2005年7月26日火曜日

作品の哲学

夢落ちってどうにもこうにも嫌われる要素ですが、いったいなんでなんでしょう。実をいうと劇作にもえらく嫌われた技法というのがありまして、それはデウス・エクス・マーキナ(機械仕掛けの神)といわれるやつなのですが、これまで物語られてきた世界の外から突如やってきた唐突な要素が、劇の動因となっていた問題を解決してしまうようなエンディングを特にこういうのです。佐々木健一曰くデウス・エクス・マーキナと言えば、それだけで悪口になるほどである。ですが、本書では「完結の技法としてのデウス・エクス・マーキナ」と題し、機械仕掛けの神による終始が劇になにをもたらしているかが論じられます。私にはこの説明があまりに鮮やかだったので、すっかり気に入ってしまい、デウス・エクス・マーキナによって幕を下ろす作品を弁護する際に、ずいぶん利用させてもらったものです。

けど、「完結の技法としてのデウス・エクス・マーキナ」は、この本のごく一部、全部で九章あるうちの一章にすぎず、他の章においても興味深い議論がなされています。作品の統一性であるとか、作者と作品の関係であるとか、本当に参考になることがいっぱいで、学生時分美学じみたことをやっていた私にとっては、非常にありがたい本でありました。

夢落ちが嫌われるように、ぱくりというのも嫌われますね。ぱくりというのは剽窃とか盗作についてをいうのでしょうが、けれど本当にぱくっているとはどういうことかという議論は意外に浅く、結局は自分が以前に見たなにかに似ている、実際比べてみれば確かに似ている、だからぱくり。こんな感じの、薄弱な根拠にもとづく批判もしばしばあるように思います。

こういうぱくりうんぬんというのは、結局は作品のオリジナリティとか、自立性とかの問題に関わってくるのだと思うのですが、独創性や自立性を論ずるのは簡単ではないのですよ。なぜかというと、料理しかたに独創性が見られるかわりに、素材は借り物というような例があります。逆に、目の付け所はぴか一なんだけれど、その描き方は特に非凡というわけではないという場合もあります。前者、後者どちらにオリジナリティを見いだすかといわれれば、簡単には言い切れないのですよね。

そんなわけで、作品が独り立ちしているかどうかというのは極めて難しいことなのでありまして、こうした厄介な問題を扱おうという際に、この本はきっと力になってくれるのではないかと思います。少なくとも、考えるヒントを与えてくれるのではないかと思います。

さて、冒頭の夢落ちについてですが、実は私は夢落ちはさして悪い技法とは思っていません。夢落ちは、デウス・エクス・マーキナの一種に過ぎませんから、まさにこの本で確認したデウス・エクス・マーキナの三類型を参考にすることができます。つまりはこんなふうにです:

私は夢落ちが、登場人物の一喜一憂する様で読者を楽しませる目的で、作品世界を壊しかねないような出来事を用意した場合に使われる分には、別にかまわんのじゃないかなと思うんです。本来ならあり得ない出来事によって引き起こされるどたばたも見ることができたわけですし、結局のところだしに過ぎなかった事件にいつまでも居座られても困ります。その上で、夢の非日常と日常のコントラストが、次なる状況に進ませる動因となるようなものであったらなおさらよいと思います。

とまあ、こんなふうに考える私ですから、夢落ちだからといって単純に否定するような見方も芸のないことなのではないかと思ったりするんですよ。

  • 佐々木健一『作品の哲学』東京:東京大学出版会,1985年。

引用

  • 佐々木健一『作品の哲学』(東京:東京大学出版会,1985年),141頁。

2005年7月25日月曜日

「教養」とは何か

  「教養」と聞いて、一般的に思い起こされるイメージは、ものをたくさん知っているであるとか、高度な学問を受けていたであるとか、そういうものなんじゃないかと思います。私にしてもそれは同じで、ガキの頃に、ちょっとまわりの子よりもものを知っていたことで、わぁ物識りねと誉めそやされて、私は鼻高々で、けれどものを知っているということがすなわち教養には結びつかないということを知ってからは、ただ知識が多いだけということは恥ずべきことである。みっともないことであると思うようになりました。

『「教養」とは何か』は、阿部謹也の精力的な世間研究に基づいて書かれた本で、『「世間」とは何か』の続きであるといってもよいかと思います。私は、世間を見つめ直そうと試みて、阿部謹也に行き当たりました。そして教養とはなにかという問題を提示されたその時、私は答えも持たず立ち尽くしたのでありました。

教養とはなにか。この、まるで読み物のように編まれた本を読み通して、ひとしきり揺さぶられて、教養というのは自分を取り巻く関係において自分はどのような位置にあるかを知っているということ。そして教養人とは、自分はなにをなせばよいか知り、実践している人のことをいうのではないかと思い当たりました。

自分の位置を知っているというのは、自分がある種の地位にあると任じていることをいいたいわけではありませんよ。例えば、私は会社の部長なのだ。だから偉いのだ、部下には命令するのだ、けれど取締役にはぺこぺこするのだ、とかそういうのんじゃあないんです。私のいいたいのは、家族なら家族を構成する一人としての自分を理解し、家族の中でなにができるかを知り、それをおこなっているということ。例として出したのは家族でありましたが、ほかに地域社会であるとか、友人関係であるとか、そうしたさまざまな関係の中で、独りよがりなんかではなく自分をきちんと評価し、成すべきことを成している人こそ教養人だと思います。もちろん、そういうことのできる人はなかなかいない。けれど、かなりいい線いっている人というのは少なからずいて、私は例えば自分の身の回りにそういう人を見つけたりするとすごく嬉しくなる。そういう人を見習って、その人のようにすることができたら、私も少しは教養ある人間に近づけるんじゃないかと、前向きな気持ちになるのです。

