2007年7月16日月曜日

とらぶるクリック!!

 最初のうちは、うーん、これどうだろう、なんて思っていたのに、気がついたら好きになっているものってあると思うのです。慣れた? ほだされた? それとも面白さに気付いたのかな? それは漫画によって違ってる。なので今回は門瀬粗の『とらぶるクリック!!』について考えてみたいと思います。『とらぶるクリック!!』は『まんがタイムきららキャラット』に連載されている漫画、高校PC部に在籍するお騒がせ三人娘のどたばたとした日常を愛でる漫画であると思うのですが、なんといってもヒロインの設定がきています。PCどころか機械が駄目な体質で、なにが駄目といっても、触れるだけで機械を壊してしまうという特異体質。実際にこういう人っているらしいですけどね。帯電体質っていうのか、静電気ため込みやすい(というかむしろ発する?)人は、機械もの壊してしまうっていいますね。でも本書のヒロイン琴吹杏珠は一味違うぞ。だって故障程度ですまされません。きっちり爆発させてしまうという過激さで、でも、なんだ、PC爆発ってなんだか昭和テイストだな!

正直な話、しくじったって思ってるんです。いやね、私、買おうかどうか迷いながら、購入を見送ったんですよ。好きか嫌いかといわれると、嫌いじゃない、けれど好きと明言できない、そういう感じの微妙なライン上にあったっていえばいいでしょうか、ええと、これ第1巻の発売された頃の話、だから2006年9月の話。けど、後悔は先に立たず、なんであんときに買っとかなかったんだ、つまり今は好きだって話です。

キャラクターの個性をつかみあぐねたのが失敗だったかなって思うんです。キャラクターは基本的に五人。先にいった、PC壊す人。ヒロインにしてぼけ担当。ぼけがあるならもちろんつっこみもいて、それが長谷部茉莉。そしてPC部の妖精内藤柚が加わって、後は部長とか副部長とか。そんなに多い人数じゃないんだけど、なんで私はこんがらがってたんだろうって思います。琴吹杏珠に関してはオッケーでした。とりあえずキャラクターは立ってます。でもなんでか後は曖昧としていて、はっきりと区別がつかなくて、だから毎回の連載はそれなりに読んではいたけれど、しっくりときていなかった。そう、きっと一度既刊読み返しをやっていたら違ったんだと思います。ある程度、キャラクターが見えてきた時点で、第1回に遡って既刊を全部読んでみる。これやると、ふーん面白いね、って思っていた漫画が、おお、こんなに面白かったっけか、みたいに一挙に昇格することもあって、『とらぶるクリック!!』でそれやってたら、間違いなく昇格しただろうのになあ。今、遅ればせながら第1巻を手にして読み直してみて、そう思います。

だって、面白いんだ。最初の頃、PC爆発ネタが濃厚だった頃、基本的に爆発落ちの漫画なんだな、みたいにしか読んでなくて、いやね、そりゃ柚のフラッシュメモリが煙出したり、細かいところに面白みが仕込まれてるなあとは思いましたけど、けどその時の私はそこで止まってた。だから買わなかった。遅れて買ったら初版初刷なのに帯がなかった。後悔しています。なんであのとき、カラーページ、後書き、カバー下まで確認していながら買わなかったんだ。わたくしのばかばかばか。まあ、自分の見込みの甘かったことへのペナルティとして甘受するほかないでしょう。

読み直して、第1巻時点でこんなに面白かったんだと思った『とらぶるクリック!!』ですが、けれど本当に面白いのはこれ以降かと思います。私が単行本にまで遡ろうと思ったのは、連載されている今が面白いからに他ならず、新しいキャラクターなつめろを加えて、また部長の秘密もあらわになるなど、けれど面白さは新キャラクターのためじゃない。もとからいるキャラクターの持ってる可能性が、開かれているからだと思います。

PCクラッシャーとあだ名された琴吹杏珠は、まさにその代表格といっていいと思います。当初こそはPCを壊し、自販機を壊し、iPadを壊し、破壊の限りを尽くした彼女、機械に近づくことさえかなわぬ不幸キャラであった彼女が、触っても壊れないコンピュータを手に入れてからは、典型的PC初心者になって、今どきあり得ないほどのピュアぶりを発揮、さらには巨大掲示板に染まり、周囲に痛さをふりまき、友人たちを赤面させる。動いてる、動いてますよ。当初設定から状況が動き出して、キャラクターの持ち味がどんどん膨らんでいっていると感じられて、そしてそれは今もなお進行している最中なのだと思います。第2巻はより面白く、第3巻はそれ以上に面白くなるんじゃないかなあ、なんていう風に思って、だから2巻の出る前に第1巻を入手せねばならないと思ったのでした。

蛇足

さて、そんな遅れてきた読者である私のお気に入りは誰かというと、内藤柚です。小柄、人見知り、コンピュータ得意、実は眼鏡、147センチ! クレバーで明らかに情報系生物でAAAで気を使いすぎで今もなお減っている。オフ会の話は最高だったと思っています。

あ、そうじゃ。まんがタイムきららWebでも『とらぶるクリック!!』は読めまして、その名も『Webクリ!!』。

このWeb連載は、宣伝効果としてはかなり高いものだと思っています。少なくとも私にとっては。ここに出せば、大抵のものは好きになれるんじゃないかな、なんて思う私です。

2007年7月15日日曜日

かっちぇる♪

  続き読みたさにたまらず追加オーダーを入れた『かっちぇる♪』第3第4巻が早速届きました。って、すごいね。なんと中一日ですよ。夜十時過ぎに注文、翌朝一番に発送処理、今日昼前に到着って、恐ろしいですジュンク堂書店。在庫のあることを確認して注文してるから当然といえば当然かも知れないけど、それにしてもこのレスポンスはすごすぎる。かくして、想像以上の早さで全巻が揃って、ああなんかすごくたまらない感じ。うずうずとしている。やっとかんといかんことはたくさんあったと思うのに、座り込んで、ざくざく音立てるようにして読み進めてしまいました。そして、そして、やっぱりこの手の漫画はいいわね。青春の光の影とでもいおうか、輝かしく素晴らしい時間が確かに流れていると実感できる。けれど、彼女らはこんなにも楽しげだというのに、私の心の奥にぽつりと黒い染みみたいなのがあると感じられるのはなんででしょう。本当になんでなんでしょう。

もし時間が戻るのなら…… もっといっぱい色んなことすればよかったと後悔しています

私にも人並みに高校時代というのがあって、それはそれなりに部活やったりして、弱小ながらもコンクールに出て、銅賞もらって(吹奏楽コンクールで銅賞は参加賞と同義です)、毎年恒例の大イベント、定期演奏会に向けて頑張ったりした。誰も信じないかも知れないけれど、そんな頃があったのです。土日もなく毎日練習、練習後には演奏会に向けての会議やらなんやら、ときには険悪になったりもしたけれどそれなりに充実していた二年とちょっとだった。だから、私はこうした漫画を見て、ああ私もそうだったって、追いかけたもの、目指したなにかは違うけれど、私も昔は同じだったんだよって、思えばいいのに、胸には空白ばかりが広がっているのはどういうことなのでしょう。私は自分の高校時代に負い目がある。毎年、定演の季節がくれば空白にとらわれて、気をおかしくさせて、いらいらとして、いつしかその空白は感じなくなったけれど、けれど本当をいうと、うっすらと年間をとおして身の回りに立ちこめているって知ってる。気付いているから、私はそんな空虚を払いたくて、こうした漫画を見てはその真っ直中に思いを放つのです。青春の頃よ今一度と、帰らない時間を追想しては、得られなかったなにかを自分の中に探そうとするかのようです。

