2007年12月8日土曜日

タマさん

 『タマさん』の主人公は、当然杏であると思っていたんだが、帯によるとタマさんであるらしい。タマさん、関西弁でしゃべるただの猫。でぶ猫、猫又、おやじ趣味。見た目こそは可愛い(か?)が、そもそもいったいいくつであるのかも不明な、謎の存在であります。作者曰く、これは猫漫画じゃない、妖怪漫画なんだ、とのことですが、けどタマさんはただの猫です。ちうことになっている、っていうのが正しいのかな。

『タマさん』は、この妖怪じみた猫タマさんと女子高生の杏、幼稚園児のふるるの身近に起こる不思議な出来事を描いた、ほのぼの日常ものです? ええ、初期にはわりと出ていた不思議ものがだんだんと出てこなくなって、けどそれでもタマさん自体が不思議生物だから、不思議ほのぼのもの。それで杏とふるるの日常を描いてほのぼの日常もの、そういう印象の強い漫画です。

けれど、その日常は私たちの知っている日常とは似て非なるものです。これは同日発売の『ニッポンのワカ奥さま』と併せて読むとよくわかるのですが、『ワカ奥さま』においては、どれほどアグレッシブに、ラジカルにネタの展開がなされようと、あくまで片足は私たちの日常世界に残されている。私たちの世界の法則、常識、そういったものを前提にしている漫画であるというわけですが、『タマさん』はそうではありません。杏やふるるの住む世界は、私たちの世界が備える常識がまるまる通じるわけではない、いわば夢の別世界であります。そこでは猫がしゃべり、不思議な空想的存在も跋扈して、もちろんそれらを認めないものもあるものの、認めるどころか心を通わせるものだって普通にいるという、そういう世界であるのですね。

だとすれば、毎回の冒頭に展開されるお定まりのただの猫やでは、昔話におけるむかしむかしに通じる、私たちの今や此処とは違う、別の世界への扉が開かれますよとの、宣言であるのかも知れません。そして、『タマさん』読者は開かれた扉を抜けて、森ゆきなつ的おとぎの世界に一時を過ごす。その世界を表すキーワードはファンタジーというよりファンシー。可愛さが効果的に配置されたほのぼの世界を表すには、きっとファンシーが一番だと思っています。

私がこの漫画に強烈な印象を受けたのは、忘れもしない「れっつだんしんぐ」の回ですよ。歌い踊る杏、ふるる、タマさんの三人を見て、もっともオーソドックスであろう『まんがタイム』本誌、読者はどう思うのだろうと思ったんです。四コマ漫画は起承転結、なんて価値観を持つ人は、このキュートさで押し切ろうとするかのような漫画にどのような評価を下すのか、ネタよりもキャラクター性やその舞台の持つ雰囲気が重視される漫画の増えていくことに苦々しさを感じたりするんじゃないだろうかと、杏のプリティさに釘付けになりながらもちょっと感慨にふけったんですね。

でも、ネタ寄りといえる『ワカ奥さま』にキャラクターの魅力がないかというと、そんなことはまるでないわけで、だから『タマさん』のキャラクターがいくら可愛かろうと、そこに展開されるネタ、そして話が弱いということはないのです。私らの世界の常識に依拠するネタだって当然あります。ただそれと同じく、『タマさん』世界のネタがあるというだけで、そしてネタというよりも可愛さが前面にくるみたいなのもあるというだけの話。これも一つの多様式なのであろうと思います。そしてそうした多様式をベースに、杏やふるるたちの日常の風景があって、その日常がタマさんの加わることによって広がる — 、そのファンシーを楽しむのがよいのです。

さて、本格的にどうでもいい話の時間です。第1巻の終わりにはきっとふるるの母のエピソードがくると予想していた私は、まさしくそうなりそうな雰囲気に、きたぞきたぞと思っていたら、わお、まだ一本あったよ、ってこれ下ネタ回じゃんか!

ちょっと感動のシリーズで巻を終えることの多い昨今の四コマ単行本ですが、そう見せかけてまさか下ネタで閉じるとは予想外でした。しんみりとした読後感の中に、今彼女の娘が過ごしている仕合せな日常を愛おしく思うつもりでいたというのに、それが、それが下ネタ。ふ、普通逆じゃないか! と思いながら、笑いを抑えるのが大変でしたとさ。

  • 森ゆきなつ『タマさん』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社.2007年。
  • 以下続刊

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「タマさん」は、掲載誌が二つあって、両方とも主人公はタマさんですが、ヒロインは片方の雑誌では杏、もう片方の雑誌ではふるる、といった形をとっていたように思います。……私の記憶に間違いがなければ、の話ですが。

matsuyuki さんのコメント...

『タイム』本誌は坂崎、如月の家庭側を舞台に、『オリジナル』では学校側を舞台にしていますね。

私が、タマさんが主人公であったのか、とあえてわざわざ書いたのはなんでかといいますと、タマさんを『ドラえもん』におけるドラえもんのポジションと捉えているからだ。そんな風にとっていただけましたら幸いです。