2005年9月30日金曜日

Macromedia Fireworks

 画像を編集するソフトといえば、Adobe Photoshopなんかが一般的ですが、しかしなにぶんPhotoshopは高くて……。いや、プロツールであることは重々承知していますから、高いのもしかたないと思うのですが、しかしそれにしても高い。私は以前、大学で働いていたときにアカデミックで買おうと思って、けれどそれでも挫折しました。

そんな私が使っている画像編集ソフトはなにかといいますと、MacromediaのFireworksで、Dreamweaverと込みで安く売られていたバージョン3から愛用しています。ちょこっと画像をいじくるにも気が利いていて、私にはとても使いやすいソフトなのです。

私がFireworksを触ってみてなにが向いていると思ったかというと、使い勝手がドローツールのそれに近いんですよね。画像に矩形や文字をぺたぺた張り込んでいくんですが、後からいくらでも編集できるし、大きさも場所もピクセル単位でいくらでも動かせるしで、どうもPhotoshopのレイヤー概念にいまいち親しみづらかった私にはとてもありがたく思ったものでした。

でも、やっぱり専門家からしたら文句もあるツールだそうで、ピクセル単位での編集をやるには欠かせないけど、書き出される画像の質には疑問がうんぬんなどなど。なのでやっぱりプロはPhotoshopも使って、けれどPhotoshop、Fireworksを併用しているという人も少なくない模様です。だから、MacromediaはAdobeに買われてしまいましたが、それでもFireworksは残って欲しいという声が聞こえたときは、私は嬉しかった。一Fireworksファンとして嬉しく思ったものでした。

もしFireworksがなくなってしまったら、きっと私は困ると思います。だって、これに慣れてしまっているものですから、なかなかほかのものをという気持ちにはなれません。

2005年9月29日木曜日

Jack Orion

 『ジャック・オライオン』はイギリスの伝承歌。フィドル(ヴァイオリン)奏者ジャック・オライオンがその技芸でもって王女の愛を勝ち取るも、不実な従者の裏切りによって王女を奪われ、王女を失い、そして従者を道連れに死を選ぶという、実に悲しくもセンセーショナルな内容が歌われています。バラッドらしく、シンプルなフレーズが延々繰り返されて、演奏時間たるやなんと十八分。けれど、ペンタングルによる演奏は、ギターの技芸、歌唱の充実によって、その長丁場を飽きさせません。むしろ、何度でも聴きたいと思わせるような、本当の魅力をたたえた名演です。

『ジャック・オライオン』が収録されているのは、全編トラッドで構成された『クルエル・シスター』で、私はそもそも『クルエル・シスター』(こっちは楽曲名、さっきのはアルバム名ね)聴きたさにペンタングルのアルバムを揃えたのですが、『クルエル・シスター』のみならず、『ジャック・オライオン』にもすっかり魅了されてしまいました。

『クルエル・シスター』はA面のラストナンバー、そしてB面は『ジャック・オライオン』一曲という素敵構成。音楽はぴしっと楽曲を貫いて、緊張と弛緩を巧みに使い分けながら、ぐいぐいと聴き手を引っ張ります。歌うのはギタリスト、バート・ヤンシュ。ジャッキー・マクシーも加わって、本当に贅沢な仕上がり。私は、この人たちの演奏を聴くと、自分もいつかこういう境地にいたりたいと思い — 、この思いは当時ペンタングルに影響された多くの人たちも同様に抱いた思いであろうと思います。

2005年9月28日水曜日

お菓子な片想い

 私にとって阿部川キネコとは、『明智クン!!』の作者であり、『辣韮の皮』の作者であり、『WAKI WAKIタダシさん』の作者であり、こうした漫画の作風こそが阿部川キネコらしさと思っているから、『ミス&ミセス』には驚きました。同人畑で培われたであろう幅広いスタイルの片鱗を見ることができ、引き出しがたくさんあるなあと思ったものでした。

そして、その感想は再び繰り返されます。『お菓子な片想い』はちょっと昔風のラブコメで、70年代とか80年代なのかなあ、甘少女誌風の匂いをがんがんさせています。挿入されるポエムもかなりポイント高く、けど、私にはなんかずっと、なんかパロディを読んでるような気持ちが抜けなくて……。入魂のあとがきをめくったところに本当の後書きがあるのではないかと疑ったというのは内緒です。

甘ラブコメの皮をかぶった『お菓子な片想い』で、そこはかと漂う甘酸っぱさに私はすっかりやられて、息も絶え絶えで、つらいよ、つらいですよ、悪い冗談みたいです。これはそういうギャグかなんかなのか、なんて思ったりしても、多分これはこういう表現の試みなのだろうと思います。だから、阿部川キネコの引き出しのひとつとして楽しむのが正しい読み方なのかと思うのですが、やっぱりどこかむずむずします(二重の意味でね)。

『お菓子な片想い』からは昔少女誌の匂いがするといいましたが、けれど昔風ばかりではないのが阿部川キネコの阿部川キネコたるところで、とりわけ毒舌な友人エーコたんあたりに、キネコ的辛辣がびりびりと発せられています。それどころか、親友ルイ子からもあやしげなオーラが感じられて、こうした辛口と甘表現が交錯するところに、やっぱりこれは阿部川キネコの漫画なのだという思いを強めます。

そうした思いが強まるほどに、なんかパロディを読んでいるという感じも強まるのは、ちょっと困ったところではあるのですが、そうした複雑な感触に揺さぶられるのもまた面白いものではないですか。だから、私はこの漫画、結構好きだと思います。それに結局、ちまと手塚くんの恋の行方はどうなるのだろうと思っていたりするのですから、すっかりペースに巻き込まれてしまっているようです。

  • 阿部川キネコ『お菓子な片想い』第1集 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2005年。
  • 以下続刊

2005年9月27日火曜日

殺し屋さん

 先月だったかに発売と聞いていた『殺し屋さん』。私はこの漫画が出るのを楽しみにしていたんですが、私の行く書店書店どこにも置いてなくて、出版されなかったのかな、発売日が延びたのかななんて思っていました。そうして、もうだめかと思いはじめて、この頃では探そうという気もなくなりつつありました。

