2005年7月1日金曜日

トルコで私も考えた

  今朝の新聞に、高橋由佳利の『トルコで私も考えた』番外ともいえるような愛・地球博レポートが掲載されているのを見つけて、例のごとく確保しました。『トルコで私も考えた』というのは、漫画家高橋由佳利の異文化体験漫画でありまして、当初はツーリストとしての視点から、そして現在はトルコ人の夫をもつ日本人としての視点から、トルコ的なものがいろいろ紹介されていきます。

私は異文化体験漫画が大好きなのですが、それはおそらく私の中に異文化に対する憧れがあるからなのでしょう。私にとって『トルコで私も考えた』は、『中国いかがですか?』と双璧をなす愛読書であります。

私が『トルコで私も考えた』と『中国いかがですか?』の二冊を好きだというのは、そのどちらもから、対象の文化に対する愛情というかすごく親しく思っているという感情が、非常によく感じられるからなんです。日本からしたらまったく理解しがたい状況があったとしても、まずは歩み寄ってみるという人懐こさも魅力なら、良いところを見つけたときの、心からの喜びを表そうという態度も素晴らしいと思います。そして、一番大切なところは、向こうの文化に染まりきっていないというところなんじゃないでしょうか。トルコべったりではなく、もちろん日本べったりでもないという、絶妙の距離がいっそう魅力を高めています。飲み込まれず、突き放さずという距離は、民俗学をする際に最も求められるものなのでありますが、高橋由佳利も小田空も、そうしたバランス感覚に長けているものだから、自然漫画のできもよくなるのだろうと思っています。

『トルコで私も考えた』といえば、私は当初によく出てきた、現地のお兄さんやお姉さん、おじさんを少女マンガタッチで描いたコマというのが好きでした。基本的に、シンプルな描線で、あっさりと描かれたデフォルトタッチで進む漫画の中に、しっかりと力の入った華やかな絵! 私はほれぼれしましたね。特に、あのおじさんたちが素晴らしかった。私はこうした絵からも、作者のトルコに対する親密さみたいなのを感じ取ったのだと思います。絵に、対象に向けられた愛が満ちているのです。

そういえば、私は学生の頃、トルコ人学生と文通をしていまして、その時にこの漫画を読んでいたら、きっともっと深くやり取りをできたろうなと思います。

懐かしいことを思い出してしまいました。大学は出ちゃっただろうから、もうあのメールアドレスじゃ届かないだろうなあ。— 連絡は取れないながらも、あの人が今も元気だったらよいなと思います。

  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第1巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,1996年。
  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第2巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,1999年。
  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第3巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,2002年。
  • 高橋由佳利『トルコで私も考えた』第4巻 (ヤングユーコミックスワイド版) 東京:集英社,2005年。
  • 以下続刊

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