2005年8月16日火曜日

昭和史の論点

 最初に断っておこうと思います。私は日本史がおそろしく苦手です。なんというか、ちゃんと正規の教育を受けてきたにも関わらず、どうしてもよくよく覚えることができなくて、なんの事件がいったいどういう事象に関わっているとかがピンとこないのです。断片的な事象、例えば原爆投下とかいくつかの大空襲とか、ちょびっとくらいは知ってはいますが、じゅあそれっていつなのさって聞かれるとしどろもどろ。そもそも年号(四桁の数字)が覚えられないという性質のためでもあるのですが、あまりにも情けないですね。

とまあ、こんな歴史に弱いのが私という人間です。もう笑っちまうほどもの知りませんから。本当にみっともない話です。

そんな私が読んで面白いと思ったのが『昭和史の論点』。あの戦争に向かっていく過程や、あの戦争で成されたこと、そしてその結果というのが、ざっくばらんな雰囲気の中で話されて、私はというと、そういえば漫画『日本の歴史』に戦艦保有比率のどうのこうのが図示されていたとか、社会科の授業で教師のいった「松岡堂々退場す」の文言を思い出すとか。結局のところ私の知識は面ではなく、線ですらなく、途切れ途切れの点々に過ぎないと確かめたようなものでした。

そんな点の知識しか持たない私ですが、この本を読んで、いろいろなことを新たにあるいは改めて知って、確認しながら、あの戦争にからむいろいろをちょっとはわかるようになったと思います。だからこの本は大変ありがたかった。まずもって読みやすく、ことに事象だけでなくその裏っかわのいろいろや話している人の見解なんかも一緒くたに語られるから、ものの見方というのも学ぶことができる。なにぶん、ものを知らない間は他人の頭を借りて考えるしか手はないわけですから、そういう意味で、私はこの本を通じあの戦争について考えたようなものでした。

そもそも私がいかんのですが、昭和史近代史、こと第二次大戦に関する事柄はタブーみたいに考えて、触れず語らずといった姿勢をとってる。アウトプットをしないから、インプットも弱る。インプットがないからなおさら考えない、考えられない。悪循環があります。けれど、まったく関係ないのかというとそんなことはなくて、嵯峨野にあるうちの墓には星のついたのがあって、じいさんの弟ふたりの墓なのですが、二人とも兵隊にとられて死んでいます。水兵だったそうですから、多分水没です。複雑なのはその命日で、はっきりとは覚えてるわけではないから月までしか書けませんが、四十五年の八月とかそんなんです。それこそ終戦が一週間早まっていたら助かっていたかも — 、みたいにいうんですよね。私はもちろん会ったことのない人たちの話ですから、ふうんみたいなものですが、けれどやはり私の身近にも戦争は関係しているということがわかります。

今年は終戦から六十年ということで、ことさらに特集番組やなんかが組まれて、私も結構見たのですが、それでもまだ他人の頭で考えているという感触から抜けきれません。自分の頭で考えられないうちは、吹く風の向きによってあっちこっちにふらふらするばかりですからね。それではいかんなあと、この本を読み返そうかななんて思ったわけです。

かたいばっかりの本ではないです。開戦から終戦まで延々歩いてそれだけで戦争が終わったような師団の話や、食料補給のために牛を連れた部隊があったとか(牛を谷で落としてしまった話はいったいどこで読んだんだろう?)、そういうエピソードはなかなか面白く、けど本当はちゃんと考えると、それだけいい加減な命令で兵隊たちはあっちこっちにやられていたわけですからたまったもんではなく、水没した人、餓死した人はごまんといて、洒落にならない。本当に笑い事ではないんですが、そういったことは知らないうちはわからないんですから、やっぱり知っておいてよかったなと、おかげで戦後六十年目にして血縁者の最期を追想できました。

  • 坂本多加雄,半藤一利,秦郁彦,保阪正康『昭和史の論点』(文春新書) 東京:文芸春秋,2000年。

2005年8月15日月曜日

アメリカひじき・火垂るの墓

 昨日はアニメだったけれど、今日は本です。野坂昭如作『火垂るの墓』。戦争にまつわる短編集。戦場が描かれることはないのですが、銃後と呼ばれた国内にしても、苛烈であった様子がうかがえます。

食べ物がなかったんでしょうね。それはそれは餓えたのでしょう。聞くところによればあるところにはあった食べ物が、都市部なんかにはちっとも行き渡らなくて、それはそれは汚いやり取りもあったようで、このあたりの事情は『火垂るの墓』にも出てきます。結局は親の力、コネが物言う世界であって、なら親が徴兵されたり焼け出されたような子はどうだったのか。ひとつの例は清太節子の兄妹、そして久子文子の姉妹。どちらもあまりに痛ましい物語です。

これらの物語は、野坂昭如の実体験をベースにして書かれたものであることは容易に想像できて、特に『火垂るの墓』はそうです。氏が妹を亡くしているのはよく知られたことで、じゃああのアメリカ人にどうにも複雑な思い抱いた『アメリカひじき』の俊夫にしても、『焼土層』の善衛にしても、戦中から戦後に切り替わるあの時の、簡単には割り切れなかった感情のもつれや破片が投影されているのでしょう。私は、そうしたうずくような感情を追って見てみて、人間の弱さと、人間の悲しさと、そしてそれらをあらわに白日の下にさらさせた戦争の無慈悲を思ったものでした。