ところがですね、本日ついに書店に並んでいるのを見つけて、その瞬間に確保。そうかあ、やっぱり発売日伸びてたんだあ、だなんて思ったんですがこれが大間違い。なんと、第二刷でした。売れてたんでしょうか。そうですね、やっぱり面白いですからね。ちょっと嬉しくなりました。

『殺し屋さん』というタイトルからもわかるように、主人公は殺し屋。しかも日本一の殺し屋です。狙った獲物は逃さない。依頼があれば必ず殺すが、依頼がなければ虫も殺さず、人には親切で、きれい好きで、うぶで純情な好青年、ってなんか変だぞ。ですが『殺し屋さん』とはそういう漫画です。

殺し屋というハードボイルドなモチーフに、場違いなほのぼのやだじゃれ、脱力するようなギャグをミスマッチに合わせて、そうですね、ナンセンスジャンルの漫画なんです。私は、なにしろキャロリアンですから、ナンセンスには目がありません。だから、こうの史代の『さんさん録』とはどんな漫画なのか興味に思って垣間見た『漫画アクション』に『殺し屋さん』を見つけたときには、これだと思った。その日以来、いつか『殺し屋さん』の単行本が出て欲しいものだと心待ちにしていたのでした。

私が心奪われたのは、あのけんけんぱの回でした。簡潔さが力強い! べたなネタもありますが、ですが私はべたは嫌いじゃありません。シンプルこそが第一で、繰り返し現れる同系のギャグを心待ちにして — 、こうしてまとめて読めて私はいま仕合せです。

  • タマちく.『殺し屋さん』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2005年。

2005年9月26日月曜日

人生が二度あれば

 『人生が二度あれば』という歌を聴いたときに、私は自分の父を思って、その時はまだ仕事に出ていた父でした。仕事に打ち込む人でなく、むしろ仕事嫌いの人ですが、それでも一人で家計を支えて、定年を迎えたのはつい数年前のことです。

母は子育てから手が離れたときに、趣味で絵を描いてみたり、陶芸をしてみたりと、それなりに趣味をする人でしたが、父はそういうそぶりをまったく見せず、私から見たらなにが楽しみかわからないような人です。けれど父の人生も無為ではなく、今仕事から離れて、いったいなにを求めようとしているのか。父の仕事以外の人生とはなんなのだろうと、時に思います。

私も、自分の人生の折り返し地点を過ぎて、いったい自分の人生とはなんなのだろうかと。私はいうまでもなく、妻もめとらず子ももたず、仕事にしても打ち込むでなし、それこそ無為一歩手前の境涯に暮らして、私の人生こそなんだろうと思います。やりたいことは山とあって、けれどそれを成すでもなく、時間が足りない足りないというばかり。けれど、その時間が足りぬという私には、人生が二度あればと望む資格はないのですね。

私はこの一度きりの人生を、一度きりと観念して、がむしゃらに生きないといけない。やりたいことがあるとうそぶくのなら、それをやってみせろという声がどこかから聞こえてきて、なにしろ私は、家族のためでなく父母のためでもなく、ましてや妻子のためでなく、私一人のために人生を費やす仕合せを身いっぱいに浴びているのですよ。それを無為一歩手前で無駄に過ごして、それでもう一度の人生を望むというのなら、その一度きりの人生さえも充分に暮らせなかった人が怒ります。

人生が二度あれば、あの人にもう一度、自分のために生きることのできる時間が与えられたら。これは人生を精いっぱいに、しかし自分のためには充分に時間を費やせなかった人にこそふさわしい願いであると思います。

2005年9月25日日曜日

DVDレンズクリーナー

私はこれまで光学ピックアップの汚れというのをいい加減に考えていて、だもんだから、PlayStation 2の読み込みに不良が出たときも、経年による劣化かと思ってそのまま放置していました。最初に読み込み不良が起こったのは、ナムコの名作格ゲー『ソウルキャリバー II』で、このときもディスク固有の癖とかそんなのかと思っていました。

けれど、気付いたらこうした読み取り障碍というのが頻繁に起こるようになってきて、例えばそれはDVDビデオを見ているときもそうで、『フルハウス』でも起きて、それどころか、DVDレコーダーで作成したものなどは最初から認識しません。

私のPS2は初期型だから、モーターだかサーボだかがへたってきたんだろうなと思っていました。

けれど、その認識は大きな間違いでありました。

ことのはじめは『カルドセプト・セカンド・エキスパンション』を遊んでいたときのことで、ストーリーモードのマップ選択画面で突然BGMが途切れたり、あるいはほこらでメドロス様を呼び出したときの待ち時間が尋常じゃなくなったとか、多分、じゃじゃじゃーんっていう効果音の用意が追いつかないんでしょうね。とにかくプレイに支障が出るは、精神衛生に悪いはで、なんとか対処しないといかんと思ったのです。

PS2の修理っていくらくらいかかるんだろうとの疑問を解消すべく、Googleにて検索してみました。そうしたら、私の持っているのと同じ初期型SCPH-10000の修理風景を公開しているページを発見。興奮しつつ読み進めた私は、重要な説明を見つけるにいたりました。

EVOは読み込みが悪いと相談された場合、必ず「レンズのクリーニングをしてみてください。」と言います。

読み込まないPS2の半分はレンズ汚れだからです。

この説明は、私には僥倖のように思われました。同サイトによれば、PS2の光デバイス交換は9,450円かかるのだそうです。ですが、うまくレンズのクリーニングをできれば、そうした大きな出費を避けることもできそうです。

そんなわけで、私は早速DVDレンズクリーナーを買ってきました。私の購入したものはmaxell乾式/湿式ダブルパックで、ほこり汚れを除去した後、油膜汚れをやっつけようという腹でこいつに決めました。

maxellのダブルパックにしたのは、たまたまいった店にこれしかなかった(ほかのはmaxellの乾式とTDKタイガースだけでした)からで、けれど乾式、湿式両方を買うつもりだった私にはうってつけでした。湿乾両用というからどういう構造になっているのかと思えば、ディスクが二枚入っていて、それぞれを用途に応じて使い分けよとのこと。盤面中ほどに小さなブラシがついている、シンプル構造であります。

