2008年5月3日土曜日

コンシェルジュ

   コンシェルジュ』、これは駄目だ。健康な生活を破壊する。私がこの漫画をはじめて読んだのは、4月30日水曜日のこと。試し読みの1巻があまりに面白かったものだから3巻まで買ってみたところ、それこそ予想した以上の読みごたえでした。それですっかり打ちのめされて、翌日5月1日残る既刊を揃えたらば、その日の就寝午前5時。連休中にゆっくり読めばいいのに、やめられなかったのですね。でも、一通り読んだのだから、もうおさまるだろうと思ったらそれが甘かった。なんの気なしに手に取ると、やっぱり止まらない。昨夜の就寝午前4時。って、いったい私はなにやってるんだろう。面白いのはわかるけど、何周も何周も読んで飽きないっていうのは尋常ではありません。もはや中毒といってもいいくらいです。

いや、本当に考えなければなりません。この数日、漫画読むことに精力傾けすぎて、日課を全然こなせていないのです。かろうじてBlog、サイトの更新はやれているけど、その他がまったく駄目です。ギター弾く時間は減ってるし、ペン習字の練習もとばしてるし、日記さえつけていない。買った雑誌も読んでないし、ゲームだって滞ってる。問題です。ただでさえ時間がなくて、やるべきことをこなせないと日頃からいっているというのに、さらに輪をかけてなにもできない。ちょっと『コンシェルジュ』は箱詰めしておく必要があるかな、そうして隔離しておく必要があるかなと、それが正直なところであるのです。

しかしこれほどはまるとは思いませんでした。読んで面白いし、それにためになる、それくらいのものだと思ったんですが、もうまったくの読み違いです。面白い、それは掛け値なし。ためになる、そう、忘れがちのこと、心を砕くということの意味を思い出させてくれる。けれどそれだけじゃない。その先があるのです。その先、それはこの漫画の語りかけてくることです。私たちの世界にはいろいろな人があって、人が人と関わるというところにドラマがある。これがこの漫画の描くところであるのですが、しかしただ絵として、筋書きとして提示されるだけだったら、私は、ふーん、面白いね、それにためになる、それだけで終わらせたでしょう。ところが、それだけで終わらなかった。終われなかったのは、この漫画が描いていることを漫画そのものが実践している、そう感じさせたからです。読み手に楽しい時間を提供すること、それを当然の前提として出発し、その上に更なる積み上げをやっています。それこそ、細部にまで神経を行き渡らせているというべきか、ホテルの従業員や設備、小道具などは可能なかぎりの一貫性を持って描かれているから、よくよく読み込めば、表立って語られていないことも見えてきます。

例えば、5巻から6巻にかけて展開された「ハート・オブ・ザ・クインシーホテル」。ここで提案された数々の改善案。ストーリーの上で採択されたものはふたつ、そのように感じられますが、実はまだあるんですよ。それは9巻「王様のもてなし」を見ればよくわかります。けど、こうしたさりげないものだけじゃありません。私の特に好きな神戸のシリーズ(9-10巻)。あの一連の話の結論は、実は一番最初にそれと明確に示されています。11巻「人の器」、そのテーマは実に3巻「ニューフェイスは完璧主義者」からのロングパスです。前者は事前に意図して設計されたものでしょう。後者は、ひとつの話を作るにあたり、過去のテーマを掘り起こした例でしょう。この掘り起こしは、ただテーマを反復し印象を強めるというだけでなく、そこで語られていることを理解し、自分の言葉として伝えられるまでになったという成長、人間性の深まりを雄弁に表現しています。

ディテールへの傾き、そして構成の工夫、これらは個々のテーマを強調し、印象づけるだけでなく、『コンシェルジュ』という作品を貫徹するカラーを決定し、その個性を際立たせます。ただ職業ものをやっているだけのつもりはないし、なんだか含蓄ありそうなことをしゃべらせればうけるだなんて思っちゃいない、そういう作り手の自負が感じられて、そしてそれら徹底した作り込みを読者に伝えるための表現が素晴らしい。キャラクターが生きている、それは絵の力でしょう。個性、性格が立ち居振る舞いから読める。キャラクターの登場時に見られるぶち抜きの立ち絵は、そのキャラクターの魅力を前面に押し出したピンナップ的サービスでありながら、その実、彼彼女はこういう人なのですよ、そして今この人はこんな気持ちでいるんですと告げる紹介であるのです。端々に見られる表現の上手は、明らかにこの作品の説得力を支えるしなやかにして強靱なばねです。それは言葉に、筋に、内容に、実を与え、そして実を奪いさえする。そう、心のうちから発せられた声に真実の輝きが与えられたかと思えば、なおざりな言葉、安易な受け売りに対しては、その軽薄であること、うかつな様をはっきり伝えてくる、そんな漫画なのです。

よいものに触れた時など、その感動を俗にしびれるなどと表現することがありますが、実は私は文字どおりしびれるのです。両手の指の関節が、しびれたようになってむずがゆくなるのですが、『コンシェルジュ』を読んでいる時には、本当にしびれっぱなしです。もちろん好きで好きでたまらない話があれば、それほどと思うようなのもある。それは実情、すべてを最高だなどとはいいません。けれどこと『コンシェルジュ』という総体に関しては、最高であると自信を持っていえます。真面目なテーマを扱いながら、遊び、小ネタ、けれん、皮肉なんていうものもたっぷりと盛り込んで、しかしそれがバランスよくおさまってる。いや、たまに遊びが過ぎるようなこともないわけではないけれど、でも真面目ばっかりでもない、遊びばっかりでもない、両者を程よく掛け合わせて、楽しさ、面白さ、こっけいさ、爽快さ、そして深さや感動 — 、多種多様な印象をちぐはぐでなく盛り合わせてくれる、この感触は一級です。しかもここにまだ伸び代を感じさせるというのですから、本当、恐るべき漫画であると思います。

  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第1巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第2巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第3巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第4巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第5巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第6巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第7巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第8巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第9巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第10巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第11巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第12巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2008年。
  • 以下続刊

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