2005年6月16日木曜日

エレーン

 むかし、なんだか生きるのが悲しかった時期があって、そんときによく聴いたのが中島みゆきでした。中でも白眉はアルバム『生きていてもいいですか』。しょっぱなの『うらみ・ます』の印象も強烈ですが、このアルバムの価値はそれだけじゃありません。私は『キツネ狩りの歌』を愛し、『蕎麦屋』を愛し、『船を出すのなら九月』を愛し、『エレーン』を愛して。特に『エレーン』の、生きていてもいいですかと誰も問いたいその答を誰もが知ってるから誰も問えないというくだりには、誰もが心になにか兆すものを感じるのではないでしょうか。

このアルバムは、とにかく鮮烈でした。中島みゆきを好んで聴く人なら同意してくださると思うのですが、この人は私のことを歌っているのではないかという瞬間が折々に訪れます。こうした共感を得るごとに、中島みゆきの世界に深くのめり込んでいくことになるのですが、私にとっての決定的一撃が『生きていてもいいですか』でした。

中島みゆきは私のことを歌っているだなんて思い込みも甚だしいのですが、けれどそのように感じられてやまないというのは、中島みゆきの歌う世界というのが、私たちの生活する世界をよく捉えて、深くうがっているからだと思います。私たちが日々漠然と感じている世界が、あらわに歌われる。そこには喜びや悲しみや、切なさや怒りや嫉妬があって、仕合せもわびしさも、私たちがこの世で経験するあらゆる感情が濾過されたように純粋な滴になって結晶しているかのようで、それはもう宝石のようだなあと思うのです。

私の悲しかった時代といいましたが、人間というのは勝手なものだから、自分の悲しさなんて誰もわかってくれちゃいないなんて独りよがりに浸って、ひねてすねてしまうことがよくよくあります。私の場合もそんな感じでありました。けどさ、そんなときにたまたまこのアルバムをテープに吹き込んだのを聴くことができて、私は自分の馬鹿なことに本当に気付かされて、ええ、悲しさや苦しさ空しさなんてのは、誰もが同じく抱えて、その空虚に砂を噛む思いで耐えてるんだ。

私はこの歌を知って、なにかがあったとしても、つらいのは自分一人ではないと思えるようになりました。自分ばかりがつらいと思って、自暴自棄な生き方をするなんてことは、ただの甘えなんだと知ったのでありました。

人生には寂しさも悲しさもあって、その向こう側は誰にもわからないのだけれど、それでも誰もが知っていることがあるというなら、私は寂しさにも悲しさにも耐えていけると思います。

引用

0 件のコメント: