今年の夏、無印良品の店にちょくちょくいってはいろいろ商品棚見て回ったりしていたのです。あの店、普段はちょろっと眺めるだけでそのまま通り過ぎるのがせいぜいのところであったのですが、今年に限ってはちょっと生活雑貨をまとめて賄う必要があったので、いつも以上に入り浸って、そうしたらなかなかに気の利いた商品というのが多いんですよ。手帳サイズの万年筆があったり、またゲルインキボールペンのバリエーションもあったりして、使えりゃなんでもいいって人ならここのを選ぶこともないかも知れませんが、シンプル、シックなデザインで統一したいみたいな人には、なかなかに訴えるものが揃っているんです。いやあ、これは危ないわ。あんまり出入りすると、うちが無印良品屋敷になりそうな気配を見せたから、今はちょっと距離を置いているんですけど、でもそれでもこれだけは揃えておきたいなというものがありました。なにかといいますと、無印良品で流されているBGMのCDです。
無印良品BGM、段ボールに数字が押されただけのシンプルパッケージが魅力のアルバムであるのですが、これがなかなかに魅力的なCDであるんです。アルバムそれぞれにテーマが決まっていて、私が買ったものでいえば、BGM2がパリのメトロで演奏するミュージシャン(メトロでの演奏は認可制です)、BGM7がスコットランドのトラディショナルソング集。アルバムごとに、世界の、地域色あふれる曲がセレクトされていて、メジャー風ではない、素朴でけれどフレッシュな印象を待った、チャーミングな音楽にあふれています。これ、無印良品のキャラクターを演出するひとつの戦略であるのだと思いますが、コマーシャリズムからちょっと離れて、素朴でシンプルな暮しのスタイルを選択したいという、そういう顧客に向けたメッセージになっているんだと、聴いてみてつくづく思います。
そんなこといっても、無印良品がすでにブランドじゃないか、結局は表面的なまやかしに過ぎないよという意見は、昔から何度も聞かされてきたことです。だとしても、こうしたシンプルでかつ一貫性を持ったソリューションもそんなにないわけで、ならそのまやかしかも知れないコンセプトに乗ってみるのもよいかと、ちぐはぐの継ぎ接ぎに取り囲まれるくらいなら、決して重厚でもトラディショナルでもない、機能性がデザインの主要素になっているといった風の無印良品ブランドにのってみるのもいいかなと思われたのです。とりわけ、一貫性をもって室内を統一する術に乏しい私には、こういうのがあると助かるのですね。
もし使い切れないほど金持ってたら、躊躇なく家屋レベルであつらえるところですがね。
無印良品BGMは、開けてみれば実はワーナーミュージックだったりしましてね、企画は無印計画、製造はワーナーだそうです。だから、思った以上にしっかりしたアルバムに仕上がっていて、むしろこの一枚千円という値付けはリーズナブル、安いかもななんて思ったものです。ブックレットにしても、歌詞とかは入ってませんけど、きれいな写真があしらわれていて、悪くない感じです。もちろん、各アルバムに収録される音楽、それぞれのジャンルのマニアというような人には物足りなさも残るかも知れない、けど私の感じでは、むしろその自然体といった雰囲気が好ましく、少しずつ買い集めていきたいアルバムとして記憶されたのでした。
というわけで、調べてみたらなんとBGM2から11がボックスでセット売りされてるんですね。こりゃいいや。というわけで買ってみました。3と7は重複しちゃうけど、誰かにプレゼントしてもよさそうだな。まあ、そのへんはこれからの話。まずは、その音楽に触れてみたい。ちょっと楽しみだな、到着を今から待ち遠しく思います。