私の知っている人に、それはそれはお偉い方がいらっしゃるのですが(皮肉です)、けれど私は、その人が休日には普通のおじさんの恰好して、面が割れないように野球帽かぶり、地域清掃活動をしているということを聞いて、その人を見損なっていたと恥じました。駅前が見る見るきれいになることの喜びや、一仕事を終え、一緒に働いた子供たちにジュースを買ってやることの嬉しさについて話したその人は、紛れもなく世間的地位から離れて、自分の成すべきことを成そうとしている人だと、正直ちょっと尊敬しました。

ボランティアだから感心したんじゃないですよ。自分の成すことで、人が喜び、自分も喜べるというところが素晴らしいと思ったんです。見習わんといかんと思ったのです。

2005年7月24日日曜日

もしもあなたに会わなければ

 先日のぶしつけきわまりないミュージカル・バトンのパスをこころよく受け取ってくださったtsawada2さん(感謝します!)のミュージカル・バトンに、気になる文言をみつけました。その文言というのはアニソンという言葉でくくってしまいたくないです。ええ、この言葉には私も同感することしきりです。

世の中にはアニメを頭っから馬鹿にしてるような人が少なからずいるのですが、そういう人には見つけられない素晴らしいものがアニメにはたくさんあります。それは物語であり、劇であり、絵であり、そして音楽も然り。アニメには隠れた名曲が多いというのはおそらく多くの人が知っていることで、アニメから離れてもなお輝きを消さないだろう名曲もまれではありません。ですが、これは本当に口惜しいことなのですが、アニメの曲だからという偏見がそれら輝きを隠してしまっていること数多く、人口に膾炙することなく過去へ過去へと送られていってしまう — 。

うう、本当にくやしい。宮崎駿とデーズニーばかりがアニメじゃないぞ、ギャピー、とでも叫びたくなるではありませんか。

『勇者警察ジェイデッカー』は、勇者シリーズの第五作目。続発するロボット犯罪に対抗すべく、警察が変形合体ロボットを導入するというアニメなのですが、ロボットの製造現場に迷い込んだ少年との出会いにより、心を持たないはずのロボットが心を持ってしまった — 。このプロットがそのまま物語のテーマでありました。『ジェイデッカー』は、心とはいったいなんなのかという、決して簡単じゃないテーマに真正面から取り組んで、しっかり描ききった名作中の名作です。

このアニメの挿入歌が『もしもあなたに会わなければ』。男性ボーカルによるスローなバラードで、『ジェイデッカー』のプロットやテーマをしっかりと反映させながら、それだけにとどまらない深さ、豊かさを持つ名曲です。

『ジェイデッカー』を知る人間が聞けば、この歌には警察で働くロボットの心情がそのまま表れているとすぐさま気付くことでしょう。あなたと呼びかけられているのは、それぞれのロボットに深く関わっている人であり、ロボットはそうして人と関わる中で心を深め、その心に戸惑いながら、大切な人のために戦います。この歌にはそうした情感がたっぷりとしています。

ですが、大切なあなたを守りたいという気持ちから困難に立ち向かうのは、彼らロボットだけではなく、それは心を持つもの誰もに共有される感情です。そして、 — こうした感情を扱って、この歌は普遍性を勝ち取ることに成功しています。

『もしもあなたに会わなければ』は、さながらラブソングであり、その愛は実直で紛れもなく純粋です。自分の大切な人の仕合せを思い、その人とともにあることを喜び、そして不幸がその人の心を曇らせないようにと願う思いは清く、けれどあまりにまっすぐなものだから口に出すには照れがあります。

ですが、こういうことが、照れも気後れもなしに歌われているのはいいものですよ。

参考

引用

2005年7月23日土曜日

機動戦士ガンダム戦記

 こととね掲示板に『ジオニックフロント』の話題がでて、これ、2001年のゲームなんですが、面白いんですよね。なんか超がつくくらいストイックで、難易度も高めだもんだから、一見さんにはお勧めできない。ですが、私はこれがガンダムゲームの最高峰だと思っています。といった感じで、『ジオニックフロント』を取り上げようと思ったんですが、なんともう書いてたんですね。オーマイ! なんか追いつめられてる気分がしやがるぜ。

そんなわけで、今日は『機動戦士ガンダム戦記』を取り上げようと思います。

『機動戦士ガンダム戦記』は、ミッションクリアタイプの純粋アクションゲームです。ジオン編と連邦編がそれぞれ用意されていて、各ミッションが微妙にリンクしているところが面白いんですよ。ジオン編だと撃破目標として設定されているビッグトレーが、連邦編では防衛対象になっているといった、こういった裏と表が用意されてるのは、ささいなことですが面白いと思います。

私は先ほど、『ジオニックフロント』が最高だといっていましたが、総プレイ時間で考えれば『ガンダム戦記』のほうがよく遊んでいます。なんでか? それは単純に手軽さでありまして、『ジオニックフロント』よりも手軽にスタートし、手軽にミッションクリアし、手軽にSランクを並べ、手軽にモビルスーツの活躍を満喫することができるというところは、ある種欠点であり、反面長所でもあると思います。

取っつきやすいのですよ。この手のアクションゲームに慣れた人ならば、一日二日でコンプリートできるゲームで、だから『ジオニックフロント』とは違い、普通のガンダムファンにもお勧めできます。実際、私にはこのゲームはちょっと簡単すぎて、けれどそのおかげで、ちょっとガンダムゲームで遊びたいなあという時にはうってつけ。それこそ、なんべんクリアしたかわかりません。

私は「戦いは火力だよ、兄貴」という人間ですので、基本的にはバズーカ、ビーム系兵器を愛用しているんですが、これだとなおさら難度が下がるんですよね。狙う→打つ→当たる→おいしい、てなもので、だからたまにはマシンガンで出ようかとも思うのですが、気付けばバズーカに戻っている。というのもそりゃそうで、バズーカ装備はシャアのとった戦術そのものであります。マシンガンだとなかなか敵を倒せないものですから、結局は格闘に頼ることになってしまい、だったらグフかイフリートを使えばいいじゃん、というようなはめにもなるんですね(もちろん格闘オンリーはやってますよ。ミデアが落ちなくて困るんだ)。

と、こんな感じに、好みやなんかで毎回テーマを決めて遊べるのがいいと思います。

参考

2005年7月22日金曜日

よつばと!

