2008年6月14日土曜日

ああ探偵事務所

   『ああ探偵事務所』を買ったのは、つい先日の水曜日、11日のことでした。パターンとしては『コンシェルジュ』に同じです。天満橋のアバンティにて一押し、例によって第1巻は試し読み可。で、読んだわけです。面白かったわけです。一冊読み切ってしまったわけです。そこで私のルール、書店での立ち読み、もしそこで一定量を読んだならば、その本は買うに値する本であるが発動しました。けれど、今度は『コンシェルジュ』の時と同じ轍は踏みません。ああ、一気に買ったさ! 3冊4冊ずつなんてけちなこといわず、全部買ったんですよ。けど、この時点での最新刊、すなわち最終巻である15巻は売り切れたのか見逃したのか、買うことができず、ゆえに全巻揃うのは翌日に持ち越されたのでありました。

『ああ探偵事務所』はその名の示すように探偵ものであります。ちょっと変な探偵、妻木が主人公。常に左目を前髪にて隠した彼は、その持てる探偵力を駆使し、クライアントのためにベストを尽くす。彼の傍らには、美しい助手、井上涼子の姿があって、彼女の調査報告書を通し、我々読者は彼らの扱った事件を知ることになる — 。そういった仕掛けが、ちょっと古典的名作思い起こさせて、実にいい感じです。その古典というのはなにかというと、もういうまでもないか、シャーロック・ホームズのシリーズですよ。あれも、ホームズという私立探偵が経験した事件を、助手ワトソンの手記を通し知るという仕掛けを持っていました。そうなんですね。『ああ探偵事務所』は、シャーロック・ホームズへのオマージュとなっているんです。そしてそれは、主人公妻木が筋金入りのシャーロキアンであるというところからもうかがえます。ええ、この漫画自体が探偵ものに対する愛の表明であり、そして同時に愛の対象となるにふさわしい内実を持っていて、本当、素晴らしかった。面白く、楽しく、時にはハラハラ、ドキドキとさせて、そしてすごく感動した。ああ、これはいい漫画です。買ってよかった。

『ああ探偵事務所』については、表紙だけ知っていたんですね。美しい女性が表紙にある、その人が助手の涼子さんなんですが(茜ちゃんの時もありますけど)、それが非常に魅力的で、それゆえに敬遠していました。いやね、かわいい女の子、綺麗どころで押すばかりの漫画だったらがっかりじゃありませんか。もちろん、かわいい女の子、綺麗な女性、大好きですよ。実際、この漫画に出てくる女性たち、魅力的で魅力的で、あー、もー、どうしたらいいねん、って思ったこと、一度や二度ではないのですが、けどそれよりも、依頼の解決に取り組む妻木の姿にやられたのでした。

妻木、すごくいいやつ。根は真面目でまっすぐ。けれど、クライアントのためとなれば違法行為も辞さないという、ちょっとブレーキの壊れたところもある男です。しかし人を騙したり、傷つけたりするっていうことが嫌いで、そのへん非常に潔癖。それはこの人にとって探偵という仕事が、敬愛するシャーロック・ホームズに近づくための、神聖なものであるからなんだろうなあと、そんなこと思わせるのですね。探偵業は妻木においては理想の仕事であるから、決して手を抜こうとはしない。仕事の前には誠実、そしてクライアントに対してもそうで、目先の儲けよりも目の前の相手の仕合わせを願うかのような仕事ぶり、思わず熱いものが込み上げる、そんなこともしばしばでした。

けど、ただ感動をちりばめましたってものでもないのです。シビアな話だってあります。ですが、ぎりぎりのところで救われないラストには向かわないようになっていて、基本はハッピーエンド志向。安心して読めるのはよかった。ハラハラ、ドキドキといっても、命綱ついてるんですよ。それこそ、ちょっと調べてみたらですよ、この作者はやればできる人らしいから、それこそ助手の涼子さんを事件に巻き込んで、あんなこんなひどい目に! みたいなこともできただろうと思います。でも、やらなかった。それは、そういうシビアさを押し出そうとする漫画ではなかったから。妻木探偵を巡る、シビアでありながらも楽しく、面白い出来事、そして人の心、思い、情を描こうとしたものだったから。読者に必要以上の厳しさを突きつけるよりもエンタテイメントに徹した、安心して読める、そういう漫画でした。

しかし、面白い。なにが面白いかいちいち書いていったらきりがないから、それこそ思うところはいくらでもあるんだけど、それ全部吐き出したら絶対収拾つかなくなるから、泣く泣くここらでまとめなければならないんですが、最後にひとついうなら、私もがんばろうっていうことでしょうか。自分のこれと思ったものにがんばる。今置かれている状況でベストを尽くす。自分のために、そしてなによりもその時向き合っている誰かのためにがんばりたいと思いました。なに反省してるのって感じですが、けど、探偵さんの仕事ぶり、あれはそう思わせてくれるものでしたよ。ちょっと危うげな人だけど、不器用でほっとけない感じの人だけど、いざという時にはきっと頼れる、そんな信頼感。いやあ、なんのかんのいって、妻木がかっこいいんだ。あんな友人があれば、どんなにかいいだろう。そう思える、本当にいいやつ。常軌を逸したところもあるけれど、まあそれは漫画ですから。とにかく読んでみればわかります。がつんとくる、いい漫画ですよ。

蛇足

わしゃ鈴木杏子が好きじゃーっ!! あの細い手足、細い肩、細い腰、薄い胸、眼鏡、酷い性格。最高だと思う。けど、きっと現実に身近にこういう人がいたら、最低だろうな。きっと私とは共存できないタイプの人間です。けど好き。でも無理。

あと、以下、ネタバレ集。あえて隠さないので、この漫画読んでない人は、読まないように(つまり、漫画を読めといってます)。

レア・シャーロック・ホームズ・スニーカー。中敷にプリントされたホームズのシルエットですが、あれ、妻木はどうしてるんだろう。自分だったら、絶対中敷だけ買ってきて、交換して履くなあと思いながら読んでました。すんません。私も病的です。

病的ついでに。妻木の病的気質が全開になる痛快劇「泉さんフォーエバー」。ゲストヒロインの新條美咲(20)が超好み、というのはどうでもいいとして、それだけにあの男許すまじ、というのもどうでもいいとして、あのシリーズで妻木の棚橋に告げたホームズに対する愛。もういいじゃないスか 知識とか そーいうの! 激しく同感です。人は、特にマニアは、時に知識の量をもって愛の深さに代えようとしますが、私はそういうのにはもううんざりしていて、時に繰り広げられる知識勝負に対してもそうなら、すべてを集めきらないと気の済まないという自分の病的気質についてもそう。本当に大切なのは、ただ愛をもって向き合うということなんです。愛するがために知りたい、所有したいという気持ちはわかるけれど、そしてそれが膨大な知識やコレクションを形成する原動力でもあるのだけれど、でも愛とは量で測れるものではない。たくさん持っているから、詳しく知っているから、昔から知っているから、など、それらはその人が対象に愛着を持っていることは示しても、愛の質を明らかにするものではありません。ああ、私はこの作者、関崎俊三に感じ入りました。この人は愛の実質を知っている。愛するということは、所有し、独占し、ましてや誰かと競うようなものではないということをこの人は知っている。そりゃ、美咲でなくとも惚れる。泉、涼子でなくとも惚れますよ。

ところで、グラナダ・ホームズというのは、イギリスのテレビ局グラナダ・テレビの製作したテレビドラマのことです。以前NHKでも放送されていたから、ご存じの方も多いはず。去年、私がDVD-BOX欲しいっていってたやつですね。ええと、実は、私がグラナダ・ホームズに言及したことは他にもあって、それは『鬼切丸』で書いた時のこと。そう、突かれれば血も出るです。これ、グラナダ・ホームズの第18話「もうひとつの顔」からの引用です。誰がわかんねん! って話ですが、意外とこういう隠し引用あるいはもじり、私の書く文章には多いです。なんでかというと、それはもう愛ですのよ。愛を示すために引用するのではなく、愛がそれをさせずにはおられないといった感じで、最近はずいぶんましですが、昔はひどかったものなあ。ともあれ、いずれ『ああ探偵事務所』からも引用される日がくるでしょう。