でも、『かっちぇる♪』はちょっと違う感触を自分の中に残しました。読み終えて、いや、読んでいる最中からもずっと感じていたのだけれど、この漫画に出てくる女の子たちは、私にどこか似ている。自分を持て余している。自分の立つ位置に戸惑っている。特に杉山がそう。杉山というのは、この漫画のヒロインで、バレー部のキャプテンです。なのに、こんなにも自信がなくて、ほんと大丈夫かと心配になるような娘で、けどそんな娘だけど、ちゃんと成長してさ、自分にも譲れないものがあるんだって、自分の居場所はここなんだって、そうはっきりといえるようになったのです。

でも、これは杉山だけではなかったと思います。だって、この漫画の主要六人は、皆それなりに自分を持て余していて戸惑っていたから。そもそも思春期っていうのがそういう時期だっていうんだろうけど、私もそうだったように、きっと誰もがそうだったんだろうと思うんだけど、だからこそ、まちまちだった彼女らがだんだんと近づいていって、馬鹿なことも、楽しいことも、そして不安も苦しさもしんどさも分け合うようにして、チームになっていく過程が見えるようなこの漫画、読んでいてすごく幸いな気分でした。

それだからこそ、最終話は辛かった。身につまされて辛かったのです。杉山はやっぱり私に似ています。杉山のその後は私よりもおそらくは緩やかに進行したのだろうけれど、私は、それこそ絶縁状叩きつけるみたいにして終えたから。それこそ卒業アルバム、クラブ活動の写真に私は写っていない。私ははじめからどこにもいなかったかのようにいなくなって、それはやっぱり見付けてくれる誰かを待っていたのかも知れません。

実をいいますと、全話読み終えて、私はかっちぇるって言葉の意味をわかっていません。どっかで説明があったんじゃないかと思って探したりもしたんですが、やっぱりどこにも触れられていなくて、けれどもしかしたら、関西弁でいう寄せるなのかなって思っています。遊びの仲間に加えて欲しいときに、よーせーてーっ、っていうんです。よーせーてーっ。そういうのが苦手な子らがひょんなことをきっかけに集まって、自分たちの場所を築いていく、『かっちぇる♪』とはそうした漫画で、そしてその場所は変わることなく自分を待っていてくれる — 、そこに私はたまらないうらやましさを感じてしまうのです。

  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第1巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2002年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第2巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2002年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第3巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2003年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第4巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2004年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第5巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2005年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第6巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2005年。

引用

  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第6巻 (東京:講談社,2005年),167頁。

2007年7月14日土曜日

Yotsuba&!

  昨日、待つに待たれないので『かっちぇる♪』中巻を別の書店で注文しましたっていう話をしていましたね。更新を終えて、やれやれメールでも確認するかと思いまして、メーラー開いたらAmazonさんからメールが届いているではありませんか! やられたっ、てっきり確保されずにキャンセルされるつもりでいたから、参ったなあどうしようなんて思いまして、メール開いてみたら、あら、違う本でした。Yotsubato&!第4巻だったんですね。おお、いったいどんな風に翻訳されるのかって楽しみにしていた漫画ではありませんか。

本が届いて、いの一番に開いたのは、やっぱり風香の失恋の回、そう、グッバイマイラブですよ。勢い込んで開いてみたら、OH MY ! 、フランス語じゃないよ! SAYONARA, LOVE. って、かあー、日本語かぁ。この発想はちょっとなかったわ。完敗であります。

けれど、こうして英語で読んでみても思うんですが、『よつばと!』は面白いなあ。だってね、すらすらと英語読めるわけでない私がですよ、それでもやっぱり笑ってしまうんですよ。すべてがちゃんと理解できているわけではないにも関わらず、それでも面白くって笑ってしまうっていうのは、やっぱり絵の力もあるのかなあ。もともとからして語る力のある絵に英語が付いて、わかってもわからなくってもぐいぐいと読めて、これは力になるわ。英語の理解力が、感覚的につくっていうものですよ。実際の話、ほー、こういう場面ではこんな風にいったらいいのかなんて思うことは多くてですね、外国語で書くときにこうした発想を役立てられれば最高でしょう。

さてさて、以前いってたラジオ体操は、まったくラジオという表現を使わないで、Morning Calisthenicsとされていて、へえ、Calisthenicsっていうのは美容体操か。知らない単語でした、勉強になりました。

まだざっとしか見てないのですが、今回の気になったところといえば、みうらの台詞、バーチャル世代だ ゲーム感覚だなでありまして、これこんな風に訳されています:THIS ISN'T REAL! I FEEL LIKE I'M IN A GAME! 台詞の意味がまったく違っちゃっています。ここでのみうらは、動じず魚をさばく恵那に対してのもの。生きた魚を開く行為に対し、バーチャル世代の子供はゲーム感覚でやっちゃうんですよ、マスコミが少年の凶悪犯罪に対し吐く無責任な決めつけですが、そういうニュアンスでいってるわけです。なので、翻訳はちょっと変。これは現実なんかじゃない! ゲームの中にいるみたい!じゃあ駄目なわけです。って、これ、翻訳者は大いに困ったところなんじゃないかと思うんですが、だってね、向こうの人は日本のマスコミのいうゲーム感覚云々といった言説には触れてないわけですからね。一体、みうらはなにをいってるんだろうってな感じだったんじゃないかなって思うのです。

そうだ、面白いっていえば、お姉ちゃん! アメリカったらひどいのよじゃないかって思うんですか、どうでしょう。環境問題にも興味津々の恵那が、アメリカの排出量について怒りにまかせていったこの言葉。アメリカの読者にはどのように届くのか。ちょっと興味深い(意地悪な意味でじゃなくてね)。実際、こうしたシリアスなお子たちは多いと思うんで、子供だって地球温暖化について考えてるんだぞって。ほんと、いいシーンだと思います。

  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 1. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 2. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 3. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 4. Texas : ADV Manga, 2007.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 5. Texas : ADV Manga, 2007.
  • あずまきよひこ『よつばと!』第1巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2003年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第2巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2004年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第3巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2004年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第4巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2005年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第5巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2006年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第6巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2006年。
  • 以下続刊

引用

  • あずまきよひこ『よつばと!』第4巻 (東京:メディアワークス,2005年),129頁。
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 4. (Texas : ADV Manga, 2007), p. 129.
  • あずまきよひこ,前掲,58頁。
  • Azuma, Kiyohiko, op. cit., p. 58.
  • あずまきよひこ,前掲,99頁。

2007年7月13日金曜日

かっちぇる♪

  もうずいぶん以前のことなのですが、このBlogを読んでくださっている方から推薦いただきまして、『かっちぇる♪』っていう漫画が面白いですよって。長崎を舞台に繰り広げられる、バレーボールの漫画なんだそうです。そうかあ、『かっちぇる♪』かあ、読んでみようと思いながら、その機会を持つこと今の今までかなわず、いえね、ずっと覚えてはいたんですよ。地上三十階書店にいったりした日には、ぶらりと店内一周しながら探したりしていたんですが、どうにも出会えずにいて、けどそりゃとんだ心得違いをしていたせいだわ。っていうんは、私、この漫画、ずっとB6判型だと思っていたんです。そうしたら、なんと新書サイズじゃなかかー。って、無理してろくに知らん長崎弁つかわんでええです。