漫画に限らずあらゆるものでそういえるかと思うのですが、そのジャンルなりを形成するもののうち中堅にあたる層が、結果的にそのジャンル全体の質を決定すると私は思っています。トップに位置するいくつかだけが抜きんでていて、それに続く中堅が弱いジャンルはトップの失速とともに早晩衰退しそうですし、逆に中堅層が分厚いと、次にトップを担うものも現れやすく、またトップだけではなく中堅にもファンが付く、すなわちそのジャンルを支える読者ないし視聴者ないしもそれなりの層をなすことが期待できるわけで、こう考えてみた時に、はて私の読んでいる四コマ漫画というジャンルはどうなんだろうなんて思ったりしちゃうんですね。中堅層、確かにあると思います。四コマ漫画は、漫画ジャンルの中でも多品種少量生産の傾向が強いと感じていますが、そのため中堅層も広く裾を引いているように思われて、けれどそれらを支えるだけの市場はまだ形成されていないようにも思われて、つまりはそれら中堅層の単行本が出にくいっていってるんですが、ところがここ数ヶ月の芳文社の動向を見ていますと、そうした中堅にあたると思われるものが次々単行本化されて、はたしてこれはいい結果を生むのだろうか? 私は久々にわくわくというかどきどきというか、あるいははらはら? ちょっと興奮気味に眺めているところです。
なにがあろうと、淡々と更新し続けることを目標としているこのBlogですが、それでも節目となるような日には、これというものを取り上げたいと思っているんです、信じられないかも知れませんけど。12月ならたとえばクリスマス、そして大晦日あたりがそうした日にあたるかと思われますが、クリスマスには諸般の事情から
『ソーダ屋のソーダさん。』は、一迅社の『
人は変化を求めるようで、しかしどこか変わらぬことを期待しているのかも知れない。なんていったりなんかしちゃったりするのは、この漫画、『CIRCLEさーくる』が、どことなく八九十年代の漫画の空気を持っていると感じられるものだから。なんだか懐かしく感じたり、ちょっと切なく思ったり、万感の思いが胸中に渦巻くようではありませんか。八十年代当時、私はまだ中学生で、なんか自由そうでのびのびとした高校の部活動に憧れめいたものを持っていたなあ、って具体的には『
大学に入学したお祝いに、伯父がペンを贈ってくれました。パーカーの万年筆。フランス製、75と呼ばれるモデルで、ああ、それはそれは嬉しかったです。つや消しの黒軸、マットブラックですね。トリムやクリップは金メッキで、ペン先は18KのB(太字)でした。Bはちょっと私には太すぎるかなとも思われましたが、使っているうちに馴染むだろうと、システム手帳にセットして、いく先々で使っていました。けど、なくしちゃうんですね。忘れもしませんよ。吹奏楽の演奏会、アンケートを書くのに使って、そのままなくしてしまった。盗られたのかも知れないとも思ったけれど、でも結局は目を離した自分が悪いんですよね。ショックでした。なにより伯父にすまないと思って、いつか自分で万年筆を買えるようになったら買い戻そうと、そんな風に思ったものでした。
Parker 75は残念ながらほどなく製造中止になり、結局買い戻す夢は果てました。調べたんですけどね、カタログからも落ちていまして、なので買うならちょっと上位機種になるSonnetあたりになろうかと、けどどうせなら最高機種なんて思うのは私の悪いところで、ということはDuofold、ええっと、五万円くらいからそれ以上するんですが、いくらなんでも高すぎらあという気持ちと、でも五六万なら払えなくもないよねという気持ちが戦って、しかしそれでも手を出さないのは、結局大切にしていた万年筆をなくしてしまった私が持つには明らかに不相応なペンであり、身に合わないものは持つべきではないという信条がためでした。
大学生ともなれば、万年筆を使うのがステータスだというような風潮は、残念ながら私の世代でもすでに廃れきって、見る影もありませんでした。大学の教員もボールペンを使う時代です。ましてや学生が万年筆でノートを取っているだなんて、本当に時代錯誤というか、アナクロな青春を送ったものです。大学を出てからは、すっかりコンピュータエイジ、私はコンピュータを使い、普段の用には