それで結果はというと、良好です。これまで読めなかったディスクも読めるようになり、ゲーム中にストレスを感じるようなこともなくなっていい感じではないですか。

自分は機械運がいいほうだからついついメンテナンスをいい加減にしてしまうけれども、そういうのはいけないのだなと本当に思いました。これからは気をつけたいと思います。

引用

参考

2005年9月24日土曜日

秘密の花園

    つい先日のこと、突然脳裏にアーチボルトという名前が浮かんで、アーチボルトといえばクレイブンと続くのが世の習いであります。けれど私にはそのアーチボルト・クレイブンというのがいったいなんであったか思い出せず、しかたがないからGoogleでもって検索したのでした。

アーチボルト・クレイブンとは、秘密の花園の登場人物。メアリーの病弱ないとこ、コリン・クレイブンの父でありました。そうだ、秘密の花園だと思って、私はいつもの書店に走って、『秘密の花園』を探そうとしたのでした。

子供の頃、親がどこかから児童向けの文学全集を一冊ずつ借りてきてくれて、私はそれで『秘密の花園』だとか『足長おじさん』だとかの、名作中の名作を読んで、けれどあの全集はいったいどこの社の、なんて全集だったんでしょう。親に聞いても忘れてしまっていて、うちの子は全然読まないんだから、代わりに読んでくれて嬉しいわという言葉をいただいたことは覚えているんですが、はたしてそれが誰だったのか。私にしてもそれ以上のことは思い出せません。

あの年ごろに読んだ本に立ち現れた秘密の花園は、うっそうと緑の匂いも濃密で、その萌える息吹の鮮烈さが今も心のどこかに残っているんです。木の芽が、今にも開かんと膨らんでいるその描写は、みずみずしくて息がむせぶほどに生命感があふれていました。そうした本に、今になって再び触れたいと思い立って、そうなったらもう矢も楯もたまりません。

ですが、悲しいことに私の行きつけの本屋には『秘密の花園』が置いてなくて、探し方が悪かったのかも知れません。けれど岩波少年文庫を見て、偕成社文庫を見て、フォア文庫を見て、福音館の棚も見て、案外新潮文庫はあったのかも知れませんが、私はそこまで見ることなく引き下がりました。

今になれば、オリジナルを読むべきなのかも知れません。わからないながらも本を楽しみ、そうして言葉を少しずつ覚えたみたいにして、英文で読むべきなのかも知れません。

  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』上 山内玲子 (岩波少年文庫) 東京:岩波書店,2005年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』下 山内玲子 (岩波少年文庫) 東京:岩波書店,2005年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』谷村まち子 (ポプラポケット文庫 — 世界の名作) 東京:ポプラ社,2005年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』猪熊葉子,堀内誠一 (福音館文庫) 東京:福音館書店,2003年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』野沢佳織 (西村書店) 東京:西村書店,2000年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』猪熊葉子,堀内誠一 (福音館古典童話シリーズ) 東京:福音館書店,2000年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』谷村まち子 (ポプラ社文庫 — 世界の名作文庫) 東京:ポプラ社,2000年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』上 竜口直太郎 (ニュー・メソッド英文対 (シリーズ) 東京:評論社,1996年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』下 竜口直太郎 (ニュー・メソッド英文対 (シリーズ) 東京:評論社,1996年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』前田三恵子,中山庸子 (少年少女世界名作の森;第12巻) 東京:集英社,1990年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』上 茅野美ど里 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1989年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』下 茅野美ど里 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1989年。
  • バーネット,フランシス・ホジソン『秘密の花園』竜口直太郎 (新潮文庫) 東京:新潮社,1954年。

2005年9月23日金曜日

つうかあ

 風邪をひいたときなんかには、加藤さんご夫妻を思いだして、さみしさとうらやましさの混じったような変な気持ちに浮かされていけません。加藤さん夫妻、かーさんが夫で、つーさんが妻。お互いに好き合っていることが伝わってくるラブラブカップルなんだけれども、べたべたと愛を確認しあうような湿っぽさはなくて、独特の距離のうちに、お互いの気持ちの温度を測りあえるような、そういう関係がうらやましいな。特に、大風邪の変に見られるようなのがうらやましくて、気持ちが弱ったときに寄り添っていてくれる人がいるというだけでも、人生は大きく違うのではないかと思います。

でも、私の側に寄り添ってくれる人がいないというのは、ひとえに私が悪いのであって、うらやんでもしかたがない話です。そもそも私はせっかちで、つーさん、かーさんのような関係、あるいは『ぽっかぽか』の田所夫妻のような関係を憧れながら、育てる手間を嫌ってきた。そうなんですよ。理想的な関係というのは、相性や性格の問題もありますが、それよりもやはりそうした関係ができあがるまでの時間が必要なのだと思います。その育てる時間をパスして、良い結果だけは欲しいというのは虫のよすぎる話です。

最初から『つうかあ』だったわけじゃない

話して 動いて 世話して されて

10年かけて『つうかあ』を育ててきたのでした

この言葉の持つ意味こそを、私は噛みしめるべきなんだろうなあと、この年になって思うんですから気付くのが遅かったといわざるを得ません。

自分の行為の報いとはいえ、今日みたいな日には効きますなあ。

  • 入江紀子『つうかあ』(YOUコミックス) 東京:集英社,1997年。

引用

  • 入江紀子『つうかあ』(東京:集英社,1997年),144-145頁。

2005年9月22日木曜日

Culdcept

    私の最も愛したゲーム。RPGでは『Wizardry』、ノベル系なら『Lの季節』。じゃあ対戦系ならなんだろう。それは、疑うべくもなく『カルドセプト』です。電撃PS誌についてきた体験版で一気にはまり、『エキスパンション』を購入。もちろん『プラス』も買ったさ。それどころか大会にも参加し、遠く埼玉にまで行って、ですが私の戦いは地方大会で苦汁をなめて終わりました。でも、残ったものがたくさんあります。大切な友人があちこちにできたのは『カルドセプト』のおかげで、その幾人かは、今もつきあいが続いています。よいものはよい機会を与えてくれるというのなら、『カルドセプト』は最高のゲームです。そういいきってなんら私は恥じません。

