日本を代表する指揮者で、積極的な新作初演や執筆活動を通じてクラシック音楽のすそ野を広げたNHK交響楽団終身正指揮者、岩城宏之さんが13日午前0時20分、心不全で死去した。73歳だった。
指揮者の岩城宏之氏が逝去されたというニュースを聞いて、私はしばし茫然。そうか、亡くなられたか。73歳が若いかどうか、私にはもうよくわからないのだけれども、以前からずいぶんお体悪くされて、手術したり持ち直したり、がんばっていらっしゃるなと思っていたのだけれども、けれども時は過ぎゆき、人も過ぎてゆきます。
私の岩城宏之との出会いは、おそらくはテレビとかそういうのだったと思うのだけれども、というのはだって、吹奏楽をやっていたし、N響アワーみたいな番組もよく見ていたし。それに、岩城宏之という名前、周辺から耳にすることも多かった。一般の、普通程度にしかクラシックに触れていない人たちにとって指揮者といえば、カラヤンとかバーンスタインとか、そして日本人だったら岩城宏之だったんじゃないだろうかと思うんです。そんな風に、生活の中で聞くことがある名前だった。ほら、山本直純がお茶の間に広く知られていたように、その友人である岩城宏之だって同じように知られていたのでしょう。
そして、私が岩城宏之にはまったのは、高校の頃、図書室の書棚に見つけた本がきっかけでした。『楽譜の風景』、『フィルハーモニーの風景』。どちらを先に読んだのかな。もう覚えてない。けど、その内容の端々は、細々と断片に散りながら、私の中にはっきりと残っています。
カラオケの話があったのですよ。どの本だったか思い出せないけど、カラオケの話があって、楽隊の連中と一緒にいくとみんな本当にうまい。自分のスタイルというものを見つけていて、それでもって本当にうまく歌うんだうんぬん。私は、今でもカラオケを歌うにせよなにをするにせよ、自分のスタイルとはなんだろうかということを考えて、それは紛れもなく岩城宏之の話に影響を受けているからです。
ベームの振りを真似しようとしてウィーンの団員に怒られた話。これは『フィルハーモニーの風景』かな。若いうちは、がむしゃらに力いっぱいやらんといかんのだと思った。ステージマネージャーの話にも感動した。一席一席に腰掛けて、指揮者との位置関係を見、照明のあたりも見、表面を繕うのではなく見えない向こうにこそ仕事はあるのだという話も岩城宏之の本で読んで、私の少年期青年期において、氏の影響がどれほどに大きかったかわからない。好きだった、好きだったのですよ。
私は暗譜が苦手で、けれど試験ではどうしても覚えないといけないから、岩城式の目に焼き付ける方法を試したこともありまして、あの話はメルボルンのオケで『春の祭典』を振り間違えた話が繋がっていて、その時、氏は演奏を止めて、自分が振り誤ったと聴衆に告げて少し前からやり直した。仕事には誠実さが求められる、ごまかすべきではない。私が岩城氏にお会いしたのはほんの数回にすぎず、私は群衆のうちの名も無いひとりに過ぎなかったから、こんなの会ったうちになんて入らないのだけれど、一度、大阪フェスティバルホールの楽屋に訪ねて手帳にサインをいただいたこと、嬉しかった。何度でも思い出せる。氏の笑み、そして握手。氏が本に書いていた、嬉しいサインのねだられかたを実践したつもりで、けどきっとぎくしゃくしてたには違いないけど、もしかしたら本を読んでいるファンだと気付いてくれたかも知れない。
岩城宏之の本はたくさんあって、全部読むにはいたらなかったのだけど、高校大学と通してずいぶん読んで、細かなエピソードがいろいろ頭に浮かんできて、全部ここに書くことはできないし、それをしても意味がないってわかっているからやらないけれど、そういう知ったエピソードの分だけ氏の身近にいれたというような気分になれた。そして、こういう私のようなファンはきっと多いと思うのです。
73歳。この年が若いのかどうか私にははかりかねますが、ああ、後が続かないや……。いいたいことはいっぱいあるんだけど、言葉にしたくない……。だから短めに。さよなら、お疲れさまでした。きっと私も後からいきます。それまでどうぞお元気で。
- 岩城宏之『楽譜の風景』(岩波新書) 東京:岩波書店,1983年。
- 岩城宏之『フィルハーモニーの風景』(岩波新書) 東京:岩波書店,1990年。
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