといっても出てくる登場人物が尋常ではありません。主人公からして悪役としか思えない風貌、言動、行動を連発して、カカカカカーッという高笑いはどう考えてもおかしい。だって、これ料理漫画ですよ。料理で勝負して、勝ち負け決めてというのは前世紀末の流行ではありましたが、それにしてもこれほどまでに異常性を発揮した漫画は他にありませんでした。さすがは少年チャンピオン連載の面目躍如といったところでしょう!

けど、そんなジャンから目が離せないんですよね。いや、ジャンだけってことはありません。なんといってもこの漫画に出てくる料理人は、片っ端からおかしなやつばかりですから、もうやることなすことに釘付けです。それこそ連載のごく初期にいた、他の料理漫画だったら主人公のライバルとかをやってそうな程度の料理人は、あっという間にモブ扱いですよ。『鉄鍋のジャン』においては、まともなやつから脱落すると決まっているようです。

そういえば、見た目、言動はまともそうなヒロイン五番町霧子も、中身は決してまともじゃないもんなあ。この漫画の主要登場人物で、回が進むほどにまともになったのっていったら、五番町睦十の外見だけ(外見だけ)じゃないかなんて思ったりします。

私はチャンピオンをちゃんと読んだ期間というのは極めて短く、だから私が『鉄鍋のジャン』を本誌で読んだといったら、血の卵のデザートから文庫にして一冊ちょっと分くらい。ほとんど『鉄鍋のジャン』については知らないといいってもよいかと思います。ですが、たったこれだけしか読んでいなかった私にも、ガツンと一撃を食らわせて、特別な漫画として意識させ続けて、結局文庫を買っちゃってますからね。後から効くのは、まさに秋山の魔法なのでしょう。目が離せない、先を先を読みたいという欲求に突き動かされて、買わずにはおられなかったのです。

さて、今日は面白い記事をちょっとご紹介。

このBlogのリンクにもありますが、『もの好き もの子のモノ日記』の記事が実に秀逸で、なにがいいかといっても「美味興奮顔」分析。大谷日堂(料理評論家でもちろん異常)をモデルに、西条真二の描く「美味しくて興奮してる顔」がシンプルに分析されているのですが、やられました。まさに、こら、うまいでぇ、というよりない見事な分析でした。

ちなみに私が一番好きな表情は、豆腐料理の課題で秋山の魔法が炸裂した直後に見せる、ケペル・ハインツ・ルンメニゲ(栄養学が専門、意外と普通の人)の期待にあふれたあの顔。これを一気にすすりあげるんだな、ふむふむというせりふも相まって、妖しさが爆発しております。もう本当に素敵なので、皆さんもぜひ一度ご覧になってください。

  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第1巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第2巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第3巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第4巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第5巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第6巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第7巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第8巻 おやまけいこ監修 (MF文庫) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 以下続刊
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第1巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1995年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第2巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1995年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第3巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1995年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第4巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1995年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第5巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1996年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第6巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1996年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第7巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1996年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第8巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1996年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第9巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1996年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第10巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1996年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第11巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1997年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第12巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1997年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第13巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1997年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第14巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1997年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第15巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1998年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第16巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1998年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第17巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1998年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第18巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1998年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第19巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1998年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第20巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1999年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第21巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1999年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第22巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1999年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第23巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1999年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第24巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,1999年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第25巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,2000年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第26巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,2000年。
  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第27巻 おやまけいこ監修 (少年チャンピオン・コミックス ) 東京:秋田書店,2000年。

引用

  • 西条真二『鉄鍋のジャン』第7巻 (東京:メディアファクトリー,2005年),251頁。

2005年7月11日月曜日

ミュージカル・バトンのまとめ

数夜にわたって展開してきましたミュージカル・バトン企画。ここにそのまとめと、最後の質問への答えを記そうと思います。

と、その前に挨拶を一言。ミュージカル・バトンは、なかなか簡単には答えられないものではありましたが、けれどそれだけに面白かったです。あらためて自分の音楽履歴のようなのを振り返るきっかけになって、いつものお試しBlogとはちょっと違った発想が得られたと思います。うん、楽しかったです。