アニメの『火垂るの墓』は感情に効いて、やり切れなさも悲しさも言葉にならないほど。小説はというと、やはり感情に効くのだけれど、言葉として届くものだから、それは半分整理されたようなもので、だから受け止めるこちらも多少は冷静です。しかし、頭のどこかが冷静なものだから、憤りが激しい。あの戦争の、あの異常状況下に振り回された運命に対して、歯がみするような思いで野坂の文を追いました。天からもたらされたものでもなく、ましてや自然のものでもない戦争に対する嫌悪悲嘆は心中に渦巻いて、私のこうした感情はどこに向かったものでありましょうか。

2005年8月14日日曜日

火垂るの墓

 『火垂るの墓』が公開されたのは1988年の四月ということですから、奇しくも私は主人公の清太と同じ十四歳。ですが残念ながら私は映画を見にいかず、テレビ放映されるのを待ったのでした。『火垂るの墓』のテレビ初放映は89年の八月です。はたして私は、ビデオテープを用意して録画しながら見て、ですがそのビデオはその後一度たりとも再生されていません。

そのテレビ放映の後、つまり二学期に入ってから、社会科の教師が夏休みに見た『火垂るの墓』について触れたその内容が印象的でした。いい映画だと思ったんだけど、もう二度と見られない。四歳の節子と自分の子供が重なって見えて、つらくてつらくて、たまらなかった。

教師のこうした感想は多くの人が持ったものに同様で、あるいは私にしても同じだったかも知れません。

せっかく録ったビデオも見ず、テレビ放送も避けるようにしてこの映画を見ないようにした私ですが、それでもどうしても目に留まってしまうもので、いったん見てしまえば最後まで見てしまうのが常ですから、何度かくらいは通しで見ています。ですが、私にはあまりにその映画の内容が重すぎるためか、胸がいっぱいになって感想らしい感想が残らないのです。

不思議なもので、野坂昭如の本で読んだときの方が、いろいろと思いを巡らす余地があるのです。ですが映画だとそんな余裕はなく、圧倒的な表現の前に打ちひしがれてしまっているといおうか、言葉にする以前の思うところですでに立ち尽くすような有り様です。

私がこの映画を思いだしてなにかをいおうとすれば、決まってまだわずかばかり平穏の残っていた頃のことで、ほら、清太がオルガンを使って節子に歌を教える場面があるでしょう。あそこで清太はドレミではなくてハニホで歌っている。こうした何気ないところに心を止めて、けれどそうしたささやかな仕合せな情景も、すぐさまあのおばさんに水を差されて、私にしても冷や水浴びせられるような思いで、そして後のことはよう言葉になりません。情景が浮かんで消え、浮かんで消え、それらにどうコメントすればよいかは未だにわからずにいます。

もしかしたら、すっかりおじさんになってしまった今なら、受け止めてなんら思うことも可能かも知れないと思います。だったら親になる前の今が『火垂るの墓』を見るには一番よい時期かも知れません。

2005年8月13日土曜日

We Can Work It Out

 燦然と輝くロック界の金字塔、ザ・ビートルズ。もちろん私もビートルズは好きで、聴いたりもしますし、歌ったりもします。ビートルズの人気、曲の浸透度は説明する必要もないほどで、もはや環境といってよいでしょう。彼らの曲がパブリックドメインに移行した暁には、きっと素晴らしいカバーが次々と現れるはずで、ですがおそらく私はその日に立ち会うことはできないでしょう。残念なことです。

ビートルズの曲でなにが好きかと問われたら、私はなんと答えればいいでしょう。Blackbirdが好きです。Norwegian WoodI Am The WalrusStrawberry Fields Foreverも……。いやいやここに数え上げられるものではありません、私にはあまりに好きな曲が多すぎるのです。そして、今日ふと思いついて歌ってみた歌、We Can Work It Outも、そうした好きな曲の一曲であります。

We Can Work It Out、日本語タイトルは『恋を抱きしめよう』でした。この曲の人気は、Amazonあたりで曲名検索してみればわかるでしょう。We Can Work It Outでの検索結果が155件、『恋を抱きしめよう』での検索結果で100件。事前に予測されたことではありましたが、正直多すぎます。はっきりいって、この結果からリストを作成するだけで疲れ果てて、なにを書こうと思っていたのか忘れてしまいました……。

私がWe Can Work It Outを好きになったのは、そのわかりやすいメッセージに突き動かされてでした。自分たちにはそれができるというタイトルの前向きさ。シンコペーションも明るく朗らかなフレーズがWe Can Work It Outを二度繰り返して閉じられたと思うと、一転して重々しく四分を刻むLife is very short。この落差に私はやられました。

タイトルも歌詞も曲順も確かめず、ただただ聴くばかりの私でありますが、いつしかこの曲が流れてくるのを心待ちにするようになりました。タイトルを確かめて、歌詞もちゃんと調べてみて、いい歌じゃないか。そして私は、いつか歌いたくなる日のために楽譜を用意したのでした。