けど、慌ててネット書店に発注出して、よかった。実際、探しても探しても見当たらんもんだから、一体どこで買えるんだろうと大きなインターネット本屋さんにて調べて見たら、なんともう買えんようになっとるみたいじゃないですか。極め付けは2巻でした。なんと、注文さえできなくなってる。あかん、これは急いで買わんと手に入らんと、とにかくボタン押しまくって、2巻は別のネット書店で買った。そうしたら、なんと3巻4巻が届かへんのよ。ああ、しくじったわあ。実は別のネット書店には3巻4巻の在庫があることわかってて、だったらこっちで決着すればよかった。とはいえ、一度注文出しておいて、やっぱりやめましたなんて情のないことはできん。けれど商品が確保できませんでしたといわれる未来を待つほど残酷なこともない。ええい、買ったる。えっと、ちょっとまってて、ジュンク堂の在庫、空にしてくるから。……。というわけで、ジュンク堂池袋本店の『かっちぇる♪』は私が買い占めました。まさに今。もしAmazonから3巻4巻が届いたとしても、それはもうそん時の話。別にかまわんし。探してるっていう人がいるなら譲る用意はあります、って、それはちゃんと手もとに届いてからの話ね。

こんだけ焦ったのは、もう先が読みたくて読みたくて仕方なかったからなんです。私が最初に手にしたのはジュンク堂から取り寄せた第2巻でした。これをさらっと読んでみて、あ、面白いな、なんて思ったんです。なんかね、登場人物みんな、どこか能天気な人たちばかりで、熱血というほど熱血ではなく、シリアスというほどシリアスじゃないんだけど、けれどそんな態度の向こうに、バレーボール楽しもうっていう気持ちが見えて、なんか楽しそうだなあっていう感じ。バレー漫画でスポーツものというほどバレーボールが出てくるわけでもないんですが、バレー部を取り巻く青春を、スナップ写真撮るみたいに切り取ってみました、そんな感じの漫画だと思います。

こんな感想を持ったのですが、けれど第1巻が届いて、最初から読んでみたら、あ、面白いなどころじゃないなと。この漫画に出てくる人たちって、どこかに自分を持て余したり持て余されたりしていたんだっていうことが一番最初に描かれていて、なんか青春って悲しかったりもしたよね、って思い出した。うまくできない自分に自信が持てなかったりしたじゃない。友人関係だったりさ、あるいは好きでやってることでもさ、なんでも、うまくできることなんてほとんどなかったような気がする。そんなとき、妙に空白で空虚な感じで、なにやってるんだろうって思ったり。ああ、彼女らもおんなじなんだろうなって思ったら泣けてきた。情けなさとかじゃなくて、そんな彼女らがバレーボールを通じて知りあい、バレー部という場において互いに支え合い繋ぎ止めあってるような、そんなところがいいなと思って、友情だなんてことさらにはいわないし、熱血だとかシリアスとかはやっぱり似合わなくって、でも彼女らは、いい加減にはしたくないよって、そんな風に思ってるんだって伝わってくるから — 。そうした前提で読んでみれば、無力感に打ちひしがれながらも前に出ようとする杉山の姿は重かったなと思って、バレー部を取り巻く青春漫画っていう印象よりも、青春の波立ちに一本打ち込まれた杭がバレーボールであるのだろうなって、そしてその杭をよりどころとして過ごされる彼女らの時間はどんな風であるのだろう……。

なんて思ったものだから、3巻4巻ががぜん読みたくなって、だって5巻6巻はもうあるんですよ。はやく、とにかくすぐに中巻がこないと、焦って先を読みそうだ、封印するにも限界があろうよって、そんな感じであったのでした。

先についてはまだわからないけど、きっと多分もっとなにか素晴らしくなりそうな予感がしています。だから、その時にはまた書くこともあるでしょう。というか、きっと書きそうに思います。

蛇足

羽柴ヨネがいいですね。クール、真面目、実力派、だけど不器用。そんな様が妙に可愛かったり。とにかく凛々しい女の子はいいものだと思います。

  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第1巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2002年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第2巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2002年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第3巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2003年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第4巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2004年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第5巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2005年。
  • かわくぼ香織『かっちぇる♪』第6巻 (講談社コミックス(月マ)) 東京:講談社,2005年。

2007年7月12日木曜日

ショパンとバイエル

 もう十年ほども前のことになるんですね。よしまさこの『ショパンとバイエル』、そのタイトルがきっかけで買った漫画でした。その頃、私は毎日のように寄る書店があったのですが、そこに新刊として並んでいたのだろうと思います。十年前といえば、ちょうど四コマを読みはじめた頃にあたるでしょうか。当時の私は少女誌そして女性誌を買い、急速に漫画の視野を広げていました。その以前に私の知っていた漫画の世界、主に少年誌に連載されるようなもの、それらが漫画というジャンルにおいては一角を占めるだけに過ぎないということを知って、少年や青年向けには現れない、また異なるシリアス、リアリティを持つ漫画があると知って — 、私はその新しい世界の発見に夢中になったのですね。女姉弟の中で育ってきたのもあるのかも知れません。その新たな世界が持つ実感の方が、より自分にしっくりくると気付いてしまって私は、今もなお少女向け女性向けの漫画にとらわれています。それが絶対とは思わないけれども、けれどその実感は、青年向けの漫画が持つリアリティを凌駕して、 — 心に触れるかのように感じるのです。

『ショパンとバイエル』は少年が主人公。けれど構造としては、少年の思いを寄せるピアノ教師こそが主体なのだと思います。厳しく冷たい言葉を放つ女性教師は……、私としてはそういう態度どうだろうなんて思うのですが、けれどその態度の向こうにある心のかたちに少年は気付いてしまった。その媒介となるのが当時はやりのコンピュータ、そして通信。この漫画が発表された1998年はどんな時代だったろう。実はこととねはもうありました。けれどインターネットはまだ主流といえるほどに成長しておらず、パソコン通信がまだ盛況だった。そんな時代。多分、彼らが言葉を交わしたのはパソコン通信だったのでしょう。画像どころか色彩さえもない、純然たる文字の世界。画面に浮かび、流れ、消えてゆく文字の世界。チャットも盛んで、CD-ROMという媒体が牽引したマルチメディアブームの影、最後の花火打ち上げるように、夜、11時を待って人は文字の世界に没入して、キーボード叩き、心のうちを誰かに届けようとしていた。そんな時代だったと思います。

本当に心が届くのかい? 文字だけで、心が通いあうのかというと、そういうこともあったのですよ。あれは、なんといったらいいんだろう、夢の世界みたいだった。ここではすべてが自己申告制だものね(笑)。画面のこちら側の現実を脱ぎ捨てるようにして、生身の精神が出会うように感じた私たちは、かつて経験もしたことのないような新しい関係に浮かされていたのだと思います。もちろん、その熱の冷めるとともに消えていった関係もあり、けれどその熱さを現実に繋ぎ止めたケースもあることはやはり確かで、だから今『ショパンとバイエル』を読むと、懐かしくて、おとぎ話みたいで、けれどこういう話もあり得たろう。会ったことのないと思っていた、現実には決して触れることのなかった心が、ネットワーク越しに触れるというロマンチックに、なんだか心がほぐされてしまうのですよ。

