ほんと、これ、かわった漫画です。『ペンにまします神サマの』。ボツをくらってとぼとぼと寂しく帰る道すがら。メイドが配っていた試供品を受けとったことで、漫画家志望の神谷寿実の生活ががらりと変わってしまうというんです。試供品は一本のペン。ただ、これ普通のペンではなく、描いたキャラクターが現実のものとなる、魔法? 奇跡? ええと、なんだっていいや、超常の道具だったというから大変です。かくしてすみの手によって生み出されたのは、恋する少女、女剣士、そして破壊神。しかし、これ、ものすごい。なんというんだろう、漫画の輪郭がいまだ見えません。こういう漫画なのかなあ、そう思ってたら、思いっきり違う表現、違う世界を見せつけられて、うおお、なんだこれ、すげー! もう、翻弄される、されっぱなし。これ、相当ですよ。
基本はコメディなんですよ。魔法のペン、神様のペンでもって生み出された子たちとのデコボコ同居生活。現代日本を舞台とした恋愛もののヒロインは、一番常識人と思わせて、ところがどっこいどことなく普通の恋する少女ではない要素が垣間見えるし、異世界ファンタジーの女剣士は当たり前のようにこの世界のいろいろ、よくわかっていない。そして破壊神の子は、ええと、一番有能で一番穏当よね、この子。寡黙で結構辛辣で、って、いや、この漫画、みんな、それぞれ辛辣、ツッコミやらなにやら容赦ないですよね。
そう、こういう容赦なさがいかんなく発揮されるところが面白いのだと思っています。遠慮がないのは気持ちの近さのせいなのかな? いや、正直、よくわからんです。けど、このわからなさが魅力なのだと思う。ああ、今回はそういう話なんだな。そう思って読んでたら、終盤で思い込みを底から一気に引っくり返される、そんな瞬間がある。この人、こういう人なんだな、そう思っていたら、全然違う顔、表情、人となり、どーんと見せつけられる瞬間がある。もう、それが本当に鮮やかで、楽しませるための仕掛け、釣り込み、情報のコントロールが本当にうまい。やってくれますよ。ほんと、うわーやられたーって、そのやられたって気持ちがむしろ快感。キレのよさあれば、広がる世界の豊かさに魅入られる、そんな時さえあって、ほんと、読んで出会うその瞬間まで、なにが出てくるかわからない、そうした幅の広さ、技の多彩さが実に素晴しいです。
キャラクターのやり取りに見える容赦なさ、それはこの漫画の基本スタンスともいえるかも知れません。キャラクター間に容赦ない言動が飛び交うかと思えば、それは作者、読者の間においても同様であるかも知れない、みたいなこと思っています。だいたいこういう枠組みでいきます。漫画に限らずどんなことでもそうだと思うのですが、そういう諒解ごとの上でたいていのものごとって進むものじゃないですか。だなんて甘いこと思っていたら、枠組みってのは作者のさじ加減ひとつなんだよって、あたかもすみが自分の生み出した子ら、ぽえむやアルペコフにやるような感じで、作者に転がされてるような感触あるのです。この漫画の表紙イラスト、これ、本当にこの漫画の雰囲気、感触を表していると思うんですけど、ええ、すみがこうぽえむたちのこと、俯瞰するようにして、いろいろを自分の思うように動かしていく。いや、実際にはすみ、こんなには万能って感じじゃないんですけど、でも、この漫画に関しては、こうした俯瞰する誰かの存在を感じる! ええ、まるっきり漫画の登場人物のようではないにしても、彼女らが転がされるみたいに、読者もそのすぐ近くで、一緒に翻弄されている。そうした感触得られるのは、なかなかにして楽しいもの。結果、見事に虜にされています。
- 佐古新佑『ペンにまします神サマの』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2016年。
- 以下続刊
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