あ、そうそう。「最後のあいさつ」を読んで、昔あった事件を思い出しました。2005年の7月ですね。このBlogでは屈折リーベにて言及されていました。

あ、そうだ。この漫画のヒロインは涼子、『コンシェルジュ』のヒロインも涼子でした。ここに私は提唱します。ヒロイン涼子に外れなし! です。

  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第1巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2002年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第2巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2002年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第3巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2003年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第4巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2003年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第5巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2004年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第6巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2004年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第7巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2004年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第8巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2005年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第9巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2005年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第10巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2006年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第11巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2007年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第12巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2007年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第13巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2007年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第14巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2008年。
  • 関崎俊三『ああ探偵事務所』第15巻 (ジェッツコミックス) 東京:白泉社,2008年。

引用

2008年6月13日金曜日

Lの季節2 -invisible memories-

 今日の更新はどうしようかなあ。弱り切ってAmazonなんぞをさまよっていたらですよ、おや、なんか気になるものを見付けましたぞ。なぬなぬ、『Lの季節』? あ、そうね、2が出るっていってたよね。ということは、もう発売されてるの!? と思って商品詳細に飛んだらば、よかった、受付開始しましただ。しかし、こうして続編出るのは嬉しいけれど、そしてきっと私は買うんだろうけど、正直なところ時間が経ちすぎました。今更、彼女らの世界に戻れるかなあ。と思いながら、公式サイトシステム詳細のページなんぞ見ていたら、おや、天羽さんと鵜野杜さんがいる。システムの紹介するのに、前作立ち絵使ってるのかなあ、って、そんなわけないやん! ちょっと待て、天羽さん出るの!? キャラクター一覧見たら、ああ、いらっしゃる! じゃあ、もう、買い決定じゃないか。天羽さんがいて、星原さんがいて、それで買わないなんてありえません!

 まめちしきー。私の環境ではあそうと打つと天羽と変換されます。なぜか? 単純な話ですよ。それは彼女の名が天羽碧あそうみどりだから。忘れもしませんよ。PlayStationでWizardryが出るよって聞いて、うほ、それは買わなくっちゃだわ、と思って買った。最初は、本当にWizardry専用機にするつもりだったんですよ。けれど、だんだんと他のゲームにも興味が出てきましてさ、具体的には『ブレイブサーガ』なんですが、当時、パソコン通信で勇者系パティオだかに所属していたんですが、『電撃PlayStation』誌の表紙が『ブレイブサーガ』だぜ、買っとけ、みんな! という情報が流れたんですよ。で、買った。読んだ。隅から隅まで読んだ。そうしたら、そうしたらですよ、なんかすごく気になる女の子がいてさ、うわ、なんだこの美しい娘は! それが天羽さんですよ。

一目で恋に落ちたってやつさ! ああ、もう、こん畜生。笑いたかったら、指さして笑ってくれ。

ええと、当時の情報が見つかりました。最初は興味を感じながらも、それっきりだったみたいですね。そして数ヶ月後に発売された『電撃PS』誌に掲載された記事、それが決定打、最も古い情報まで遡ったら、さっきの記事にまで行き着くってことですね。私の記憶が確かなら、ライカを構えた天羽さんのイラストと、着替えの途中、背を向けて見返る東由利さんのイラストがあったはず。そのどちらも魅力的だったけど、でも、やっぱり天羽さんだよなあ。彼女は最高です。

けど、プレイしてみれば、天羽さんを好きだと断言しつつ、他のヒロインにも心が揺れるというのが私の情けないところで、前述の東由利さん、この人もいい人なんだ。ちょっと感情が先走る人だけど、魅力的だったね。それから彼女の友人、亜希子さん、ちょっと不器用そうで、けど穏やかさが心地よい人。かわいかった。彼女の妹、さやかさんも、明るくてけどそんな態度の向こうにちょっと寂しさ抱えてて、よかった。などなど、次から次へと褒める言葉は出るけれど(これでもリミッターかかっています)、白眉は星原百合さんですよ。『Lの季節』とは、実質的に彼女を巡る物語といっても過言ではありません。ふたつの世界、過去の事件と今の事件、そのすべてに関わりを持つもの、それが彼女でした。ああ、もう、思い出すだけで泣けてきそうだ。すべてを一身に背負い、単身事件に立ち向かおうとしていた彼女。あえて孤立することで、他のすべてを守ろうとしていた。そんな彼女の真実が明らかになり、そして彼女の思いを知る! 滂沱の涙ですよ。涙なくしては語れない。読めない。ああ、あれは素晴らしいものでした。本当。それまでこうしたゲームをしたことのなかった私でしたが、それが一気に引き込まれて、今も心はとどまり続けているんでしょうなあ。

キャラクター表見ていた時、声が変わっていたらいやだなあと思っていたら、なんと星原さんが星河舞になっていて、ちょっとまって、柳原みわさんじゃないのん!? と思ったら、改名されていたのでした。ふー、ちょっと焦った。あの憂いをともなった声、やっぱり彼女であって欲しいではありませんか。そして改名といえば、野上ゆかなさん、苗字が無くなっちゃったんですね。ともあれ、皆さんご健在でいらっしゃったこと、安心しました。他の、今回ご出演の方以外の皆様もお元気でいらっしゃるんでしょうか。お元気だったらいいなあ。そんなこと思うくらい『Lの季節』は私にとって大切なものであるのですよ。

しかし、6月末にはG-XTHの追加データが出る、6月27日には『少女魔法学リトルウィッチロマネスク editio perfecta』が出る、そして7月3日に『Lの季節2』ときたか。もう嬉し死にしそう、というか、全部プレイできるのかな……。そういえば、『Missing Blue』が未クリアで残ってたっけ。初回プレイ時、あんまりのマニア系シフトに堪えられず断念、そこで終わってしまったのでした。残念なことしてますね。今からだと、もう関連商品探すのも大変でしょう。これも『Lの季節』に関連を持っているんですが、今からできるかな? 無理だろうなあ。というか、リビングのテレビで美少女ゲームに興じるのはちょっと辛いなあ。いや、家にはリビングにしかテレビないんですよ……。だから、さ……。

でも、『Lの季節2』は力強くプレイしたいと思います。

2008年6月12日木曜日

GENERATION XTH -CODE HAZARD-

「ジェネレーション エクス」応援バナー フウマゴールデンウィークの初日、その発売を楽しみにしていたGENERATION XTH開始、5月6日にシナリオクリアしたということはすでにお伝えしましたとおりです。さて、めでたく残りクエストも消化しました。クエスト完了は6月6日。その後、6月8日にマップ埋め終わり、これで一段落かなっていうところです。なので、今はお休み。いろいろあって、ゲームやってるどころではない感じなのですが、まあとにかくG-XTHに関しては小休止であります。

小休止というからには、いずれ再開する予定であるということなのですが、とりあえずは6月下旬予定の追加データパッチ待ちといったところです。新しくフェイスアバターが追加されるそうだから、名簿にも空きは残してありますし、それにイベントも追加されるというのですから、これは期待するなというほうがおかしいです。装備の追加に関しては、申し訳ないけど現状でさえいっぱいいっぱいだから、正直それどころじゃないって感じです。でも、やっぱり嬉しいかなって思います。どんなのが入ってくるんだろう。こういう追加要素があるっていうのは、PC用ゲームのよさであると思いますね。

さて、小休止の時点での総プレイ時間を確認しておきましょう。66時間30分。おおう、えらい遊んでるな。クエスト消化、転職、アイテム収集で40時間オーバーと予想していましたが、アイテム収集に乗り出す前に60時間オーバー。まあこれは、なくてもなんとかなるけど、あった方がいいアイテムを人数分集めるのに時間かけすぎたためなのですが、でも転職可能な職をすべて経験し終える頃にクエスト完了。無駄な時間を費やしたという感触はありません。マップの残りを埋めるのには、育てている途中のセカンドパーティを使って、そして、サードパーティの育成を開始しようとしたところで中断。ほら、まだまだ遊べそうでしょう?