少年は中学生で、ピアノ教師は27歳、大人の女で、現実の世界ならきみにキスできるのに、けれど現実にはそれはかなうべくもないことと知っていたのはほかならぬバイエル、彼自身でした。その埋まらぬ距離に煩悶する思いに切なさは込み上げ、だから最後に彼の仕掛けたからくりが効いてくる。現実はあくまで現実で、じゃあネットはしょせん虚構に過ぎなかったのかといえば、そんなことはないのだよと、最後の最後、すべての繋がったとき、バイエルであった圭吾の思いは高らかに世界を歌いあげたのだと思います。

引用

2007年7月11日水曜日

人体模型の夜

  中島らもは、私の読書体験において決して抜くことのできない作家で、いや、作家っていうのとはちょっと違うかな? っていうのは、私にとっての初中島らもは新聞連載のコラムであって、その名も『明るい悩み相談室』。読者からの相談を受けて中島らもが答える。けどその相談がちょっと普通と違って、ほら、普通新聞とかの身の上相談って、誰にもあり得そうなことを取り上げるでしょう? でも『明るい悩み相談室』は違う。こんなので悩んでんのいったい日本に何人いるものだか、下手したらこの人だけじゃないのみたいなのが続々出てきて、そうした特異な悩みを解決すべく答える中島らもの文章もふるっていて、面白かったなあ。茶化してるんじゃないんです、わりと真面目なんですよ。でもその真面目の軸が普通からかけ離れていて、目からうろこ的体験があって、常識を疑ってみるというのはこんなにも楽しいことなんだと教えてくれたのは中島らもでした。と、こんな具合に面白い中島らもがその後小説書くようになって、私もいくつか読んでいるのですが、今日はそんな中から『人体模型の夜』を取り上げたいと思います。

『人体模型の夜』、なんか珍妙なタイトル、けれど私はこのタイトルすごく好きで、忘れられない小説のタイトルを挙げろといわれたら、きっと候補にあがります。それくらいに好き。そしてその内容についても忘れられないものがあって、ときに、例えばラーメン屋に入ったときなどに思い出す。なんかね、身体的な部分、触覚嗅覚といった感覚に訴えるところのある小説だからだと思います。

身体に訴えるというのは、まあ当たり前なんですけどね。っていうのは、この小説、身体の部位をテーマにした短編が十二編たばねられたもので、そうした特質もあってか体感的に残る感触がある。妙な気色の悪さ、ぞっとする怖さというより、うえっとくるおぞましさ。基本的には怪奇譚なんですが、ホラーと思わせて現実的なところに落とされる話が多いというのも特徴かも知れません。実際にもありそうと感じた話が、ことさら私の記憶に残ったってだけなのかも知れませんけれど。

今回、最初に『明るい悩み相談室』に触れたのは、胃袋に関する短編が、明らかに『明るい悩み相談室』に寄せられたケースをもとにしているからでした。冗談めかした相談も多いこの連載において、シリアス味もないではない相談で、そのせいか私の記憶にも引っかかって忘れられないものとなったのですが、もしかしたらそれは中島らもにとってもそうだったのかも知れないですね。その時の中島らもの答えは、この短編においてもあらわれているんだけど、けれどそれは通過点に過ぎなくて、より深みに向かって落ち込んでいくような嫌な感じのある短編に仕上がっています。ちょっと終わりに向かって焦り気味という感もないではないけれど、その切迫感のせいもあって、がつがつとラストに向かおうという気持ちが強くなって、そして小気味のいい落ち。ああいいひねりだなって思いましたとも。あの悩みを受けて、数年寝かした結果がこういうかたちに落ち着いたのかと思った。私の子供の頃の引っ掛かりがいい感じにいなされた、そんな風に感じたのでした。

もしかしたらこの短編に限らず他のものにしても、なんらかの原体験のようなものがあるのかも知れないですね。なにか引っ掛かりやわだかまりのようなものがあって、それが小説というかたちをなして満足させられた。そんな感じがしています。けれどその小説は、読んだものに新たなわだかまりや引っ掛かりを残して、それが例えば私がラーメン屋でふと思い出すといったような話。かくしてわだかまりは連鎖して、そのわだかまる感じを決着させたいのか逆なのか、ざわつく気持ちに押されるように読みたくなることもある、そんな一冊です。

戯曲

2007年7月10日火曜日

論文作法 — 調査・研究・執筆の技術と手順

大学は卒業にあたり論文を必要とするものと思っていたのですが、学部によっては、あるいは大学によっては必要なかったりするみたいですね。けど、可能であらば論文は書いたほうがいいと思っています。たとえそれができの悪いものであっても、一度は経験しておいたほうがいいものだと思うのです。ひとつのテーマに取り組んで、あれやこれやと頭悩ました結果を文章に落としていく。こうした一連の作業を通して、頭の中にもやもやと立ちこめる思いや疑念、疑問、迷い、情念、思いつきからひらめきまでを整理し、明確な輪郭を持つ論にまとめる術を学ぶことができる。まあ、論だなんて大げさなこといわなくてもですね、自分の思っているところを誰かに伝えるための方法が学べるわけで、こうした技法はですよ、その後の人生で一度も論文書くことがないとしても、無駄にはならないと思うんです。実際私は論文書いて、得るところが大いにあったと思っています。だから私は大学にいっといてよかったなあって、本心から思うのです。

大学では論文を書くにあたり、ゼミ(ゼミナール、最近はセミナーっていうの?)においてその方法をみっちりと仕込まれるのが普通です。少なくとも私の大学、専攻においてはそうでした。論文を書くための指南書というか、テキストを講読しながら、その実際的な方法を学んでいくんです。またこのテキストを読むこと自体もひとつの訓練で、資料をあるいは著者のいわんとするところをよく把握しまとめる力をつける、そうした練習にもなっているのです。

大学の三年のゼミ、採用された指南書はふたつありました。ひとつは『音楽の文章術』、非常に実際的な手続きをよく説明する良書です。そしてもうひとつはウンベルト・エーコの『論文作法』。論文を書くとはどういうことかといった心がけから資料の集め方、整理法、そして実際に書くという作業について。丁寧な筆致で例も豊富に説明する、これもまた良書であったと思います。『音楽の文章術』みたいに、ツールとしての便利さがあるわけではないのですが、けれど論文を書くということ、つまりは研究するという姿勢において大切なことに触れるような、そんなところのある本でした。ちょっと情緒的かも知れない、例えばが多すぎる、くだくだしいと感じるところもあったりしたけれど、けれどそうした部分も含めて読んで面白かった。論文というものは大げさな新説をぶち上げるのが本筋じゃないんだよといってくれてるようで、先もわからず不安だった私たち学生に、頑張ろうという気持ちを沸き立たせるようなところのある本でした。