では、ここに数日にわたるミュージカル・バトンのまとめをいたしましょう。

Q1 コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
30.63GB
Q2 今聞いている曲
Black Shoes from ZENPEN/COWHEN
Q3 最後に買ったCD
振り返るには早すぎる
Q4 よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
ラモーのガボット
かえらなかった時計屋さん
河は呼んでる
サムライ
寫一首歌
Q5 バトンを渡す5人
……

これが、これがちょっと難しいんですよね。

そんなわけでどうでしょう。もしこの記事を読んで、ミュージカル・バトンも面白そうだと思った方がいらっしゃいましたら、どうぞご自由に参加なさってみてください。その際には、どうぞこの記事にトラックバックとかコメントをくださるとかしてくださると、私も嬉しく思います。

ところで、これは本当にルール違反ぎりぎりというか、もう私のわがままであるのですが、もしtsawada2さんがこの記事を読んでくださっていたら、どうかバトンを引き継いではくださらんでしょうか。もしtsawada2さんが受けてくださったら、私はそれだけで仕合せになれることでしょう。むりにとはいいませんが、できましたら!

あ、そうだ。タカジロウさんもぜひ! タカジロウさんの音楽傾向はなんだかものすごく知りたいです。現在93%の充電率ということは知ってますが、100%になった暁にはぜひお願いしたく存じます。

というわけで、どんどん調子にのったりなんかしまして、世代さんにもできればお願いしたかったりなんかして。それにshimio3さんもいかがでしょう? もの子さんは今もこのBlog見てくださってますか?

もちろん駄目だとか、気乗りしないとかいう場合は、どうぞ黙殺してくださいね。

寫一首歌

ミュージカル・バトン企画最終夜。問四「よく聞く、または特別な思い入れのある5曲」の五曲目は、台湾の歌手、順子(Shunza)の歌う『寫一首歌 (April 5, 1969)』。ギターがアルペジオにて奏でるイントロに、しなだれかかるようにかぶさってくる順子の歌声。極めて美しく官能的で、けれど順子の魅力はこれだけではありません。わずかにハスキーがかった声はまるで身に触れてくるかと思わせるほど存在感にあふれ、けれどエッジの立った歌声の小気味いい粒立ちも気持ちがよい。はつらつとしていた声はまるで若草のように伸びやかで、そこになまめかしい声の魔力が燐光を発して、— 私はあらがえませんでした。そもそも中国語というのは言葉そのものが音楽的であり、そこに順子の歌唱が加われば、なんぞ抵抗などできるものではないのです。

私がこの歌を知ったのは、1999年のNHK中国語会話の一コーナーであった「中国大茶館 我愛中国音楽」にて紹介されたのをきっかけにしてでした。今やはっきりとは覚えていませんが、街を歩く順子にオーバーラップして表示される、ギターのコードダイアグラムが印象的で、私はその頃にはまだギターは弾いていなかったのですが、この曲が私にギターをはじめさせたのは間違いなく事実です。私は、いずれこの曲を弾きたいと思っていて、美しい漢語の響きはメロディを超えてなお音楽的で、私は私の言葉にはないまた違う音楽の美しさを、中国語に感じて身震いをするかのごとくであったのです。

私には王菲も印象的でしたが、順子にはとにかくやられて、この年の近辺はもう中国にめろめろでした。中国はよいです。可能性にあふれています。そしてそれは音楽にこそ、と私は思っていて、今、私はその可能性はすべての言語に等しくあると思っていますが、ですがやはり音楽における中国語の魅力は一種魔力を秘めていると感じられてしかたがありません。その魔力にはもうあらがいがたく、順子は、順子はやはり最高であるといわずにはおられません。

ところで、『寫一首歌』のPVを収録したVHSが昔出ていて、私はこれをHMVで発見して、きっとNHKで取り上げられたものに違いないと思い注文、到着を心待ちにしていたのでした。けれど、待てど暮せどビデオは届かず、そしてついに届いたメールには! 絶版につき入手不可能との悲しい文言が記されていたのでした。