その『カルドセプト』が漫画になるということで、セプター(カルドセプトのプレイヤーをこういいます)はみな興味津々でその仕上がりを待ったものでした。ですが、当初の興味の中には、多少の意地悪さも混じっていたことをいっておかねばならないでしょう。誰しも経験があるのではないかと思うのですが、自分の好きなものが別媒体にて展開されてみたら、もうひどい出来に仕上がって最悪だーってことはよくある話です。だから、とりわけ『カルドセプト』は私にとって思い入れの深いゲームだったから、見る目はそれだけシビアになって、ちょっとでもだめなようならもう許さんからね、と、私は本当に意地悪な姑の気持ちで第1巻の出版を待っていました。

けど、出てみたら、そんな意地悪な気持ちは消し飛びましたね。いい漫画なんだ。ゲームからエッセンスをうまく抽出して、漫画という媒体にそぐうように大胆アレンジがされていて、けど、そのアレンジがいやじゃないんです。これは作者の調理のうまさでしょう。『カルドセプト』の世界観やゲームの根底に流れているらしさをうまくつかんで、大きく膨らませるのに成功しています。ストーリー展開は縦横無尽で、設定に縛られない自由さがむしろ気持ちよく、本当にいい漫画だ。あまりにもいい漫画だから、私これを読んでると、知らん間に涙が出てしまっている。それで読み終えたときに、よし自分もがんばるかあと思える。本当にいい漫画です。

セプターじゃない人には、いまいちわかりづらいところもあるのではないかと思いますが、それでもぐいぐい読み手を引っ張る物語の強さがあるから、きっとカルドセプト未体験でも大丈夫。で、漫画を読んで少しでも『カルドセプト』というゲームに興味を持ったら、その時にはどうぞゲームにも触れていただきたい(『セカンド・エキスパンション』が現役です)。そうすれば、きっと漫画の面白さもいや増して、異世界リュエードをもっと愛せるのではないかと思います。

ところで、今回の記事用にずらりと表紙を並べてみて、第4巻がないのが残念。私は、あの4巻表紙の、祝祭的雰囲気が大好きなんですよ。ぱぁっと明るくて、なんか楽しげなあのイラストレーションが大好きで、だから4巻表紙だけ画像がないと知ったときにはちょっとショックでした。

なので、皆さんには、お持ちの方はご自分の蔵書で、お持ちでない方は書店で(できればご購入いただいて)、あの祝祭的雰囲気とそして物語の極まりに触れていただきたいものだと思います。

余談

ダゴン様があんなにチャイルドセクシー(略してチャイセク)なのは、反則だと思います。

おやつ係に応募しようかなあ。

  • かねこしんや『Culdcept』第1巻 (マガジンZKC) 東京:講談社,2000年。
  • かねこしんや『Culdcept』第2巻 (マガジンZKC) 東京:講談社,2001年。
  • かねこしんや『Culdcept』第3巻 (マガジンZKC) 東京:講談社,2002年。
  • かねこしんや『Culdcept』第4巻 (マガジンZKC) 東京:講談社,2004年。
  • かねこしんや『Culdcept』第5巻 (マガジンZKC) 東京:講談社,2005年。
  • 以下続刊

第4巻表紙は、こんなところにあったよー。第5巻表紙のゴリガンにはマブチモーターがついてて、細かいところにもギャグが光っています。素敵です。

2005年9月21日水曜日

J. S. Bach : Goldberg Variations, BWV 988 played by Glenn Gould

 グレン・グールドの弾くゴルトベルク変奏曲の録音は意外にたくさん残されていて、1953年のデビュー盤ザルツブルグにおけるライブ盤、そして1981年の盤というのが私の知る頃の相場だったのですが、それ以降もいろいろ出ていたみたいで、CBCでの録音やモスクワでの抜粋版など、もう私にはおいきれるものではありません。

グールドは演奏会活動をやめたことで知られるピアニストですが、聞いた話によると、録音をやめると発表して自分の未発表録音を高騰させようという「隠し財宝計画」なるものもあったとか。ですがこれは笑い話やなんかではなく、グールドをめぐる状況 — 録音の発掘や復刻盤などなど — を見ていると、世の中は彼の意図したとおりに動いていると思わないではいられません。

グールドのゴルトベルク変奏曲で一番有名なのは、疑いなく1981年の新録音であると思います。あるいは、グールドの残した仕事で最も知られるものが1981年のゴルトベルク変奏曲であったといいかえてもいいかも知れません。いずれにせよ、ゴルトベルクでのレコードデビュー以来、グールドにはゴルトベルク変奏曲のイメージが抜き難く、そしてそのイメージは死を間近とした最晩年のゴルトベルク変奏曲の録音で確定します。グールドといえばゴルトベルク、それどころか、ゴルトベルクといえばグールドという図式で語る人も少なくありません。

私は、グールドを1981年録音のゴルトベルクで知りました。買ったときはグールドという人のことを知らず、好きなバッハの好きなゴルトベルク変奏曲を、ピアノでの盤でもひとつ聴きたいものだと、そういう動機で買ったのがグールドのゴルトベルク変奏曲。ライナーノートに書かれた演奏中にグールド自身のうなり声や歌う声が収録されておりますが、自らの音楽表現に没頭するあまりの“演奏行為”であり、雑音ではありませんなる文言にも驚きましたが、グールドは実際こうした奇矯性でも知られた人で、ですがその奇矯性は広く受け入れられて、グールドをより特別な演奏家にしているのではないかと思います。