単行本で確認して驚いたのですが、未理は148センチ。そうか、『
この日のために買ったといっても過言ではない

さすがは沙村といわざるを得ないんでしょうね。内容も知らないままに買ってきた『ブラッドハーレーの馬車』。理由は、それが沙村の作だから以外のなにものでもなく、ということは私は事前に覚悟を決めておく必要があったということです。帯に見える惹句、残酷であるとか戦慄、衝撃もろもろを、それこそ字句のとおり受け取って、どんな状況が描かれようと受け止めるという心積もりをしておかないとならなかったというのに、それを私は怠っていたのでした。初読の衝撃といったら! 私は、きっとすごく変な顔してたに違いない。やられた、しくじった、言い方はどうだっていいのですが、描かれる状況のあまりのむごさに、いったんは瞑目して本を閉じました。そして、覚悟を決めた私は、続きを読むべく再び本を開き、やりきれない、どーんと落ち込んだ気持ちとともにすべてを読み終えたのでした。
私にかぎらず多くの人は、どこか高校時代というものを懐かしむ、それも自分の高校生時分というよりも、こうあって欲しかったなという夢の高校生活を求めて、ゲームに、漫画に、あるいはアニメにさすらうのではないかと思うことが私にはあります。だとしたら、どんな高校生活がよかったんだろう。さすがに私はもうたいがいな歳ですから、今から高校なんてわけにもいきません。だったらせめて大学生に戻りたいなあ、それでパソコン部というか電脳部というか、そういうのに入ってみたいっていったら、もとそういう関係の部活に入っていた人が、正直おすすめしないとアドバイスくださいました。また別所でのこと、今やりたいことはなにかないのかねと聞かれたものだから、学生に戻りたいと答えてみたら、職業訓練校を紹介されたりしましてね。いや、そうじゃないんです、そういうこといっているんじゃないんです。
今年の9月末に
私には心残りになるアプリケーションがあって、それは一本のゲームなんだけれど、それまで見向きもしなかったWindowsに目を向けさせることとなった、まさにキラーアプリといえるソフトでありました。けれど、時の流れというものは残酷であります。Windows 9x系向けにデザインされていたそのソフトは、NT系OS上では動作しないというのです。だから私は、そのソフトを失いたくないばっかりに、Windows 9x系の走る環境をひとつ保持していて、しかしそれはいずれ壊れてしまうでしょう。こうなったら仮想環境しかないのか — 。仮想環境なら、プラットフォームが今後どれほど変わっていったとしても、旧い環境を残すことができる。私のように、レガシーなものに心を残し続ける人間にとって、仮想環境というものは極めて魅力的に映る、そんな風に思います。
昨日のアップデートが原因で、WebKitフレームワークに問題が発生。
ギタレレを買いました。突然ですけど。いや、本当に突然、これからはギタレレじゃないか? なんて思い立ちまして、行きつけの楽器店にいって、ギタレレを欲しくなったのでください。一応ふたつ弾き比べて、いまいち違いはわからないけど、低音の具合がいいと思ったほうを選んできました。価格、一万円ってところ。小ぶりのギターで、弾いているとなんだか楽しくなってくるような感じがあって、ウクレレよりもできそうなことが多いからか、放っておくといつまでも弾いてしまいそうかなあ、なんて風に思います。けど、なんでこの時期に? といったら、やっぱり逃避なんでしょうか。
クリスマスシーズンが近づいてきて、というか今まさにクリスマスシーズンであるわけですが、意図せずクリスマスだけ働くシンガーとなってしまったわたくし、今年もまた歌いにいきます。さて、今年は