   あんまりにも書くことがなくてうんざりして、サイト巡りをしては、Amazonに立ち戻るということをやっていたら、おすすめ商品にNegima, Vol. 2が出てきてびっくり。『ネギま』なんて、読まねえようと思ったら、すぐその下に Yotsubatoの文字を発見! よつばと! そうか、『よつばと!』の英語版がでてるのですね。これは早速買わねばならんと思いましたよ。

そもそも私は、あずまきよひこの漫画が好きでして、説明するまでもない有名タイトルとなった『あずまんが大王』も当然のごとくに押さえていて、ゆかりちゃんが好きでしたね。ゆかりちゃんは最高でした。

ゆかり賛はそこそこにして『よつばと!』でありますが、漫画としての広がりは『あずまんが大王』以上であると思っています。親一人子一人の漫画は数多くあれど、とーちゃんとよつばの関係は、なかなかほかには見られないものがあると思っていて、なんというんでしょう、日本的なんだけれど、日本的ではないのです。その芯は外国の物語に出てくる親子関係みたいで、表面に現れてくるのは日本的なおとうさんと娘なんですね。この不思議な、からっと乾いていて、けれど乾燥はしていない、西でも東でもない感覚が『よつばと!』の魅力なんではないかと思っています。

お隣さんとジャンボがいい味出してますよね。お隣の三姉妹は、それぞれにいい感じの娘さんたちで、私は以前恵那Loveだなんていってましたが(いや、娘には恵那みたいのがいいだろうなという話だったんですが)、お父さん似の、あんまり飾らない自然体が気持ちいい風香もよいと思います。とかいってますが、最近になりましてね、長女のあさぎがいいなあなどと思うようになって、あの傍若無人なところ、のびのびと奔放なところがいいなあなどと思って、なので私は三姉妹の母が好きです。

そういえば、ちゃんとフローリストやってたジャンボが素敵でした。いつもは馬鹿みたいなことばかりいったりやったりしてる人なんだけど、ナイフ片手にオアシスに花を生けているジャンボは恰好よくて、仕事をしている男性はかっこいいという意見ももっともだと思ったり思わなかったり。いずれにせよ、あの花の回はすごくよかった。読んでるこちらの心が洗われるようで、こうした読むとなんか心が晴れ渡るような感覚が『よつばと!』の持ち味であると思います。

英語版、花火を見にいって迷ったよつばのせりふは、やっぱりI'm Yotsuba Koiwai. Yotsuba Koiwai.なのでしょうか。手もとに届くまで、このせりふはどう訳されるんだろうとか考えるだけでも楽しいですね。ええ、翻訳は面白いものだと思います。

  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 1. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 2. Texas : Adv Films, 2005.
  • Azuma, Kiyohiko. Yotsuba&!. Vol. 3. Texas : Adv Films, 2005.
  • あずまきよひこ『よつばと!』第1巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2003年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第2巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2004年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第3巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2004年。
  • あずまきよひこ『よつばと!』第4巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2005年。
  • 以下続刊

2005年7月21日木曜日

星の王子さま

 先達て亡くなられた倉橋由美子の手になる『星の王子さま』が欲しくて、行きつけの書店ならきっと置いているに違いないと思っていったら、案の定置いていたので買ってきました。『星の王子さま』は、もう今更説明する必要もない古典ですが、意外と読んでいる人は少ないかも知れません。挿絵がかわいらしく魅力的で、さっと読める短い話なので簡単な本と思う人もいるかも知れませんが、ところがどっこい、簡単だとか平易だとかちょっといって欲しくありません。ここにはある種の生き方の理想があって、人生を豊かにする秘密が語られています。だから私はこの本こそもっと広く読まれて欲しい。 — けど、通じない人には、まったく意味のない本になるかも知れないなあとも思います。

私が高校生の時ですね。学校まわりの劇団が上演する『星の王子さま』を見たのが、この物語に触れた最初でした。なんだか取っつきやすいようで謎に満ちていて、こりゃ一筋縄ではいかないぞと思ったことを思い出します。けど、最初私は、それは演劇仕立てにしたからだと考えていました。その時すでに、この本が子供向けではないということは知っていましたが、まだ読んだことはなく、だからこの劇をきっかけにして原作を読もうと思ったのでした。

本を読んだ感想は、やはりここには大きな謎があるというものでした。いうまでもなく、物語は平易です。けれど表現がシンプルであることと、内容がわかりやすいということは違うのです。特に、目の中に梁があるような類いの人間にとっては、この物語は謎に満ちたものとしか見えないでしょう。

私は、自分の目から梁を取りのけるのに、ずいぶんと時間をかけてしまいました。私は本当に俗物で、いろいろな欲を捨てただなんて口ではいいながら、最後の最後に名誉欲を残しています。私は結局は、王子さまが出会った王様であるといおうか、あるいは地理学者といおうか、そうした人間につながるもので、けどそうしたことがばかばかしいということはもういやになるほど味わっているのです。