グールドを聴きはじめた頃は、変わり者ピアニストくらいの印象しか持っていなくて、うなり声入りのレコードにしても、夜中に一人で聴いてると怖いよねみたいな笑い話みたいにしてたのですが、それがまさか後に論文を書くまでにいたるとは思いも寄らず、ましてや全集(Glenn Gould Edition)を揃え、LDも箱で買うなどとは、論文に着手したときでさえ想像だにしなかったことでした。今ではすっかりグールディアン気取りですからね。ほんと、あの時たまたま買おうと思ったのも不思議な縁で、グールドのゴルトベルクは、私の人生を変えた演奏であるいっていいすぎではありません。

余談

私の最初のグールドのCDはちょっと特別で、普通変奏曲となると各変奏ごとにトラックを切るのに、このディスクはなんと1トラックです。一時間近くある変奏曲が丸ごとそのまま入っていて、一度聴きはじめるとノンストップで最後まで聴かないといけない、まさに本気盤。ですがこの仕様はちょっと気に入っています。

引用

  • グールド、グレン『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』のライナーノート Sony Records FCCC-30028,CD,1992年。

2005年9月20日火曜日

Dissonanzen: Musik in der verwalteten Welt.

 Dissonanzenとはなにかというと、ドイツ語で不協和音のこと。二十世紀ドイツを代表する哲学者であり音楽批評家でもあったアドルノが、当時の音楽を取り巻く状況を観察し、絶望し、嘆いたという、そういう本であります。その内容たるやすさまじいもので、芸術音楽こそを絶対の価値と捉え、娯楽音楽は外道中の外道と断ずるアドルノの筆の強さよ。流行音楽に躍らされるようなものは俗物であり、愚物であり、思考する力などそもそもない動物のような輩なのだ、って書いてある。本当に書いてあるんです。

けど、こんなこというと誤解されてしまうかも知れませんが、私、結構アドルノのいってることは好きで、そいつはいいすぎだよ、とか突っ込みながらも、面白がって読んだものでした。

私がアドルノを読んだのは、ほかでもなく修士論文を書くためで、最初はおっくうだなと、正直手を出す気にはなれませんでした。

というのもですね、アドルノは難解で知られた人で、なにが難解といってもその文章からが難解。なにをいいたいのかわからないもってまわった文章で、けれど音楽学、とりわけ美学や近代音楽を研究対象に選んだような人間は、この人の難渋文に付き合わなければならない運命なのです。

だから、つきあいましたさ。けど、読んでみると、事前に思っていたほど悪くはなかった。それは、訳の力だったのかも知れません。あるいはこの『不協和音』がたまたまわかりやすかったのかも知れません。いずれにせよ、私はアドルノの著書に触れて、そりゃあんまりいいすぎだといいたくなるような当てこすりも読んで、それでもやはり読むべきものではあると感じたのでした。

さて、私の読んだ『不協和音』は日本語訳でしたが、論文を書くときには、日本語訳だけでは不充分です。原文にあたることが望ましいんですね。ですが、大学の図書館には『不協和音』の原語版がなかった。しかたないから、他大学の図書館の蔵書を調べて、借りてもらったんです。こういうのをILL(図書館間相互貸借)っていうんですが、この場合、送料はもちろん私持ち。当然ながら往復分を負担します。

ILLでは宅配便が使われるのが一般で、だからあの時は1,600円くらいとられましたね。でもね、『不協和音』の原語版はペーパーバックが出ていて、1,200円くらいで買えたんです。

私は後からこのことを知って、どれほど悔しがったか。洋書は高いという思い込みから犯してしまったミスで、まさに痛恨。手もとには1,200円の値札のついたペーパーバックが届いていて、けど、それは借り物です。しかたがないから、さらにお金払って、必要なページをコピーして……、苦い思い出だなあ。

苦いといえば、アドルノのドイツ語は、初歩ドイツ語しかやっていなかった私にはあまりにも厳しくて、せっかくコピーしたのに、ただ眺めて終わった……。やっぱり苦い思い出だなあと — 。

けど、こうした苦さも振り返ればよい思い出であると思えるのだから不思議です。

2005年9月19日月曜日

空談師

   私の篠房六郎の最初は『篠房六郎短編集』で(こども生物兵器の方ね。『家政婦が黙殺』ももちろん持ってるけど)、巻末に収録された前後編の中編『空談師』にそこはかとなく漂うリアリティがすごく鮮やかで、だから私はその後の連載された『空談師』にも手を出して、けれど、その頃にはもう終わってしまっていたんですよね。ずうっと三巻でとまってるから、変だなあと思っていたんですが、まさか三巻で完結しているとは思わず、人気が振るわなかったのでしょうか。私にはものすごく面白い漫画だったのですが……。

オンラインゲームものなんですよね。私はオンラインRPGで遊んだ経験はないのですが(だって、危険すぎるもの)、それでもこの漫画の面白さはわかりました。ゲームという、私たちの住む実相とはかけ離れた仮想世界に暮らす人々のかりそめの日常が描かれて、しかし私たちはややもすればその存在しないはずの架空世界に心を移して、現実との境目を超えてしまう。肉体では感じられない、痛みも嗅覚もない世界 — しょせんゲーム — であることはそこに集まる誰もが理解していて、けれどそれでも私たちの心は、非現実という壁を超えて、その向こうにいる人たちに心をはせてしまう —。

そういう危うさとロマンティシズムが描かれていて、私にはすごく通じる漫画なのです。

ネットワーク越しに感じる誰かの息遣いや、垣間見得る心模様に、誰かを好きになったり、嫌いになったりということはもはや珍しいことでもなんでもなくって、特にゲームという、ある種の高揚を伴う媒体で出会ったのなら、吊り橋効果も手伝って、よほどありえることでしょう。オンラインのたちの悪さは、あの時、心がつながったと感じたあの人が、漫画やアニメ、非オンラインのゲームとは違い、このラインの向こうに確かに存在しているということです。ラインの交錯する場には、友情も愛情も、怒りも嫉妬も喜びも悲しみも間違いなくあって、応えるものもいない真っ暗な空間に投げ掛けられる呼び声が今も聞こえています……。