自分でも歌ってみて、この歌はやっぱりよい歌だと思います。メロディはもうすっかり覚えてしまっていますから、とりあえず次はコードを覚えて、そして歌詞を覚えて、いつでもどこでも歌えるレパートリーにしたいと思います。どこで、いつ歌うことになるかはまったくわからずですが、けれど心にとどめておきたい歌です。

Paul McCartney

Stevie Wonder

Omnibus

2005年8月12日金曜日

辣韮の皮

   日本における最大規模イベントコミックマーケットは今日から開催です。盆ということも手伝って、日本中あるいは世界中からマニアおたくの面々が東京国際展示場(東京ビッグサイト)集まります。だから今年もきっと盛況でしょう。

私はというと、休みがないのと金がないのと、体力がないのと気力がないのがたたって、当然のごとく見送ります。けど友人知人のうち幾人かは参加しているようなので、追々状況を聞くこともあろうかと思います。それも近々に。

さて、今日は『辣韮の皮』で書きましょう。「らっきょうのかわ」と読みますが、私ははじめてこれを見たとき、「にらのかわ」と読んで恥をさらしました。

『辣韮の皮』は、その副題というかあおりかに「萌えろ! 杜の宮高校漫画研究部 」という文言があることからもわかるように、高校漫研においておたくな青春を送る主人公とその仲間たちの漫画なのですが、なにしろ作者もたいがいなおたくでありますから、その密度というか描写のリアリティというかはすさまじいものです。きわどいネタの切れ味もなかなかにして、その鋭さは両者痛み分けといったところ。本当におたくの好むネタを、というか、おたくというものをよく知っているなあと感心します。まあ、面白がっている時点で私も同様のものであること、間違いなしなのでありますが。

『辣韮の皮』に表れるコミケの風景というのがよくよく活気熱気を伝えてくれて、その準備過程、裏に渦巻く思惑や執念、そして当日のお祭りムードは、なんだか楽しそうだなあと私に思わせるに充分で、けどそんなこと思っているのは対岸にいるからなのかも知れません。

けれど、例えば学生時分私にとっての夏は吹奏楽コンクールに明け暮れたように、冬から春には定期演奏会に向けて紛糾、紆余曲折の道をたどったように、彼らにはそれが漫画やアニメであるのですね。遠く離れれば楽しかったかも知れないそうした活動も、当時はしんどかったりぶつかったりして、だから主人公の滝沢政宗の気持ちはわかったりわからなかったり。どっちやねんという感じですが、わかるというとなんかアレな感じもするから、わからないといっておきます。

だけど、これだけは確かかなと思います。なんだかいろいろに大変そうな滝沢くんも、いつかはこうしたいろいろが懐かしくも楽しかった日々になるのだろうなと。いつかこうした状況を離れて振り返ったその時、かけがえのない日々であったと思うことがあるのだろうなと — 。

ただ、これは滝沢きゅんが脱オタクをはたしていたならばという前提が必須要件であろうかと思うのですが……。

類は友を呼ぶといいます。私には極めて面白い漫画だったので、私のお友達にもきっと面白い漫画であろうかと思います。すこぶる面白い漫画であろうかと思います。

  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』第1巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2002年。
  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』第2巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2002年。
  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』CD付き初回限定版 第3巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2003年。
  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』第3巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2004年。
  • 以下続刊

2005年8月11日木曜日

林檎でダイエット

佐々木倫子待望の新刊『月館の殺人』が出ているのを見て、なにはなくとも購入してみて驚いたのはその装幀。なに加工というのでしょう。エンボス、じゃないな。型押ししてるわけじゃないもの。ベベル? というのも多分違う。ともかく、透明樹脂かなんかで立体加工がされていまして、いや、こんな凝ったのも久々であったので驚きました。凝った分、高めの値段にも驚いたのですが。

さて、私にとっての佐々木倫子入門は『おたんこナース』でありました。確か、途中巻を間違えて二冊買ってしまい、大学の友人にあげたとかいうエピソードがありまして、とにかく私は『おたんこナース』から佐々木倫子に入り、後は『動物のお医者さん』にはまるというお定まりのコース。しかし私の勢いはここで止まらず、既刊をすべて買い集めるという行動に出ました。そうして『林檎でダイエット』。私の愛してやまない、美人姉妹シリーズであります。

美人姉妹シリーズ! なんと甘美な響きでありましょう。椿館に住まう浅野雁子と鴫子の、優雅にして典雅な日常がきっとあなたの心に小さくとも温かな灯をともす、珠玉の小品集です。……ごめん、今までの説明、ちょっと嘘。

佐々木倫子の描く女性を愛してやまない、愛してやまないというのは私のいつもの言い分ですが、なかでも菱沼聖子が素晴らしいというのもいつもの謂です。でも実をいうと、私には菱沼さん以上に好きな女性がありまして、それが浅野雁子。美人姉妹の姉です。

姉ですが、頼りなく、だらしなく、メリハリもない雁子であります。ですが、その雁子が魅力的なのですね。確かにぱっとしたところもなく、実際とぼけた人かも知れない。ですが、その味というのは雁子にしか見いだせない味で、どれほどに素敵であることか。と、私は雁子が現実の存在でないことに歯がみをする思いでいます。