この物語を久しぶりに読んで、私がかつて関わっていた業界には、地理学者がうようよと跋扈していたことを思い出しました。本当に心を向けなければならない対象がすぐそこにあるのに、そっぽ向くように目をそらし続けていた人たちがいて、私はなんてばかげているんだろうとずっと思っていました。私らが目を向けねばならないものは、すぐ目の前にあるのです。なのにみんなはその目の前のことについて話すのに、伝聞に頼っているのです。私はそれがずっとずっと歯がゆくて、結局そんな彼らについてくのがいやんなって抜けてしまいました。あの、抜けると決めた瞬間、私は少し王子さまに近い考えをしていたんじゃないかと思います。

でも、もし本当の地理学者なら、王子さまが箱の中に自分の小さな羊を見つけたように、本の山からだって、伝聞からだって、ほんとうのことを見つけ出せるはずなんです。だから私はもしかしたら見限るのは早すぎたかも知れない。実際素晴らしい成果を挙げている地理学者たちはいて、彼らはまごうことなく本物であるのですから。

私は、今、ほんとうのことに向き合う手段こそは違えてしまいましたが、見つけたいものにはしっかりと目を向けていると思います。見るだけじゃなく、その奥に進みたい。肝心なところにたどり着きたいと思う気持ちは、いつわりなく本物であるとうけがえます。

倉橋訳は、旧訳に比べてもずいぶんと簡素で引き締まった印象があります。子供向けであることは最初から問題ではなく、まっすぐ大人のための本として訳されているのですが、それは文章が難しいということではありません。平易です。ですが、その平易にするすると頭に入ってくる文章には力があって、きっとなにかが揺り動かされる。旧訳とは違った響き方がすると感じられました。

けれど、私はもうすっかり大人の側に足を踏み入れた人間だから、王子さまの言葉にはすべてうなずくことができず、ですがそれも仕方がないと思います。しかし、それでも王子さまとの別れを経験しようという頃には、王子さまのいわんとするほんとうのことはしっかり胸にとおっていました。私はその時、特別になったたくさんのものや人に囲まれていると、しっかり感じることができて、自分のいかに仕合せであるかを思っていたのです。

  • サン=テグジュペリ,アントワーヌ・ド『星の王子さま』倉橋由美子訳,東京:宝島社,2005年。

中国が通貨切り上げを実施

 中国人民銀行は21日、米ドルとの間で事実上の固定相場を続けてきた人民元の水準を切り上げた。新たな為替レートは1ドル=8.11元で、これまでの同8.28元からは約2.1%の切り上げ。また、この措置に合わせ、為替管理方法をドルから主要通貨バスケットに基づく管理フロート制に移行する。

テレビを見ていたらニュース速報がでて、どうやら中国が人民元を切り上げると決めたようです。アメリカが長く切り上げを求めているのは知っていましたが、中国は自国の利益を優先し、アメリカの要求を突っぱねるんじゃないかとか思わないでもなかったので、思ったよりも早く切り上げが実施されるということに驚きました。いや、しかし、これが本来のありようだろうとは思います。今までが不当に低く押さえられていたのだと思います。

しかし、人民元の切り上げが私たちの生活にどのように影響してくるかが心配ですね。日本は生産コストを下げるため中国の安価な人件費に頼ってきたわけでありますが、こうした構造は今後少しずつ変わるだろうと思います。心配することではないかも知れませんが、わからないことはやはり心配です。まあでも、くよくよ悲観的なことをいっててもしかたないので、ここはうまくいってくれることを願うばかりです。

それはそうと、Eastmanは今が買いかも知れない。通貨切り上げがおこなわれた暁には、値上がり必至でしょうし。

引用

参考

2005年7月20日水曜日

ときめきメモリアル

 行きつけのサイトさんの日記にてときめきメモリアルキャラメイクお試し版というのが紹介されていて、そうかあ、ついにときメモではキャラクターの外見も選べるようになるんだと、その進化っぷりにちょっと感慨深くなったりしました。実をいうと私の『ときめきメモリアル』歴は、第一作の時点で終わっていまして、しかもその第一作というのも、スーパーファミコン版という実に謎の入り方。その後、バイトをやめるときに後輩からPCエンジン版『ときメモ』をプレゼントされたりしているので、遊ぼうと思えば遊べるのですが、なんとなくそのままおきっぱなしにしています。そういえば以前「魔法のエンジンで遊ぼう」という文章を書いたことがありましたが、これは実際『ときメモ』を遊べる環境をいかに整えることができるだろうかという、それだけのために書かれたものでありました。

白状します。私は『ときめきメモリアル』をクリアしたことが一度もないのですよ。私はどうも、この手のパラメータを上げるタイプのゲームには向いていないようで、途中で必ず飽きるのです。だいたい一年目は無難に過ごし、すなわち二年目が山となります。ええ、二年目でやめてしまうのです。

私が好きだったキャラクターというのは、如月未緒と見せかけて美樹原愛だったのですが、確か美樹原の出現は一年目のクリスマスが最速で、次がバレンタインデーだったはず。だから美樹原が出て、ぐぐぐーっとときめき度が美樹原よりに傾いた頃にゲームに飽きてしまうのですね。もうわけわからん。ゲージがたまったんなら、そのまま突き進めばいいじゃねえかという気もするんですが、残念ながら私の持続力のなさはかなりのようで、こうしてまたも二年目のジンクスを乗り切れないんですね。