切ないですね。

  • 篠房六郎『空談師』第1巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2002年。
  • 篠房六郎『空談師』第2巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2003年。
  • 篠房六郎『空談師』第3巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2003年。

2005年9月18日日曜日

山月記

  きっと私は虎になってしまう。中島敦の『山月記』を読むたびに、この掌編に自分の弱さと言い訳がしっかりと刻まれていることに気付かされて、おののいて、この李徴という男は私であると、息苦しい思いとともに認めないわけにはいかなくなります。

きっと私は虎になってしまう。自分には才能があるとうぬぼれて、そのくせその才能を披露もせずにうちへうちへと引き籠もって、いつかは武者修行に出るつもりさ、ただ今はその準備中だからと言い訳にばかり一生懸命で、 — だから、私はきっといつか虎になってしまうだろうと思います。

人生は、なにもせぬままやり過ごすには長すぎて、しかし反面ひとつなにかに取り組めばあまりにも短すぎると、これは私がここ数年思っていることで、しかしこれは李徴の言葉でもあります。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い。そして、続く言い訳までもがあまりに私の心中に渦巻くそれにそっくりだからいやになります。

私は山月記に見える人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情であるとの言葉に、私の業のひとつでもあるタロットのとあるカードを思い出し、それは11番のと呼ばれる、一般にライオンを手なずける女性の図像で知られるカードです。私はこのカードの意味するところを、うちなる猛獣、猛り荒ぶる心を御することのできる精神の強さと解釈し、故にそれは私たちをして李徴のようにあってはなるまいとする心の働きということもできるのではないでしょうか。

WizardryにはWeretigerという、人が虎になった怪物があって、私は彼らに出会うたびに、虎になった青年を思いだします。詩人を志した彼の、芸術と人間性との狭間に揺れる心と悔いを思いながら、その哀れな人虎たちを殲滅して、私は今おこなったように、自分の中にいる虎を調伏し、決して放ってはなるまいと、時にしみじみ思います。

引用

2005年9月17日土曜日

Wizardry #1 : Proving Grounds of the Mad Overlord

 また『Wizardry』かよとは、どうかおっしゃらないでくださいましよ。Wizardryは私にとっては特別なゲームで、中学高校大学、そして今になっても綿々と遊び続けているゲームというのはまさにWizardryだけで、いや、ゲームだけじゃありませんね。今まで生きてきた時間を振り返ってみて、一番長くつきあったものといえば、それはWizardryをおいてほかには考えられない。あらゆるジャンルのあらゆるものを退けて、Wizardryは私の側に、時に現れ、時に影をひそめるようにして、そっと寄り添っている、 — いや私の心の中心にあるといってもいいくらいです。

私の心の中心、英語にすればHeart of my Heartといったところでしょうか。Wizardryというゲームの中に広がる世界観は、私の心の中に、あたかも現実の記憶に同等であるかのように流れ込んでいます。適材適所、善悪の戒律の戒め、そして一度起こったことは取り返しがつかないというシビアさをもって、私は私の精神を鍛えることができたのではないか。私はそういってなんら恥じるものではありません。

一度起こったことは取り返しがつかない。私はリセットを封じているのです。

ファミコン版でのWizardryは、セーブが特定のタイミングで自動でおこなわれました。城での毎行動時、キャンプでの毎行動時、そして戦闘終了時。このタイミングを逃せば、いくらリセットしようと事は記録された後なのです。

キャンプ中に蘇生呪文をしくじると、その時点でセーブされてるんですよね。もちろん寺院でも一緒です。だから確実な蘇生は、戦闘中にHamanないしMahamanで蘇生させた後にMalorで逃げる(いや、呪文使用者のレベル低下をいとわないなら、そのまま終了させてもいいんですが)。けど私はHaman, Mahamanを禁じ手にしているから、寺院で蘇生してましたね。ええ、ロストしたら受け入れましたよ。

よくいわれる話ですが、Wizにおける死は、他の凡百のRPGとは違い極めて重いものです。死からの蘇生にしくじるとキャラクターは灰になり、灰からの蘇生にしくじると失われます。これをロストといい、キャラクターに愛着があればあるほど、ロストさせたときのショックは大きい。ペットロスに匹敵するといったら言い過ぎと思う人もあるかも知れませんが、実際それくらいのショックを味わうのです。

なので、Wizardryの基本はキャラクターを殺さないに尽きます。殺さないためには、慎重さを身に付ける必要があり、状況を見極めて、時には引くことも覚えなければなりません。例えば、宝箱の罠。テレポーターの罠により石の中に送り込まれてしまうと、パーティは全滅します。ファミコン版ではいしのなかにいる!のメッセージ表示中にリセット、ぼうけんをさいかいしてキャンプをとかずにMalorで一階に移動という回避技もありましたし、そんなずるをしなくても、全員死亡状態で城に送り届けてくれるという親切設計でした。ですが、本来的にはやはりこれは全滅で、例えば私の今遊んでいるLlylgamyn Sagaでは、由緒正しき作法に則って、全員その場でロストします。

私は、今Wiz #4をやっていますが、これに疲れるとWiz #1に戻るんですよね。私はWiz #1はどうも遊び過ぎたようで、Murphy's Ghostの居場所も覚えていますし、B1からB10、Werdna様の玄室までの最短路などは指が覚えています。けど、ここまでしっかりと覚えていても、面白さは変わらないんですよね。

今私は、マスターレベルに満たない冒険者を2パーティほど面倒みているのですが、地下十階に行ってはちまちまレベルをあげています。とりあえず、Poison Giantが徒党を組んでるのを見かけたら即逃走決定というくらいのレベルで、だってこんなの相手にしたら敗走必死、下手したら全滅です(こいつらに驚かされるのは、Greater Demonに驚かされるよりもきつい。Mage死亡は覚悟、下手すりゃ全滅もあるしな)。ファミコン版だとMakanito一発で塵と経験値に化けたこいつらは、なんとLlylgamyn Sagaでは生意気にも呪文無効果を決めてきやがるので、尋常じゃない強さになっていやがるのだ♥。だから、逃げる。Greater Demonからも逃げる、Maelificからも逃げる、Dragon Zombieも数が多かったら逃げる。まあ、Wizってのはそんなゲームなのですよ。勝てるか勝てないかを見極めて、戦闘の継続回避を選択する。選択のミスはパーティの壊滅を招き、城まで戻れれば御の字、下手をすれば迷宮に取り残されて、帰り道はもはや存在せず、進めば全滅という状況にまで陥ります。