発売前に心配されたボリューム不足は、上記クリアタイムを見ていただければ問題ないことがわかるかと思います。とはいえ、私はちょっと時間かけすぎですけどね。これだけ時間かけるのは、ノーリセットでいくと心に決めているからで、中断時点で、リセット回数は当然0。幸いなことに全滅回数も0。死亡、おおっと、G-XTHでは瀕死か。瀕死回数は20回。いやあ、死ぬ時はやっぱ死にますね。最高レベルに達していても、強い敵を前にすればころりといきます。そうそう、敵といえば、出会ったけれど友好的であるために戦えず、ゆえに倒せずにいる敵が2種類、出会いもしていないのが1種類。セカンドパーティは悪にしているから、彼らが育ったら2種類は埋まります。出会えないのは、まあ仕方ないなあ。

アイテム、廃品はすべて拾い終えました。だから後はユニークやツールの類いを集めるだけ、とはいいますが、出ないものは出ません。ダガーの最上位、ソードの最上位、アックスの最上位、ランスの最上位、カタナの最上位、スタッフの最上位、エグゼの最上位、ボウの最上位、アローの最上位、出てません。またウェア、ローウェア、ヘッドウェア、バックウェア、オプションもそれぞれ抜けがあって、まあ簡単にいえば抜けだらけです。参ったなあ。埋まるんだろうか。そりゃやってりゃいつか埋まるんでしょうが、けれどXTHに限らずWizにおいては、アイテムは埋めねばならないと思わないほうが精神衛生上よさそうです。実際、Wiz XTH 2でもムラマサ出てないもんな。

職業(ブラッドコード)については、一応一通り経験済みです。より正確を期すと、フウマだけまだ未経験です。でもカムイは経験したからいいよね。カムイを経由したのは魔術師ツクヨミだったので、力が弱く、よって攻撃力も弱く、あんまり目立った活躍はしませんでした。けど、ちゃんと戦闘メインの育て方をすれば活躍できるといいますから、この人たちはフォースパーティに入ってもらいましょう。なので再開後の楽しみです。

こんな感じに、再開後に楽しみを残した状態での小休止。まあ、まったく遊ばないと決めつけるのではなく、余裕があればちょっと遊ぶ、そんな感じがよいんではと思います。それでムラマサ出たらラッキーですし!

「ジェネレーション エクス」応援バナー ブリュンヒルト

2008年6月11日水曜日

妹本

 曙はるとむんこの同人誌が商業出版されました。その名も『妹本』。兄のある妹の話であるのですが、読んでみて思ったというのが、こりゃあ『妹本』ってより『兄本』だあなあっていうものでした。いやさ、だってね、この漫画は妹の視線で兄を見ている。特にそれはむんこの側『○○コンプレックス』、『ぴたんと』に顕著だったと思うのですが、それは著者が女性だからか、あるいは実際に妹であるのか、それとも読んでいる私が弟だから、どうしても下の子目線で見てしまうのか。この本には、年の離れた妹にめろめろにされていく兄(曙はる『fairy land』)や妹を見守る優しい兄(むんこ『○○コンプレックス』)、そして大切は大切なんだろうけど、ちょっと意地悪、粗雑に妹を扱って面白がっている兄(むんこ『ぴたんと』)が出てきます。ああ、私にとっての兄観とはこの一番最後のやつだ。なんか兄貴って、変に下に威張ってて、家来扱いするというか、そんなとこありますよね。まあ、なんかあったら守ってやるぜ、ってことなんかも知れませんが、けど実は私、そういう兄タイプってどうもそりが合わないみたいなんです。

けど、じゃあ、自問自答、なぜ弟を下僕扱いする姉タイプは大丈夫なんだろう……。うう、多分それは、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの的な傾向が少ないからじゃないのかなあと思うのですが、まあ姉の話はどうでもいいや。兄です、兄。じゃないよ。妹でした。

嫌いなものは兄タイプ、なんていってましたが、結構自然体と感じられる『ぴたんと』、面白かったです。むしろ、理想というのでしょうか、そうしたものの感じられる『○○コンプレックス』の理想的の部分、それが自分にはちょいと厳しかったので、『ぴたんと』でだいぶ和らげられた感じです。もちろん、世の中は広いから、妹大好きで、妹の良き理解者で保護者で、というような兄もいるんだろうとは思いますが、それはけれどやっぱり妹の側から見た兄の理想型であって、兄としてはそういう視線、重荷に感じたりはしないんだろうか。だから、そんな重圧なんて存在しない『ぴたんと』の兄、妹をおもちゃにして泣かしちゃうような、そんな兄の方がみていて安心できるみたいです。

さて、『fairy land』もまた兄と妹ものですが、これは兄と妹が19歳差という特殊事情が手伝って、なんせ兄は大人ですから、成人してますから、妹にわずらわしさを感じつつもそのわずらわしく感じる原因に気付き、自分の問題として受け止め、流してしまってからのラブラブ状況。ああ、あり得るかもねえと思うんですね。年の離れた子っていうのはやっぱりかわいいものだと思いますよ。なんのかんのいって私も姪に絵本とか買ってやってるわけです。だから、わからんでもない。それにここの妹はまだ五歳だから、かわいい盛りじゃないですか。うちの姪はまだ二歳だからよくわからないけど。けどまあ、小さな妹にすっかりやられちゃってる兄貴がむしろかわいいなあって感じで、かわいい妹に萌えつつ、実際は兄貴の兄バカっぷりに萌える、そんな仕掛けじゃないのんか。兄貴、いくら妹がかわいいったって、そりゃやりすぎだろー、ってつっこみながら、そんな兄貴をニヤニヤあたたかく眺める。そんな漫画だと思います。

だから、やっぱり『兄本』なのかなあって思うんですね。実際、妹に嫌われたくなくって一生懸命の兄っていうのは、かわいいものなのかも知れません。現実にそんなこといってる兄が存在したら、わあ、勘弁してって思うのかも知れませんけど。姉持ちの意見としては、フィクションに出てくるような弟ラブラブな姉、ああいうの受け付けない、そんな風な勘弁して感がします。ほんと、あんな違和感見せられるくらいなら、妹ラブラブ兄貴の方がずっと萌えると断言します。

  • 曙はる,むんこ『妹本』(まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。

2008年6月10日火曜日

まど・レーヌ

 松田円作品集とでもいいましょうか、『まど・レーヌ』が発売されて、けれど私はちょっと微妙な気分でした。いやね、松田円は好きなんですよ。それもかなり好きなんです。一時期、四コマ漫画に疲れてしまっていた時、私を引き止めた漫画のうちに間違いなくこの人のものは含まれていて、だからやっぱり特別なのです。じゃあ、なんで微妙な気分になるのさ。というのは、この本に収録の漫画です。『まんがタイムきららキャラット』にて連載されていた『電化お手をどうぞ!』と『まんがタウン』本誌及びオリジナルで連載されていた『かめびより』。どちらも結構好きでした。けれど、雑誌の統廃合に巻き込まれた『かめびより』はまあ仕方ないとしても、『電化お手をどうぞ!』はなんか煮え切らない状況でぱたっと終わった印象があんまりに強くてですね、ちょっと待って、あれって完結してたのかい? 正直あれが綺麗な幕切れと思っていなかった私は、そんなでも売れるとなれば単行本にするんだねと — 、だからちょっと微妙な気分だというのですね。

でも、こうしてまとまって、読んでみれば、そうした微妙さは払拭されてしまうものなのだなあ。私なぞは実にちょろいという話です。けど、途中から『きららキャラット』を読みはじめた私にとって、『電化』の序盤を読みたかったというのもまた事実。けど、読んでみて驚きました。私は『きららキャラット』購入をずいぶん渋っていたはずだのに、割と序盤を知ってるんですよ。立ち読みはしていませんでした。じゃあ、なぜ? といわれれば、結局は自分が思っていた以上に初期の頃から『キャラット』を読んでいたってことなんでしょうね。

『電化お手をどうぞ!』は近未来もの、デジタル・トーキョー市を舞台にしたラブコメで、いや、これラブコメなのか? コメディであることは違いないのですが、市長の娘ニナ・リッツにいわせれば、恋なんて誤解と勘違いで出来てるようなものであるそうですから。まあ、なんて夢のない、とは口先ではいうけれど、私はおおむねこの意見に賛成で、そして漫画はといいますと、ニナのいったことを証明しようとでもいうがごとく、勘違いによる偽りの三角関係を着々と育てていったのでした。いや、面白かったですよ。子供ばっかりがクールで、いい大人がバタバタしているっていうんでしょうか。けど、恋愛ものの基本は、いい大人が恋に浮かされてバタバタってものだと思うから、これはこれで正解で、誤解やら不安やら戸惑いやら本心やらを、すべて見通せる場所から眺める、そういう楽しみするものだと思っています。ということはニナは劇中においてそうした位置を確保しているわけか。騒動に関わりつつ、騒動の外にいる、そうした視点が内部に用意されているっていうのは面白いけど、でもどうせなら、そんなクールを気取っているニナのバタバタする様も見てみたかったものだ。もし、もしこの漫画がもっと続いていたら、そんなニナを見ることもあったんでしょうか。