そんな、途中で投げてばかりの私だというのに、『ときメモ』についてはいやに詳しくて、というのは、昔のバイト先にフリークといっていいほどにコアな『ときメモ』ファンがおったのが原因です。そいつは全イベント及びクリア条件を網羅するばかりか、設定やキャラクターのプロフィールにも精通していた。なんといっても、コントローラで電話がかけられるんですからね(意味わかります?)。私はそいつの気合いの入ったプレイを見せられて、駆け出しメモラーくらいにはなれたんじゃないかと思います。ええ、ちょっとかじった程度のメモラー相手なら、私の方がずっと詳しいですよ、きっと。って、それにしてもいびつな話だな。

私は気がついていなかったのですが、冒頭のキャラメイキングというのは、『ときメモ ONLINE』のものみたいですね。私はてっきり、『ときメモ2』で自分の名前を呼ばせることができたような、そういうのだと思っていました(私はこれを、体験版で試しました。シンイチロウという友人がおったのですが、これがシニチロウと発音されちゃうんですよね。発売された版ではどうだったのでしょう?)。

しかし、『ときメモ』がオンラインゲームですか。学園の中で学生としての役割を演ずるわけですから、まさに正統的なRPGといえそうですが、けれどこれはいったいどういうゲームになるのでしょう。なんかイベントが適当な頃合いを見て企画されて、後はクラブ活動に励んだり、勉強にいそしんだり、あるいは知りあった友達とどうこう。うー、私はきっとものすごい勢いで飽きるだろうな。駄目なんですよ。具体的に明確な目的の示されないゲームは、どうも私には向かないみたいなんです。Wizardryなら平気で何年でも遊ぶのに、どういうわけかほかのゲームではうまくいかないのです。

さて、冒頭で申しましたキャラメイク話。一応私も試してみたのですが、どうも輪郭の自由度がまだ少なくて、特に男子。やっぱり輪郭は、あの突き刺さりそうなくらい鋭角なのがいいじゃありませんか(福本伸行みたいなんじゃないっすよ)。それが、どうもあごのしっかりした輪郭しかなくて、うーむ、これじゃ萌えません。

けど、頑張って作ってみましたよ。私の好みを以下に示しましょう。

男子は上から「1,1,メガネ(無しあるいはほくろ1でも可),2,2,1,1,5,1,4,無し,3,2,無し」、女子なら同じく上から「1,1,メガネ,3,1,2,1,6,2,1,無し,1,3,無し」。

男子で眼鏡は邪道だとか思ったのですが、つけてみたら意外とよかった。女子は眼鏡を外すとものすごく地味顔になって、それがおそろしく素敵。しかし、思うのですが、眼鏡とほくろが択一になってるのはどうかと思います。眼鏡とほくろは同時選択したかった(特に女子)。なんというんでしょう、泣きぼくろってなんかいいじゃありませんか(はっ、もしかしてジュリーの影響!?)。

あ、そうだ。私、一度だけ『ときメモ』クリアしたことがありましたよ。ほら、体力をがんがんに上げるとときめき状態に陥ってくれるキャラクターがいたじゃありませんか。いや、清川じゃありません。外井雪之丞ですよ! え、誰かわからない? 外井ですよ、外井。伊集院レイに付き従っている外井。思い出しました?

実は、彼も攻略対象キャラクターだったんですよね。と、そんなわけで私は唯一外井とのエンディングを見て、いや、この表現は微妙に嘘ですね。外井の愛を勝ち取っても、伝説の木の下に女の子が待っていなかったらバッドエンド扱い。しかしそれにしても、ひどい扱いですよね。外井がかわいそうだ。

蛇足:嫌いなキャラクター

それは、こいつだ! 正直、敵だと思っている。

Windows

PS / PS2

PCエンジン

2005年7月19日火曜日

それでも君に言おう

多分、本当だったらこの間のミュージカル・バトン企画で取り上げるべきだった曲。

私がフランスの歌手パトリック・ブリュエルの歌を聴いたのは、NHKラジオのフランス語講座入門編でのことで、昔、ラジオフランス語では毎週木曜にフランスの歌を取り上げて紹介していたのでした。この企画は私にはすごく嬉しくて、このBlogを読んでいくとその証拠を見つけられるのではないかと思いますが、ひとつ言葉を学ぼうと思うごとに私は聴く音楽の範囲を広げていったのです。なかでも中国語とフランス語は私のうちに大きな割合を占めていて、そのどちらもが私にとっての大切なものとなっています。あの時取り上げたのが中国語の歌だったからといって、私の中でフランス語の歌、パトリック・ブリュエルの『それでも君に言おう』の価値が劣っているなんてことは断じてなく、この歌は、今も、昔も、等しく私の愛してやまない歌であることに変わりません。

私がこの歌の収録されたアルバムを探したのは1999年のことだったのですが、この時点ですでにアルバムは廃盤、入手不可能という状況でありました。ですが私はあきらめが悪くできていて、中古レコード店や海外ショップなどあちこちを探してみて、けれどそれでも見つからない。手に入りそうな気配さえもない。正直、一度はあきらめてしまったのでした。

ですが、2001年に再び探してみたところ、なんとか見つけることができて、こうしてやってきたAlors Regarde。あの時は、頭っから見つからないものだと決めつけていましたから嬉しかった。本当に嬉しくて、支払った額は結構なものでしたが、けれどちっとも惜しいとは思いませんでした。

この歌は、本当に静かに、語りかけるように歌われる名曲で、すごく素敵なのです。それでも君を愛していると言おう — 、もう別れようというそのときに声を荒げるでもなく、感情をむき出しにするでもなく、本当に静かに告げられる « Je t'aime » の一言。この言葉が心に沁みるのは、ブリュエルの歌声に感じやすく傷つきやすい心を見てしまうからかも知れません。あるいはフランス語という言葉の力でしょうか。いずれにせよ、私はこの歌に繊細なる青年の像を思うのです。