携帯電話を持てといわれています。けどなあ、そもそも私は電話をしないし、メールも頻繁に交わすわけでないし、あんまり必要性を感じないんですね。だから、持ちたいと思わない。それこそ月に何度か、最悪年に何度かの連絡のために、初期費用払って、月額の基本料払ってというのも馬鹿馬鹿しいでしょう。だから、持たないっていってはねつけている最中です。で、昨日、家に帰りましたら携帯電話のモックアップがいくつかあって、ああ、たまに電器店とかが放出してますが、それを買ってきたのだなと思ったら、もらってきたそうで、これ、子供のおもちゃにするっていうんだそうです。子供は大人の持ち物に興味を持つ、のか単純に携帯電話機の形態が子供の心に訴えているのか、そのへんはわかりませんけど、とにかくよいおもちゃになっているんですね。で、思った。私にはこれで充分だ。とりあえず、これで騙してみるっていうのも面白そうだなあなんて思ったんです。
でも、使えもしないモックアップを持ってるっていうのも変だよなあ、結局は一発ネタだよ、なんて思っている私の前に面白そうなブツが提示されまして、それはなにかといいますと、トランスフォーマー ムービー MD-21 ワイヤータップV20。携帯電話機からトランスフォームする、ディセプティコンのトランスフォーマーです。これなら、なんで使えもしないモックアップ、持ち歩いてるのとあざ笑われる心配はありません。ただ、なんでわざわざそんなおもちゃ持ち歩いてるのといぶかしがられる覚悟は必要でしょうが。
私は驚くほどに社会科に疎く、なんとなく、おぼろげにしかわからないでいることが多すぎます。そんな私が社会科に、具体的にいうと歴史に興味を持つことになったひとつのきっかけというのは、大学の講義で聞いた戦後日本を取り巻く状況についてでした。戦勝後アメリカは日本を去勢し、経済においても底辺的状況に置き続けようと考えていたところが、中国が共産化したため方針を転換。自衛隊の前身となる警察予備隊が設立され、また朝鮮戦争の特需により日本経済は回復したうんぬんというのをざざっと説明されまして、私はそれまで大きく歴史の流れというものを概観するという経験がなかったものだから、それこそ目からうろこの落ちるように思ったんです。私の悪い癖なのですが、近視眼的に物事を捉える傾向があり、特に若い頃にはそれが強かったものですから、余計そういう風に思ったんですね。
私はトラックボールユーザーです。愛用のトラックボールはLogicoolの
フランス語やっていると、シャンソンを聴きたまえ、歌いたまえというようなことをいわれることが意外に多いのです。歌を聴く、自らも歌うというのは、発音であるとかフレージングであるとかの感覚を養うのにいいというのは実際そのようで、だから私もフランス語習っている時には、シャンソンを聴くこと、歌うということ、実に頻繁でありました。で、『枯葉』なのですよ。ジャック・プレヴェールが詩を書いて、ジョセフ・コスマが曲をつけた。映画『
メイド喫茶が話題になったのはもう何年前のことでしょうか。私も、一度いったことがあります。大阪日本橋の、ソフマップザウルスがあった近く、一階がメイド喫茶、二階が猫喫茶、ビル陰の目立たないところにひっそりとしてあったのですが、さすがに旬のものだからでしょう、入店にはしばらく待たねばなりませんでした。けれど、いくらメイド喫茶がブームだからといって、メイド喫茶の格付け決定戦がテレビ中継されるなんてことはあり得ず、やはりああしたものは特殊な娯楽として一般とは隔絶されたものであると、そのような諒解がなされているように思います、私たちの現実におきましては。
2巻冒頭において提示された封鎖地区、それが晴海であったこと。そのきっかけとなった事故が起こったのが17年前。けれどさすがにこれではわからん。3巻における
こうした構造が見えてくれば、件の犯罪予備軍発言をした劇中の記者、大曲という名前にもそれなりの背景が想起されるわけで、やってくれるなあ。現実にあった事件を下敷きにし、それも少なからず驚愕と恐怖と動揺と戸惑いを日本中にまき散らした事件、もうずいぶんと昔のことになって記憶も薄らいではいるんだけど、事件の発覚とその後の報道の異常加熱。忘れないですね。あの時私は高校生で、まあ春夏冬の『