今、私は2パーティの面倒を見ているといいましたが、つまりはそういうことなのですよ。もしどちらか一方が遭難すれば、もう一方のパーティが捜索隊として出動する手筈になっているのです。だから、どちらかが主力、どちらかがサブということは決してあり得ず、どちらもが主力。#3までキャラクターが継承されることを考慮して、片一方は善、もう一方は悪のパーティです。

そういえば、今のパーティ、善のパーティには中立がいるけれども、悪のパーティは全員悪だわ。#3での転送時って戒律を選べたはずだけど、もし無理だったら善のパーティ全滅時に助けにいけないな、って、これは余談ですね。

幸い、ここ数年は捜索隊の編成をせずにすんでいますが、それは私がよっぽど慎重に事を運んでいるからであって、いつ緊急事態に陥るかはわかりません。こういうところがWizの面白さの根幹であるというのですね。

緊急事態を怖れる私は宝箱の罠にも気をつけて、盗賊が鑑定する前にCalfo(だって、触っただけで発動することがあるから)。少しでもテレポーターの匂いがすれば、解除は断念して立ち去ります。だってよ、発動したら全員ロストの憂き目に遭うかも知れないんですよ。はっきりいってリスクが高すぎます。だから、私はアイテムがなかなか揃わなくて、両パーティの装備を見ても武器はBlade Cusinart'が一本、あとはLong Sword +2とかLong Sword +1ですもんね。実をいうとMuramasa Bladeが一本あって、けど、侍が一人もいないもんだから、ただの荷物に成り下がっています。Boltacに売っちまってもいいんですが、そうすると買い戻せないかも知れないから手放さない。いずれ頃合いがくれば、侍に転職するつもりでいる。丸わかりですよね。

そういえば、私の独自ルールでは、Boltacでは通常アイテム以外は購入しないというものがあって、なんといってもうちのBoltacにはなんでもあるから、ここでぽいぽいいろいろ買いはじめると、途端に宝箱が色あせてしまうというもんさ。だから買わない。アイテムは宝箱から見つけて、Boltacで鑑定して不要なら即売却。だからなかなか金も貯まらなくて、でもWizでは金はそれほど重要な要素ではないから(あ、死んだら別か)、これでいいのだ。

そういえば、今日地下迷宮をさまよっていたらDragon Slayerを見つけまして、ああ、Wizではこの剣、それほどたいしたことのない剣なんですよ。けどその時点で戦士Piscatoが装備していたのはLong Sword +1だったから、さすがにちょっと迷った。このくらいのレベルの武器となると、正直いってどちらが強いかどうかとか覚えていないんですよね(Wizではドラクエなどと違って武器の強さは表示されないのだ)。なのでMurphyを三体ずつ試しに斬って、どちらが強いかを調べたりして、こういうのもWizの楽しみだと思います。

ちなみに結果は、Dragon Slayerが平均ヒット数1.57回、平均ダメージ9.14ポイント、つまり1ターンで14.35ポイントのダメージが期待できそうだとわかりました。対してLong Sword +1はというと、平均ヒット数1.92回、平均ダメージ8.4ポイント、1ターンでのダメージ期待値は16.13ポイントといったところでしょうか。Dragon Slayerはドラゴンへのダメージ倍付けが魅力ですが、#1ではそれほどドラゴン出てこないし、Fire DragonだったらMadalto重ねがけで対処するから、やっぱりそれほどの剣じゃない。Long Sword +1を継続して使うことになりました。

ちょっと、長くなってしまいましたね。なので、最後に一言。

Wiz #1の迷宮にはエレベータがあるのですが、はじめてこのことを知ったときには軽いカルチャーショックを受けました。あの時に私は、ファンタジーに限界はないと悟ったのです。似非中世ヨーロッパに押し込められる似非ファンタジーの貧しさを思い、本当のファンタジーの豊かな広がりにおののいた瞬間でした。

おののくといえば、Blade Cusinart'ってフードプロセッサなんだそうですね。おお、ファンタジーに限界はない!