でも、私はそれでも誤ったんですよね。エーコが例として出したアドルフ・アッピアに取り組む学生の話。歴史家や理論家によって多量に研究され尽くされている、もはや何もいうべき新しいことはないように思われるテーマを選択した学位志願者が、研究の結果アッピアの書き物[中略]や、アッピアに関する書き物について文献表を作成することに成功した、という逸話を曲解して、詳細な調べ勉強さえすればいいという間違ったやり方を選択した揚げ句、読んでいてつまらないと評される論文(ともいえない代物)をでっち上げるにいたったのです。あれは失敗でした。態度がすでに間違っていた。自分がその対象についてどう取り組みたいかという、それさえもなかった。だから私にとってあの作文は悔いです。けれどその悔いがあったからこそ、次に私はまっすぐに対象に向かう勇気を奮うことができたんだと思います。少しはましな論文を書けたという実感を持てて、そうして私は前に進むことができるようになったのだと、そしてエーコがこの本においていっていた本当のことを、目をそらすことなく正しく受け取れるようになったのだと思います。

多分、この本はまだなんもよくわかっていない学生の頃に読むよりも、ある程度いろいろが見えてきてから読んだほうが面白いんだと思います。けどあくまでも論文を書くための本ですから、論文を書かなくなった今あえて読もうという気にもなりにくく、ですがそれでもいつでも手の届くところに置かれている。なんだかちょっと特別な本みたいじゃないですか。いや、実際に私にとっては特別な本であるのだと思います。

引用

2007年7月9日月曜日

Boy’sたいむ

  手違いから男子寮に入ることになった女の子、葉山ひろむをめぐるどたばたの楽しい『Boy’sたいむ』ですが、この漫画に問題があるとしたら、男子として生活しているひろむの方が、女子モードのひろむよりも可愛いってとこなんじゃないかなあ、なんて思うのですがどうでしょう。ショートヘア、眼鏡で少年っぽいいでたち。ベースにある女の子っぽい思考、行動様式にこれら要素が加わることで、実に中性的な感じになっていましてね、そして極め付けは一人称がってとこでしょうか。いやあ、これは実際置島が迷うのも仕方がないよって、うんうんうなずきながら読んでいます。

置島ってのはですね、ちょっといい男で女のコ大好きというそんな少年だったのですが、本来ならいけ好かないポジションである彼がですよ、なんでそういうことになったのか、ひろむのちょっとしたしぐさにドッキリとして、迷う。自分が倒錯しているのではないかと迷い、けれどそれでもひろむに迷い、さらに2巻ではまた違った嗜好をも開花させ、一体作者は置島をどうしようというんだろう、なんてこと口ではいいながら、本心ではやれやれもっとやれと思ってるんだから、それこそ『バーコードファイター』よろしく、俺、男のひろむが好きなんだ!ってな感じの展開をわくわくしながら待っている節があるものだから、ほんと自分のことながらたいがいだと思います。

さて、女の子なのに性別を偽って男子寮に暮らすというひろむの物語。寮生は三名、先ほど紹介しました倒錯美少年置島にむやみやたらと体育会系の寮長、そして女ひろむに思いを寄せる龍太郎。それぞれがそれぞれにちょっとずつ違った描かれかたしてるから、うまくコントラストが出て味になっています。特にコントラストは置島と龍太郎に顕著で、方や美少年、方や少年。方や繊細、方や粗雑。方や男ひろむLove、方や女ひろむLove。ってな感じで三角関係!? かと思いきやひろむが全然そんな風じゃないから、両者ともに片思いなところがありまして、その振られっぷり、そのかみ合わなさも味のひとつであります。とかいいながら、ひろむもちょっと意識してない風でもない、まあうまく盛り上げてくださるわけですな。

ひとり上でピックアップされなかった寮長、この人の位置はまた独特で、その男らしさに対するストレートな猛進ぶりでひろむをはじめ寮生全員巻き込んで大変なことにしてしまうという、そういうキャラクターであるのですが、なかでもひどく巻き込まれるのはひろむで、女だというのに男らしさを身に纏うというか……、けどこうしたちょっと理不尽な目に合わされる女の子がヒロインで、なのにこうして楽しく読めるというのは、やっぱりひろむがやられっぱなしじゃないからだと思います。し返すときにはちゃんとやり返すしたたかさを持っていて、いわば対等ですな。決して負けっぱなしにはならない、負けるとしたら寮長が天敵だけど、それはなにしろひろむだけじゃない。寮生みんなが平等にひどい目に遭ってるから、やっぱりひろむは彼らに対等なんだと思います。そういうスタンスが、読んでいて理不尽を理不尽に感じさせず、からっとした(?)、ちょっと爽快さもある雰囲気のもとになってるのかと思います。

ところで、やっぱりこの漫画、将来いつか終わる日がくると思うのですが、その時にはひろむが女であったことがばれたりするのかな……。望むべくは、ひろむを男と誤解したまま置島とゴールみたいな、そういう変なカップルみたいになって欲しいものだ、とかいいながら、その実本心ではこうした微妙な距離を維持したまま、つまり恋愛成就みたいなのとは縁のない終わりが一番望ましいだなんて思ってるんだから、ほんと、私ってやつはわがままにできているわけですよ。

  • 藤凪かおる『Boy’sたいむ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 藤凪かおる『Boy’sたいむ』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

参照

『バーコードファイター』における台詞、オリジナルは以下のとおり:

わいが……。わいがす…、好きな桜ちゃんは……。桜ちゃんは……、男なんや!!! わい、男の桜ちゃんが好きなんや!

実に屈指の名台詞であります。

2007年7月8日日曜日

棺担ぎのクロ。 — 懐中旅話

  こいつはなんだかぶってやがんなあ、『棺担ぎのクロ。』の連載が始まった頃、私はそんな風に思っていて、それは別に嫌いってわけじゃない。ただ、あんまりに見慣れた四コマの雰囲気とは違っていたから、少し距離を置いて様子を見ていたのでした。確かに、すごくぶっている漫画。ファンタジー色を持つ四コマはきらら系列にはたくさんあるけれど、『棺担ぎのクロ。』は飛び抜けて濃厚にファンタジーで、いやむしろメルヘンくさいといったほうがいいのかも。日本漫画の柔らかさに、ヨーロッパ的重さ固さが同居するような手応えがあって、けれど私はヨーロッパに幻想を見たいと思っているような人間だから、ことさら意地悪な見方をしようとしていたのかも知れませんね。けどさ、読んでたらわかります。この漫画は、ヨーロッパ的味付けをほどこされながら、ヨーロッパではないんです。そこにあるのは、もしかしたら私も育ってきた環境の、有り体にいえば八十年代から九十年代にかけて醸成された、日本におけるヨーロッパ的なるもの。私もすごく好きな空気。だってそこで育ってきたんだもの。けれどそれゆえにかたくなだった。だからかたくなさが抜けてしまえば、後はもう一緒に踊るしかないじゃないですか!