『電化』が恋愛を巡るコメディだとしたら、『かめびより』はもっともっと地味な日常を描いた漫画で、いうならば亀と過ごす生活。亀のカメコをペットにする女子高生かなこがヒロインなんですが、恋愛のれの字もなくて、すごく地味、本当に地味。けどその地味さが好きでした。

地味というのは、ぱっとしないってことではないと思います。なんでもないこと、ささやかな出来事を拾い上げる。そういうこまやかな視線があって、なにげないことに隠れている価値があらわにされる、そういうこともあるのですから。もちろん『かめびより』は面白さを第一にした漫画ですから、おかしさや楽しさ、そうしたものが表現されるわけです。そして、それは別に派手である必要はないんですね。派手に、大げさに取り上げて面白いものもありますが、ささやくように告げられて楽しいということもあるんです。たとえるならば、おしゃべりの楽しさに近いと思います。こんなことがあったんだ、聞いて聞いてと、近しい友人がしゃべりかけてくる、そんなさざめく声が聞こえてくるようで、伝えられるのは身近に起こった出来事。けれど、それがことその友人から聞かされたらば、なんでもないことなのにおかしい、それになにより楽しい。『かめびより』から感じられる感触は、そういうのに近かったと思うのですね。

手振り身振りをたっぷりに話してくれる、そうした友人が『電化』なら、『かめびより』はにこにことして穏やなそんな友人。けど、たまにちょっと変なこというんだ。だから思わず笑ってしまう。そういう近しさ、それが松田円の持ち味なのかなあ。けどこれって、希有なことだと思います。希有って、つまり、得難いっていっているんです。

  • 松田円『まど・レーヌ』(まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。

引用

2008年6月9日月曜日

こうかふこうか

運がいいとか悪いとか
人は時々口にするけど
そうゆうことって確かにあると
あなたをみててそう思う

さだまさしの歌の文句に、こういうものがありますが、『こうかふこうか』のヒロイン、福沢幸花を見てると、さだまさしならずともそう思いたくなってくる……。というのも、福沢幸花は不幸系ヒロイン。特になにが悪いというわけでもないのに、不幸に見舞われる人っていますが、そういう要素を凝縮しましたとでもいった感じのキャラクターなんでありますね。傘を持たずに出れば雨に降られる。傘をもって出ても、不慮の事故で壊れる、壊される。そうした度に人は運がいいとか悪いとか口にするんでありますが、しかし幸花本人はそうした不運に慣れっこでありますから、結構ひょうひょうとして、不幸を受け入れてしまっている。そんな様がまたまた不憫で、読んでるこちらからしても放っておけんなあという気にさせてしまうというのですね。

さて、このネタはもうちょっと先に使うつもりでいたんですが、まあいいか、プレビューってことで。私は実は不幸系ヒロインが好きです。なぜこの娘がこんな目に遭わねばならないんだあ、なぜ世の不幸がよりによってこの人に! っていうようなシチュエーションになると、リミッターが外れてしまうんです。例えば事件、例えば事故、それから病気、なんでもいいのですが、身に余る不幸、不運を背負わされたような人を見ると、もう放っておけなくなって、感情が暴走する。ああ、うざいことは自分でもよくわかってます。だから日頃から気をつけているんですが、ややもすると、彼女の手助け、私がやらねば誰がやる! いっそ私が身代わりに、みたいになるから、もうどうしようもなくて、母からは詐欺には気をつけろといわれてしまうような始末です。

けど、福沢幸花に関してはちょっと違った感じです。運が悪い。うん、確かに悪い。けどこの人の場合は、神様、なぜこの人がこんな過酷な運命を担わねばならなかったのですかーっ!? と天に向かって叫ばねばならんようなタイプの不運でなくて、なんかただ単に運の巡りが悪いというか、大小問わず不幸不運が五月雨式に降ってくるといった、そういうタイプの不幸系ヒロインなんですね。そしてそうした不幸の中には、あからさまに人災といえるようなものもあって、ひとつは粗雑な青年岩井の引き起こす物損系ネタの被害に遭うといったもの、そして他はといえば、いじめ嫌がらせの類いかね。いや、これも不幸でしょう。それも実際に起こりうる、ありうるという点で非常にリアリティがある。けど、そういうの読むと、ちょっとへこたれそうになるという現実もあって、ああ、うう、世の中ってのは浅ましいものだよねえ、とがっくりきちゃうのさ。

こうした不幸系の話っていうのは、作るのが難しいだろうなあと思います。起こる不幸に人の意図思惑がからんでしまえば、それはもう不幸じゃないよって思う人も出てきます。人によって引き起こされる不幸なら、まったく悪意を持たない、そもそもなんらの意図さえもなかったというアクシデント系、あるいは利害関係のない第三者の行動でといったものでないと、受け入れにくく思う人もあるでしょう。最初は楽しく読んでいるのが、途中で少しでもいらっと感じる瞬間があると、それがほころびとなっていらいらを蓄積させかねない。だから、そうしたいらつく感情を適度に発散させてやるような作りにもしないといけないんではないかと思って、本当、不幸ネタは幸運ネタに比べても、気を使う部分が多いんじゃないかと思うのですね。

この漫画においては、蓄積される負の感想を引き受けようとでもいうのか、岩井という物損系キャラがおるのですが、まあこの男、粗雑、横着、無神経、やることなすこと裏目に出るタイプなんだけれど、幸花と違うのは、圧倒的に自業自得ということで、しかもそのやっちまった結果が他の人間に、とりわけ幸花に振りかかるという、ハザード系キャラであるんですね。さっきもいいましたように、この人の場合は降りかかった不幸というよりも、この人が引き起こした事案といった色が強いから、読んでいる側からしたら、勘弁したってくれって感じが実に強く、実際彼がからまなかったら幸花の不幸も半分、とまではいわんけれど、一定割合はさっ引かれるんじゃないかといった具合。けれど、この人がこういう役割を担わされているのは、読者の心に生まれる黒い感想を引き受ける、いわばサンドバッグ的ポジションだからかなとも思って、けどほんとどうなのかなあ。

1巻読み終えた時点ではまだそれほどポジション確立してないからなんだけど、幸花そして読者に必要なのは、トラブルメーカー岩井より、心優しい同僚たちより、うまくいかなさを共感もって話し合える、慶喜寧々のような人であると思うんです。だから、2巻以降は慶喜寧々の役割が強くなっていくんだろうなあと予想して、けどこの人がからむと、別方向から悪意が注がれる仕組みになっているから、ああもう、なんだ、厳しいなあ。

運のよさに定評のあるという人には、きっと楽しく読める本かと思います。けど、自分はなにをやってもうまくないなあ、人並みにやってるつもりなんだけどなあと思っているような人だと、身につまされすぎるかも知れない漫画です。私ですか? 私は、運の悪さのせいにするには全然努力が足りてないから、読んでて、まだまだ大丈夫です。

  • 佐藤両々『こうかふこうか』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2008年。
  • 以下続刊

引用

  • さだまさし『無縁坂

2008年6月8日日曜日

メルヘン父さん

 こういう漫画を読んでいると、有能主夫が今求められているのではないかと錯覚するのです。炊事洗濯掃除はいうに及ばず、裁縫手芸から日曜大工、家庭菜園、家族の健康管理などなど、家事一般をこなす頼もしいお父さん。ええと、このお父さん、名前ないのか……。妻文月を支え、ふたりの娘葉月とかんなを見守るお父さんの活躍というか、日々のあれこれを描いて、これが結構面白いんです。四コマに限らず漫画には、駄目主婦、有能主婦ものいろいろあるわけですが、それの主夫版。若い夫、若い二人でなく、結構な年数を経てきた家族の様子を描いて、もしこれが主夫でなく主婦ものだったらどうだったんでしょう。単行本で読んでみて、そんなことを思いました。

