2009年6月8日月曜日

ぼくの生徒はヴァンパイア

 ぼくの生徒はヴァンパイア』の2巻、この表紙がすごい。いや、もう、本当に。メイベルに寄り添うカミラ、ちょっと肖像画などを思わせるようなイラストでありまして、しかし、なんという美しさ、なんという華やかさでありましょうか。えんじ色のカーテン、ビロード張りなのか豪奢なソファに座ったふたりのなりも表情も対照的で、片やすました美人、片やいとけなくしかし優美な美少女、もう最高じゃないですか。背景含めて色はかなり多いのに、うるさいとは感じない。むしろ品のよさを感じたりもするのだけれど、そうした落ち着きを破っているのがカミラで、静止した時間のなか、身を乗り出すように、また表情も自然にほころんで、その動きが彼女の印象を強めて、いや、本当にいい表紙だと思います。

しかし、この表紙、これは肖像画というよりも肖像写真みたいなのを意識しているんでしょうか。ほら、こないだの『MAX』で、チェスのうんぬんからルイス・キャロルの叔母を思い出したとかいってましたけど、このルイス・キャロルの時代、写真はとても露光に時間がかかるものだから、被写体はみなじっと身を硬ばらせていたんですね。長時間、じっとしておかないといけないから、体をどこかにもたせかけて支える、そんな構図が多かった。メイベルが深く椅子に腰掛けているように。カミラがメイベルの手を取って、支えにしているように。そんなだから、自然な表情なんて望めないわけです。こうした見方は、ただ自分がそのように見たいという願望に過ぎないのですけど、メイベルの無表情にそうした時代の写真の撮られ方を思って、しかしカミラは撮影時のルールにとらわれることなく自然な表情を見せている。さすがヴァンパイア、人の世の理に反して生きる存在だぜ! みたいに思ったりするのは、我ながらやりすぎだと思うけれど、けれどカミラにそういった超越的、あるいは超常的なありようを感じたいと思ってしまうのも正直なところなのであります。

ヴァンパイアといいながらも人が怖い、お気に入りのブラム先生の前では従順など、どうにも迫力に欠けているカミラですが、第2巻では実に吸血鬼らしい側面が描かれて、それがとてもよかったのでした。ガブリエラに血を吸われてしまったブラム先生、その血を舐めてカミラがいった言葉は美味しい…。それまで、吸血鬼やなんだといいながらも、ほのぼの同居ものといった色が強かったこの漫画に、異質な色合いがさっと加えられて、その怪異な感触が一層に魅力を増さしめた。そのように感じたのですね。ブラム先生の血の味を知ったカミラの表情こそは描かれなかったけれど、そのひとことの重みは確かにあって、なにか艶かしい、色気を感じさせて、ああこの漫画はやっぱり吸血鬼ものなのか。怪奇、ホラーの類にはどこかしら艶かしさというものが感じられたりするものですが、意識していなかったところにぱっと現れてきたそうした感触にまいりました。転倒しました。価値が、印象ががらりと変わりました。そして、続きの回においてのカミラの吸血鬼としての本能と、女の子としての感情との狭間に揺れたあげく、ガブリエラをガブリ、ごめんなさい、衝動的にガブリエラの血を吸うという描写にいたっては、ちょっとぞくぞくするものがありました。すぐそばにいるものが、それも子供の姿をしているものが、人とは本来相容れない、人ならぬものであるという、そうしたところが垣間見られて、素晴しい、なおさらに好きになったのでした。

ガブリエラは普段から人でなしといった感じだから、吸血鬼としての本性を無邪気に全開にしてきても、まあそんなもんか、ガブリエラだもんな、それくらいですんでしまうけれど、いつもはおとなしいカミラが吸血の誘惑に抗えなかったという、その描写が意外だったからこそ、この人たちの人に似て人ではないなにかであるというところがよりはっきりしたように思います。そして、その人でないというところが、より一層に魅力を強めている、そんな風に感じるのです。純粋の吸血鬼でないカミラであっても、吸血鬼に他ならないという、その隠された本性に、ぞくぞくするような魅力を感じるのです。

引用

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