DVDで復刻してくれないかなあ。絶対買うんだけどなあ。本当にあれは、素晴らしい映像だったんですから。

2005年7月10日日曜日

サムライ

 ミュージカル・バトン企画第六夜。問四「よく聞く、または特別な思い入れのある5曲」の四曲目を紹介します。

私は、以前も話したことがあるのですが、子供の頃、沢田研二のファンでした。あの妙にでろんとした色男がなんで好きだったのか、今となってはなんでかまったくわからないのですが、とにかく好きで、どこにいっても片手にピストル 心に花束と歌う子供として近所では知られたものでした。もちろん好きだったのはこの歌だけじゃなくて、『勝手にしやがれ』や『6番目のユ・ウ・ウ・ツ』も思い出深く、後には『TOKIO』なんかもよく歌ったのですが、けれど子供時分の私はとにかく『サムライ』であったようで、片手にピストルと歌ってうんぬん、親からは歌詞付きで昔話を聞かされるのが常でした。

以前書いた文章をちょっと引用してみましょうか。

 幼稚園の頃、私のアイドルはジュリーであった。ジュリーとはいうまでもないことだが沢田研二である。近所で私は、どこに行ってもマジンガーZとジュリーの片手にピストルを歌う子供として有名であった。大人が歌わしていたわけではなく、自ら進んで歌っていたと聞いている。あまりのジュリー好きが高じて、親戚のおじさんを勝手にジュリーに仕立て上げ崇拝していた。似ていたわけでもないのに、子供というのは時として理不尽である。

とまあ、こんな具合だったんですね。大人の集まる寄り合いといえば、京都なんかには地蔵盆という風習がありますから、あれってね最後には大人が集まって酒飲みながら、祭の締めというのか、そういうのをしているんですが、多分そういう場にてててっと出ていって歌ってたんだと思います。

親戚のおじさんといえば、つい去年だったかおととしだったかに会ったときに、子供の頃勝手にジュリーにしていたということをばらしたんですが、いやしかし今更そんなことを聞かされても意味不明ですよね(いや、当時でも一緒か)。実際そのおじさんはちょっと色男風なんですが、そんなこんなで勝手にジュリーにして、勝手に崇拝対象にされて、まあ私もおじさんは沢田研二ではないことはさすがにわかっていたのですが、けど沢田研二をあまりに身近にしたいために、近所の手ごろな人をジュリーの依り代に祭り上げていた。まさに、ジュリーは子供時代の私のアイドルだったのです。

そして、子供だった私のもう一人のアイドルといえば郷ひろみなのですが、郷さんに関してはちょっとよこしまな読み替えがあって、アイドル郷ひろみの方が副次的な存在であったから、ちょっと素直に振り返りにくいのです。

なので、やはり子供時代のスターとなれば、私にはジュリーしかいなかった。今活躍する三十代くらいの人がその漫画とかでジュリーを取り上げたりしてるのを見ると、今でもああジュリーはかっこいいなあと思い嬉しくなります。ジュリーはこんなにも深く性根に刻まれているんだなあと、われながら驚いたりもするんですけどね。

そんなわけで、私は今もジュリーが好きです。あの人は、ほんとに最高だと思います。

引用

2005年7月9日土曜日

河は呼んでる

 ミュージカル・バトン企画第五夜。問四「よく聞く、または特別な思い入れのある5曲」の三曲目は、おそらく私が覚えているかぎり、最も古い時期に学んだ曲についてです。

私が通っていた幼稚園では、音楽に関係する特別なクラスがあって、放課後(っていうの、幼稚園でも?)に希望者だけが集まって、楽譜の読み方を習ったり、鍵盤の並びを習ったりすることができました。鍵盤といっても鍵盤ハーモニカだったのですが、このクラスの集大成が『河は呼んでる』。やたら大きな五線譜にならんだやたら大きな音符、階名も書かれていたことを思い出します。

私はこの三拍子の小品がたいへん気に入っていまして、今も階名で歌うことができます(って、そりゃ当たり前なんだけど)。ピアニカで吹いて、ピアノでも弾いて、小学校でリコーダーを習えばそれでも吹いてと、ただメロディをなぞるばかりではありますが、それでも気に入っていたことに違いはないのです。

さて、『河は呼んでる』ですが、私はこれがどういう曲であるかとかをずっと知らずにいたのですが、この正体がわかったのは大学を卒業してからのこと。テレビで見ていた『フランス語会話』でこの曲が取り上げられたのです。