家事を担うのはおおむね女性である、そうした先入観があるために、男の家事、それも一般にいわれる男の料理のようではなく、丁寧、繊細、こまやかに気を配りつつ、予算も抑え目という、そういう家事を描いて面白いのは、それをやっているのが男、それもぱっとしないおっさんだからかなと思ったりしたのでした。だって、それだけでギャップですから。意外性に富んでいると思えるのは、女性でも大変な家事を、おっさんがしっかりこなしているからなのだとすれば、それは極めて消極的な読み方といわざるを得ないでしょう。そして、私はそういう見方は嫌いです。だって、もしこの見方を受け入れるとしたら、私は同様に有能女性会社員ものを、男の仕事を女だてらにがんばっている漫画である、女であるがゆえにギャップが生じるという見方も受け入れなければならなくなるからです。けれど、今、仕事において男だ女だということはなくなりつつあります。女性の上司、女性の管理職、女性の営業、普段なんということなく目にするものになっています。だから、これからは家事に能力を発揮するメルヘン父さんも珍しいものではなくなる。そうならいいなあと思う私は、実は主夫志望であります。

この漫画が面白いのは、父さんが有能主夫だからというだけではありません。寡黙な父があって、やり手の母があって、すごく普通の長女があって、内気の次女がいて、それで成り立っている家族というのがよいんです。父が家族の皆を愛して大事に思っているように、家族の一人一人も父さんのことが大好きで、そんな家族の集う居心地のいい家庭においては、皆がすごくのびのびとしています。外では厳しい課長をしている母さんもうちでは違う顔を見せ、父さんラブラブを隠さない。娘二人も父を頼り、甘え、ちょっとわがままもいって、そうした様子が楽しそうだ。で、お父さんの有能さが家族の要求に応えるところがいい。充分に、時には過剰に。ちょっとがんばりすぎな様子は笑いを誘うし、なにより家族が笑顔というのは読んでいても嬉しい。ナンセンスな笑いも交えながら、春山家の楽しそうな毎日がぱっと明るくつづられるのは、すごくいいなあ。そんな風に思われてならないんですね。

しかし、お父さんがこんなだと、娘の将来が心配です。あれだけ気のつく男はいません。私も男だからいいますが、あんな風には気がつかないものです。気がついて優しいふりはしますが、本当に気がついて優しいというのはめったにあるもんじゃございません。だから、あの娘たちは間違いなく婚期が遅れます。若いうち、まだシビアに男を見つめないうちならともかく、ある程度したらもう駄目でしょうね。だから、他の男を気にする娘に気が気でない父さんも、ひとまずは安心なんではないかと思うのでした。

  • 吉田美紀子『メルヘン父さん』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

web拍手返信 — 2008年第23週分

この一週間にいただいたweb拍手のメッセージに対し、返信いたします。

2008-06-07T16:12:23, 要返信
DOG LIFE&DOG STYLEの感想、正鵠を射ていると思いました

FRONT MISSION DOG LIFE & DOG STYLEへのコメントいただきました。

ありがとうございます。私は、自分の思ったことを、思ったように書くしかできない人間です。そんな人間の書いたものを、拾っていただいたばかりか、お読みくださった上、格別のお言葉くださいましたこと、本当にありがたいです。

DOG LIFE & DOG STYLE』は2巻がこのあいだ(2008年5月24日)出たところですが、もちろん買って、読んでいます。目的達成のために、まるで消耗品のように散っていくものの悲しさがあって、けれどそのひとつひとつの命には意地や誇りがあるのだと思わせてくれる漫画であると思います。

2008-06-05T21:54:31
色々な本の感想ががっつり書かれていて好きさが伝わる素敵なブログでした!

結局私の書くものは、自分がどう思っているか、それでしかありません。それを評価くださったこと、ありがたいです。もうそろそろ限界だと思いながら、それでも続けられるのは、結局好きだからなんだと思います。

それが好きだから書く。嫌いだったら書けない。そんなふうに思います。

以上。要返信のメッセージ及び引用及び返信不許可でないメッセージについて返信いたしました。

2008年6月7日土曜日

ただいま勉強中

 辻灯子の漫画が出た! その名も『ただいま勉強中』。なんだか昔の漫画を思わせるタイトルですが、こちらは『漫画タイムラブリー』に連載中の学園もの。『勤務中』とはまったくの無関係です。人里離れた田舎の女子校が舞台、日常のなにげない一コマを積み重ねるようにしてできあがった一冊です。独特のちぐはぐなやり取りがあって、また少し普通から外れた人たちの優しさ、かわいさがあって、そしておかしみ。辻灯子の読者ならご存じでしょう。辻灯子の現代物は、決して派手じゃないし、描かれる人にしても特別ななにかというわけじゃない。けれど、一人一人が他の誰でもない顔、個性を持って、すごくチャーミングで、そこに私は引きつけられるのですね。もちろんそれは『ただいま勉強中』でも一緒。由良や飛鳥のどたばたとしてけれどなんだか穏やかな時間、私はすっかりとらわれてしまっています。

『ただいま勉強中』のメインキャラクターは二人、と思ってたら四人!? 人の名前覚えられない、要領も成績も悪い眼鏡娘、由良。この人がやたらかわいいんだ。そいで、成績はいいけれど必要以上に自由な娘、飛鳥。どうも美少女であるらしく、かわいいもの好きの先輩からシャルロッテとあだ名されている。あとは、バレー部のかっこいい先輩(そう、かわいいもの好きの先輩だ)に憧れを隠さない陽気な娘、葉菜子。そしてクールでシビア、オカルトに通じまじないをよくする千里。けど、これで全部じゃないですね。先生が加わることもある、バレー部先輩、スポーツ特待生がメインに出てくることもある。美術部面々が大きく関わることもあるといった感じで、登場人物がこれと固定されていません。この流動的なるところ、私はおおいに魅力と感じています。

それがどうして魅力なのか。それは、物語の舞台である学校、その世界が小さくまとまることなく、広がりを持つからなんではないかと思います。どんなクラブがある、どんな同好会があって、それぞれがどんな方針で活動しているか、その違いがわかってくるのも面白い。学校の個性だってわかります。スポーツ特待生が全国から集められているところをみても、この学校がスポーツに力を入れていることがわかるし、けれど良妻賢母育成機関としての女子校の伝統を引き継いでいるところもある。とまあ、こんなことがわかったからどうなのかと思う人もあるかも知れないけれど、背景が感じられるというのはそれだけで強さです。ああ、彼女らはそうした場で、そういう雰囲気の中で過ごしているんだ。一種のリアリティでしょうか。ささやかな描写でも、それが何層にも積み上げられることで、物語られるなにかが生まれるのです。そのコマの背景に描かれている、ほんのちょっとしたことであっても、意味を持って立ち上がってくる。辻灯子の漫画は、どれをとっても、読み込みによって生じる味がありますが、そうした性格は『勉強中』にも健在で、読むほどに、踏み込むほどに、面白さ、楽しさ、近しさは増すのですね。

だから、もしかしたらこの人の漫画は人を選ぶのかも知れません。けど、読み込まなければわからない、一見さんお断りというような漫画でもなく、例えばこの漫画に出てくる人たちの魅力、ちょっとした言葉に感じられるその人のかわいさ、いとしさは、読むものを引きつけるに充分な力を持ったものであると思うのですね。型にはまらない、それこそ変わった娘たちばかりだけど、いやな人はいない。みんな素直でいい子で、まっすぐな頑張り屋で、けどたまにはくじけたりもしてという、本当、人間が愛おしい。そんなところが読むものの心をつかんでしまうのだと思っています。

  • 辻灯子『ただいま勉強中』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年6月6日金曜日

夏色ショウジョ

 怖い顔して変態変態と連呼する女の子のアスキーアートがありますが、私はあれがどうにも気になっていまして、それで調べてみたことがあったのです。変態、アスキーアート、元ネタなどのキーワードで検索、結果を片っ端から開いてみたところ、『うえきの法則』の森あいというキャラクターがオリジナルであることがわかりました — 、ごめん、嘘。そっちは、変態だーの元ネタですね。私のいっているのは、綾瀬さとみ『スケッチ』の一コマ。『夏色ショウジョ』に収録の短編です。エロ漫画らしいのですが、どうも内容を知れば知るほど自分の趣味ではなさそうで、果たしてどうしたものかと思っていたら、あれはいいユリ漫画ですよとのこと。そうなのかあ。じゃあ買ってみようか。以上のような経緯をもって、購入にいたったのでした。