表題作の『林檎でダイエット』が素敵でありました。佐々木倫子には珍しい恋愛を扱った小品で、すれ違う心と心。ぎりぎりのところで通いあわなかった恋の悲しさつらさが心を締めつけるようです。鶴が舞う氷原での雁子の独白:

そういえば私には好きな人がいない

その時の雁子のさみしげに揺れるまつ毛に、私の心はときめいてならないのでした。

……ごめん、やっぱりここの説明、ちょっと嘘、— けれど雁子にときめく私の心というくだりは真実です。

実をいうと、私は自分自身が雁子タイプであることに気付いているのです。気付きながら、私はその罠にはまらないようにと気をつけながら、けれど雁子よろしく重荷には耐え得ず、今に至ります。

多分、今の雁子の境遇は今の私に似ているでしょう。アタシやっぱり誰かを好きになりたいといいながら、けれどうまくはいかない心模様。私は、そんな不器用な雁子が好きです。

引用

2005年8月10日水曜日

ダブルキャスト

 毎日毎日あっついなあー、というわけでやるドラ。夏の季節ものにしてやるドラ第一作である『ダブルキャスト』を思い出してみようかと思います。

私がはじめてプレイしたのは『サンパギータ』で、その次にプレイしたのが『ダブルキャスト』。おそらく遊んだ総時間は『ダブルキャスト』がまさります。達成率で比較すると、『ダブルキャスト』が一番高いんですよね。これはおそらく『サンパギータ』でやるドラの楽しみを知り、次いで『ダブルキャスト』でやるドラの遊び方を知った。いや、効率のいい達成率の稼ぎ方を知ったといったほうがいいのかな?

違う方面から見れば、後期やるドラの『サンパギータ』に比べ、初期やるドラである『ダブルキャスト』の方がやさしめなのかも知れません。少なくとも、ルートの捜索に関してなら、『ダブルキャスト』の方が素直であるということなのかも知れません。

ところがですよ、それでも達成率100%にたどり着けないのがやるドラなのですね。私はとうから100%は諦めていますが、当時、バイト先の若いのが100%にチャレンジして、ものすごい攻略チャートを作成しながら挑んだというのに敗退。単純にルートや分岐を潰すだけではどうもだめらしいという話をしたことを思い出します。

けどさ、やっぱり見落としているシーンがあるというのはちょっと悲しいのさ。例えば、『ダブルキャスト』でいうと、ラーメン屋での美月。頭の上に結んだ髪が鼻の下まで落ちてきているシーンがあるはずなのです。ですが私は見てない。ちょっとくやしい、 — という感じで達成率を上げたいという気持ちは高まり、一時は毎日毎日『ダブルキャスト』のスキッププレイをしていたのですが、さすがに疲れちゃってやめました。

やるドラ100%は、常人にはそもたどり着けない領域なのです。

普通にゲームをして楽しむということに関してなら、おそらく『ダブルキャスト』が一番楽しめるのではないかと思います。意外性のあるストーリー(けど、勘が良ければ説明書で落ちがばれる……。説明書は熟読してはいかんのじゃ!)に、ハードな描写(人によってはトラウマになるとか……)。BGMも凝っていて、ここそこに不気味なささやき声や笑い声が挿入されて、ざわざわした感じをしっかり演出しています。いやあ、私は好きでしたよ。あのぞぞっとくる感じ!

やるドラにおける私の好みは最も地味な『雪割りの花』に決着しますが、ですが次点となれば『ダブルキャスト』となるのでしょう。そして、一般にお勧めするとなればやはり『ダブルキャスト』。『ダブルキャスト』は、もっともやるドラらしいタイトルだったのではないかと思います。

ところで、私は楠木翔子が好きでした。理由は、内緒です。

CD

2005年8月9日火曜日

ZEONIC FRONT — 機動戦士ガンダム0079

  ゲーム『ジオニックフロント』のノベライズ、読了です。地球における連邦軍とジオン公国軍の前線を描いて、地味ながら名作とうたわれたゲームのノベライズは、やはり派手さはなく、けれど地味ながら良作。ジオン公国が攻勢から守勢に転じるきっかけとなったオデッサを第1巻のクライマックスに据え、以後は撤退戦に次ぐ撤退戦。ゲームにおいても、またノベルにおいてもなお、敗退するものの心中には諦めと希望が渦巻いて、しかし果敢に戦闘に望む兵どもの意気やよし。この負けゆく者共に共感するというのは、ジオン公国ファンのすべてが共有する感情ではないかと思います。

ガンダムに限らずメカものロボットもののライトノベルズにおいては、新兵器が見どころになることも多々あって、例えば『機動戦士ガンダム戦記』ではドムやジム・スナイパーII、ズゴックE型が、そうした新兵器として燦然と輝いていました。

しかし『ジオニックフロント』では、徹頭徹尾ザクです。いや、確かにグフも配備され、ドムの編入もありましたが、あくまでも前線における主役はザク。ザクほどジオンらしいモビルスーツもないというのが私の実感でありますが、そうした実感が濃密に表されたものも珍しい。ノベル『ジオニックフロント』は、ゲーム以上にザクを重く見た、ジオンファンのためのノベルであるといわずにはおられません。