忘れもしない名コーナー「ファビエンヌと歌おう!」に『河は呼んでる』が取り上げられると知って、私は色めき立ったのを覚えています。なんといっても、好きだったあの曲が歌であったことも驚きなら、それが私が好きで学んでいたフランス語の歌詞を持っているというのも驚きで、そう、『河は呼んでる』はフランスのシャンソンだったのでした。もともとは同名の映画『河は呼んでる』のテーマソングで、どうも世界的にヒットしたのだそうですね。特にテーマソングは広く歌われて、シンプルで親しみやすく、どこかトラディショナルに通じる雰囲気もあって、愛唱されたのでしょう。メロディも、初学者向けの練習曲として今もさまざまに用いられているようで、その広がりの多様さをうかがい知れようというものです。

実をいうと、私はこの歌はこの歌だけで知っていて、映画は見たことがありません。歌詞はフランス語会話のテクストをしっかり残しているから、いずれ私はこの歌をギター伴奏で歌えるようにするでしょう。

その日はいったいいつでしょうね。楽しみですね、楽しみですね。

DVD(映画)

CD

2005年7月8日金曜日

かえらなかった時計屋さん

ミュージカル・バトン企画第四夜。問四「よく聞く、または特別な思い入れのある5曲」の二曲目にまいりましょう。

思い入れのある二曲目は、やはり子供の頃の記憶に関わってきて、思い出のレコードの思い出深いあの歌。それは『かえらなかった時計屋さん』です。子供向け番組『ポンキッキ』の歌で、町外れで時計屋を営んでいるおじいさんが、ひょんな事件をきっかけに帰ってこなかったという、悲しいストーリーをもつ佳曲でありました。

ひょんな事件 — 悪いロボットが昔の勝負をつけようと、おじいさんのいる町にやってきたのでした。昔の勝負? そう、おじいさんはかつて正義の味方だったのです。ですが、寄る年波には勝てず、今は引退した身。それを知ったロボットは勝ち誇って乱暴狼藉を働くのでありました。

その時、町の平和を守るためにおじいさんがとった行動。それは気高さにあふれるものでありました。おじいさんの行動によりもたらされた結末は、子供心に深く突き刺さって、当初コミカルに思われたこの曲の奥に息づく物悲しさや情の深さが一時にあふれて、なんだか祈りたいような、そんな気持ちになったものでした。

さて、この曲なんですが、調べますと作曲がかのかまやつひろしなんですね。わーぉ、そいつは驚きだ(道理で名曲なわけだぜ)。作詞小橋洋司、作曲かまやつ、編曲川上了 、そして歌唱は若子内悦郎。若子内氏の主宰するMEGでは、『かえらなかった時計屋さん』を聴くこともできて、私はこうして広くこの名曲を紹介できることを心から嬉しく思います。

シンプルで、大きなエモーションにあふれた曲です。子供にも大人にも等しくうったえる、よい曲であると思います。ぜひ一度聴いてみてください。

2005年7月7日木曜日

ラモーのガボット

そんなわけで、マイ・ミュージカル・バトンもいよいよ佳境に入ろうとしています。すなわち、今日から問四「よく聞く、または特別な思い入れのある5曲」に答えていこうというわけです。佳境だなんて書いてしまっていますが、もし読んでみて面白くない場合は、コメントに面白くないぞと書いてくださってもいいですが、できればそうっと放っておいてください。

特別な思い入れのある曲として最初に思いついたものというと、子供時分に聴いたレコードに収録されていた曲、ラモーのガボット。オーボエとチェンバロのごく短い小品なのですが、ちょっと哀愁のある旋律とオーボエのきらきらしてけれど物悲しさも感じさせる音色がすごく素敵で、子供時分といわず今でも好きな曲のひとつです。

でも、問題があるんですね。作曲者はラモーとわかっています。しかし、この曲がどんな曲集だとか組曲だとかに含まれているかがわからないのです。世の中にはよくしたもので、『音楽テーマ事典』というテーマから曲を調べるためのツール(全三巻)もあるのですが、これで調べてもわからず。バロックを得意にしている職業演奏家に聞いてみてもわからず、とこんな感じで未だに謎の曲であるのです。

