2005年6月21日火曜日

さようなら、ドラえもん

 最近なんだか疲れ気味というか、睡眠不足といいますか、ギターの練習をしていると途中で寝ちゃうんですね、弾きながら。目をつむって、半分ほど寝ながら、起きてるもう半分で練習を続けるのですが、実はこの状態は危ない。途中で完全に眠りに入って、ギターをバーン!! とかやっちゃったら、わあわあ!! どころではすみません。きっとギターも私も壊れてしまうことでしょう。

こんなときに思い出すのは、かの感動名作「さようなら、ドラえもん」でして、というのはですね、ドラえもんが未来に帰ろうとする最後の夜、ゆっくり語らおうと二人がねむらなくてもつかれないくすりを飲むのを覚えているからでありまして、眠らなくても疲れない薬、なんかすごそうではないですか!

似たような薬なら現在でも、アメリカ村あたりで売ってそうな気もするのですが、きっとドラえもんのものは依存性とかのないものなのでしょう。なんせ未来の世界のすばらしい道具であるわけですから、そうに違いありません。

ドラえもんを読んで育った人、とりわけドラえもんの世界を愛している人に、ひとつマスターピースをと問えば、返ってくる可能性の非常に高いのが「さようなら、ドラえもん」です。実際、名作といえる小品は数ありますが、ドラえもんが未来に帰ってしまうという、作品の根底をひっくり返す要素はあまりに大きすぎ、そして帰ろうとするドラえもんに贈られたのび太からのはなむけ。あまりに純粋で、あまりに結びつきの強い、二人の関係というのがあらわになって、私はこの文章を書きながらでも泣いてしまうほどです。

私がはじめて読んだドラえもんは第16巻でしたが、ドラえもんの世界にずいぶん親しんでから後に触れた第6巻は、それゆえにショックでした。「さようなら、ドラえもん」を読んで、いったいこれはどういうことなんだと、なぜ6巻でドラえもんは終わろうとしているのかとやにわに混乱を来して、私は後に知ったのですが、この混乱は連載時にもやはりあって、ドラえもんが帰ってしまうという話にショックを受けた子供たちが、作者にドラえもんを返してとたくさん手紙を送ったのだそうです。そうしてドラえもんは未来から私たちのいまに戻ってくることになって、あの頃私たち子供らは、本当にドラえもんやのび太のいる世界を愛し、まるで自分たちの身近に遊んだ友達のように感じていたんだと思えるエピソードではありませんか。

私はつい最近、またちょっとドラえもんを読み出して、ドラえもんは初期から中期にかけてが非常に素晴らしいと思うものの、後期に関しても決して悪くいうようなものではないなと思うようになりました。いやこれはもちろん当然のことで、私が子供時代を過ごしたあの時を、一緒に通過してきたドラえもんをなぜ悪くいういわれがあるものか。

けれど、それでも私にとってのドラえもんマスターピースには、初期作である「さようなら、ドラえもん」が常にあり続けるのですね。これは永劫変わらないことであると思います。

  • 藤子不二雄『ドラえもん』(てんとう虫コミックス) 東京:小学館,1975年。

引用

  • 氷川へきる『ぱにぽに』第7巻 (東京:スクウェア・エニックス,2005年),49頁。
  • 藤子不二雄『ドラえもん』(東京:小学館,1975年),171頁。

参考

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