ザクというのは、微妙な位置にあるんですね。『ジオニックフロント』をプレイしたことのある人、あるいは『ギレンの野望』を遊んだことのある人なら感じたのではないかと思うのですが、ザクは強いのです。ザクとはかなり強力な兵器で、その強さが宇宙世紀における戦争の質を変えたのだと実感するほど強い。ですが、ザクの天下はあくまで敵方にモビルスーツが出るまでで、ガンダムが出現し、ジムが配備されてからはむしろ見劣りするようになり、しかしそのザクで戦い続けるという状況にロマンがあるのかも知れない。私はそう思います。

『ジオニックフロント』は、伸びるもの、威を存分に振るったものが、後から来たものに追われ、落ちてゆくという浮沈の様を描いているのですね。すべてのものにとって必然である栄枯盛衰のことわりが、ジオン公国でありザクでありに仮託されて、しかし凋落に身を任せるのではなく、ぎりぎりのその時まで落ちまい落ちまいと踏みとどまろうと苦闘する、その意思が恰好いいのでしょう。

たとえ負け戦に思える状況であっても、投げ出さない、捨て鉢にならない、最後の最後までベストを尽くす。これは若者に向ける最高のメッセージではないかと思います。気持ちのいい読後感の得られる良作でありました。

2005年8月8日月曜日

機動戦士ガンダム戦記 — Lost War Chronicles

  読書はいつもスローペースの私にしては、破格の速度で読んでおります。ゲーム『機動戦士ガンダム戦記』のノベライズはもうとっくに読了して、今は『ZEONIC FRONT — 機動戦士ガンダム0079』の第2巻を読んでいます。それも残すは後一章。こういうゲームのノベライズとかは実に久しぶりのことだったのですが、モビルスーツというものを使った戦術やなんかを詳細に書こうとする姿勢が見える両タイトルはなかなかの読みごたえで、正直なところ、もっと早くに読んでおけばよかったなあと。読んでいると読んでいないでは、きっとゲームに取り組む際の気持ちの持ちようが違ったでしょう。惜しいことをしました。

ゲームのノベライズに手を出したのはとりわけ理由があったわけではないのです。ゲーム『ジオニックフロント』を、今度こそ全S取ってやるぞという気持ちがなんだかあふれているこの頃。徒手空拳で全Sを目指してもいいのですが、それだとあまりに効率が悪すぎるし、たまには人の戦術も参考にしたいじゃないですか。というわけで、攻略本に手を出そうかと考えたのです。

ファミ通から出ている『ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079コンプリートガイド』が評判いいというところまでは調べがついて、いざ買いに行こうと梅田に出たら、なんと『ジオニックフロント』の攻略本だけないのですよ。ほかのガンダムゲームのはあるんです。ところがジオニックだけない! ってなんでだーっ!

くやしいので、ノベライズを買ったと。いや、本当にわけわからないな。

『ガンダム戦記』では、プレイヤーは連邦ミッション、ジオンミッションをそれぞれプレイすることができるので、どちらに肩入れするかはそれこそプレイヤー次第。ノベルでも当然両軍を扱って、どちらに肩入れするかは読者に任せるというスタイルを取っています。ですが、物語はやはり佳境に向かって、この両者を直接対決させないわけにはいかないわけで、じゃあどうやって両者を立て、どうやってうまく収めるのか。これが私にとっての興味でありました。おそらくはすべての読者がそうだったろうと思います。

私の感触でいえば、その解決の方法は多分にロマンティックで、どこか青臭さが感じられなくもない、 — ですが理想的なものでありました。こういうかたちに落ち着くだろうなという予感はあったのですが、問題はその決着にどれだけの説得力を持たせられるかというもの。私は、あの終結に向けた連邦ジオン両軍の将兵の心の動きの積み重ねに、納得しようと思いました。いや、納得したいと思ったのです。

私にとってのベストは、ガースキー・ジノビエフ曹長でした。このゲームは、以前にもいいましたが、少々やさしめのアクションゲームです。なので、あんまりチームプレイとか考える必要がない。むしろ僚機が足を引いていると感じることもしばしばで、だからガースキーにせよジェイクにせよ、ラリーにせよアニッシュにせよ、ゲーム内では非常に影が薄い。ですがノベルでは彼らの存在が非常にふくよかに描かれていて、とりわけジノビエフ曹長は格別でした。

逆に、ゲーム中では目立つ連邦・ジオンギャルですが、ノベルでは控えめ。ジェーン・コンティこそは破格でありましたが、それでも中央には常にデルタ・チーム、レッド・チームが陣取っていて、光の当たりにくい彼らにしっかり光が当てられていたのはよかった。理想と現実の境にゆれる彼らの迷いが描かれて、最後には理想的な終結を見るというのも、ジュブナイルとしては大正解であったと思います。

面白かったです。

2005年8月7日日曜日

黄色いバカンス

以前取り上げたこともあります『ぱにぽに』はアニメ化もされて絶賛放送中です — といっても、私は一度も見たことないんですが……。

なんで見ないのかといいますと、アニメ化にかかる事前情報を見るかぎり、どうも私向けのアニメではないだろうと判断されたからです。どうやら私は、一種過去のアニメに魂を縛られたオールドタイプに属するようでして、ニュータイプにはついていけそうにありません。きっと『ぱにぽに』のアニメ『ぱにぽにだっしゅ!』を見ても、やっぱ漫画のほうがいいよという結論を出すことでしょう。

けれど、その判断は早急だったかも知れません。オープニングテーマ『黄色いバカンス』を聴いて、私は自分の判断が揺らぐのをひしひし感じています!

