私はかつてタロット占い師をしていたことがありました。もちろんそれは本業ではありませんでしたが、でも固定客もついたりして、やっていたのは三年だったか四年だったかという短い期間でしたが、結構充実していたなあと振り返ってみて思います。最初の年は本当にもう無我夢中で、とりあえず占いの実績を得るために、身の回りの人間を片っ端からつかまえて占って、結局当てようと思っちゃいかんということに気付くまでは大変でした。タロット占いとは、ただカードを混ぜて並べてめくって、出た目だけが勝負なのです。
当時はパソコン通信の時代でしたから、パソコン通信の占い会議室でのディスカッションで多くを学び、結局こうしたテキスト中心のコミュニケーションに助けられて学ぶ、半自習のような状況でした。けれど、やっぱりしっかりとしたテキストが手もとにあった方がいいというわけで、当時評判のよかった本から自分に合っていると思うものを買いました。それが、A・T・マンの『タロット』でした。
オカルトに傾斜することも少なくないタロット本の中で、この本は実にクールでした。カードによる占いをシンボルの読み解きと捉え、この読み解きがクライアントの心理状態を反映すると見る。こうした見方は現在では決して珍しいものではないのですが、ですが駆け出しの神秘主義者であった私には、このクールな視点というのは、占いという行為へのうさんくささを払拭させ、タロットが真っ向から向き合うに足るものであると意識させる、大切なきっかけであったのでした。
この本はシンボルの読み解きを中心として、数の象徴や四元素、カバラ思想を紹介しますが、実はこれらはそれほど深く解説されるのではなく、むしろダイジェストのようにあっさりと過ぎていきます。また、図像に隠されたシンボリズムについても言及されますが、これもやはりさわりだけで、事細かな検討がされるわけではありません。
ですが、本当ならこうしたシンボルの読み解きは、解釈者が個々におこなうものであるのですから、この本がしたように、その方法の手引きが紹介されるだけで充分なのではないかとも思います。私は大学で同志を募って、シンボルを読み解く占いの会を開こうとして失敗したのですが、その頃に図書館にこもってシンボル事典と格闘したのはきっと力になったと思います。少なくとも自分の読み解きに根拠を与えることにおいて、そしてクライアントに解釈の理由を説明するための、大きな助けとなってくれました。
この本では、タロットを占いの道具としてみるよりも、むしろ瞑想と自己に向き合うための機会としてとらえていて、私はこの考え方に抜き難く影響されています。
私は、結局タロットを通し、現れた出目をクライアントとともに読み解こうという行為でもって、クライアントの心の奥に鬱屈していた思いやなにかを再確認していただけなのだと思います。そして、私はこうした行為こそが正しいのだと信じています。
自分の心の中の重荷や暗さ、あるいは希望を見つめることができたクライアントは、決まって陰鬱な表情をぬぐって、また頑張ろうという気持ちになって去っていきます。私はそうしたお客さんを見るのが本当に好きで、だから本当はもっと深く占いにつきあいたかったのかも知れません。いい顧客に恵まれると、占いというのは本当に仕合せな気持ちになれるものなのです。
- マン,A・T『タロット — 未来を告げる聖なるカード』矢羽野薫訳 (聖なる知恵入門シリーズ) 東京:河出書房新社,1996年。
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