蛇足

今、Patrick Bruelで調べてみたら、結構アルバムが出ていて驚きました。以前は本当に情報が少なくて、パトリックで調べたらパトリック・ヌュジェばっかり出てきてまいったものです。このときのことを、後にヌュジェ氏に直接文句いったらば、ブリュエルについていろいろ教えてもらえてちょっとラッキー。

パトリック・ブリュエルは一時期調子を悪くしていたのか、メディアに登場しなかったのだそうですが、復帰後は活躍されているようで私も少し嬉しくて、だからちょっとずつでもアルバムを買い集めてみましょうか。そんな気持ちになっています。

2005年7月18日月曜日

E. T.

 昔の映画パンフレットを出してきて、なんだか懐古的気分に襲われてしまったので、今日は『E. T.』でも取り上げてみようかと思います。あ、大丈夫。明日は『フラッシュダンス』とかいうことはありませんから、安心してください。

E. T.は、もはや説明不要のSF古典映画であると思うのですが、若い人だと知らなかったりわからなかったりするでしょうか。一人地球に残された地球外知的生命体を、大人の手から守ろうとする少年たちの奮闘がみずみずしくも感動的な、素晴らしい映画でした。E. T. ウチカエル (E. T. Go Home)は流行語にもなりました。そして、あの指先を合わせる印象的なしぐさを皆してまねして、ええ、あの頃の日本はE. T.に夢中でした。

どれほど日本人が『E. T.』という映画に夢中であったかは、その配収を知ればわかるのではないかと思います。その記録的配収は96億円! 1150万人の動員を記録したのでした。この記録は1997年公開の『もののけ姫』に破られるまでの十五年間、まさに映画の金字塔として燦然と輝いていたのでした。ちなみに『もののけ姫』の配収は113億円。1350万人を動員しています。

ちなみに、邦画の記録は『南極物語』の59.5億円。邦画、洋画のチャンピオンを見に行った私は、さながら当時の標準的な日本人であったわけですが、『もののけ姫』は見に行きませんでした。この十年あまりの間に、私の身になにがあったのでしょうか。ま、そんなのはどうでもいいことです。

『E. T.』は、主役のエリオット少年がけなげだったんですよね。子供たちで集まって、E. T.を隠すというそのギャングエイジ的シチュエーションもわくわくするのですが、そんな中で深くE. T.と心を通わせていたエリオット少年がやっぱりよかったのです。

エリオットは、本当にE. T.のことを好きだったことが伝わってくるのですね。うちに電話したいというE. T.とともに通信機をこさえ、そしてE. T.の危機には憤然と食い下がり、そして彼ら子供はE. T.を自転車のかごにのせ、大人たちの世界から逃げだすのです。

こうして、言葉にすれば陳腐かも知れません。あまりにありきたりのストーリーと思われるかも知れません。ですが、見ればきっとわかる。見ればわかるのです。彼らの間にあった絆は言葉で語れるものではなく、それは実際に見て、その細々としたしぐさ、表情のやり取りの中に見つけ出されるべきものなのです。そして一旦その友情の深さに気付けば、もう引き返せませんよ。我々視聴者はE. T.、エリオット少年とともに空を飛び、そして切ない別れを経験することでしょう。

あのとき、まだ子供だった私は泣きました。映画館で、大人子供の区別なくすすり泣く声を聴いたのを、私は今も忘れません。

2005年7月17日日曜日

南極物語

  七月も中旬から下旬に向かおうとする今日、京都では祇園祭のハイライトともいえる山鉾巡行がおこなわれました。私は学生の頃には、毎年のように祇園祭にいっていたのですが、この数年はまったくといっていいほどいっていません。今年も、テレビで中継を見るだけですませてしまいました。

祇園祭、祇園祭といえば忘れられない印象があります。子供の頃に家族総出で見に行った映画『南極物語』に祇園祭の京都が出てきて、私は幼稚園児の頃から祇園祭が、あの鉾というのがもう本当に好きでしたから、このシーンがすごく印象的で鮮やかで、大人たちが難しい話をしているという以上に理解できなかったこのシーンを、はっきりと胸に刻みつけるほどに鮮烈にとらえたのでした。そんなせいか、今となっても祇園祭の季節になれば、南極の冬を越えた二頭の犬のことを思い出します。

私がタロとジロのことを知ったのは、いったいいつごろのことでしょうか。私の育った七八十年代には、南極に泣く泣く置き去りにされた十五頭の犬のことを扱うメディアは多かったように思います。それは特に子供向けの本雑誌において顕著で、例えばそれは学研の科学であるとか、そういった雑誌だったのかも知れません。珍しくはっきりと覚えているのでは、学研のひみつシリーズ『犬のひみつ』でしょう。ですが、この本は従姉の持ち物でした。だから、今は残っていないのではないかと思います。

さて、タロとジロの物語は、当時の子供ならまず知っているといっていいほどに有名な物語でしたから、映画になったというときに見に行こうということになったのも当たり前のような話でした。製作がフジテレビ、学習研究社、蔵原プロであったことから考えても、テレビでのプロモーションもあれば、学研の学習雑誌でのプロモーションも盛んだったことでしょう。おぼろげな記憶を探れば、私は南極に置き去りにされた犬たちの名前や性格を熟知していたような覚えがあります。それが果たしてメディアのためなのか、あるいは映画館で買ってきたパンフレットのためなのか、そこまでは定かではありませんが、少なくとも私はあの犬たちと、犬たちの立ち向かった運命に、大きく心を動かされていたのです。

この映画で素晴らしかったのは音楽もそうで、多分テレビからだと思うのですが、『E. T.』や『フラッシュダンス』といった映画音楽を録音したカセットテープというのが手もとに残っていまして、今やカセットデッキも壊れてしまっているので聴くことはかなわないのですが、ですがこれらの音楽は本当に宝物のように思って聴いていました。そして、この中に『南極物語』のテーマ曲もあったのですね。

私が子供の頃は、今みたいに簡単にDVDやビデオで、好きな映画を好きなときに見るということがかなわない時代でしたから、こうしてテーマ曲を聴いて、パンフレットを読んで、好きだった映画の追想をするというのが普通でした。そうして私はいったい何度南極の過酷な自然に立ち向かった犬たちの物語を追想したことでしょう。それはあたかも、自分がその場に立ちあったかのような思いで振り返ったのだと思います。

DVD

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2005年7月16日土曜日

ARIEL

  そんなわけで『ARIEL』。って、単純やな!