問題のレコードは今も手もとにあるのですが、詳しい解説の書かれた本文はもうすでに手もとにはなく、けれどその本文にしてもそれほど詳しい情報を与えてはくれなかったと記憶しています。そもそもこのレコードが、小学生向けの学習百科事典の付録であったことを考えて、初等教育向けの音楽鑑賞教材なんてのも調べたこともありましたがそれでもわからず。未だに謎のままなのです。

私は大学に入るときの試験で、小論文のテーマこそは忘れましたが、この曲について書いたのでした。子供時分に好んで聴いていたこと、しかし詳細はよくわからないこと。ガボットといえば有名なのはゴセック作曲のものであるが、私には断然ラモーの方が美しく、魅力的であったことなどなど。このときからざっと十年以上が経過していますが、未だに同じ思いを持ち続けているように思います。

あるいは腰を据えてラモーの全集みたいなものを片っ端から調べればわかったのかも知れませんが、そこまで調べなかったのは、この曲の正体があらわになることを恐れていたからかも知れません。けれど知りたい思いもあり、いや、やはり知りたいのだと思います。

こういったものは、いったいどこに問い合わせたものなんでしょうね。

2005年7月6日水曜日

振り返るには早すぎる

ミュージカル・バトンというのを見かけることも多くなって、あちこちのBlogやら日記やらPodcastやらで公開されていますね。人の回答を見るというのは結構面白いもので、この人はこんな曲も聴くのかと意外であったりするのが楽しいです。特に問四の「よく聞く、または特別な思い入れのある5曲」というのがいいですね。まあ、答えようとなると簡単でないのもこの設問なんですけど、それだけにみんな苦労するからか、面白いものができるのもこの設問であると思います。

でも、今日はまだ答えやすい設問です。問三「最後に買ったCD」。これはもうなにも考えなくても決まっているものですから、考えたりひねったりする必要がありません。

私の一番最近買ったCDは豊田勇造氏の30周年記念ライブ盤『振り返るには早すぎる』。2005年6月25日土曜の夜、京都方面行き最終列車を待つ阪急十三駅のホームで出会った人が豊田勇造氏。来週、拾得でライブをやるからおいでよと誘われて、いったその拾得にて買ったのがこのアルバムでした。

私は豊田勇造氏のことは、駅で出会ったその日までまったく知らずにいたのですが、けれどライブは本当によかった。なんというんでしょう。拾得という場の持つアットホームな雰囲気、聴衆たちは知らない人とかどうとか関係なく打ち解け合うような親しさがあって、私がこれまでいったどのライブとも違う空気が流れていました。そしてステージがはじまれば、この雰囲気は勇造氏の持つ暖かさみたいなもんもあるんじゃないかと思って、パワフル! クール! そしてリリカル。そこには本当の歌がありました。言葉とメロディが互いに互いを必要として寄り添ってできあがるものが歌であると、私は思わずにはおられませんでした。

アルバムは拾得についたその時にもう買っていて、帰りにサインをしてもらいました。紙ジャケットの飾らぬ三枚組。けれどこれがまたいい。拾得でのライブ音源をメインに編まれているのですが、その日の空気が伝わるようではありませんか。7月の2日に私が体験したような高揚やなにかは、やはりその日にもあったのだと、そしてそれはその日限りの、特別なものであった。そういうライブ感が感じられる好アルバムでした。

収録曲ももちろん素晴らしく、なんだろう、 — これは本当の人間の声です。本当の人間の歌です。

2005年7月5日火曜日

ZENPEN/COWHEN

 私が最初にミュージカル・バトンを知ったのは、masatsuの旦那から打診を受けたのがきっかけで、けれどその時は、なんとなく流してしまいました。なんというんでしょう、乗ろうかなと思わなかったわけでもないのですが、きっと次に回す相手で苦労するだろうなと思い、また旦那の配慮もあったもんですから、流してしまったのでした。

しかし、いかな私も、その後二名からバトンを渡されることになろうとは思っていませんでした。一人は同じ大学に通っていた友人チッヒー。もう一人は、読む漫画の好みが似ている縁で知り合った水島猫月氏。これだけバトンが回ってきているというのに、まったく応じないというのも野暮というもの。なので、ちょいと私もミュージカル・バトンとやらをやってみますよ。

