カフカといえば『変身』がとりわけ有名で、ある朝、不安な夢から目を覚ましたら虫に変わってしまっていたザムザが主人公の小説です。こんなふうにカフカの小説は、理屈とか論理性をまったく無視したかのような突拍子のなさに満ちあふれていて、それはさながら悪夢にうなされているときの焦りがそのままかたちになったようです。
今自分の置かれた悪い状況を抜け出したいとあがくのに、足取りはのろのろとおぼつかず、状況は好転するどころか悪くなる一方。圧迫された重々しい気持ちに打ちひしがれるような夢。カフカの小説には、こうした陰鬱とした空気が漂っています。
カフカに悪夢の典型を見る私にとって、最もカフカらしさを感じるのは『田舎医者』で、あの、すべて世界が自分の敵に回ったかのような圧迫感はひたすらすごいものがあります。自分の意思に逆らうように起こる出来事の数々。目の前で起こっている事態は決して解決することがなく、自分のなしたいと思うこと、ゆきたいと願う場所からは、どんどん遠ざかっていく。絶望的な状況に置かれた医者の心のうちを思うと、まるで自分がそうした逆境にたたされたかのように胸苦しくなります。
カフカの面白さというのは、この胸苦しさをいかに味わうかというところに生ずるのではないかと思っています。例えば他にも『断食芸人』とか『流刑地』。これら作品に限るわけでもないのですが、なぜ今現状がこのようになっているのかがわからない状況下で、なぜ事態がそういう方向に向かうのかがわからないままに流され、なぜそうするのかわからないことをさせられるといった、曰く不可解に翻弄されるのがカフカの小説であるのです。
曰く不可解、藤村操によればそれは万有の真相に他ならず、すなわち私たちを取り巻くこの世界について、私たちがいうことのできるすべてでしょう。ならば、不可解に始まり、不可解の中を進み、不可解に終止するカフカとは、世界そのものを描いた作家であるといってよいのではないかと思います。
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