『ARIEL』といったら、私が高校の図書室に通っていたときに、好きで借りだして読んでいたシリーズで、巨大女性型ロボットを駆り地球侵略をたくらむ悪い宇宙人と戦う美人三姉妹(一番上は従姉なんすけどね)という、実にマニア心をくすぐる設定が魅力のノベルです。なにが面白かったといえば、序盤に見られたハイテンション・スラップスティック系ギャグやパロディなんかもそうですし、中盤から後期にかけての微妙にシリアス展開もよかった。けどなにが一番いいといっても、敵方の宇宙人も含めた魅力的なキャラクターでしょう。侵略する側される側が、それぞれの事情思惑でもって慣れあったり、けどやるときはやってみたりという、そういうメリハリのあるどたばた展開が面白かったなあと思います。

私が高校の頃に読んだのは、多分第7巻までですね。宇宙海賊パスク・ダ・ルーマーとか、覚えてますからね。でも、この頃で好きだった話というと、第5巻収録の修学旅行編。だって、舞台が京都ですよ。嵐山渡月橋付近に降下兵が降りる場面なんかは、なにしろ嵐山にはうちの墓がありますから、庭みたいなもんですよ。道路沿いの商店の並び、松の枝ぶりまで目の前に浮かぶかのようで、すごい臨場感。めっちゃくちゃ面白かったですね。それに倒錯美少年ニコラスとの会見のシーンもよかった(シモーヌが可愛いんだ)。目茶苦茶お気に入りの話でした。

あとお気に入りといえば、第6巻のシモーヌ結婚編もよかったなあ。この話、地球をはるか離れたところで展開されるもんだから、全然ARIELとか出てこないんですが、こういう宇宙人側のいろいろがすごく楽しいのですよ。艦長がシモーヌをさらいに(?)単騎乗り込む場面の描写などは、まさに逸品。もう大興奮でしたよ。

とまあ、こんなふうに『ARIEL』は各巻ごとに見せ場があって、それがすごく面白くて、一級のエンタテイメントでありますよ。でもただ楽しいばかりではなくて、後に出てくる原爆を積んだボックス・カーが現代に迷い込む話みたいにちょっとシリアスなのもあって、特にタイムトラベラー、ユリのからむ話はなんだかしんみりさせるものが多かったような覚えがあります。うん、あのへんの話も好きですよ。

ほかにも見どころはいっぱいあります。クレスト・セイバーハーゲンの強烈なインパクトにも酔いましたし、宇宙怪物(古代兵器でしたっけ?)との電子戦にも燃えたっけなあ。ともあれ、どの巻にも燃える展開があって、私は大学卒業してから『ARIEL』を買いそろえたのですが、司書の資格を取りに通う道々で読んだ『ARIEL』の懐かしいこと。いや、懐かしんではおられないですね。なんといっても番外編が出ているようですから、また買ってこないといけません。

『ARIEL』の旬は、間違いなく平成が一桁台の時分で、だから今のアニメファン、漫画ファンからすると、ちょっとなじみにくいところはあるかも知れません。ですがこのちょっと古い感じもしないでもない『ARIEL』が星雲賞に輝いたというのは、やっぱり私みたいな、長い間この作品に触れてきて、当時の友人やら過ごしてきた季節やら、思い出にまみれてなんだか言葉にできないような感慨にとらわれるやからが多かったからなんじゃないかと思ったりします。

思えば長いですもんね。二十年弱に渡って展開されてきて、いや、本当に長い間お疲れさまでした。

蛇足

また一巻から読み返してみよっかなあ。

  • 笹本祐一『ARIEL』第1巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1987年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第2巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1987年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第3巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1988年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第4巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1989年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第5巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1989年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第6巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1990年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第7巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1991年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第8巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1993年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第9巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1995年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第10巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1996年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第11巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1996年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第12巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1997年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第13巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1998年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第14巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,1999年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第15巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,2000年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第16巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,2001年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第17巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,2001年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第18巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,2002年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第19巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,2003年。
  • 笹本祐一『ARIEL』第20巻 (ソノラマ文庫) 東京:朝日ソノラマ,2004年。
  • ARIEL読本』東京:朝日ソノラマ,2004年。
  • 笹本祐一『侵略会社の新戦艦』(ソノラマ文庫;ARIEL番外編第1巻) 東京:朝日ソノラマ,2005年。

第36回星雲賞受賞作品リスト

遅まきながら、第36回星雲賞受賞作品のリストを入手しました。情報を提供くださった無名の有志の方には、感謝いたします。

私にとって嬉しいのは川原泉の『ブレーメンII』が選ばれた(祝!)こともそうですが、同様に笹本祐一『ARIEL』が日本長編部門を受賞したこともやっぱり嬉しくて、好きで読んでいた作品がこうして評価されるというのは、読者にとっても喜ばしいことであると素直に思います。

