2007年12月23日日曜日

ブラッドハーレーの馬車

 さすがは沙村といわざるを得ないんでしょうね。内容も知らないままに買ってきた『ブラッドハーレーの馬車』。理由は、それが沙村の作だから以外のなにものでもなく、ということは私は事前に覚悟を決めておく必要があったということです。帯に見える惹句、残酷であるとか戦慄衝撃もろもろを、それこそ字句のとおり受け取って、どんな状況が描かれようと受け止めるという心積もりをしておかないとならなかったというのに、それを私は怠っていたのでした。初読の衝撃といったら! 私は、きっとすごく変な顔してたに違いない。やられた、しくじった、言い方はどうだっていいのですが、描かれる状況のあまりのむごさに、いったんは瞑目して本を閉じました。そして、覚悟を決めた私は、続きを読むべく再び本を開き、やりきれない、どーんと落ち込んだ気持ちとともにすべてを読み終えたのでした。

出口の見えない鬱屈とした日々に差し込んだ希望の光。しかしそれがまったくの偽りだとしたら。希望が一転して絶望に変わる瞬間。そして絶望の底にあってさえ、希望を見出そうとしてしまう人の悲しさ。見せかけの希望のために犯される罪もあらば、自らの犯した罪に流される涙もあり、そして、過酷な状況に投げ込まれさいなまれ続けた魂が見せるひとひらの美しさというものもある。しかし、それでもこんなにやりきれなさばかりが残るのはなぜなのだろうと思います。結局は、この漫画に描かれた罪悪が、人の善なる行いにより打破されることがなく、正義によって裁かれるわけでもなく、ただ時局という偶然によって終わりがもたらされたに過ぎないという、あまりにあまりの展開。この、人の手によって地上に生み出された地獄は、その一時を盛りと咲き誇った花こそは時勢を失い散ったがものの、その種は芽は、いつか育ち咲こうという時をうかがって、静かにひそんでいる。そうしたことを思わせるからだと思うのです。

そしてそれはあながち嘘ではなく、この漫画に関してはフィクションであったといえど、同じような地獄はこの地上のあちこちに、昔といわず今といわず、生まれては消え、生まれては消え、それを止めようというものもあれど、人の力はあまりに弱く、それは本当に空しいことで、目を覆いたくなるばかりであって、けれどそうして気付かないように目を背けてみないふりをしている状況こそが、本当の残酷というものなのかも知れないなどと思います。

真実を知りなさい コーデリア

コーデリアに投げ掛けられるその言葉は、コーデリアという登場人物越しに、読者である私にこそ向けられたものではなかったか。世の残酷に目を背けがちな私に、お前の知るべき真実を知れと、そのように促す言葉ではなかったろうか。そのように思えてならない私は、確かに見るべき真実から目を背け、狭い視野のうちのみをきれいに彩って、平和を思っている。それではいけないのかも知れない。わかっていながらそれを行動に移そうとしない、私の弱さを叱咤するかのような一冊であった、そう思います。

引用

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