2005年6月11日土曜日

機動戦士ガンダム

   今日、ひょんなことから『機動戦士ガンダムSEED』を見まして、といっても全編見たわけではなく、後半のさらに一部だけだったのですが、なんか戦艦が追い込みを掛けられている中、モビルスーツ戦が白熱しているという場面でした。私はガンダムSEEDは、キャラクターの名前をごく一部知ってるだけとか、そういう本当になんもわからん人間なんですが、そんなでもあのモビルスーツ戦というのは白熱しますね。空中換装もあれば、横薙ぎに払われたビームサーベルをBパーツを切り離して避けてみせるなど、いやあ見せますね。あんまりの恰好よさに、しばし釘付けになってしまいました。

ただ、惜しむらくは、私がこの人たちがいったいなんで戦ってるかを全然知らんことです。だって、私が全編を通して見て、その戦った理由であるとかをきちんと把握してるガンダムは、初代ガンダムしかありません。だから今日見たSEEDには、はっと心を動かされながらも、その奥にあるものを知ることはできないという、一抹の寂しさを感じたのでありました。

『機動戦士ガンダム』。私がこのアニメを始めてみたのは、近所に住む悪ガキ仲間(そう、ルービックキューブの裏技の彼です)に教えてもらったのがはじめでして、おそらくそれは何度目かの再放送だったのではないでしょうか。はじめて見た回は忘れもしない第36話「恐怖!機動ビグ・ザム」であります。ひとつ年長の坊主たちは、スレッガー中尉とミライ・ヤシマのキスシーンに色めき立っていましたが、私にはそれよりも、ビグ・ザムの異様な姿と、強力なビーム砲にやられたジムの姿が強烈に印象的で、実はちょっとトラウマになった。

ともあれ、この印象的な出会いをはじめとして、私は同年の友人らと一緒にガンダムの世界に潜り込んでは没頭して、再放送があれば何度でも見、ガンプラも作り(はじめてのガンプラは、従姉妹のうちに遊びに行った夏休み、商店街の抽選で当てたリアルタイプ・ザクでした!)、もうガンダム大好きで、こうしてガンダムを好きになった人間にとって、第一作目のガンダムというのは、一種聖典といってよいほどのバリューを持っているのであります。

最初に好きになったのはモビルスーツ。それから登場人物と深みのある人間ドラマ。私は、多分こういう子供は少なかったと思うのですが、カイ・シデンがとにかく好きでして、好きな人はカイさん。好きなモビルスーツはガンキャノン、そしてジム。おいおい、アムロとガンダムはどうやねんといったら、そりゃもちろん嫌いじゃないですが、でも自分にはカイがよかったんです。斜に構えてニヒルなカイさんは、もう理想というか憧れというか、だから私はベルファストの海に消えたミハルと、その死を悔やみ悲しみを隠さないカイさんの姿には、涙が止まらなくなるのです。

もちろん、それだけではなくって、ランバ・ラルの壮絶な戦いにも心奪われましたし、黒い三連星、シャアとララァ、思い出せば懐かしくもいとしい名前ばかりです。登場人物はどうにもこうにも人間臭さがあって、だから彼らの中に死者が出たときには、見ている子供らは一緒に胸を痛めました。リュウ・ホセイもそうです。マチルダ・アジャンもそうです。スレッガー・ロウもそうです。ララァ・スンもそうです。

以前、ガンダムの劇場版を京都放送が一挙にノーカットで放送したことがありました。なぜか家族一同で鑑賞をするはめになって、父も母も姉も、そして私も、ガンダムの骨太なドラマに見入ってしまって、あの時代からすでにアニメは、アニメ=子供向けという偏見を払拭するに足る質を持っていたことをあらためて確認したのでした。私はそれをビデオに記録して手元に置いています。またいつ見るかはわかりませんが、そばにおいて、いつかまたみたいと思ったときに再び彼らと会えるようにしたいと思ったのかも知れません。

今DVDで手に入るのはリメイクされているらしいですが、私は結局感傷的に昔を思い出してその時代の空気とともにガンダムを見たいと思う人間のようですから、きっとリメイクには難色を示すでしょう。だから私は、あの時の放送を自分のマスターピースにしておきたいと思います。

BANDAI CHANNEL / バンダイチャンネル

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