安田弘之の漫画は、よほど気を張っていないと見過ごしてしまいそうで、買うたび買うたびにはらはらします。というわけで『うたうめ』、いつもの店、地上三十階書店新刊棚にて発見。見付ければ買うとインプットされているので躊躇なく手に取って、それでこれがバンブー・コミックスであると気付いたのはうちに帰り着いてからでした。なんと、この人は今四コマ誌で描いてらっしゃったのか。そうかあ、『
『タマさん』の主人公は、当然杏であると思っていたんだが、帯によるとタマさんであるらしい。タマさん、関西弁でしゃべるただの猫。でぶ猫、猫又、おやじ趣味。見た目こそは可愛い(か?)が、そもそもいったいいくつであるのかも不明な、謎の存在であります。作者曰く、これは猫漫画じゃない、妖怪漫画なんだ、とのことですが、けどタマさんはただの猫です。ちうことになっている、っていうのが正しいのかな。
一郎さんの奥さんは、和歌さんという名の和装美人。風流な人、粋で貞淑、まさしく良妻というにふさわしい。家事は完璧、物静かでその所作振舞いも美しく、けれど実は意外に大胆。家事に、趣味に取り組む様は、ラジカル、アヴァンギャルド、アグレッシブ。手を抜かず、脇目も振らず、常に全力投球かと思えば、たまには失敗もして、それにすねちゃったりするところなんかがこのうえもなく可愛らしく見えまして、ああ一郎さんは仕合せものだなあなんて思うのです。あ、いや、テレビ買うの許してもらえないんだけどさ。でも、そんな些細な不満があったとしても、恋しい妻と寄り添って過ごす時間を持つことができる、日常の些事に紛れて気付かずに過ごしてしまいそうな、季節の、日常の趣きをともに感じ、愛でることのできる、その方がどんなにか幸いであろうかと、そんなことを思う。漫画としては日常もののギャグコメディなんだけれど、どうもそれだけではない情緒 — 、和の情緒がほんのりと匂う、そんな漫画であります。
私が
山田まりおは『
私は浪人はしたけど予備校とかはいってなかったので、もしかしたらこの漫画のらしいところをつかみきれていないんじゃないかなと思うところがありまして、『
今、『電撃PlayStation』誌には『電撃4コマ』なる冊子が付いてきて、ゲーム系四コマ漫画を読めちゃったりするんです。この話をはじめて聞いた時には、正直ちょっと驚きましたね。だって、冊子ってや! 私、てっきり1コーナーだとばっかり思っていて、電撃の奴隷でしたっけ、あの延長で数ページ読めたりする程度の規模だと思っていたら、なんと付録冊子だったのか……。さすが電撃というべきか、昔から我が道をいくゲーム誌だと思っていたけど(付録CD-ROMにテーマ曲がついてくるなど、結構好きだった)、相変わらずであるなあ、ちょっと嬉しくなったですよ。思えば、私の昔買っていたゲーム誌である『ファミコン必勝本』も、晩年はWiz小説、Wiz漫画から、ゲームにどう考えても関係のない小説まで連載されていたものなあ。思い返せば、あれも我が道系の雑誌だったっけ — 。どうも私は、こういうマイペースな雑誌が好きなようでいけません。さすがにゲームもあまりやらなくなった今、『電撃PS』誌を買うということはさすがにしないとは思いますが、けどこうして単行本が出たら買っていくんだろうなあ。ええ、祥人の『
白雪しおんの『
うおなてれぴんの単行本が出てるよ、って風の噂に教えていただきまして、そ、それはやっぱり買うしかっ! と思って買ってきました。新作と思っていたら、2004年から2006年にかけて連載されていた漫画で、危なくお蔵入りしそうだったところを単行本化されたってところなのでしょうか。いや、だとすればよかった。思わず表紙に引かれて買った『
先達ては

今日はまんがタイムKRコミックスの発売日、ということでいそいそと買い出しに出かけまして、買った漫画の中には『
このところ
『