『夏色ショウジョ』は八編収録で、『スケッチ』はその七つ目だったものだから、頭から六編を通過することになって、そうしたらいやあえらいマニアックだな、この漫画。基本的に馬鹿な話が好きなのかなあと思うのですが、それと同じくらいネガティブな話が好きなのか、一般受けしそうのって二三編ってところかなあ。エロを求めて読むというよりも、作者の個性、話の持っていき方、ひねり方、それからギミックを楽しむ読み方が主という感じです。だって、ネタバレになって申し訳ないけど、自慰で怪人(変態?)に打ち勝つだとか、結構嫌いじゃないんだけど、呪いのせいで肥満体になってる男二人と行為の最中焼き肉食べるとか、変にテンポがよくてめちゃくちゃ面白いんですが、そしてヒロインがブサイク好きのうえデブ専だったと明かされるシーンのあの表情、ちょっと待て、ヒロインがこうでいいのんか? この人、美少女だったんじゃないのんか!? 以上が馬鹿な話だとすると、ネガティブな話は、ものすごい泣き顔のあとで年下の幼なじみが転落死するとか、しかも楽観的なラストを二段落ちで裏切りながらの死亡、ぎゃーす! 後味悪すぎ。けど、あの表情は悪くなかった。美少女をあそこまで崩して、なんだか精神のぎりぎりさ加減がよく出ているようで、それで望まれる甘さを提示し、けれど甘さに逃げないところはよいなあと思って、けど、あんまり好んで読みたくないなあ。これが正直なところです。

さて『スケッチ』です。これもまたきつい。ヒロインがふたり、ひとりはおとなしそうな娘、由里、眼鏡、美術部。もうひとりは、ひろみ、小学校中学校と由里を執拗にいじめ続けていた女。由里がスケッチブックに向かうシーンと過去のいじめの場面が次々カットバックされるのですが、これが実に容赦のないもので、私には少しきつすぎます。けれど、そのつらさ、痛ましさが計算づくというのは大したもの。鬱屈に鬱屈を重ねた末に、その鬱屈を反転して見せるというどんでん返しが見事でした。読んでいるものは、由里の内面にたわめられたエネルギーを見たはずで、そしてそれが解き放たれるかと思われた瞬間、見開き大ゴマを埋め尽くすのは由里の投げ上げた大量のスケッチ。続くページ中ほどには問題の変態連呼のコマがあり、そして由里の思い掛けないモノローグ。ページをめくるごとにエネルギーが開放されていく、その畳み掛けは素晴らしかったです。

惜しむらくは、ページの少なさ。24ページにぎゅうぎゅうに押し込まれたコマは少々息苦しくて、けれどその息苦しさはストーリーの印象に少なからず影響しているとも思われて、けれどもう少し余裕があれば、前半の鬱屈の度合いを高めることは可能であったはずだから、ラストに向かう勢いはより以上のものになったんではないか。過去のエピソードがもうひとつふたつあれば、もっと転換時の驚き、開放されていく際の高ぶりを増すことができたんじゃないか。こうしたことを思うのも、漫画の出来がよかったからだと思います。実際、初読ではえっと思わせて、読み返しで仕掛けを満喫させてといった類いの漫画です。読み返すそのたびに屈折した感情に引き込まれると感じる。エロ漫画としては異色ではあるけれど、エロ漫画でなければこの仕掛けは生きなかったかも知れない。そうしたところも面白い漫画であると思います。

ところでこの漫画の一番の被害者、それはとばっちり受けて沈黙させられたあの男だと思います。まったくの当て馬、それも本来の意味どおりの、でした。

  • 綾瀬さとみ『夏色ショウジョ』(ワニマガジンコミックス) 東京:ワニマガジン社,2002年。

引用

2008年6月5日木曜日

たのしいいちにち

 だんだん充実していく、こぐまちゃんの絵本。最初は思い出の絵本『しろくまちゃんのほっとけーき』、次いで『こぐまちゃんいたいいたい』。そして、新たに加わったのが『はじめてのこぐまちゃん』三冊セットです。『たのしいいちにち』、『じどうしゃ』、『どうぶつ』の三冊が一そろいにまとめられているもので、はじめてのと銘打たれているとおり、対象年齢は零歳から。姪は今、一歳半ってところですから、今のこの時期を逃すともう与える機会が永遠に失われる、ってそんなに大げさな話ではないんですが、でもどうせ与えるなら丁度その効果的な時期がいいじゃありませんか。というわけで買ったんですね。

零歳児からということで、内容は極めてシンプルです。『たのしいいちにち』、朝起きてから寝るまでが数葉のイラストで表されていて、あさごはん、はみがき、すなあそび、おふろ、おやすみなさい、五つの場面ですね、左ページにこぐまちゃんが、右ページには歯ブラシ、シャベル、洗面器といった、それぞれの場面で使われる道具が描かれている、これが基本的な構成となっています。

この絵本には、台詞といったものがまったくありません。またストーリーというものもなく、ただ場面が道具とともに淡々と示されるだけ。だから、子供の興味を引くかどうかは読み聞かせをするものの力量次第であるといってよく、子供と一緒にページ見開きに広がる、かわいくカラフルなイラストを見ながら、どれだけ語りかけをできるか、どれだけ物語を紡げるか、その能力が試されるといっても過言ではありません。でも、あんまり難しく考えることはなくて、ええ、大人も一緒に楽しめばいいんでしょうね。子供の頃を思い出して、読み聞かせてもらった絵本のこととか、そして、あさごはんなら、朝ご飯の風景思い出しながら、感じたことを言葉にして、ひとつひとつ伝えていければ素敵だと思います。台詞もなにもないというのは、こぐまちゃんをとおして、私の世界を語りかければいいってこと。ええ、親なら親として伝えたいこの世界のこと、親でなくとも、先に生まれたものとして、後に続くものに伝えたいことを、自由に、それこそアドリブで、即興で、喜びとともに伝えることができたら、どんなにかいいだろうかと思うのですね。

けれど、最近姪は外遊びが好きなんだそうで、絵本の出番は少ないとのこと。でも先日梅雨入りしたから、また絵本を読み聞かせることも増えるでしょう。晴耕雨読、晴れたら外で、降ったら家の中で、その時々の楽しいことをさせてやるのが今は一番なのかなと思います。

  • 若山憲『はじめてのこぐまちゃん』東京:こぐま社,1995年。
  • 若山憲『たのしいいちにち』(はじめてのこぐまちゃんシリーズ) 東京:こぐま社,1994年。
  • 若山憲『じどうしゃ』(はじめてのこぐまちゃんシリーズ) 東京:こぐま社,1994年。
  • 若山憲『どうぶつ』(はじめてのこぐまちゃんシリーズ) 東京:こぐま社,1994年。

2008年6月4日水曜日

Real Clothes

 手帳を見れば、5月19日のメモ書きに、Real Clothes 4, 達也、あれは最低だと書かれていて、そう、達也、あれは最低な男です。病院の待合で連載を追っていた時から、この糞のような男はー、とむかむかしていたんですが、単行本で読むと格別ですね。だって、最初にいっていたことと全然違うんだもの。最初は、仕事がんばれ、応援するよみたいなこといってたくせに、具体的に結婚が見えはじめると、仕事やめてくれ、俺についてこい、そして極め付けはこれ、どうせやめる仕事だろ 適当にしろよ! 殴りまではしなかったものの、手を上げて鉢植え壊してこの台詞。第23話と第24話の間で、アブダクションでもあって改造受けでもしたのか!? と思うほどに人が違ってしまって、いやあ、びっくりしましたね。けど、21世紀になっても、まだこうした台詞、場面が登場する女性コミックの世界。それはつまり、こうした現実があるということなんでしょうね。

でも、実際の話、どうなんだろうとも思うんですが。というのは、あんまりプライバシーに関わることを書くと私の命が危うくなるのですが、うちの姉の話、共働きなんですね。仕事やめるという選択肢もあったらしいんですが、けれど現実問題として、妻は専業主婦というのは、夫側がよほど恵まれた条件でないと成立しない形態と思われて、実際どうなんでしょう。私のまわり、共働き、多いんですが、ほんと、どうなんでしょう。伝え聞くのも、結局家事は私かよ、みたいのが多いんですが、どうなんでしょう。まあ、このへんはどうでもいいや。問題は、達也だな。ああ、もう、綺麗さっぱり切れてしまえ。いったいなにを迷う必要があるんだっていう話です。やつとの関係に意味があるとすれば、それはただ二人の間に流れた時間、共有された経験、いわば歴史のみであって、それがここまでないがしろにされるというのなら、結婚後の不毛は目に見えている。こういう男はだな、結局は都合のいい、自分の理想どおりの女が好みなんであって、ちょっとでも自分の思ったとおりでなくなると、こんなはずじゃなかった、君がそんな人だっただなんて思いもしなかったよ、そんなこと言い出しやがるんだよ。なにいっていやがんだ、お前が勝手に夢見たんだろうよ。ありもしない妄想にとりつかれてたのはお前だろうよ。こういう相手と付き合うと、早晩相手の理想との戦いに疲れ果てることになる、相手の押し付けてくる一方的で勝手なイメージに辟易するというのがパターン。はい、私も気をつけます。こういうことをいっている私からが、相手に勝手なイメージを押し付ける傾向をもっています。

