2021年1月22日金曜日

『まんがタイムきららフォワード』2021年3月号

 『まんがタイムきららフォワード』2021年3月号、発売されました。表紙は『スローループ』。こちらに鍋をぐいっと差し出した小春が実にいい笑顔。これイワナのアクアパッツァ? いかにもおいしくできました、そんな感じが表情からも感じとれて、ああ、この笑顔の向こう、すなわちこちら側ですが、きっとひよりがいるんでしょうなあ。小春の向こうにはコーヒーを両手に持った恋。なんだろう、ちょっとなんか嬉しそう。この子も、ちょっと味のある、そんな表情見せますよね。

今月は新規ゲストが5本です。

『極彩色の花ことば』

導入を過ぎ、ページをめくれば見開きで都市の情景が圧倒するかのように迫ってくる。この扉絵、渾身のインパクトですよね。そう意図された衝撃、まともに食らってしまって、ええ、この導入の効果、抜群でした。

内容はSFなんですね。科学が進歩し、アンドロイドやクローンも当たり前に存在する、そんな時代。記憶だってバックアップできるしで、そうなれば不老不死も夢ではないのでは? そんな倫理に踏み込むような話をするのかなとおぼろげながら感じたところで、花屋を営む主人公のもとに現れたお母さんを探す女の子。ただの迷子ではない模様。祖父母との電話ごしの会話から、母の暮らす街の名前を聞き取って、それだけを頼りここまでやってきた。

この子の語った記憶の断片やらなんかから、この子は一度死んだのか? バックアップされた記憶をもとにこの子を復元できるまで相当な時間がたって、目の前の祖父母と思っているのが実の父母だったりするのか? などなど、いろいろ思っては新しい情報で否定されていくという体験はなかなかにスリリングで、この考えて読み進むというの、その余地を与えてくれるところ、いい感触でありました。

そしてなにが起こっているのか、だいたいわかってくる終盤。ああ、ここで次回に続く。やっぱり科学の発展と倫理のような話になりそうですね。ええ、こうして提示された前提がどういう決着を見るのか、それを楽しみにしたく思います。

『もみじコンプレックス』

シンプルだけどいい感じ。授業以外で声を発することのない無口な転校生、可部もみじ。クール、ミステリアスと評されるこの子だけど、なるほど、しゃべろうとしないのには理由があったか! この子、広島出身なんな。でもって、口を開けば方言が出る。饒舌に語るその広島弁、うっかり口にしてしまったの、校内に暮らす猫をかまってる、いわば仲間を見つけた嬉しさからか。その時の、クールなイメージが一気に転換する見せ方、目なんかほんとキラキラしてね、ほんとクールからチャーミングにがらりと変えてくるのね。これ、いいよ。うん、それに広島弁女子、可愛いよな。

皆も方言まるだしでネイティブトークするといいよ。

言葉がコンプレックス。バカにされたりからかわれたり、あるんだろうなあ。それを心配してる。自分が方言でしゃべったら教室の流行語が「じゃけん」になるって、その発想は面白かったなあ。

でも、猫仲間になった、友達になったアキとの出会いでちょっと勇気を出しました。クラスでは、心配してたとおりといおうか、傷つきそうになったもみじのことアキがしっかり守ってくれてね、この友達ふたりの関係。最後のふたりのシーンなど、広島弁がいい感じに気持ちの深いとこ語らせた、そんな感触ありまして、ええ、とてもよかったと思うんですよ。

『腐れ縁元同級生』

男女間に友情は成立するのか、みたいな映画が以前ありました。これもそういう感じなのかも。高校時分からの腐れ縁。つきあってるわけではない。けれどちょくちょく泊まりにきて、なにかあったら飲みに誘って、くだまいて、それでまた泊まり込んでと、そんな関係。はたして進展などするのか、あるのか、いやまるでないのか。そうした独特の距離感? それを描こうとしてるわけですね。

男側は、それなりになにかちびっとでも思うところあるっぽい、そんなニュアンス感じますよね。だとしたら女側にもなにか含むところあったりするのでしょうか。それがわからない。ありそうでなさそうで、近しくて、けれど一線はひいていて、なにかあればそのバランスも崩れたりするのかしないのか。でも今は少なくとも、ふたりともその一線を越えるつもりはなさそうで。

そんな関係。なにか発展するわけでもない、そんなふたりの今の状況、それをただただ描こうとしているってわけですね。

『私のママガール』

お姉さん、ダメな人だな! イラストレーターとして働いている人。亡くした母の面影を、泊まりにきていた小学生のいとこに見てしまう。見るのはいいんだけど、大人だっていいながら、子供あつかいするなといいながら、明日帰るといったお子様に不機嫌をぶつけるの、そりゃあいけないよ!

と、本人もそれがいけないことはわかってるんだよな。夜中、子供にあたってしまったこと詫びながら泣いている。母との思い出とともに、母を失なった悲しさ、それが拭えないほどに深く思い出されてしまったんだなあ。

しっかりものの小学生とちょっと駄目な大人という組み合わせ。そのバリエーションのまたひとつ。泣いてるお姉さんがほっとけなくて長逗留を決めた小学生。ふたりの暮らし、むしろ本番はこれから、といった感じがしますよね。

『あなたを手懐けたい』

動物を手懐けるのは得意で、じゃあ次は人間を! その考えはわるくないけど、あまりのあまりに人間というものを知らなすぎじゃあないですか!? というか、まず手懐けるという考えから間違っているといいますか、いやほんと、この人にマークされてしまった八木さん。気の毒というほかありません。

この主人公、富沢、人としてのなにかが決定的に欠けていて、それを自身が理解していないという厄介なタイプ。八木が富沢を理解できないように、我々読者も富沢を理解することはできず、また富沢も我々を理解することができないというこの不幸のトライアングル。いやしかし、人を人と認識しながらも、人の尊厳とかそういうのはまるで斟酌しないのな。あくまでも利己そのものといった存在が富沢で、交渉も不可能なら共感さえも阻む。

そんな富沢に目をつけられて、八木にとっては事故とか災難みたいなもんだな、これは。

この理不尽そのものといった、決して成立することのないコミュニケーション。いわばその不毛をこそシュールとして楽しむ、そうした類の漫画でありますよ。

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