私は、なのはなー、風に揺れてという部分しか聴いたことがなかったのですよ。それが思いがけず通しで耳にする機会に恵まれて、気分はもうなんじゃこりゃーです。

いい曲なんだ。なのはなーのくだりだけ聴くと普通の女の子ポップスみたいに感じてしまいがちですが、全曲聴くと全然印象が違っていてびっくりしました。そうさね、タイトルなんかを見ればザ・ピーナッツの『恋のバカンス』あたりを意識させようとしているんでしょうが(まさか『黄色いさくらんぼ』も!? いやそりゃあないか)、実際これは昭和四十年代、日本を席捲したGS歌謡風要素を全体にちりばめて、しかもただのパロディにとどまらない。GS風味を持ちながらも、その根幹はロックに補強されていて、ソリッドでポップ、ガーリッシュでキュート。あかん、私はこういう歌が大好きなのです。

調べてみました。

歌っているのは、折笠富美子と雪乃五月。ともに『ぱにぽにだっしゅ!』に出演中の声優で、さらに調べてみるとボーカルを代えた第2弾第3弾シングルの発売も予定されている模様で、そりゃ全部買えってことか? あとでボーカルコレクションとか出ないかなあ。そもそも最近のアニメはよくわからん私にとっては、こうしたボーカルコレクションとかが出るかどうかというさじ加減はわからんのです。誰か、ニュータイプがいらっしゃったら、最近動向を教えてください。

閑話休題、この歌を歌っているのは片桐姫子役と橘玲役の声優で、しかしこの歌い手がうまい。声が立って、ポップでロックでキュートな感じがすごくよく出てるのさ。うん、こりゃいいよ。なのはなーのくだりもちょっといいかなと思ったんですが、魅力は曲全編にびしっと通底していて、こりゃ本当に大当たりかも。

こりゃ、買いますね。シングルになるかアルバムになるかはわからんけど、絶対買いますね。

引用

2005年8月6日土曜日

Hiroshima

 ジョルジュ・ムスタキはエジプト生まれのギリシャ人。シンガー・ソング・ライターです。技巧派という印象はなく、朴訥に淡々と歌うというそんなイメージのあるムスタキですが、ですがその歌は心にずーっと浸透していくようです。ムスタキの歌に派手さはないですが、けれどその素朴さが優しく広がって、私はムスタキと彼の歌が好きなのです。

私が最初に好きになったムスタキの歌は、彼を知るきっかけにもなったMa Solitudeでした。私の孤独は世界の隅々まで付き従うという歌詞がとても印象的で、だから私は自分のサイトにこの歌詞をもじってAu coin du mondeと名付けたのでした。

ムスタキには日本の都市名がタイトルになった歌があります。その歌というのはHiroshima。広島をモチーフにして、ですがこの歌には広島という土地や都市、あるいは原爆の悲劇はうたわれません。あるのは、ヒロシマという象徴性。歌は、明日にはきっと平和がくるだろうと歌っています。

さまざまなものによって、さまざまなものをともに、明日平和はもたらされるだろう。鳩とオリーブにはじまり、象徴的なもの、ことが次々と表れて、そして平和は明日やってくるのです。どこに? ヒロシマに、そして未来にです。

日本語では、遠くなりゆくヒロシマというような雰囲気でうたわれるようですね。私は、この訳詩は違うと思いました。そうではない。この歌は、ヒロシマの象徴をともに、平和はきっといつかくるという未来への希望を歌い、そして逆説的に、今日の私たちは平和というものを希求しながらも手にはできていないという現実を明らかにしています。

もし日本語でこのHiroshimaの歌う内容を追おうとするなら、谷川俊太郎の『死んだ男の残したものは』がよいのではないかと思います。歌う内容の傾向こそは違いますが、同種のものを感じます。

参考

2005年8月5日金曜日

ダーティペア

  私が子供の頃はさ、地上波テレビでも(というか地上波しかなかったんだけど)ひんぱんにアニメ再放送というのがされていて、いやあ見ましたよ、見ましたね。人気のある番組は何回も再放送されて、例えば『ガンダム』がそうですね。あと『パタリロ!』や『はいからさんが通る』。好きなアニメが再放送されていると知ると、万障繰り合わせて見たものでしたよ。

忘れてはいけないアニメがあります。私の記憶に最も新しい再放送は、関西テレビ午後17時30分。そのアニメとは『ダーティペア』であります。ユリとケイがトラブル解決に奔走し、結果的に損害を大きくするというのがパターンのアニメで、面白かった。本当に好きだったのであります。

なんで『ダーティペア』を思い出したのかといいますと、昨日オープンしましたiTunes Music Store Japanごちゃごちゃ検索したりブラウズしたりした末に、『ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット』と『宇宙恋愛』を見つけたのですよ! ああ、この二曲は名曲であります。特に私は『宇宙恋愛』が好きで、あのエンディングの、カーラジオから流れる曲を聴きながらドライブしているかのような演出が素敵で、そこにシビれました! あこがれました!

