2006年6月6日火曜日

反社会学講座

 新聞は嘘ばっかり書いている、捏造ばっかりしているっていう人、いますよね。実は私もおんなじように考えています。いや、別に朝日新聞のことをいっているわけじゃないので、そこのところ早とちりしてくださらないでくださいましよ。私がいっているのは新聞です。新聞というメディアが嘘ばかりいってるっていっています。そしてテレビも。私が知りたいのは、その時、そこで起こったことはなんだったのか、ということ一点だけなのですが、なんでかわからんのですが彼らマスメディアが伝えたいことは私のニーズを満足させてくださいませんで困っています。まず思潮とやらがくるからややこしい。真実があって、分析のプロセスを経て、最後に評価がくるのが真っ当な手続きだと思うのですが、なんでか最初に思潮があって、評価がきて、分析があって、終わり。あれ? 真実は? ええ、本当にどこにいったんでしょうね。

そうしたマスコミが扱うものというのはなにかというと、やはり主には社会における事象であるわけで、つまり統計やなんかが使われます。その統計をうまくごまかすことで、ありもしないことをあるかのように装えるというのですが、こうしたマスコミがよくやる嘘を見抜く力というのをメディア・リテラシーといったりしますね。あるいは統計の嘘ならばリサーチ・リテラシーといいます。さて、私みたいに頭っからつま先まで素直でできているような人間はどうにもだまされやすくていけないものですから、批判力を鍛えなければならないわけです。で、お勧めの本はといいますと、真面目な人向けには谷岡一郎の『「社会調査」のウソ』がよいかと思います。真面目といいましても、固いばかりの本ではない、新書だから価格もサイズも手ごろで、実際読みやすい好著であると思います。

で、それよりももっとお勧めしたいのはパオロ・マッツァリーノの『反社会学講座』。この本はちょいと危険な香り、皮肉や毒があちらこちらにうんとこさちりばめられていて、しかしですねその手続きは非常に真っ当なものであると思いますよ。大上段に振りかぶってマスコミ批判をしようというような本ではないけれども、事実を事実として扱おうとしない不埒を笑い飛ばそうという覇気に溢れていて、読めば大笑い、そうかそうかそんな細工がされておったのか、いやいや本当に嘘ばっかりいってやがんだなあ。けれどさ、冷静になって考えてみてくださいよ。普段真面目腐って、世論の引っ張り役でございという顔でえらそぶってやがる連中の欺瞞がここにあらわにされているのです。この現状をかんがみれば、マスコミ・メディアは毒であるといわねばなりません。毒は適量なら薬にもなりましょう。この本に書かれているようなことであらば口に苦い程度で済むというものですが、しかし私たちは普段、まったくのドブドブに毒まみれになった言説を浴び続けているのですよ。そして私たちはいつしか致死量を超える毒を飲み込んでしまうのです。そうなればもう終わり、目の前に提示されるものの裏を一顧だにせず、鉄の規律、すでにできあがった鋳型にはめ込まれるままに、無味乾燥の機関の一部に組み込まれてしまうのです。そこには精神の自由も意志もなく、まして真実などあるわけがなく、状況を支配しようとする輩の走狗として使われるのが落ちといったところでしょう。

反社会学講座はWeb上でも読めます。けれど、書籍版の方が分析や批判力に優れていてお勧めです。まずは少年犯罪の推移を追って見せる「キレやすいのは誰だ」あたりから読まれるのがよいのではないでしょうか。とにかく私はこれを読んで、笑いに笑って、そして自分の実感が誤っていなかったことに安心したのでした。

しかしよ、常に気をつけるべきはその裏側にある思惑であることは忘れないでください。私はこの本を信用しろとはいってない。この本の論旨、データの扱い方にも疑問がないわけではないのですから。重要なのは、この本が一般に流布される言説に向けた批判的な態度です。読むとともに学ぶべきはその姿勢であって、この本がいわんとしていることもまさにそこでしょう。真に危険なるは盲従するその態度にほかならないことだけは、常に心のどこかにとどめておかんといけません。

参考

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