2014年9月15日月曜日

のぞむのぞみ

 のぞむのぞみ』、完結巻です。女の子の格好に興味のあった少年のぞむが見舞われた災厄。突如性別が転換してしまってからの日々。いつか男に戻れる日まで、体の変化をいかに隠し通すか。彼の一種追い詰められた状況がどういう決着を見るのか、すごく気になっていたのでした。彼の変化に気付く誰かがあらわれるのか、それとも最後まで隠し通せるのか。そして彼の経験したこの奇妙な出来事、それがどのように彼の心に痕を残すのか、あるいは残さないのか。どうにでも展開させられるだろう現実味のない前提、それゆえにこの先がどうなるか予想がつかず、それだけに描かれるものには、強く作者の意図が反映されるに違いない。そうした期待があったのでした。

驚きました。こうなるんじゃないか。こういう展開があるんじゃないか。いろいろ予想していたことが、もうまったく通用しなかったのです。どれだけ自分は不自由なのか、そう思わずにはおられなかった。しかし、その予想外の展開に、戸惑いながらも、驚きながらも、こういう道があるのか。1巻時点では足りなかったピースが、2巻で徐々に埋まっていって、そしてあの結末。物語としてはすごく正しく、そして魅力的だった。のぞむが、違う性を経験することが、身体内面ともに新たなのぞむとしてのあり方に繋って、得たものもあった、失ったものもあった、けれどそのすべての経験があって、今ののぞむであるんだろうな。その変化こそに意味があった。そう思えるラストであったのでした。

しかし、このラストを迎えて、やはり思いを強くしたのは、この漫画は、性別の転換というショッキングな、あるいは突飛なものを描いて、けれどそれを決して非現実的なものとして扱ってはいないということでした。非現実的ではないとはどういうことか。ひとつは、性別の転換や違和感は現実にも存在するということ。ISであるとか、あるいはGIDというあり方、それが読んでいる間、ずっと私の意識にのぼっていた。IS、インターセクシャルはその性別を幼少期に確定させることが難しく、また外形でもって決定されていた性が、成長にともない違う性に向かうこともある。そうした話は現実にも聞き及ぶものであり、すなわちのぞむのありよう、変化への戸惑う気持ちも悩みもすべて、あながち非現実的なファンタジーと切って捨てられるものではないのだ、そういう気持ちが拭えなかったのですね。

そしてもうひとつ。のぞみの戸惑うのは、男の体から女の体に変わってしまったことだけではないということです。自分の身体が、女性として成熟していく、その違和感、不安。それは、男だった自分が女になっていくから、単純にそれだけではないのです。性の転換がなくとも、子供から大人になる、その変化に戸惑う気持ちは多かれ少なかれ誰にでもあろうかと思われます。この、自分の身体が徐々に違っていく。その違和感、知識では理解していても実際にそれが訪れるとなると、簡単についていけるものではない。なのに、気持ちをおいてけぼりに、身体だけは、状況だけはどんどん先へと進んでいってしまって、ええ、のぞむの経験していることは、多少、とあえていいますが、多少誇張されてはいるものの、一種普遍的なものであり、誰もが抱える、自身のイメージとその身体、そのギャップ、それを性の点にしぼって濃密に描いてみた、そういえるものなのだろうと思ってしまうのでした。

ものごとは、極端にデフォルメされることで、その実際が明確になる、そういうことってあります。すなわち、『のぞむのぞみ』とは、極端に描いてみせた、性をとりまく青少年の意識の物語であり、それは主役のぞむの周辺にいる友人たち、そして妹の気持ちや思いの揺れ動き。彼、彼女らはなにを見て、なにに引かれ、受け取り、さらにはなにを選びとっていくのか、そうした様子に彼らが時に自由であれず、また時に与えられたものから自由となる、精神のダイナミズムが見えてくる。ええ、このダイナミズム、見事でありました。

ちょっとネタバレになるかもだから、嫌う人はここでストップ。ほんと、ヤス、お前のこと、ちょっと尊敬する。この人は、見えるもの、その外形的なあり方にとらわれることなく、本質を見つめていたんだな。なにが自分にとって真実であるか、しっかり見据えて、その一番大切なものをずっと離さないでいた。ほんと、真正の人だ。

  • 長月みそか『のぞむのぞみ』第1巻 (TSコミックス) 東京:少年画報社,2012年。
  • 長月みそか『のぞむのぞみ』第2巻 (TSコミックス) 東京:少年画報社,2014年。

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