『ダーティペア』の話で盛り上がれば、君はユリ派かねケイ派かね、みたいになるのは必至でありまして、私は断然ユリ派でしたね。ユリのあの、普段はしとやかぶってるところ、実体は全然そんなところがなくてこずるっぽいところ、最高でした! それにそもそも保守派の私は、髪の長いフェミニンな雰囲気が好きなのです。ユリはまさに夢に思い描いた君、というかまだ子供だった私には理想のお姉さまってな感じでありました。

『ダーティペア』、DVDが出ているから買えば見られるのはわかっているけれど、正直今の私には厳しいなあ。でもまた見たいなあ。というか、あの島津冴子演ずるユリの活躍をまた見たいものだなあと思います。

2005年8月4日木曜日

チャーリー・ブラウンという男の子

 世界的に有名なさえない男の子、チャーリー・ブラウンは実に愛すべき人物で、私も世界中の友人たちと同様、彼を深く愛しています。野球が好き、だけどチームは連敗。妹のサリーには軽く扱われ、飼い犬のスヌーピーにしてもどうも彼をあんまり重くは見ていないみたい。明らかに小市民を絵に描いたようなチャーリー・ブラウン。やる気がないわけではないのだけれど、どうにも空回り気味な人生に、くじけたり弱音を吐いたりしながら、けどそんな彼だのにどうしても憎めない。

憎めないのも当たり前かも知れません。私たちはチャーリー・ブラウンに私たちの悲しみを見てしまうのです。彼らの生き方、悩みに、私たちの日々にもらすため息や泣き笑いを見つけ出してしまうから、チャーリー・ブラウンを他人とは思えなくなってしまうのです。

いつもはさえないチャーリー・ブラウンに意外な才能が! なんと彼は単語のつづりに絶大な能力を発揮してみせたのです。学校のスペリング・コンテストで好成績をおさめた時には、そのあまりの意外さに友人連中も本人もびっくり仰天。チャーリーは状況に戸惑いながらも、あれよあれよと実力を発揮して、ついには全米大会に出場するまでにいたります。そしてその結果は、 — Good Grief! やっぱり君はチャーリー・ブラウン!

大会を勝ち抜く時の意気揚々、全米大会直前の追いつめられようを経て、チャーリー・ブラウンの落ち込み方はもう見ているのがつらいほどでした。まったくの無気力になって、部屋に閉じこもってしまって、私の胸いっぱいに彼への同情が広がっていくのがわかりました。チャーリーの友人ライナスがそうであったように、私はカートゥーンの登場人物に、心からの共感をおぼえたのです。

— ですが私はそうした友人にかける言葉というものを見つけることができません。私はこうしたときにきっと口をつぐむものなのです。

けれど、ライナスは違います。ライナスがチャーリー・ブラウンにかけた言葉の温かさ、強さ。もしそこに落ち込んで、打ちひしがれている友人がいたならば、私はこの言葉を贈りたいと思います。

だけどさあ、知ってるかい。世界はまだ終わりじゃないってこと

2005年8月3日水曜日

ラディカル・ホスピタル

    実は最初は『サクラ町さいず』で書こうと思っていたのですが、急遽『ラディカル・ホスピタル』に変更。というのもですね、本日発売の第9巻にヤング・ヨネザワ先生が出てらして、その繊細でナイーブな美青年ぶりにくらくらした、というか、めろめろというか、米沢先生ラブなのであります。とそういう理由から、今日は『ラディカル』で書こうと。いやあ、いい加減というかなんというかですが、いいんです。いい加減は今日にはじまった話じゃありませんから。

『ラディカル・ホスピタル』は、その名前からもわかると思いますが、病院を舞台にした漫画で、そもそも私は病院ものが大好きですから、もちろんこの漫画も大好き。ずうっと前から、ひいきにしております。

さて、病院好きを標榜する私でありますが、どんなのでも好きというわけではなくて、比較的まじめで、それであんまり医療ドラマしていないものが好みです。ほら、病院ものってなにしろ死やらなんやらがどうしても関わってくる題材ですから、熱血派というか、ものすごく感情のテンションが高いのも多いジャンルだと思うのですよ。ドラマが作りやすいからかもうずいぶん乱獲されてきた分野でもあって、天才医師ももうお腹いっぱいだし、だからといって告発ものみたいなまじめさもなんだか読み疲れするし、 — その点、『ラディカル・ホスピタル』のさじ加減は絶妙であると思います。

この漫画に出てくる人たちっていうのは、別に天才でもなんでもない、職業として医療を選んだ普通の人ばかりで、そんな普通の人たちばっかりの漫画が面白いかといわれると面白いんですね。そりゃ、基本的にギャグ・コメディであるんだから面白さを志向するのは当然ではあるのですが、けどこの漫画の面白さの本質はそういうところにではなく、コメディの裏に流れるまじめさ、真摯さが透けてくるという、そこだと思うのです。

