2004年12月24日金曜日

地上のすべての国々は / Viderunt omnes

 クリスマス特集第五弾は、ノートルダム楽派を代表する作曲家ペロティヌス(フランス語ではペロタン)の『地上のすべての国々は』を紹介しましょう。パリはノートルダム大聖堂において活躍したことから、その活動の拠点である聖堂の名をもってノートルダム楽派と呼ばれます。彼らは、おそらくは音楽史に名を残す最古の作曲家であり、十二世紀にはレオニヌスが、十二三世紀にかけてはペロティヌスが主要な作曲家として知られています。

彼らの名がこうして残されたということは、このゴシックと呼ばれる時代に、匿名の時代から個人の時代に移行しつつあったということを物語っています。うっそうとした森を思わせるゴシックの大聖堂に、彼らの音楽はこだましたのでしょう。そして今私たちは、レコーディングという技術革新により、自宅にいながらにして数百年前を生きた彼らの音楽に接することができる。これは、なんと仕合せなことであるか。私はそのように思わないではいられません。

ペロティヌス、そしてレオニヌスも作曲した『地上のすべての国々は』は、クリスマスの第三ミサに歌われるグレゴリオ聖歌『地上のすべての国々は』を定旋律とするオルガヌムです。このように聖歌というものは機会音楽としての性質も持っていて、特定の日に、特定の目的で歌われるものであるのです。当然、『地上のすべての国々は』は12月25日クリスマスに主を讚えて歌われ、ペロティヌスの『地上のすべての国々は』については、1198年の12月25日にノートルダム大聖堂において歌われたとの記録が残っているのだそうです。

けれど、こうした知識は音楽の力の前にいかに無力でありましょうか。オルガヌムの響きに相対すれば、まさにそうした歴史的知識は後景に押しやられ、眼前には屹立する石の柱、揺らめく蝋燭の光に浮かび上がるのは合唱の僧たち。とうとうと流れる歌声は神秘を讚えながら高みへ高みへと登りつつ響き、地上に残る我々はただその果てしない高空に座する光に憧れを抱くばかりとなるのです。

俗にいわれることですが、音楽は美術や文学に比べ遅れた芸術なので、その時代の精神を表すには、ひとつ後の様式こそがふさわしい。バロックには古典派の音楽が、ルネサンスにはバロックの音楽が似合うなどという言い様の、なんと欺瞞にまみれていることか。ゴシックの時代に生まれたこれらオルガヌムは、数々の尖塔をもって高みを志向するゴシックの建築にこそふさわしく、彼らの音楽の精髄を知った我々に、よもやこれらゴシックの音楽が劣っている、遅れているなどいう謂が通用するものではありません。

ゴシックの音楽とは精緻にして力強く深遠にして芳醇である、まさに天の高い位置を目指す垂直方向に向けられた精神そのものであり、そしてこの精神こそはゴシックという時代に特徴的なものであるのです。

Hilliard Ensemble

The Early Music Consort of London

Deller Consort

ヒリアード・アンサンブルの演奏が、最も神秘性を讚えてデリケートである。ロンドン古楽コンソートは荘重でしかしわくわくと躍動する美しさ、一番聴きやすいんじゃないだろうか。デラー・コンソートのものは、楽器もはいって独特の軽快さを持って面白い。当時、聖と俗の分化がまだ明確でなかったとしたら、このような響きをもって歌われていたのかも知れないとも思えてくる。

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