にしても、このきゆづきさとこという人は希有であると思います。この人の描く漫画は、絶妙のバランスによって成立していると思うのです。それは例えば、微妙に理屈っぽかったり、微妙に説明的だったりするところを、それと感じさせないぎりぎりに収めて、けれどそれで突き放したようにもしないというバランス感覚。あるいは独自の色彩や、かなり作り込んだ世界観を、独りよがりにならないように押さえ込みながら、けれど確固たる立ち位置を確保して、決して他に紛れさせることのない — 、そういうバランス感覚。他人の色に染まらない、自分自身の色を持っているってことをほかならぬ自分自身が一番よく知っているというそんな感じがするのです。

けれどそれは孤高ってわけじゃない。歩み寄りもすれば、一緒に踊りもするという柔軟さがある。それは下手をすれば敷居を高くしかねない独自の世界を親しみやすいものに変え、どうぞお上がりといった人懐こさでもてなしてくれるようだといったらどうでしょう。ええ、私は最初そのチャーミングさに気付かず、いや気付いていたからこそかな、遠巻きにしてしまったわけです。けど、一度その世界に踏み込んでみたら、やあこれはすごく素敵な舞台じゃないかと、やんや喝采を送るひとりになってしまっているんですね。

上にいったような感じ、『棺担ぎのクロ。』に実によく現れた特徴だと思うのです。一見すごく独自かもしれない、けれどその実、読者とも共有できる感覚がたくさん盛り込まれているものだから、親しみやすくそしてチャーミング。けど、そうした特性を決して表立って喧伝するようなところがないから、読んでみないとわからない、けど読めばわかる、そして一旦それとわかれば、このうえもなく大切なものになるんですよ。この漫画を、そして作者を介して広がる世界に、私も愛した時間や空気がちりばめられている。だから、まるで宝探し。自分にとって大切なものが見つかれば、それだけこの漫画がかけがえのないものに変わっていくような気がして、ええ、なんか言葉交わすこともなく深まりあう友情みたいな感じなんだと思います。

今日は蛇足はなし。かわりに主人公クロについて。上に書いてきたこの漫画に関する感触は、そのままクロに通じるところがあると、そんな風に思います。一見とっつきにくいんだけど、よくよく近寄ってみれば、人懐こさもあってそれになによりチャーミングだ! けどそれは迎合してるとかじゃなくってね、あくまで自分独自のカラーがあるから、決して他人には染まらないのさ。なんか、ちゃんとした個人が確立されてるって感じがあってさ、あんたは私とは違う、けれどもしかしたら大切に感じるなにかは同じなのかも知れないよって、そんな感じのわかりあい方、べたつかずさらりとして、クールだけれど暖かでもある、そういう繋がり方が気持ちいいんだと思います。

2007年7月7日土曜日

1年777組

  今日は2007年7月7日。7並びがなんだか嬉しかったので、777にちなんだものを取り上げたいなと思いまして、さて777といえばなんでしょう。一般的にはパチンコかな、なんて思って『ななみまっしぐら』を一旦マークはしたものの、他にはなにかなかったかなあ。いや、あるんですよ。気付かないふりしているだけで、777といったらあれしかないって漫画があって、けどあんまりべただからどうしようかと思って — 、そう『1年777組』ですよ。『まんがタイムきらら』にて連載中の漫画。おそらくは、現在の連載においてはもっとも最古参であろうかという漫画で、思えばずいぶんと雰囲気を違えてしまったきらら誌ですが、けれどそうした中に変わらず馴染みの顔があるというのは、なんだかほっとした気持ちになれるものだと思います。

『1年777組』、この漫画はそれ自体がほっとさせてくれる雰囲気を持っているものですから、その効果はなおさらだと思います。巨大な学園において繰り広げられるコメディ。友情あり恋ありギャグあり涙あり、いや涙はそんなにないかな? ちょっと悲しいっぽい話があったとしても、漫画の雰囲気が緩和してくれるし、それに最後にはきっと前向きで明るい落ちがあるものですから、そういう安心感も嬉しくて、ちょっと心がかさついていたとしても、読み終わればなんか暖かで緩やかな気持ちになれる。すごく好きな漫画なのです。

そんなに好きなら、なんで書くのを躊躇したのかといいますと、まず一点目、今月末に第4巻が発売されるんですよ(やったー!)。だから、ちょっとフライングだよなあと思った。で、二点目、以前この漫画でもって書いた時、こととね本家の77777カウント記念みたいなこといってて、なんと二回連続で数字絡みかよ! あんまり同じようなネタで更新するのもいやじゃありませんか。けれどそういいながらも『777組』で書こうと決めたのは、それだけ好きだからなんだと思います。

あまりに変わらないと思われた『1年777組』ですが、それでも少しずつ移り行くものがあって、あまりに純真すぎて好きという気持ちが恋心になることのなかったこりすの気持ちに少し変化が見られるなど、だからいつかねこと君の恋が成就することもあるのかなあという期待もあるんですが、けれどできればもう少しこのまま、中途半端かも知れないけれど、この揺れながらも決して行き着くことのない曖昧な状況が続いて欲しいものだと思って、そう、私はこの漫画にあらわれる、かなえたいと思いながらもかなわぬ恋の切なさに魅惑されているものですから。特にそれは、ねことに恋するきつねにおいて顕著。ええ、3巻の末に収録されたきつねメインの恋物語、ああいう切なさですよ! すごく、すごくいいと思うんです。

  • 愁☆一樹『1年777組』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2003年。
  • 愁☆一樹『1年777組』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 愁☆一樹『1年777組』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 愁☆一樹『1年777組』第4巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

2007年7月6日金曜日

会計チーフはゆーうつ

   『まんがタイムラブリー』誌上にて連載されていた『会計チーフはゆーうつ』。この漫画が終わったときには、ああひとつの時代が終わったなあと、そんな気持ちになったものでした。なにを大げさなと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、けれど私にとってはこの漫画は馬鹿にできない大きな位置を占めていまして……、それは私の四コマを読みはじめた頃にまで遡ります。

私が四コマを読みはじめるきっかけとなったのは千葉なおこの『OLパラダイス』であったのですが、この漫画が連載されていたのが『まんがタイムラブリー』。そしてラブリーには『会計チーフ』が載っていて、そうなんですね、四コマ読みとしての私の遍歴はこれら漫画に始まったのです。この頃はまだラブリーしか読んでいなかったので、私にとってはラブリー掲載作がすべてでした。はたしてどんな漫画が載ってたっけ、思い返すと、そのどれもがずっと以前に終わってしまっている。そんな中わずかに残っていた漫画もあったのですが、『ソーセージ☆まーち』、『会計チーフはゆーうつ』と立て続けに終わるのを見て、ああ本当に終わったと、そんな風に思ったのです。

これら漫画の位置づけは、正直なところ私にはよくわからないのです。これら以前に私の知るところの四コマ漫画というと、植田まさし、いしいひさいちなどが関の山。そうしたオーソドックススタイルに対し、可愛さの前面に押し出されたラブリー掲載作は異色であったのかも知れないと想像はしながらも、けれど私にとってはこれらラブリーに載っていた四コマが四コマのスタンダードであるのです。刷り込みってやつかも知れません。けれどたまたま読んだ雑誌の、風変わりなOL広田さんの洗礼をうけて広がった四コマの世界。毎回、これといって状況が変わるでもない、はっきりいって繰り返しの日々の中、お定まりのお約束で動いているような四コマが面白かったのは間違いなくて、その後ストーリー四コマがはやり、またきらら系が台頭するようになってきても、変わらずそこに『会計チーフはゆーうつ』があった。読むことができたというのは大きな意味があったのです。

