2005年6月8日水曜日

少林サッカー

 まさに今現在、異国の地タイはバンコクにて行われている、ワールドカップアジア地区最終予選日本北朝鮮戦。前半は今まさに終わろうとしていて、今だ0-0という状況です。

とまあ、こんな感じに、普段はスポーツ中継なんて見ない私も、なんとはなしにテレビをつけて、動向を見守ってしまうという不思議。なかなかゴールが決められないことにやきもきしてみたり、ピンチになればはらはらしてみたり、けれどそんな最中に『少林サッカー』のことを思い出していたりするんですから、やっぱり私は不真面目なんです。

しかも、その『少林サッカー』で文章を書こうとしてるし。なんというベタな展開かと、われながらあきれっちゃいますわ。

ベタといえば、『少林サッカー』という映画も実にベタな映画であったと思います。かつての修業仲間を集めてサッカーチームを結成。拳法の技を駆使して、スーパープレイを連発するというそのアイデアは、特に真新しいものではないと思います。けれど、このベタなネタに本気で取り組んで、かたちにしてしまったというそこが素晴らしい。渾身のシュートが次々選手を吹き飛ばしてみたり、さらにそれを受けたキーパーを再起不能に追い込んでみたりと、まさに殺人シュートですね。実際、プロの選手のシュートって、下手に受けたら内臓破裂したりするような威力らしいですが、そんなどころではないアメージングなプレイに、見ているこちらは笑いが止まりません。

あまりのやり過ぎ感が人気の『少林サッカー』ですが、けれど映画としては弱いといわざるを得ないんですね。なんというんでしょう、前半後半のバランスの悪さは誰もが指摘するところであるし、きわめて重要なキーパーソンであるにも関わらずヒロインの扱いはどうにも中途半端で、私たち観客は、ヒロインとはヒーローに恋するもんだみたいな感じで見るもんだから成立しているという感じがする — つまり、ちょっとヒロインの動機が弱い。もうちょっと丁寧に描けば、もっと効果的に働いたんじゃないかと思うのに、全体のごちゃごちゃとした印象のせいで、話の軸がどこにあるのかはぼやけしまっている感じです。

けど、『少林サッカー』に関しては、こうした評価軸というのはどうでもいいよなあ、っていうのが私の感想です。あの、なんでもかんでも思いついたものを全部入れてみました感、雑然とした雰囲気こそが『少林サッカー』の味で、だから私はもっともっとやれってな感じで、応援したくなってしまうんです。それこそ、インド映画みたいに目茶苦茶長くなってしまってもいいから、とにかく山盛りに詰め込んで欲しいなと、そんな感じなのです。

実際、私の身の回りの『少林サッカー』を見た人の感想を集約すれば、あの爽快で壮観なハイパーサッカーシーンを見たりないというところに尽きると思うんです。私もそう思います。それで、できればもう少しヒロインのシーンも増えれば、弱いなと感じるところも補強される(?)。そもそもこの映画の雑駁さは伸びようとする勢いのあらわれで、けれどそうした力が後半に来て少し弱められたと感じたのが、私たちの残念の正体なのではないかと思います。そう、私たちは、この映画の勢いをもっと感じていたかった、もっと彼らのサッカーを見ていたかっただけなのです。

ところで、ヒロインであるヴィッキー・チャオをブスに仕立ててうんぬんとみんながいうのですが、あの肌の荒れたメイクは別にしても、全体には可愛かったと思うのは私だけでしょうか。それこそ、普段の今風のヴィッキー・チャオよりも、映画の地味でブスに描かれた(と人のいう)ヴィッキーの方がいいと思うのは、私だけなんでしょうか。

そんなわけで、私に関していえば、もっとたくさん地味なヒロインを見られれば嬉しかったなとそんなわけで、その上、もっともっとサッカーの場面があればいうことなかったなあ。と、そんなふうに見たりないから、何遍でもこの映画を見たくなるんです。— だから、あれはあれでいいバランスだったのかも知れません。

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