ではでは、まずは問一に答えましょう。問一は「コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量」。iTunesを開いて確認すれば、30.63GBと出ました。8,368曲、全曲聞くと23.4日かかります。

私のiTunesライフに関しては、iTunesライブラリの完成もあわせてご覧くださいな。

問二、「今聞いている曲」。これは、バトンを受けた時点に聴いていた曲で答えましょう。BAHOのDVD『ZENPEN/COWHEN』に収録の、Black Shoes。この曲は二人のお気に入りなのか『East vs West』や『BAHO de Tremendous』にも収録されていて、そのそれぞれがそれぞれの持ち味で面白く、ああこれってライブの醍醐味だよなあと思います。

私はBAHOのDVDは一応すべてそろえてみて、それで一番気に入ってるのはこの『ZENPEN/COWHEN』。演奏される曲のバリエーションも豊富で、アコースティックだけでなく、エレキもありという幅広さ。けど、ストラトがあるのに「スモーキー」をアコースティックギターでやって、そしたらアームがないもんだから、ネックベンド(ネックをぐーっと力で押して、音程を下げる荒技。下手するとネックを折るのだ)を決めて、めっちゃくちゃ恰好いいですよ。もうすごいの。見ないと損よ、といいたいぐらいにクールなのだ。

『ZENPEN/COWHEN』の次にお勧めなのは『BAD HOT SHOW』なんですが、実質このふたつに差なんてあるもんじゃありません。どっちも恰好いい。どっちもクール。ただその質、傾向がちょっとずつ違うというだけの話です。

さて、私はわがままにも、ミュージカル・バトンを数日にかけて書いていこうかと思います。というわけで、明日に続きます。

参考

2005年7月4日月曜日

花の湯へようこそ

 私の四コマの好みはどうも微妙なラインに寄っているようで、単行本が出たり出なかったりするような、そういうところに位置する漫画が好きで困ります。そうした位置を占める漫画というのは、ネタにせよ見せ方にせよ穏当なものが多くて、私はそういう穏当さを求めているところがあるから非常に合うのですが、穏当ということはパンチにかける、あるいは地味ということにもつながって、面白いのにもったいないと思うことはよくあります。

渡辺志保梨もそういう微妙なラインなんじゃないかと思っていたので、『花の湯へようこそ』が単行本化すると知ったときには、嬉しかったです。

渡辺志保梨はまんがタイム系列誌では連載を三本持っていて、『花の湯へようこそ』、『ごちゃまぜMY Sister』、『大人ですよ?』とあったのですが、この中で一番私が好きだった『大人ですよ?』は『ごちゃまぜMY Sister』に押し出されるかたちで連載終了してしまって、これは私に好かれた漫画は早々終了するジンクスのためなのか!? でも『ごちゃまぜMY Sister』も決して嫌いじゃないから、どれを選べといわれても困ります。だから、どれもを読めた時代というのは仕合せであったなあなどと、昔を懐かしむのでありました。

『花の湯へようこそ』は、『まんがタイムナチュラル』に連載されていた漫画で、ナチュラルがなくなったときに、雑誌ごと消えてしまうのではないかと危ぶまれたのを思い出します。基本的にシンプルな四コマが連続する、ある種昔気質の四コマ漫画なんですが、すっかりレギュラー化している銭湯花の湯の常連たちは、おなじみさんの醸し出す親しみやすさなんてのを読者にも感じさせてくれて、こういうところが人好きのする理由になっているんじゃないかなと思います。

ほの暖かい感じが微温的ギャグとあわさることで、ほっとできるリラクゼーション空間を、— なんていったらうまいこといいすぎですが、実際、渡辺志保梨の漫画のよさというのは、この穏やかなところ、落ち着けるゆったりとした流れの心地よさにあると思っています。

ところで、『花の湯』は銭湯を舞台とした漫画だから、それこそ女湯も出てくるんですが、渡辺志保梨の絵にはいやらしさとかがみじんもなくて、そういう穏健なところもいいですね。