『Real Clothes』第4巻は、約束不履行男達也との別れの巻であります。正直、私はこのへんの流れにかなりげんなりしていたから、この破談は大歓迎。よくやった田渕! けれどこういう反応を返すあたり、私はこの漫画がターゲットとする層には含まれていないんだろうなという気がしまして、だって恋愛と仕事、結婚と仕事を天秤にかけるという、女性にとっては大きな問題を、私は一も二もなく仕事だろうと、考えるまでもなく仕事だろうと、決めつけるがごとく結論づけているわけですから。そう、私は働く女性ものを読みたいんですよ。だから、達也のような男は敵でしかなくて、とりあえず早々に撤退お願いしたい。働きたい、よい仕事をしたい、という気持ちがあって、そこに普通ならあり得ないような絶好の舞台が御膳立てされて、そんな幸運のシンデレラそのもののヒロインが、恋愛の行方云々に足を引っ張られている状況、はっきりいって我慢ならん。こんな私ですから、この先、まだ恋愛の喪失を引き摺っているヒロインが、気持ちのもやもやを吹っ切り、エネルギーを取り戻して、仕事に邁進し、そしてそこでなにを実現するのかに期待してしまうんだと思います。間違っても田渕に恋愛感情をもって云々みたいにはならんでしょう。仕事をする女性としてのヒロインを見初める誰かが出てくる、こんな安易な展開もないでしょう。じゃあ、どうなるのか。仕事に生き、しかし仕事だけではない、仕事も私生活も充実した、そしてその位置をつかみ取ったのは、他でもないヒロインその人だ。そんなところに落ち着くことを期待しているってわけなのです。

待合室に提供されるYouは数ヶ月遅れなので、いま絹恵がどうなってるかはわからんのですが、いつまでもこのぐずぐずとした状況を引き摺ることはないでしょう。状況を乗り越え、力強く歩きはじめる。私はといいますと、その時を心待ちにしているのであります。

  • 槙村さとる『Real Clothes』第1巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社.2007年。
  • 槙村さとる『Real Clothes』第2巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社.2007年。
  • 槙村さとる『Real Clothes』第3巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社.2007年。
  • 槙村さとる『Real Clothes』第4巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社.2008年。
  • 以下続刊

引用

  • 手帳
  • 槙村さとる『Real Clothes』第4巻 (東京:集英社.2008年),71頁。

2008年6月3日火曜日

そこはぼくらの問題ですから

 近況です。バーコード読み取りのできる携帯電話があるという話題から、バーコードファイター、ヒロインが男と話題が飛んで、そして最後に行き着いたのは『はなマルッ!』というゲームでした。これ、ヒロインのひとりが男ということから物議を醸したというんだそうですね。私はその方面には疎いもので、まったく知らずにいたのですが、しかしその男ヒロインについては絵で知っていました。どこだったか画像掲示板に貼り付けられていたのを見て、こ、これはなんなんだ!? 女の子じゃないのか!? ひとしきり混乱して、結果記憶に焼き付くことになって、そしてやっと出会った! とはいえ、今日は『はなマルッ!』で書くつもりはありません。今日の漫画は『そこはぼくらの問題ですから』であります。

帯にいわく、美形変態 VS 女子高生。この変態という文言が私をしたたかに打ったのですね。なんせ女装美少年に強烈なアトラクション感じてしまっている変態ですから、私は。帯裏表紙側を見れば、なにやら変態に愛される女子高生ヤエコが超絶美形にして変態の六朗と同居する羽目になってしまったとかありまして、加えてドS、幼女趣味ロリコン美少年信奉者ショタコンの表記も。わお、こりゃすごいコンプレックス複合体だな。気に入った。ドSというのは少々気掛かりだけれども、ロリコンとショタコンの複合は非常に興味深い。といったわけで、買ってみたのでした。

やられました。ドSとロリコンとショタコンがそれぞれいるのね……。それに、あれ別にサディスティックとは思わないし、だって自分の欲望を遂げるために刃物で脅すのは嗜虐趣味とは違うよ。ただの自制心のないサイコパスだ。でも、この人はまあ変態といってもいいと思う。レズビアンだからじゃなくて、嗜虐性もってるからでも、フェティシストの嫌いがあるからでもなくて、その欲望を抑え適切に処理できないという点において異常性欲の持ち主といっていいんじゃないかと。じゃああとのロリコン、ショタコンはどうかというと、あれくらいだったら普通ですよね。かわいく着飾った少女が好きな男、金髪の美少年が好きな女、別になんもおかしくない。自らの欲望を満足させるために、他人を踏みにじることに躊躇がないようなソシオパスならともかくですよ、これくらいの傾きなら社会は許容するでしょう。それに、自分の性質を理解し、変態であると自覚したうえで、法に抵触するような可能性を極力排除しようというのなら、むしろ安全じゃないか。

じゃあ、この本において危ないやつとは誰かといえば、ひとつは前述の、自分の欲望にブレーキがついていないやつ。そしてひとつは、相手をいったん変態と認識すれば、ありもしない妄想で現実を覆い隠し、相手の人格を否定しないではおられないやつ。そう、ヒロインです。いくら幼少期からのトラウマがあるとはいえ、思い込みから傷害に及ぶは、自分から提示した補償であるのにあたかも無理矢理やらされているかのようなことをいうは、なにもしていない、なにをしようともしていない人間にありもしない罪を着せようとするは。これほど共感できないヒロインも珍しい。そんな風に思います。

だから、多分このヒロインが変態、おおっときちっと区別しておこう、自身の欲望を抑えられないタイプの人間を引きつけるのは、ひとえに同類だからなんですよ。類は友を呼ぶといいます。この人の、自己中心的で相手をまっすぐ見られないところ、自己中心的なのに自分自身も見つめられないところ、自分の現実、思っていることやあるいはコンプレックスを受け止めることができず、ちょっとしたことで過剰な反応を見せる、そうした要素がアクティブな同類を引きつけてしまうとしか思えず、だからこんな女に関わりを持った六朗さんは不幸だなあと心の底から思います。けれど、どうやら愛というのは不条理、不合理、理不尽にできているらしく、思い違い、勘違い、思い込みから、六朗は、よりにもよってこんなヒロインに惚れてしまうときた。なんでやねん!

でも結局は愛というのは理屈じゃないんだろうなあ。この漫画読んで、本当にそう思いました。私もちょっとはわかるんですよ。昔、人を好きになったことがあって、結局どうともならなかったんだけれど、それどころか、思いもかけない邪魔が入って、介入してきた女ともどもその好きだと思っていた人を切り捨てざるを得なくなって、あん時には荒れました。まわりに当たり散らしたりはしなかったけれど、喪失感やストレスから過食におちいり、その後数年引き摺りました。だから、ちょっとわかるんだと思います。気持ちを持て余してしまうってことや、一度好きになれば相手がどんなであっても、自分の本来の対象とは違っていたとしても、かまわなくなるってことなどなど。まあ、そうした気持ちが純粋な愛とか恋などいうものなのか、それともただの思い込みなのかは知りません。でも、そういう状況にはまってしまうと、人間は自分の気持ちすら制御できなくなるのね。極端から極端、多幸感から不安までの落差をいったりきたりする。そんな気持ちの激しく揺れ動く様子なんかは、この漫画の落ち着きなくばたばたとした表現に、また思った以上に暴力的なギャグ表現によく表れていて、ああ、愛だとか恋だとかは、つくづく一大イベントだと思います。けど、当事者にはそれでいいのかも知れないけど、はた迷惑なもんではありますな。けど、それがどんなにいびつでも、できあがった二人にはそれでいいのです。とりあえず冷めるまでは。

しかし、この変態にトラウマありといって異様にかたくなであったヒロインは、結局は美形の前に敗れ去ったわけだな。と、こんなにヒロインに対していけずな私は、つまりは六朗さんに同情しているからで、だって、彼なにも悪いことしていない。困っているヒロインを助けにいったら割れたガラス瓶で切りつけられて、治るまで世話をするといって押し掛けられた上に、あれこれ難癖つけられて、大切なものも壊されて、でもまあ勘違いから好きになっちゃったんだ、円満解決だよね、ってだからこれは冷めるまでだって! この愛の命は短いよ、などと執拗に言い募る私は、どうやらヤエコに嫉妬しているみたいです。

ろ、六朗さんは、あんたなんかには渡さないんだからねっ!