少なくとも私にとっては。

癖の強いOLに振り回される、ちょっと駄目な上司。『会計チーフはゆーうつ』を説明するにはこれだけで充分かと思います。どじな上司、それに激しく突っ込むOLたち。けれどそこにはちょっとした信頼関係もあって、なんのかんのいって仲良くやっていますという、そういう漫画でした。けれど、当初は間違いなくそのパターンの繰り返しであったのが、長く続く間に人間関係も変化してきて、キャラクターに肉付けがされてきたとでもいいましょうかね、そしてついには恋愛にも発展して。正直、読みはじめた頃にはこんな展開になるとは思ってなかった。変わらない日常が変わらないままに続くんだと思ってた。変わらないままに終わるんだと思っていたんですが、けれどそれがこんなにも大きく舵を切って大団円ですよ。まあ、長かったと思います。引っ張りすぎた嫌いもないではない。でもね、それでもひとつの区切りどころではない大きな区切りを付けて、終わって、その終わり方があまりにもダイナミックだったからさ、そうかあ、終わったんだなあ。あの、慣れた日常にはもう戻ることはないんだなあと、喜ばしく思いながらも寂しさ感じるところも少々、有り体にいいますと感慨深いのです。

蛇足、書いとこう。私は気のきついボブのOL、中山有里子が好きでした。けど、大崎も好きだし、沼ちゃんも好きだし、もちろんチーフも好きで、だからなおさら、このあんまりにもうまくまとめられた終わり方、誰も不仕合わせにならない終わり方にほっとしてるんだと思うんですね。でも、なかでもチーフと中山はよかったね。こうなるしかないって感じでしたけど、だからそうなってよかった。他の終わり方なんかないっていう、そんなところに、満足してるというとちょっと違うんだけど、ああ落ち着くところに落ち着いたんだなあ、みたいなそんな気分です。

2007年7月5日木曜日

Nike Free

 すごいの見付けました。といいましても、なんてことはないただの靴なんですが、先日購入して以来かなり気に入ってしまったNike Free 5.0。次に靴買うとしてもこれだなあと決めてしまっているくらいに入れ込んでいるのですが、今日、帰り道、スポーツ用品店の表とおりかかったらNike Free 7.0が入荷していますとの案内があって、それで誘われるままにふらふらと店内に。いや、Free 7.0がすごいっていってるんじゃないですよ。だって、なにしろ私が履いているのは5.0で、しかもこれでも生ぬるいとインナーソールを取っ払って4.0相当にしているくらいです。だから次に買うときは同じく5.0か、あるいは4.0と思っていた。7.0は購入対象ではないのです。

じゃあ、なにが一体すごいのかといいますと、いやあNike、やる気見せてますね。4.0どころじゃないですよ。なんと、3.0っていうんが出てるんですね。まったく知りませんでした。つうか、3.0なのか。4じゃ生ぬるいって人がいるんだ! いやね、実際の話、5.0を4.0にして三十分歩いてる私にしても、別段普通だよなあ、というか、もっと裸足ぽくってもいいよなあなんて思っているわけですよ。だから今度買うときには4.0が欲しいなあ。でもってインナーソール取っ払ったら3.0相当になるのかなあみたいに思っていたんですが、そしたらデフォルトで3.0! これやわ。でもって、これ、インナーソール取っ払ったら2.0相当になる? つうか、そこまで要求するんなら裸足かわらじで歩けって感じですね。いや、でもね、この靴は本当にすごいんですよ。

よくいわれる、Freeを履いて歩いたら、翌日ふくらはぎが筋肉痛になったというような話、残念ながら私にはそういうことはなくて、ってのは以前に愛用していたエアモックもそこそこに裸足感あふれる靴だったってことなんでしょうか。いずれにせよ私には筋肉痛出るようなことなくて、そのへんがっかりしたんですが、けどこれ履いて歩いていると違います。まずですね、足裏に変化が出ます。私は足裏マッサージ師にかたい足だねえといわれるくらいにかたい足裏をしていたのですが、それが自分でも驚くくらいに柔らかくなりました。そして足裏を意識しながら歩く癖をつけたら、腹筋がついた、背筋がしゃんとして背筋も強くなった、そして左右アンバランスだった体も是正されてきている。ほんとう驚きましたよ。今、屋内で裸足でいるときなど、ふと足もと見ると、五指で床をしっかりとつかんでいるんですね。以前はそんなことなかったのに、この靴履いて二ヶ月歩いて、それでこんだけの違いが出るんですから、もし歩くだけでなく走り込んだりしたらどんなにかすごいことになるだろう、なんて思うんですよね。

明日にでも自分のサイズ(27cmだけど27.5cmくらいがちょうどいいみたい)があるかどうか聞いてみて、あるようなら購入、なければネットで購入かなあって思ってます。いや、しかし、本当に走ろうかなあ。どうしようかなあ。カメラ持って走るのはあんまりよくなさそうだから、歩きにとどめるべき? いや、ほんと体動かしたくなるくらい、いい靴なんです。

2007年7月4日水曜日

ビギニング / めぐりあい

 iTunes Storeから届けられるNew Music Wednesday、今週のトップには機動戦士ガンダムが燦然と輝いて、おお、そういえばBANDAI CHANNELがiTunes Storeにガンダム関係の楽曲を提供するだなんだってニュースやなんかで見ましたなあ。そうかそうか、ニュース見たときには探すのが面倒くさいからといってそのままにしていたのですが、特集ページへのリンク付きで紹介された日には、ちょっと見てみようかなって気にもなりますわね。で、見てみたら、結構な充実? 私はてっきり最初のガンダムしかないと思っていたんです。そしたら、歴代のシリーズがずらりと並んでいましてね、で、最初にチェックするのがΖガンダムなんですよね。でもさあ、なんでか知らんけどΖΖとコンパチにされてるは、主題歌入ってへんはで、こりゃちょっとショックですぜ兄さん。こりゃもうあかんわ、パスパスと思いながら『ファーストガンダム パック - EP』を購入。だって、『ビギニング』に『めぐりあい』が収録されてるってんですよ。こりゃ、あらがえません。私は、私はこの二曲がもう好きで好きでたまらんのです。

ガンダム好きには今更いうまでもないことなんですが、井上大輔の歌うこの二曲、映画になったガンダム第三作目『めぐりあい宇宙編』における主題曲、映画のクライマックスに挿入されて、胸が熱くなるとかなんとか、そんなレベルの話じゃないんですよ。好きとか嫌いとか超越してる。いうならば、私の幼い頃に憧れて夢見た大人の世界の原風景として心の奥にがっちりと食い込んでいる。ガンダムの、アニメの、あの宇宙の青く深い映像のその向こうに咲いて散って、そして思いをつなげあった若者たちのドラマとしっかり抱きあうようにして、私のなかに沈み込んでるんです。分かつことのできないくらいに、焼き付くみたいにして私の心の奥に残っている。ふと、日常の合間にメロディが、歌詞がよみがえってくることがある。その度に私はしんみりとして、けれどそれは弱気になってるんではなくて、涙ぐみながらも私はこれからも生きていけると決意するかのような、そんな思いになれる、そういう歌であるのです。

ガンダムの主題歌といったら、そりゃいうまでもなく『翔べ!ガンダム』なんだけどさ、けれど巷で人気なのは『哀・戦士』みたいで、カラオケでアニソン歌おうぜみたいになったら『哀・戦士』歌うやつはわりといるような気がします。確かに『哀・戦士』もいい歌です。悲壮感漂わせながらも前向きに、顔あげて進んでいこうぜみたいなそんな意気軒昂としたところのある歌、そりゃみんなで盛り上がっていこうぜってときにはこれでしょう。けど、私は、テレビシリーズ見ていたときから主題歌よりもエンディング『永遠にアムロ』の方が好きだったというような子だったから、陰気な小学生だな、けれど好きだったんだから仕方がない。こんな憂鬱質の子供だった私には、ちょっと『哀・戦士』は勢いがよすぎた。だから、劇場版見たら、最後に心に残っているのは決まって『ビギニング』、そして時がすこやかにあたためる愛/そして時がすこやかにそだてる愛のフレーズ、そして『めぐりあい』、誰もひとりでは生きられない — 。