これは、もう渡辺志保梨の持ち芸というほかないでしょう。ちょっとまねして出せるような雰囲気ではないと思います。

  • 渡辺志保梨『花の湯へようこそ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 以下続刊

2005年7月3日日曜日

放送禁止歌

  『放送禁止歌』というショッキングなタイトルがあって、それだけを聞くと、なんだか放送にのせられない歌を紹介して、 — いや、その理解は正しいのですが、けれど反面正しくない。というのが、私がこの本をはじめて読んだときの感想でした。放送禁止にされる歌というのは、性的なタブーに触れる歌、あるいは政治色が強いもの、反社会的なものという印象があり、そしてそれは一種事実でもあるのですが、でもそれだけではないのです。そして、この本を読むまでそこに考えのいたらなかった私は、まことにあさはかであったというほかありません。

放送にのせられない理由には、差別にまつわるからというものがあります。いや、歌が誰かあるいはなにかを差別しようというものであれば、そうした対処もいたしかたないといってもいいのかも知れません。ですが、この本が問題としているのは、かつては名曲として歌われていた歌が、突然メディア上から消えうせてしまう。なぜか。クレームがあったからではなく、まして糾弾があったわけでもなく、 — そう自主規制されてしまうから。この本では、メディアにおけるタブーと自主規制にいたるプロセスがとてもていねいに扱われていて、特に部落差別に関係するとして葬られた歌を主題に深く踏み込んでいく様子は、むしろ感動的でもあり、今私たちが置かれている状況について考えるきっかけにもなって、私はこの本を読んでよかったと心から思った。いや、曲がりなりにも歌を歌う人間としては、読んでおかなければならない本でありました。

『竹田の子守歌』という歌があります。フォークムーブメント吹き荒れた日本においてブームとなり、そうして広く知られるようになった歌で、ですがこの歌は放送できないのだそうです。なんでか。それは本当に先に挙げた理由があるからで、しかしこの歌はむしろ被害者であるんじゃないかという印象を持ちました。ええ、私はこの歌こそが被害者であると思っています。

この歌はこの間放送されていたNHKの趣味悠々『あの素晴らしいフォークをもう一度』のテキストに収録されていて、だから今ではそうした放送禁止といったタブー視はされないのかも知れません。親しみやすく美しいメロディーに、情緒深い歌詞はやはり名歌だなと思います。だから、私はいずれこの歌を歌うこと日がくるだろうなと思っているのですが、その時にもしこの歌の背景を知らなかったらどれほど私の歌は軽く弱いものになることでしょう。背景もすべて引き受けて、歌の中に流れている(あるいは、いた)感情を知って歌われる歌には強さがある。ですが、もし表層を歌うだけであったらと思うと、— 歌というものは、それがどのような歌であったとしても、生半可に歌うものではないという思いを強めるきっかけになったのがこの本でした。

というわけで、私は今日、この曲を演奏してきました。いや、歌ったわけではないのですが、人の伴奏で。で、私はこの本を読んで、この歌にはある種思い入れができてしまっていたものですから、なおさらしっかりやろう、しっかりやろうと思っていたのだけれども、最後の最後、本当に最後の最後で足を出してしまいました。

ううー、ショックだよー。いや、ほんまにショック。

  • 森達也『放送禁止歌』(知恵の森文庫) 東京:光文社,2003年。
  • 森達也『放送禁止歌』デーブ・スペクター監修 大阪:解放出版社,2000年。

2005年7月2日土曜日

演奏能力開発エクササイズ アコースティック・ギター

 私は本当に運がよかったと思うのですが、ギターをはじめた当初に、偶然書店にこの本が置かれているのを見つけまして、中を見てみれば結構しっかりした内容です。DVDもついているし、音の出し方やフォーム、手指の使い方についても学べるのではないかと期待できます。しかし、ギターに限らず、音楽系の雑誌が充実しているわけでもない普通の駅前の書店で、こんなちゃんとした内容の本を見つけることができたのですから、やっぱり私は運が良かったと思います。実際その後も、この本が補充されることはなかったのですから、本当に縁というものは不思議です。

この本が扱う内容は、基本的に伴奏に使うようなフレーズなので、最近はやりのフィンガースタイル・ソロ・ギターを志向する人にはあまり向かないかと思います。シンプルなアルペジオからはじまり、ハンマリング・オンやプリング・オフ、スライドなどを取り混ぜたフレーズに発展して、けれどやっぱり一貫してこれはバッキングギターのための教本だと思います。