病棟での日常、淡々と医療行為に従事する病院スタッフたちは、自分の成すべきことをはたそうとするプロである、と、この漫画から感じられるのはそういう空気なのです。普段は冗談ばっかりいって、笑って、笑わせて、笑われて、けれど退いてはならない一線を見つめているということがちゃんと見えてくるのはすごいことです。まじめ熱血を全面に押し出す漫画よりも、笑いの裏にそれら要素を隠したラディカルのスタッフたちのほうが、よりいっそうプロフェッショナルを感じさせてくれる。そこが読んでいて、本当に嬉しくなるところなのです。

ただし、これは理想の病院ですね。私は病院のマニアだったからいろいろな話も聞いたりしていましたが、やっぱりそこはラディカルの外科病棟とは違う、現実の地平であります。こうした現実の苦さは作中にも触れられていて、けれどそうした苦さがあるから、私たちは漫画の中に理想郷を見いだしたいと願う — のかもなあ。

医療に従事する人もしない人も、この漫画を読めば気が晴れることもあるのではないかと思います。ただ、癒しなんてのを期待しちゃあいけませんよ。『ラディカル・ホスピタル』にはシリアスもシニカルも含まれていますから、無責任で無根拠な癒し系などとは一線画してます。そうさなあ、いうならばクリニクラウンみたいなもんかね。ちょっと笑って、また頑張ろうかという気にさせてくれる、そこがいいのですね。

蛇足:

私は最初赤坂ファンで、直に関口派に移行したのですが、なんだか最近はマッキーがお気に入りです。まじめで、ちょっとコンプレックスがあって、隠れおたく

でも、現実に身近にいたら、相性悪そうな感じがするのが、なんですな。

2005年8月2日火曜日

機動戦士ガンダム

   もの子さんのガンダム熱はおさまるどころかなお進行中といった感じでありますが、実をいいますとこのところ私もちょっとガンダムブームです。でもさ、入り口がちょっと違っていて、もの子さんは『機動戦士ガンダム ガンダム vs. Ζガンダム』がきっかけ、対して私は『ジオニックフロント』リプレイがきっかけ、ってなんだやっぱりゲームなんじゃん。といいましても、はまったんだもの、しかたないじゃないですか。

はまると書籍を見境なく集めだす性分というのは私も一緒。いそいそと『ZEONIC FRONT』やら『ガンダム戦記』買い込みまして、帯を見れば、スニーカー文庫はガンダムフェアの真っ最中。ガンダム小説が60冊を越えたんだそうですよ。ううむ、こいつはやばい。危険な匂いがしてくるのであります。

なんというか、私の心は今無性に一年戦争なのですよ。そりゃ再びはまったきっかけが一年戦争物だったからというのもあるのでしょうが、やっぱり私らの世代でガンダムといえばファーストが熱かった。再放送でせりふを覚えるほど見、ガンプラを買いに模型店に走り、楽しかった。MSVとかのリアル志向にはしびれましたね。テレビで観た一年戦争の裏に広がっていた宇宙世紀の臭さは、脳髄の奥までひりひり焼くかのようで、少ない情報を友人間で交換しあっては、むさぼるように読んだのを思い出します。

小説のガンダムもそんなふうにして読んだのでした。ガンダムの小説はちょっとすごいぞ。アニメのストーリーや設定を斟酌することなく大鉈振るうように再構成して、小説独自の要素がてんこ盛りで、私らの間では賛否両論。子供心には赤く塗装されたシャア専用リック・ドムはださいだなんていって、それは結局はシャアといったらゲルググ、そしてジオングだろというアニメ版への傾倒ゆえだったのですが、ですがそれでもビームバズーカを装備したリック・ドムの描写にはしびれていました。

繰り返しますが、小説版はテレビ版には見られない独自要素がてんこ盛り。アムロとセーラ・マスができてたという事実にはショックを受けました。だって、私はアムロとフラウがくっついて欲しかったのですから。といっても、テレビ版でもアムロとフラウの心が離れていくさまはちゃんと見て取れるのですから、いかに私がロボットと戦闘に夢中で、人間ドラマに興味がなかったかがわかります。やっぱりこの心の動きみたいなのは、ある程度成長せんとわからんのだなあと思いますよ。

だから、私は今、この歳になってから『ガンダム』を見たほうが、昔よりもずっと楽しめるのだと思っています。昔なら見つけられなかったようなことをきっと見つけられる。

と、そんなこと思うから、危険なんです。集めだしそうだからあぶないんです。

余談:

シャア専用リック・ドムはその後キット化もされて、シャア専用ペズン・ドワッジなんてのもあるようで(っていうかこれじゃ皮肉か)、こうしてみると赤ドムも決して悪かあないなあなんて思うのはひいきの引き倒しでしょうか。

蛇足:

一応、ネタバレはいやよということで、私らの間で一番話題になり、一番のショックでもあった要素は、あえて伏せています。いや、あれはすごいと思いました。ええーっ、こんなのありなのっていう意外さで、正直ぶったまげました。

引用