誰もひとりでは生きられない、シンプルにして真実をうがつ一言であると思います。ガンダムの物語の帰結をこの少ない言葉で充分に表現して、そしてそれは当時の若者たちの心情を捉える言葉であったのだと思います。私は、その頃はあまりに幼すぎたけれど、後にしっかりととらわれて、そういう人はきっと少なくないと思っています。自分一人で生きているみたいに、どんどん非人情の側に流れていく私に、そうじゃないんだと呼びかける歌、決して忘れてはならない歌だと思っています。

BANDAI CHANNEL / バンダイチャンネル

引用

  • 井荻麟『ビギニング
  • 井荻麟,売野雅勇『めぐりあい

2007年7月3日火曜日

乙女ケーキ

 百合なんて一過性のブームに過ぎなかったんじゃないかと思っていたこの頃。けれど、それでもこうして新たに出版されるものもあり、ちょっと一安心。というのは、私はこうした色合いを持つ漫画が好きだから。この傾きはブーム云々以前からで、だから百合がブームになったときにはそれを素直に喜びながらも、潮が引くとともにせっかく育ったものまでもろともに押し流してしまったりしたら最悪だと怖れもした。けど、『コミック百合姫』はけなげに続いているみたいで、百合自体もブームは落ち着いたみたいですが、ひとつのジャンルとして定着してくれた模様。本当にありがたいことです。

ありがたいついでに買い支えようといいたいわけでもないのですが、タカハシマコの『乙女ケーキ』。書店で見かけて、なんの躊躇もなしに購入。落ち着いた色調ながらも華やかな表紙、けれどそこに漂う陰鬱なイメージが読む前からなにか期待させてくれて、そうしたら掲載一作目からかなりいい感じ。可愛らしく華やかな女の子たちの、じゃれあうような心の行き合いの影に鬱屈したコンプレックスがかいま見られる……。この、コンプレックスやエゴが美化されるでもなくあらわにされて、切ないやらなんやら、けれどこうしたネガティブな感情さえもすくい取って美しさに変えてしまう、そんなところがすごく好き。やっぱり女の子は特別なんだと思わないではおられないのであります。

けど、漫画に出てくる女の子は美しい夢だからな。特にタカハシマコの描く女の子はそうだと思う。この人っぽい表現でいえば砂糖菓子みたいな甘さがあって、砂糖の甘さがとげとげしさや苦さを覆い隠してくれるんだよ。なんて思いながら、けれど人が百合ものに引かれたのは、そうした美しい夢を欲する気持ちがあるからなんだと思います。不安も揺らぎも重苦しさもすべてをひっくるめて美しく変えてくれる、いびつな願いが生み出す不均衡な美がそこにあるように思えて、ネガティブでメランコリックでセンチメンタルでエゴイスティックで、けれどそうした感情をぱっとはらしてくれる明るさがさす瞬間が美しくいとおしい。夢なんだけど、幻想なんだけれど、それでもその美しさに心とらわれることがある。いびつと思いながら、欲してやまない気持ちがあるのだと白状しないではおられない美しさがあるのです。

  • タカハシマコ『乙女ケーキ』(Yuri-Hime COMICS) 東京:一迅社,2007年。

2007年7月2日月曜日

大奥

  面白いらしいとは聞いていました。よしながふみの『大奥』。書店の平積みに見かけ、表紙に見える美しい男の姿にぐっと心引かれながら、けれどその時にはどんな漫画かも知らず、また当時ドラマかなんかで大奥がらみが流行っていたかなんかがあったから、そのせいで見過ごしにしてしまいました。このへん、私のあまのじゃくといわれる所以、はやりものには背を向ける癖があるのです。けれど、いつまでも背を向け続けるのも難しいものがあって、というのはこの『大奥』という漫画、いたるところで人気のようで、文化庁のなんか賞をとったとか? その時に私ははじめて知ったのです。この『大奥』というのは、私たちが一般に知っている大奥とは違うのだと。将軍が女、故に男ばかりが集められたのが大奥 — 。なんと奇を衒った……。とはいえそれが賞をとるのだ。なら、その内容はいかなるものなのか、興味を持たずにはおられなかった。そう、そうして私は遅ればせながら『大奥』を読むこととなったのです。

設定を聞いて驚いて、しかし読んでみればなおのこと驚いて、なにこれは単に男女逆転をやりたかっただけの話ではないね。それこそ、男だらけのハーレムを描こうというものなら前々から決して少なくなくて、けれどそれはその逆ハーレムという設定の奇矯さにとらわれてしまっているとでもいったらいいか、そこに立ち止まるものがほとんどでしょう。けれど、『大奥』においてはその先に進んでいる。なぜ大奥が男により構成されることとなったか、ただ単に将軍が女であったからではない、その背景を描こうとして、そしてその異常状況に点在する理不尽。理不尽、それは自然がもたらす驚異であり、また人の意がからむやり切れぬものであり、そこに翻弄される心があれば、揺れちぎれんばかりにもだえているという悲しさ。やあ、これは深いわ。もともとは男女逆転という単純な発想に始まったのかも知れませんが、その裏にある危機感、混乱が実に肌に生々しく、人の弱さが人に害を為すという空しさ、切なさもほとほと憐れ、胸にひしひしと迫るようです。

私の思い違いの二つ目は、これが将軍一代限りのものと考えていたら、そうではない、徳川三代家光より綿々と続くシステムであったというその広がりでした。第1巻は八代吉宗の時代に始まって、しきたり決まりにがんじがらめの江戸城内において、ことごとくその悪弊を切って捨てようとする吉宗がたどり着いた事実、そして第2巻においては時代を遡り家光の世に起こった事々を描くのですが、しかし、吉宗の時分にはもう慣例となっていたもろもろが、家光の頃にはそうせざるを得ない事情があったと語られる、これはすごく緻密な仕事でありますよ。なんということもなしに読んでいた1巻が、2巻を知った後においてはそこかしこに伏線が用意されていたとわかる。それら因縁は過去へ、異常状況の発したそのときに持ち越されるのですが、その家光を巡る物語のまあ切なく悲しく憐れなこと。理不尽に弄ばれる心の傷つく様、弱く、いじらしく、か細い心の輪郭がつぶさにしかし淡々と描出されて、そしてその心を受けようというものもまた理不尽に取り巻かれ傷ついたものであるという、そこが悲しい。しかしこの嵐に似た悲しみにほのかな灯が点されるような2巻のラストは圧巻で、踏みにじられた心の惨めであったその分だけ、胸に深く感動の沸き起こるのだと思います。

とはいえ、この物語はまだ始まったばかり。第3巻においてはより一層に大きな波立ち、渦巻くドラマが繰り広げられることと思います。

  • よしながふみ『大奥』第1巻 (JETS COMICS) 東京:白泉社,2005年。
  • よしながふみ『大奥』第2巻 (JETS COMICS) 東京:白泉社,2006年。
  • 以下続刊