ちょっと、高橋鉄男、モテすぎだろう。『亜人ちゃんは語りたい』。以前から結構気になっていたタイトルでした。表紙が可愛いですよね。これ、亜人、バンパイアの小鳥遊ひかり。けど、表紙を見ただけでは、この子が亜人なのかどうなのかはさっぱりわからなくって、また亜人とはどういうものかわからない。なんか戦ったりするのかなあ。とか思いながら、ずっと手にせずいました。気持ちがね、後ろ向きですよね。以前なら、どんなのかわからないけど、とりあえず買っちゃおう! そんなところが、最近はずいぶん億劫になってしまった。いけません。というわけで、買いました。テレビでやってたCM見ましてね、それが決め手でしたね。そして読みました。ええ、とてもよかったですよ。
なにがいいのか。登場人物、とりわけ亜人の子ら、先生もですけど、みんながね、健気でそしてチャーミングなんですね。ひかりとか、エヘヘ! ですよ、エヘヘ!
亜人というのは、物語やら伝承に出てくる人に似て人でない存在をいうんですね。とりあえずこの漫画に出てくるのは、バンパイアにデュラハン、雪女、そしてサキュバス。そのうちの3人が学生で、女子高生、傷つきやすかったり、時には苛烈にその思いを表明したり、そうしたところは普通の子、人間のそれと大きく違わない。むしろ、あえて同じように描いているからこその面白さ、意味というのがあるのかも知れない、なんて思わされるところが大であったのでした。
劇中において、亜人はかつてこそは差別されたこともあったが、近年は社会に受け入れられるようになってきている、というんですね。日常生活の不利をサポートする制度があるなど、そうした設定に現実味みたいなものを感じたりもして、彼女らのバックグラウンド、この物語世界の広がりというのが感じられて面白い。主人公は高橋鉄男。亜人に対する興味を持った生物教師。彼があかりをはじめとする亜人の子らと交流していく、そうしたところに生じるおかしみやほのぼのを味わおう、そうした趣向と思っておけばほぼ間違いないのだろうと思います。
けれど、ただほのぼのではないんですよね。高橋とあかりがはじめてであった時の描写。エヘヘ! アハハに至る直前の描写を見れば、社会においては受け入れられているはずの亜人、けれど彼らに対する差別や嫌悪の感情が人々の中にまだ残っているということがうかがえます。また亜人の側からしても、たとえば見た目こそは人に変わりないあかり、この子にしても、日常生活において人との違いを意識しないではおられない。そうしたもろもろがコンプレックスになって、心に影を落としている……。
人が優しいですよね。そうした違いを意識させないように、自ら歩み寄ろうとする人がいる。ことなにかあれば支えようとする人があり、時には盾にでもなろうとする、そんな人もいる。それは亜人である場合もあれば、家族、友人、教師、様々な立場やつながりを持つ人たちで、こうした優しさは現実にだってある。けれどそうした優しさの存在することが、反面、この漫画に描かれる社会に存在する悪意を感じさせて、そういう点でこの漫画は大変にリアルなのだろうと思う。
自分たちと違うものに向けられる悪意。異質なものを排除しようとする圧力。それらが直接に描かれることはなくとも、見えない悪意から大切な人を守りたい、そうした気持ちが描かれることでじわじわと意識される。フィクションにすることで、現実にはありえない、おこりえないできごとを描くことで、光があてられる現実がある、そうしたことを思わされました。押しつけがましくなく、そっと、気づく人にはわかる、それくらいの程度で伝えられるテーマ。本当にそれが作者の描きたかったことなのかどうかは、私にはわからないんですけどね。けれど、そうした色を感じとって、だからこそ、互いに守り、支えあいながら、自分たちの楽しい暮らしを大切にしている彼女らの健気さ、それが胸を打つのだと思うのですね。
しかし、それにしても高橋鉄男はモテすぎだと思う。いや、ほんと、モテすぎだと思うんですよ。
- ペトス『亜人ちゃんは語りたい』第1巻 (ヤンマガKCスペシャル) 東京:講談社,2015年。
- ペトス『亜人ちゃんは語りたい』第2巻 (ヤンマガKCスペシャル) 東京:講談社,2015年。
- 以下続刊
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