私がこの本を使いはじめたのは、本当にギターをはじめた最初の頃でありまして、だからひとつの単元を終えるのに何ヶ月もかけていました。それこそ簡単なものなら一週間もかければなんとかなったのが、難しいものとなるとひと月とかかかりましたからね。けれどやっていればだんだん上達してくるので、今では、難しいものは別ですが、手も足も出なくて困るというようなことはへりました。

とはいいましても、弾けるということはどういう状態であるかは難しい問題かと思います。私は、ただ単に譜面に書いてある風に弾けるだけでは弾けるとは考えませんので、そういう意味では私は未だこの本をちっとも弾けません。実際進捗にしても亀の歩みで、二年かけてPart 4までしかたどり着いておらず、折りに頭に戻り、復習と確認の日々。それに私はホセ・ルイス・ゴンサレスの『ギター・テクニック・ノート』をメインに取り組んでるもんだから、『演奏能力開発エクササイズ』を練習できない日も多く、— 後数年は楽しめそうだと思っています。

『演奏能力開発エクササイズ』では、ジャズ系やブルース系など、いろいろなスタイルが紹介されているので、それも楽しみのひとつです。ひとつのジャンルに偏るんじゃなくて、まずこの本で概略みたいなものをつかんでみて、興味のあるものがあれば、あらためて深く取り組んでみるというのもよさそうです。

そういう点では、導入にも非常に適した本だと思います。

あ、そうだ。ギターの伴奏中心の本といっても、ピックを使ったストロークとかは扱われていないので、そういうのを求めている人には向かない本だと思います。

2005年7月1日金曜日

トルコで私も考えた

  今朝の新聞に、高橋由佳利の『トルコで私も考えた』番外ともいえるような愛・地球博レポートが掲載されているのを見つけて、例のごとく確保しました。『トルコで私も考えた』というのは、漫画家高橋由佳利の異文化体験漫画でありまして、当初はツーリストとしての視点から、そして現在はトルコ人の夫をもつ日本人としての視点から、トルコ的なものがいろいろ紹介されていきます。

私は異文化体験漫画が大好きなのですが、それはおそらく私の中に異文化に対する憧れがあるからなのでしょう。私にとって『トルコで私も考えた』は、『中国いかがですか?』と双璧をなす愛読書であります。

私が『トルコで私も考えた』と『中国いかがですか?』の二冊を好きだというのは、そのどちらもから、対象の文化に対する愛情というかすごく親しく思っているという感情が、非常によく感じられるからなんです。日本からしたらまったく理解しがたい状況があったとしても、まずは歩み寄ってみるという人懐こさも魅力なら、良いところを見つけたときの、心からの喜びを表そうという態度も素晴らしいと思います。そして、一番大切なところは、向こうの文化に染まりきっていないというところなんじゃないでしょうか。トルコべったりではなく、もちろん日本べったりでもないという、絶妙の距離がいっそう魅力を高めています。飲み込まれず、突き放さずという距離は、民俗学をする際に最も求められるものなのでありますが、高橋由佳利も小田空も、そうしたバランス感覚に長けているものだから、自然漫画のできもよくなるのだろうと思っています。

『トルコで私も考えた』といえば、私は当初によく出てきた、現地のお兄さんやお姉さん、おじさんを少女マンガタッチで描いたコマというのが好きでした。基本的に、シンプルな描線で、あっさりと描かれたデフォルトタッチで進む漫画の中に、しっかりと力の入った華やかな絵! 私はほれぼれしましたね。特に、あのおじさんたちが素晴らしかった。私はこうした絵からも、作者のトルコに対する親密さみたいなのを感じ取ったのだと思います。絵に、対象に向けられた愛が満ちているのです。

そういえば、私は学生の頃、トルコ人学生と文通をしていまして、その時にこの漫画を読んでいたら、きっともっと深くやり取りをできたろうなと思います。

懐かしいことを思い出してしまいました。大学は出ちゃっただろうから、もうあのメールアドレスじゃ届かないだろうなあ。— 連絡は取れないながらも、あの人が今も元気だったらよいなと思います。

  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第1巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,1996年。
  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第2巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,1999年。
  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第3巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,2002年。
  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第4巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,2005年。
  • 以下続刊