2004年12月30日木曜日

交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」

 暮れも差し迫るとベートーヴェンの第九を聴きたくなる、というのは実は日本発の風習でありまして、日本以外で年末に第九を聴くという国はありませんでした。ありませんでした? そう、かつては日本だけの奇習だった年末第九ですが、本場の第九を聴きたいと思ってドイツに行く人があまりに多かったせいで、ドイツでも年末に第九をやるようになったとか、そんな話があるんですね。まあ、こんなのはバブルの頃だとか、日本が好景気に浮かれていた間だけのことだとは思うんです。なので、今もドイツで年末に第九が演奏されているかどうかはわかりません。けど、クラシック音楽も商業主義に無縁ではないことがよくわかる逸話でありますね。

そもそも日本で第九が年末に演奏されるようになったのも、商業主義というかそういうのにかかわりがありまして、ほら、年末になるとなにかと物入りですから、正月を迎えるのに必要な資金を集めるにはどうしたらいいんだろうと、オーケストラ団員も考えたんだそうです。その資金繰りの打開策が第九だったんですね。ほら、第九には合唱団がのりますから、その人たちがチケットを売ってくれるわけですよ。

これで、会場は満員だ! 実際この作戦は功を奏したわけで、うちもやってみようと考えたオーケストラが次から次へと第九をやるようになって、それで暮れの風物詩になってしまったというわけでした。実際、今でも資金難にあえぐオーケストラにとっては福音といえるイベントなんだそうです。

なので、私もその福音とやらにのってみましょう。実はうちには第九の録音は結構あって、けれどそこから真面目に取り上げたんじゃ面白くない。なので、ちょっと面白いものを選んでみました。

1951年7月29日、第二次大戦後はじめてのバイロイト音楽祭の初日に演奏された第九で、こうしたバックグラウンドも手伝ってか、歴史的名盤と名高いフルトヴェングラーの第九です。

フルトヴェングラーをご存じではない? ああ、それは仕方がないかも知れません。フルトヴェングラーは古いクラシックファンにこそよく知られていますが、若い人たちには、カラヤンとかバーンスタインとか、あるいはアバドだとか小澤とかのほうが馴染みがあることでしょう。ですが、かつてレコードがまだ高価であったときは、フルトヴェングラーこそがカリスマにあふれた、トップ指揮者であったのです。

この人の演奏聴きたいがために、名曲喫茶に入り浸りコーヒー一杯で粘ったという方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。いや、残念ながら私はCDの第一世代くらいに位置しているので、名曲喫茶にははいったことさえないのでわからないのですが。

フルトヴェングラーは、まさに演奏がロマンティックであった時代の代表者で、彼の録音を聴けば、確かに情感が端々にまであふれています。ときに激情に駆られるようであり、ときに美に翻弄されるような感動の豊かさが真骨頂でありまして、ですがこのスタイルは、1990年代くらいにはあまり主流ではありませんでした。

今の時代、演奏家に求められるのは、ロマンティックよりもオーセンティックでありまして、どれだけ原典、楽譜に忠実に表現できるかということの方が重視されるように変わってきたんですね。だからその曲が作られた時代に使われていた楽器を、復元復刻してそれで演奏するとか、その頃の演奏慣習を調べてその通りにするとか、そういうのが、私の慣れて育ってきた音楽風潮であったわけです。

ところが、物事には揺り返しというのがありますから、今またロマンティックが復活してきていまして、だからなのか、今フルトヴェングラーを聴くとすごく新鮮で、なによりも美しい。いや、そりゃ録音は古くさいし音質は悪いはモノラルだはで、けれどそうした表面的な部分を越えれば、後は肥沃な音楽の大地が広がっています。ああ、すごく美しい。力強い。暖かく、心が翻弄されるようです。

件の精緻な演奏がはやった時代には、旧時代の演奏、懐古調だといわれたフルトヴェングラーも、どっこいまだまだその精神は生きていますって。結局はやりすたりは繰り返すもので、よいものは死ぬことなく、いくらでもよみがえって輝きだします。そして、我々はこの歴史的名盤を、今も聴くことができる。これはすごく希有なことであると思います。

ああ、そうだそうだ。なにが面白いかいうの忘れてました。この録音にはですね、冒頭に拍手とそして足音がはいっている版があるんです。大抵足音入りとか書いてあるのでそれとわかるのですが、そうした版では第一楽章の前に拍手と、そしてフルトヴェングラーの足音を聴くことができます。

ここにこうして、音楽外的要素である足音が珍重されるという不思議さ、グロテスク。普段は意識がどうとか形而上とか、とかく小難しいことばかりいいたがるクラシック聴きが、結局は指揮者のカリスマにほだされて、その身体性やらを持ち上げているというアンビヴァレンスがうかがえます。つまるところは、クラシックだって俗っぽいんですよ。俗っぽく聴いて楽しんでこそが、クラシック音楽なんですよ。

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