2008年5月8日木曜日

乙姫各駅散歩

 『乙姫各駅散歩』の単行本が出ると知った時、嬉しかった。龍宮からやってきた乙姫が浦島太郎の子孫の家に居候をする。それだけの漫画です。けれど、それだけのことがこんなにも豊かに感じられるんだから、まったくもって侮れません。まだ幼さを残す乙姫のまわりには、ゆったりとして穏やかな時間が流れていると感じられて、読んでいるだけでやすらいだ気持ちになれます。浦島太郎の子孫である江太は、少々線は細いけれど、優しくて情の深い少年で、乙姫にちょっと引かれるところもあるのかな。けれど恋愛のそれというほどでもない。だからといって友人のようでもない。ちょっと恋するような憧れをもって、家族というか親戚というか、そういう近しい距離にいる、そんな彼らの出会う風景が愛おしく感じられて仕方がないんです。なんだかすごく幸いな漫画、情の深さ、温かさが染みてきます。

そして私はこの漫画を前にして、なにを書いたらいいんだろう。はじめての地上世界で出会うものことすべてに、驚きと興味を隠せない乙姫が輝いて見える漫画です。乙姫をまるで実の娘のように受け入れてかわいがる江太の両親に嬉しくなってしまう漫画で、引っ込み思案の江太を後押ししてくれるナイスガイ町田に男惚れしてしまう漫画で、そして江太の初々しさに目を細めてしまう漫画。けど、こんなこといくら書いても、ちっともこの漫画の魅力にはたどり着けないような気がします。乙姫や江太、さらには江太の母もなんですが、やたらかわいく思えても、それが魅力のすべてではない。皆がそれはそれは仲が良くて、心配しあったり、助け合ったりする様子に胸の奥がじんとすることがあっても、それを取り上げてなにをか語ったつもりにはなれません。

じゃあ、いったいなにが魅力なのでしょう。そう考えると、実に難しい。今まであげたようなこと、それらがすべて混ざり合った総体が魅力であるのは確かだけれど、そこには言葉にしにくいなにかがあって、どうにもつかみあぐねていると、そのように感じるのです。理性よりも情緒の世界、不確かだけれど確かで、けれど、確かなつもりでいると取りこぼしてしまうような、そういう危うさがある。だから私たちは、驕りを棄て、素直な気持ちで、確かめ続けないといけない。それが大切であると思うなら — 。こうして書いてみれば、私がこの漫画に感じる魅力というのがなにであるか、少し見えてきたように思えます。

それは、愛おしい人や世界が、そこにあってくれるということの幸いであるのではないでしょうか。傍にあれば当然と思い、しかしそれを当然としてないがしろにすれば失ってしまう。この漫画には、その失われるかも知れないことを内心怖れる気持ちがあって、だからこそ今のこの時間を愛おしんでいる、そんな傾きが感じられます。そして、その愛おしむ気持ちが私の心に触れるから、私もなんだか彼らの世界や時間をともに愛おしみたく思うのです。これは、つまりは、愛なのでしょうか。幸いと安らぎが心にあふれてたまらない、その源泉は愛に似た感情であるのかも知れません。

  • 矢直ちなみ『乙姫各駅散歩』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

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