第36回星雲賞受賞作品リスト

日本長編部門
笹本祐一『ARIEL』朝日ソノラマ
(小川一水『復活の地』早川書房)
日本短編部門
飛浩隆『象られた力』早川書房
(小林めぐみ『食卓にビールを☆伝説のスネークマスター篇』富士見書房)
海外長編部門
イーガン,グレッグ『万物理論』山岸真訳,東京創元社
(ウィリス,コニー『犬は勘定に入れません — あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』大森望訳,早川書房)
海外短編部門
スタージョン,シオドア『ニュースの時間です』大森望訳,早川書房
(マーティン,ジョージ・R・R『アイスドラゴン』酒井昭伸訳,早川書房)
メディア部門
『プラネテス』監督:谷口悟朗,サンライズ
(『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』監督:ピーター・ジャクソン,配給:ヘラルド=松竹)
コミック部門
川原泉『ブレーメンII』白泉社
(道原かつみ『ジョーカー・シリーズ』新書館)
アート部門
新海誠
(加藤直之)
ノンフィクション部門
前田建設工業株式会社『前田建設ファンタジー営業部』幻冬舎
(山本弘『トンデモ本? 違う、SFだ!』洋泉社)
自由部門
国際交流基金『おたく:人格=空間=都市ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展 — 日本館出展』
(国立天文台(阪本成一他)『有名望遠鏡ペーパークラフト』)
星雲賞特別賞
矢野徹

(括弧書きは次点作品)

受賞作もそうなのですが、惜しくも賞を逃した作にしても、こうしてずらりと並びますと、読んでみたい、見てみたいという興味が湧いてきますね。

なんか、私も読んでみましょうかね。なんかわくわくしますね。

出典

川原泉『ブレーメンII』が第36回星雲賞(コミック部門)を受賞

我が敬愛する漫画家川原泉が、『ブレーメンII』にて、第36回星雲賞を受賞したとの報を受けました。まだ未確認情報ではありますが、詳細がわかり次第、続報をお知らせします。

星雲賞については、日本SFファングループ連合会議星雲賞についてを参照ください。

参考

2005年7月15日金曜日

くじら日和

 今日、仕事帰りに書店によったら『ホームメイド』の二巻が出ていて、もちろん買いました。『ホームメイド』の作者谷川史子は、私の好きな漫画家の最上位級に常に位置していて、私はこの人に魂を捧げても悔いないと、そういいきれるくらいに好きな漫画家です。

で、家に帰って、メールを出しました。私の、昔の職場の人で、大学の先輩で、たしか『愛はどうだ』だったと思うんですが、二冊買っちゃいましてね、一冊目がちょっと傷んでたんですよ。だから買い直し。私には、小さなことには頓着しない時期と、ささいなことにも一喜一憂する時期がそれぞれ別個にあって、ちょうどその頃ナーバスな時期だったんですね。だから、裏表紙についた傷に我慢できず、二冊目を買って、その最初の一冊を件の人にあげたのでした。そうしたら、もうドンピシャというか、その人も谷川ファンにならはりまして、ええ、それ以後、新刊が出るたびにその人にメールで知らせているのです。

私が谷川史子を発見したのは、ちょうどりぼん本誌で『くじら日和』が連載されているのを見たのがきっかけで、私はその頃ちょっとわけあってりぼんを購読していたのでした。りぼんは少女漫画なので、やっぱり甘くきらきらした、いかにも少女漫画ですという絵柄にあふれていて、けれどそんな中に異彩を放っていたのは谷川史子でありました。

悪くいえば地味なのかも知れません。お話もあまり派手さはなく、きっちりと少しずつ進めていくタイプ。当時のはやりだった、魔法とか変身とかプリンセスとかそういうとっぴな設定もない、本当に身近な世界をていねいに描いていくという、そういう堅実さが感じられて、私はこの人はいいなと思いました。

けど、その頃はそこまで。私が『くじら日和』を単行本として買ったのは平成10年。大学院の二回生の頃。その頃私はなんだか空しさがいっぱいで、なんか悲しくって、そうした苦しさをなんとか埋めたいと思って、その時に読んだのが谷川史子をはじめとする少女漫画であったのです。いろいろ買って、読んで、そしてやはり谷川史子はよいと、論文に向けて心をやせ細らせる一年を、こうした漫画に支えられて越しました。

谷川史子のよさは、朗らかであること — 。ほのぼのとした明るさがあって、そしてその向こうにセンチメンタルにゆれる心があるところ。谷川のヒロインは、みんなすごくけなげだと思う。思いが受け入れられないつらさを見つめ、苦さを噛みしめ、時には迷いにぶれながらでも、けれどまっすぐに自分の望む未来に手を伸ばそうとする。そうしたヒロインは本当にりりしくて、決して折れないしなやかさなこころの持ち主だと思います。こんなふうに私は『くじら日和』のヒロイン勇魚に理想を見て、なんと気持ちがいいんだろうと思って、そうして谷川史子ごと好きになったのです。

谷川史子の絵に表れる笑顔は、とってもいい笑顔で、ちょっと他にないあたたかでやわらかな気持ちがあふれています。どんなに泣いても、苦しんでも、最後にそうした笑顔があるから、私は谷川の漫画にひかれるのだと思います。

蛇足

今日買った『ホームメイド』第2巻。なんと、表紙にかすかな傷がいっていて、大ショック。書店では気付かなかったんですね。指で触れてもわからないような傷で、真っ正面から見てもわからないような傷で、けど光にかざすと見えるんですよね。

ううう、ヒロインの、日和子の顔にななめにいってるというのが耐えられないような気がします。二冊目を買って、また谷川ファンを増やせというご神託なのでしょうか、これは!

  • 谷川史子『くじら日和』(りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1993年。