註釈

Haman
魔術師の呪文。Lv. 6。特殊な効果を期待できるが、代償として1レベル低下する。ちなみに死者を生き返らせる効果はMahamanにしかないので、蘇生にHamanとかいってるのは大きな間違いだ。
Mahaman
魔術師の呪文。Lv. 7。死者を生き返らせるならこちらを使う必要がある。もちろんレベルの低下を引き起こす。シナリオによってはKadortoが戦闘中に使えるから、こちらを使うのもあり。失敗したらリセットは、ずるだけど有効。
Malor
魔術師の呪文。Lv. 7。パーティをテレポートさせる。異動先の座標設定をしくじるとパーティが全滅してしまう素敵な呪文だ。
いしのなかにいる!
テレポーターの罠やMalorによって石のブロックに移動してしまうと、こういう悲惨な結果になる。Malorでの全滅にはいろいろなパターンがあるので試してみるのも一興だけど、私はやらない。
Murphy's Ghost
モンスター。地下一階にこいつが必ず現れるポイントがあって、低レベル冒険者が経験値かせぎに利用する。友好的であることが多いので、誤って性格を反転させてしまったときにも利用される。ちなみに私は先日、悪のパーティでこれをやってしまった。三十分は戦っていたかなあ。
Werdna
#1における最後の敵。でも、Greater Demonの方がずっと怖い。#4では主人公だ!
マスターレベル
Lv. 13をマスターレベルという。Mage、Priestがすべての呪文を使えるようになるレベル、といっても冒険者としてはまだまだ。Wizはマスターレベルからが本番だ。
Poison Giant
モンスター。地下十階に現れる強敵で、毒のブレスを吐く。WizにおけるルールではブレスのダメージはHPの半分と決まっており(運が良ければさらに半分)、Poison GiantのHPは81である。洒落にならん。
驚かされる
敵の先制攻撃を受けること。敵の先制攻撃時に表示されるメッセージがThe Monsters Surprised You!であることから。
Greater Demon
モンスター。徒党を組んで出現し、その上仲間を呼ぶ。強力な攻撃呪文と高い防御力、呪文無効果率95%を誇る大悪魔であり、毒麻痺を伴う攻撃で冒険者を圧倒する。Wizのルールでは先制攻撃時には呪文が使えないので、先制攻撃を受けた場合に関してはPoison Giantよりまし。
Mage
魔術師。魔術師の呪文を使え、HPは少ない。
Makanito
魔術師の呪文。Lv. 5。敵を一瞬で死亡させる呪文で、有効範囲は敵全体。Lv. 8以上の敵およびアンデッドには効かない。
Maelific
モンスター。悪魔の親玉で、Wiz #1における最強攻撃呪文Tiltowaitを使ってくる。なぜかアンデッドなのでZilwanで吹き飛ばせるが、先にTiltowaitを使われるとパーティは全滅しかねない。それにPoison Giantまで連れてるから……。
Dragon Zombie
モンスター。ドラゴンのゾンビ。エナジードレインのブレスを吐くは、呪文を唱えるは、その上呪文を無効果するはと手がつけられない。でもPoison GiantやGreater Demonと比べたら、比較にならないくらい楽。
Calfo
僧侶の呪文。Lv. 2。宝箱の罠を95%の確率で見抜くことのできる、非常に重要な呪文。盗賊の鑑定とCalfoの結果が一致すればまず間違いなくその罠で決まりだが、両者ともが同じ間違いをしていることもまれにあるから洒落にならない。
Blade Cusinart'
#1においては、戦士系の職業が装備できる最強の武器。
Long Sword +2
戦士系の職業が装備できる武器。これよりも劣るLong Sword +1よりも売価が安いのはちょっとした謎だ。私の中では、Sword of Slashingと翻訳される。
Long Sword +1
戦士系の職業が装備できる武器。中程度の強さ。私の中では、Sword of Slicingと翻訳される。
Muramasa Blade
#1における最強の武器。その威力は驚異的で、これさえあればGreater Demonにも太刀打ちできるかも、という気持ちにさせてくれる。侍しか装備できない。
Boltac
正式名は、Boltac's Trading Post。道具屋で、買い取りだけでなく呪いの解除やアイテムの鑑定までしてくれる。買い取り価格は売価の半額で、呪いの解除や鑑定も売価の半額とられるから、ここを利用しているかぎり金の貯まりは遅い。
Dragon Slayer
戦士系の職業が装備できる武器。中程度の強さ。ドラゴンには有利。
Piscato
私のパーティにいる戦士の名前。何語かはわからない。
Fire Dragon
モンスター。炎のブレスを吐き呪文を唱えるが、呪文無効果能力はないので助かる。ただしこいつに脅かされると洒落にならない。
Madalto
魔術師の呪文。Lv. 5。効果範囲は敵1グループ。Tiltowaitに次ぐ強力な攻撃呪文で、これが使えないなら迷宮十層は歩かないほうがいい。冷気の呪文なのでFire Dragonには特に相性がいい。ちなみにGreater DemonはMadaltoを使いまくってくる。
Tiltowait
魔術師の呪文。Lv. 7。効果範囲は敵全体で、まさに最強。これが使えるようになると、なんでもきやがれという大きな気分になれるが、Greater Demonが相手だと心もとない。核爆発という常識外れの設定は有名。
Zilwan
魔術師の呪文。Lv. 6。攻撃範囲は敵一体と狭く、さらにアンデッド以外にはなんの効果もないが、決まれば一撃で敵を葬ってくれる素敵な呪文。敵が使ってくれると、得した気分になれる。

2005年9月16日金曜日

セラミック水性ボールペン

私の愛用の筆記具は、大学在学中はもっぱら万年筆で、けれど卒業してからはボールペンに鞍替えしました。万年筆は確かによかったのですが、日常の用には少々使いにくくもあり、特に冬期、寒い屋外から暖かい室内に移動したときなどに、カートリッジ内の空気が膨張してインクが吹き出すのには困りました。

私が万年筆に求めたのは書き味で、一般にボールペンといって予想される、あのきちきちと粘る書き味は嫌いな私には、あのすーっと線が引ける軽くしっとりとした触感があっていました。ですが、こうした書き味は万年筆だけではなくボールペンでも得られるようになって、それが京セラの水性セラミックボールペンでありました。

私は、大学を卒業して、院も出ようかというときに、このボールペンを見つけました。見つけて、書き味を試して、その時はすごく迷いました。それまで使ってきた道具を新しいものに換えるわけですから、その迷いはいかほどであったか。しかし、何度か通ううちにどうしても買っておきたいという思いが高まり、結果、そのボールペンは私の手もとに今もあります。常に持ち歩いて、私の日頃の筆記における重要なものとなっています。

私は、そのボールペンを皆さんに紹介したいと思ったのですが、残念ながらそれはもうかないません。というのは、京セラのサイトを見ても、セラミック水性ボールペンカテゴリに私の使っているボールペンの型を見つけることができないからです。

2002年には確かに存在したのですが、この数年で廃盤となった模様です。私は、このことを非常に悲しんでいます。

職場で、私のボールペンを見て、いいペンだとおっしゃった方が二方いらっしゃいました。私は即座に自慢して、少し太めの軸を握ったときの感触がいいこと、重さのバランスが絶妙であること、そして書き味が格別であることをいうのですが、最後には、残念ながら、この軸を失うともう同じものは二度と手に入らないと思います。そうした悲しいことを告げねばならないのでした。

道具に限らず、すべてのものは一期一会です。私は、筆記具に関してはよい出会いに恵まれたと、あの時の出会いを無駄にすることがなかったと、今もそのように思っています。

  • 京セラ:セラミック水性ボールペン,ゴールドカラーストレートボディ