引用

2008年6月2日月曜日

ニチバン テープのりDS

 手紙を書く、雑誌アンケートを書く、そうした際に避けられないのはのり付けでした。封筒をとじる、アンケート用紙を端書に貼る。今までは水のり(合成のり)を使っていたのですが、これ、どちらかといえば使いにくいタイプののりでして、チューブから均等に出すのは難しいし、出しすぎるとべたべたに、少なすぎると貼り付ける前に乾いてしまって台無しに、どうにもやりにくさがつきまといました。手を汚すことをいとわなければ、もう少しうまくできたのかも知れませんね。でも、手にのりのつく感触がどうにもいやだったものですから、なんとかうまいことやろうとして、結局あんまりうまくない結果になっていたように思います。

こんな具合に、長いことのり付けは悩みの種になっていて、なんかうまいやり方ないかなあと思ってきたのです。何年か前にはスティックのりを使っていましたが、あれは最初はいいんですが、だんだん粘着力が落ちてきて、しっかり貼り付けられなくなるという弱点があって、手を汚さないこと、使い回しのよさという点では合格でも、貼り付け強度、信頼性という点では不安が残る。だから合成のり。でも、あんまり好きじゃない。どうしたものかなあ。そう思っていた私にもたらされたのが、テープのりに関する情報でした。

テープのりというのはずっとなじみがなかったのですが、修正テープののり版であるといったらいいでしょうか。プラスチックケースに収められたのり付きテープを転がして、紙にのりを転写して使うようですね。見たところ、使い勝手はよさそう。少なくとも手を汚すようなことはないだろうなあと思われて、そして評判の良い商品があるといいます。それはコクヨのテープのりドットライナーでした。

ドットライナーの評判を聞いて、コクヨのページを見てみたところ、確かに悪くなさそうな感じです。のりをドット状に配置することで、のりの切れをよくし、それでいて粘着力を落とさないための工夫がなされているとのこと。開発ストーリーなんかは、読んでいて実に面白く、よしドットライナー買ってみよう。勇み立って訪れたのは梅田紀伊国屋書店。そしたら、ドットライナーはホールドタイプしか置いていなくてですね、ありゃあ、これは予想外。他にあったのはトンボのピットテープのり。うーんどうしようか、迷っていたら、もう一商品見付けまして、それがニチバンのテープのりDSでした。

テープのりDSのDSとはDot Stamperの略だそうです。普通に引いて貼ってもいいし、あとはスタンプ押すみたいにして小口ののり付けも可能だといいまして、まあスタンプはどうでもいいとして、ドット状ののりがドットライナーを思わせたものだから、しばらく迷った末、これを買うことに決めたのでした。やっぱり詰め替えテープの供給を考えると、通勤途中に買えるものが望ましいし、ボディはちょっと大きめだけど、当座持ち運ぶつもりもないから、これでいいや、迷った割にあんまり考えていません。

実際使ってみた感想はというと、封筒のり付けには理想的といえるでしょう。封の折り返しにテープを走らせてやると、のりがしっかり転写されます。そのあまりの楽さに、粘着力はどうだろうと心配したら、これがこれが、問題ないですね。しっかりと貼り付いて、こりゃなかなかにいいですよ。コストパフォーマンス考えたら合成のりには劣るのかも知れませんが、使い勝手を考えると比較にならないアドバンテージがあります。これまでは、のりをできるだけまんべんなく塗ったあと、ティッシュペーパー使って余分なのりを追い出してきた、そういう面倒な作業がなくなります。台を、手を、紙を汚す心配もないし、水のり特有のべこべこの仕上がり、あれを避けることができるのも、非常に嬉しい。ああ、文具は進歩しているなあ、本当に心からそう思いました。

ニチバン:テープのりDS

2008年6月1日日曜日

すてきなムコさま

   眼鏡ヒロイン特集の四日目。ん? いや、ヒロインじゃないや。『すてきなムコさま』、魅惑の眼鏡は、皆に愛されるムコさま、ツヨシさんです。上村家の婿養子。気が利くムコさま、家事に仕事に精を出すムコさま。表立っての活躍よりも、誰にも気付かれずそっと手助けしておいてくれるような、そんな靴屋の小人的活躍が光るナイスな青年、それがツヨシさんです。そのこまやかさは、誰もが一目置くほどの徹底ぶりで、なにか困ったことがあったら彼に聞くといい。きっと助けてくれるに違いない。いや、聞くまでもなく助けられているのです。知らないうちに、気付かないうちに、彼の気配り、心配りがより快適で暮らしやすい空間を作り上げている。その恩恵は、彼を失ったときに気付かれることでありましょう。

連載のはじまった当初は、ツヨシもそんなにできる男ではなく、妻であるさやかさんとはしょっちゅうぶつかってたし、お義父さんも結構彼を邪険に扱っていたものでした。さやかさんのご機嫌を損ねては、投げられたりプロレス技かけられたりと、散々な目に合わされて、けれどそれではさすがにもたないと思ったのか、ツヨシさんは変わった。完璧な男に。そつなく、家族の、皆の仕合せを支える男に。その結果が、皆に頼られる婿、夫である今のツヨシさん。さやかさんには頼られ、お義父さんには甘えられる、そんな男になったのでした。

しかし、それにしてもツヨシさんの気配りはすごい。これはさすがにないだろうというものでも出してくる。転ばぬ先の杖という表現がぴったりくる先読み力で、家族の生活をサポートしている。あんまりな有能ぶり、その完璧さがネタの根幹になっていて、まさか、いやしかし彼なら! その期待を裏切らないどころかさらに上回るツヨシさん。けど本当にすごいのは、二段三段で意外性を積み上げる作者でありましょう。本当、日常にふと見かける景色風景出来事を出発点として、それをこうひねるんだ! よくよくの発想力。本当、漫画家というのはすごいなと思います。連載の当初から少しずつ積み上げられてきたものが、キャラクターの個性、漫画の世界を支える実質となっていく。富永ゆかりは決して派手な漫画を描く人ではないけれど、地道に漫画の内実を高めていく丁寧な筆致は、ただならぬものがあると思います。あくまでも自然で素直だから、読み手を圧倒したり身構えさせたりはしない。けど、その裏側では並々ならぬ努力があるんだろうなあ。ツヨシさんのあり方 — 、面倒、苦労を決して人に見せない。この作者こそは、そうした人であると思います。

さて、漫画の話に戻りまして、あまりに完璧といってきたツヨシさんですが、実は完璧ではないんです。時にやり過ぎてしまう。こまやかに見えて、いたらぬ部分も持っている。けど、そうした部分があるからこそ、このツヨシさんという人を堅苦しいだけと感じないんだ。それに助けている、支えているのはツヨシさんひとりじゃない。ツヨシさんもまた家族の皆に支えられていることがわかります。妻さやかさんも、父さん、母さんも、それなりに欠点を持ち、また当然ながら強みをもっていて、そうした個性がお互いの足りない部分を埋めている。時に温かく、時にずるく、時にわがままに、時に思いやりをもって、家族としての機能を支えている。皆がお互いに理解しあい、愛しあっている、そんな家族ものなんですね。上村家に入ることのできたツヨシさんは仕合せものだと思います。皆が、お互いを受け入れる苦労を苦労と思わず、努力を努力と思わず、自然に、普通に、ありのままに、自分らしいスタイルでいられるのは、やっぱり家族愛なのでしょう。愛あるからこそ、あんなにも皆チャーミングなんだろうなあ。いや、本当。とりわけお義父さんがそう。信じられないほどチャーミングで、女性陣をかすませる勢いなんですから。

ともあれ、こんなに居心地のよさそうな家庭もの、読んでいるこちらもなんだか仕合せ気分です。だから私も、少しでも現実を仕合せなものにするために、相手のことを思いやれる人間になりたいと思います。上村家の人たちみたいに、愛すべきものとなりたく思います。

  • 富永ゆかり『すてきなムコさま』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2004年。
  • 富永ゆかり『すてきなムコさま』第2巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2006年。
  • 富永ゆかり『すてきなムコさま』第3巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2008年。